日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

原爆堂 白井晟一そしてイサム・ノグチ

2005-08-16 13:38:01 | 建築・風景
丸木美術館の存続が危ういと美術館が支援を求めている記事が、8月1日の朝日新聞で報道された。
この美術館は、丸木位里・赤松俊子夫妻の描いた「原爆の図」を展示する美術館である。

僕たち建築家、少なくとも僕の世代は、`原爆の図`というと即座に白井晟一による『原爆記念堂』(1954発表)計画を思い起こす。実現しないこの記念堂は、丸木夫妻の原爆の図を浄財を集めて収録し美術館として展示する意図を持ったものだったが、特に計画案と共に発表されたパースは目に焼きついた。更に翌55年、募金のために英文で書かれたパンフレットに記載されたTEMPULE ATOMIC CATASTOROPHSと描かれた鉛筆による精密なパースは、よりシンボル化され、僕の(僕たちの)建築感を揺さぶるものだった。
戦時中は体制に協賛し戦後一転して民主主義と平和を唱える建築家に疑念を持ち、敷地など具体条件のない中、難しい言い方だがアプリオリ(論理的に先立つ認識や概念)な可能性だけを追い詰めていく、結果としては造形的なピュリティが何より大切だという考えに至った白井晟一が顕したのが原爆堂だった。(※このあたりの論考については白井晟一研究Ⅱの白井磨氏のイロニーⅡ参照)

若き僕はこの白井晟一の投げかけた極めて根元的で哲学的な命題に、自分の生き方を突きつけられているような気がし、それがアプリオリと言いながらも、それを秘めた「親和銀行」などの一連の実作の建築として発表されていくのを畏怖の目で見ながら、だんだん白井晟一に傾倒していった。白井晟一が高村光太郎賞を受賞したことも其れに拍車をかけたように思う。

ところが時代はモダニズム全盛で、大学での「桂」を称え「日光」には価値観を見出さないという教育に大きな影響を受け、むしろそれに引っ張られて建築作業に関わるようになったのだ。モダニズムの課題にいやもおうもなく対峙している今の僕にとって、当時神格化した白井晟一という存在は、僕の軌跡やこれからの生き方を考える上で、抜き差し難いものを覚える。

NHK日曜美術館で取り上げた、イサム・ノグチの描いた、やはり実現しなかった広島のピースセンター(現呼称)の「原爆慰霊碑」は、国(イサム・ノグチの国籍問題)とは何かを問われる課題も秘めているが、この慰霊碑にも造形的なピュリティ問題が内在していて、原爆記念堂計画と共に目をそらすことができない。なぜか。僕の実家が長崎にあり、その瓦にケロイドの跡があることは、それらを超えて僕にとってはやはり忘れがたいのだ。

今年も8月15日を迎えた。そして秋が来る。
考えるにこの白井晟一による「原爆記念堂」計画は、過去のものでなく今の僕たちに突きつける課題を秘めているような気がする。
ともあれ「原爆の図」をなくしてはいけないし、若い世代に引き継いでいかなくてはいけない。暑い8月は様々な想いを秘めて過ぎていく。



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3 コメント

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こんにちは。 (Tak)
2005-09-20 14:44:11
TBありがとうございました。



イサム・ノグチ展は会期中、なるべく

足繁く通ってみたいと思っています。
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人間イサム・ノグチ (penkou)
2005-09-22 20:28:55
拝見したブログに記載されていましたが、おっしゃるようにさっぱりした展示でしたね。昨年の夏、モエレ公園の展示室で行われていたイサム・ノグチ展をみたのですが、山口淑子との写真があったりして、人間イサム・ノグチが浮かび上がってきて興味深いものでした。

広島の2本の橋も、道路拡幅で取り壊されそうですし、イサム・ノグチと谷口吉郎のコラボレーションによる移築(レプリカ)による慶応義塾新萬来舎問題など気になることもあります。

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ノグチルームの移築問題 (penkou)
2005-09-22 20:37:16
書き方がまずくて誤解されそうですので、ちょっと訂正します。



・・・イサム・ノグチと谷口吉郎のコラボレーションによってつくられたノグチルームの、レプリカによって移築された慶応義塾新萬来舎問題など気になることもあります。





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