日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

レーモンド展シンポジウムにて 東京女子大「東寮」の解体 

2007-09-24 18:24:33 | 建築・風景

アントニン&ノエミ・レーモンド展が、9月15日から鎌倉の神奈川県立近代美術館で始まった。この展覧会は、アメリカに在住する各地の美術館の5人の学芸員が集まって企画した。発端は、レーモンドのアメリカでの拠点ニューハンプシャーに住む遺族が、所蔵していたレーモンドの資料を、ペンシルバニア大学のアーカイブス(ルイス・カーンアーカイブス)に寄贈したことによる。仲のいい5人が集まって、レーモンドの軌跡を世界各地を廻って調査し、アメリカでの開催の後、鎌倉近美へ巡回されたのである。

アメリカの底力を感じるのは、日本で活躍した建築家の調査に、ゲティ美術館(財団)などが資金協力をしたことだ。其の成果の一つが、日本ではほとんど紹介されたことのない、ノエミ夫人のテキスタイルや、絵画の展示だ。そしてそれがとても素敵なのだ。

鎌倉展では、DOCOMOMO Japanメンバーが協力した。日本のレーモンド建築の現状や、レーモンドの元で建築家としてのスタートを切り、日本の建築界をリードしていった、前川國男、吉村順三、増沢洵、ジョージ・ナカシマの活動も併せて紹介した。
カタログやポスターチラシなどは、DOCOMOMOでお馴染みの武蔵野美術大学教授の寺山祐策さんが担当し、建築写真家・清水襄さんの撮影したレーモンドの建築写真や、模型などを追加して展示した。新しくつくった模型は、東海大学渡邊研司研究室のつくった「夏の家」と、京都工業繊維大学松隈洋研究室の大学院生の作った、ジョージ・ナカシマの設計した「桂教会」だ。今も都市の中に活きづいているレーモンド像が浮かび上がった。

鎌倉近美でのこの展覧会の開催は、DOCOMOMOの活動が、ここでの20選展が出発だったこともあって感慨深いものがある。8年前のことだ。
また僕は、坂倉準三の代表作、この鎌倉近美の存続を願って、多数の建築家や歴史研究者、それに市民や学生とともに「近美100年の会」を組織して事務局長を担い活動してきた。しかし20選展の展示を行った池の中に建つ新館が、鉄骨の錆などの問題によって、この展覧会から使えなくなったこともあり、改めて建築のあり方を考えさせられることにもなった。

展覧会に併せて9月16日(日)にシンポジウムが開催された。
会場は、早稲田で教鞭を取った建築家、武基雄の代表作`鎌倉商工会議所`だ。この会場も思いでが深い。
高階秀爾、藤森照信、木下直之、松隈洋などそうそうたるメンバーによって、近美の存続を願う「近美100年の会」のシンポジウムを行い、これがこの会の発足になったからだ。それからも、もう6年にもなる。人と人との価値観の共有による信頼が、どこかで繋がっている様な気がする。

シンポジウムは、前半が日本のパネリストによる「日本のレーモンド」、後半は近美のキュレーター・普及課長の太田泰人さんの司会によって、アメリカのキュレーター5人が壇上に登った。テーマは「世界のレーモンド」である。
後半は、企画の中心的な役割を担った、カリフォルニア大学のカートさんの趣旨文を、中原マリさんが明快に日本語で伝えることから始まった。ケン・タダシ・オオシマさんは、「レーモンドとコンクリート」と題して興味深い発表をした。確かにレーモンドの、打ち放しコンクリートの東京女子大チャペルや自邸によって、日本のコンクリート建築歴史の一端が築かれていったのだ。
当日の会場設置には倉方俊輔夫妻や早稲田の学生渡邊真理さんや、模型を作った学生に僕の娘も手伝った。

建築の専門家ではない僕の娘の感想がわが子ながら面白い。パネリストの話が弾んで1時間も伸びたのに、それに結構難しい建築論であったにもかかわらず、「とても楽しかった」というのだ。
僕は前半の「日本のレーモンド」でコーディネーター、つまり司会をやったのだが、予定の時間が過ぎても、なかなか終わらないのでハラハラした北沢興一さん(元レーモンド事務所所員)の話が、一番面白かったのだそうだ。恐いレーモンドと、優しいノエミ夫人、それを尽きることのないレーモンドご夫妻への想いによって語る北沢さんから、建築や人の面白さが浮かび上がったからだろう。
時折日本語があやしくなるケンさんに、心の中で頑張れ頑張れと云い続けたと言う。ケンさんの朴訥な人柄のなせる業だ。それに何より中原まりさんって素敵だね!僕も同感だ。

彼らが日本へ調査に来たとき、僕は東京女子大のレーモンド建築を案内したし、DOCOMOMO20選展を高崎に巡回したシンポジウムでも、僕は司会をやり、ケンさんにパネリストとして話してもらった。ケンさんや、中原マリさんとは僕も仲良しなのだ。

連休の合間で「人が来るかなあ」と心配した会場は、当日訪れた人もいて補助席をぎっしりと並べたが、それでも入りきれない人で一杯になった。申し込んだ人を数十名も断ったそうだ。
パネリストの大川三雄さん(日大准教授)は、スライドで自分で撮った見事な写真を写した。そのプロジェクターの台は、みかんが入っていたダンボールの箱。挨拶をした山梨近美館長が、其のダンボ-ルを差しながら、この展覧会は「手作りで・・」と述べたら、会場から笑い声が起きた。何だか暖かい雰囲気に包まれる。この雰囲気は武先生の会場あってのことだとも思う。でもこのシンポジウムは、この和やかだけはなかった。

松隈洋京都工業繊維大准教授は、第二次世界大戦を控えてアメリカに帰ったレーモンドが、ユタ州の米軍施設で日本家屋街並を作り、焼夷弾効果の実験に協力したことに触れた。僕たちには周知のこととはいえ、それをどう考えるのか、常に心のどこかに留まっている問題だ。
時折笑いに包まれながらも、歯に衣を着せない様々な論考に、いいシンポになったとホッとする。

僕は前半の最後で、東京女子大「東寮」の解体に触れた。瓦礫の写真をPPで写すと、会場から慨嘆ともつかないざわめきが起こった。
「寝食を共にしつつ 学生らが考え 学び 笑い 悩んだ 熱い青春の日々がここにあった」と東寮の銘版に書いた,ここで学生生活を過したジャーナリスト藤原房子さんの言葉を伝えた。会場にいた藤原さんの眼が潤んで赤かった。

<写真提供 東京女子大学レーモンド建築東寮・体育館を活かす会>




最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
近々・・・ (m)
2007-09-28 07:59:55
「いざ!鎌倉☆」せねば。
そういえば (moro)
2007-09-28 15:14:55
話はだいぶ離れますが、1年生の授業で増沢洵氏の「最小限住居」を取り上げ、皆に「自分なりの最小限住居」をエスキスしてもらいました。難しいようでしたが。
最小限住居を建てたとき、増沢氏はまだレーモンド事務所に在籍中だったのですね。
前川國男、吉村順三、ジョージ・ナカシマ…そうそうたるメンバーですね。
老いたか? (penkou)
2007-09-28 17:03:46
MOROさん
アメリカでは、ジョージ・ナカシマが一番知られているようです。日本ではねえ!
最小限住宅を、学生のトレーニングとして課題に出すのはとてもいいことかもしれませんね。
建築の原点を考えることになりますからね。僕も(お互い様か、笑)若かったらやってみるのですけどね。
是非、是非! (penkou)
2007-09-28 17:09:05
(m)さん
ご出陣あれ!落馬、落車?しないように(笑)
レーモンドの焼夷弾効果の実験に協力 (戦争遺構研究会)
2007-10-16 12:19:09
以前から気にしていたことですが、戦後、レーモンドがどのように考えていたのか知りたいと思います。偉大な建築家であるだけに、明治建築、戦争遺構などの歴史の勉強を続けていく中でとても気になるところです。
さて! (penkou)
2016-10-14 10:35:09
ふと書いてきた一文をクリックしてみましたら、いただいたコメントに返信していないことに気が付きました。
レーモンドのご指摘の伝えられているこの件の実態はどうなのでしょうか?気にはなるものの・・・さて!

コメントを投稿