バサロまで一度ムサシを散歩をさせたが、
車の中が多かったので、筑後川の河川敷でムサシを散歩させた。
毎年恒例になっているので、
「ここに来たら散歩させてもらえる」ということをちゃんと覚えているようだ。
バサロまで一度ムサシを散歩をさせたが、
車の中が多かったので、筑後川の河川敷でムサシを散歩させた。
毎年恒例になっているので、
「ここに来たら散歩させてもらえる」ということをちゃんと覚えているようだ。
ライトを点けてクリスマスツリーローパスが披露された
昨日、福岡県築上町の航空自衛隊築城基地で航空祭が行われた。
今年の航空祭は久し振りに築城基地にブルーインパルスが来て大いに賑わった。
抜けるような青空に白煙が映えて最高の舞台での曲技飛行に酔いしれた。
伊集院さんのサインが入ったウイスキー
24日に伊集院さんが亡くなった。
10月に自ら癌であることを公表したが、
こんなにも早く逝ってしまうとは思わなかっただけにショックである。
伊集院静さんの作品を知ったのは
週刊文春で連載されていた「二日酔い主義」のタイトルのエッセイで、
味があって沁みた。
1篇5~6頁と短かったので入りやすかったのもあるが、
なにより酒、野球、ギャンブル、家族友人のエピソードなど、
自分の好きな題材が多かったので自然と惹き込まれた。
それから伊集院文学にどんどんのめり込んで行ったのは言うまでもない。
伊集院さんは大の競輪好きでも知られているが、
平塚競輪場の選手食堂に伊集院さんのサインが飾られていて、
「バンクの中には金がある」と書かれてあったのを憶えている。
選手との交流もあり、「機関車先生」では、
吉岡や和田誠吾の誠吾、佐古といった選手と同じ名前が登場している。
伊集院さんは亡くなったが、いろんな思い出は残って行く。
23日は天気が良かったので杷木から朝倉を経由して筑前町へ行った。
いまや初冬の風物詩となっている筑前町の藁の巨大アート。
毎年、「今年は何だろう?」って思いながら楽しみにしている。
去年はティラノサウルスだったが、今年は大仏だった。
いままでゴジラやキングコングなどの海獣系が多かっただけに、
なんとなくスカされた感じになったが、
こういう風に思考をかえて新しい作風を披露するのも変わっていいかもしれない。
前回に引き続き「人見駅」周辺の景色であるが、
今回は平成筑豊鉄道の人見駅の手前にある前畑架道橋である。
少しカーブした道と煉瓦橋梁の旧橋脚がいい雰囲気を醸し出していた。
このバルミューダは、2023・10.2のリニューアルモデルのトースターで、
丁度買い替えようと思っていたところだったので、これにした。
商品が届いてすぐにパンを焼いたが、
外はカリカリ、内はふっくらとした焼き上がりだった。
それはまるでパン屋さんのようだった。
トースターは今までのようないい加減な取り扱い(使いっぱなし)が出来ないので、
しっかりと掃除をしていきたいと思っている。
立派な大理石で造られた時計台
中元寺川に架かる人見橋の袂に立つ
時計の横には「人見」の文字が刻まれている
中元寺川に並行して架かる道路橋と平成筑豊鉄道の鉄橋(右)
昨日は風が強く、時おり霙(みぞれ)が降った。
そんな中、「うめちく」まで肉を買いに行った。
ムサシと一緒に行っていたので近くを散歩した時に
いつも気になっていた「時計台」を写した。
なかなか趣のある良い時計台だった。
仕様に応じてピックが交換出来るようになっている
月曜日にネットで注文していた「ウォーターフロッサー」が届いた。
今までは電動歯ブラシと歯間ブラシで充分だと思っていたが、
それでも歯周病になるのが心配でウォーターフロッサーを買った。
これで歯の隙間の隅々までキレイに掃除出来そうである。
ウォーターピックの威力に期待している。
門司第二船だまり防波堤南灯台の向こうに見える関門橋
門司港側から見た工事中の関門橋
門司港側にある「門司崎灯台」と関門橋
関門海峡を望む
関門海峡を望む門司崎灯台の下にある「句塚」
「句塚」の説明版
この句塚は、幼帝 安徳天皇をいだいて
「浪のしたにも都のさぶろうぞ」と急流に身を投じた二位尼。
その二位尼と多くの女官の供養と壇ノ浦の合戦で散った
源平数千の哀史を語り継ぐ証に設けた句塚である。
和布刈神社の鳥居と関門橋
関門海峡に面した和布刈神社の鳥居
和布刈神社
「舟みえて霧も迫門(せと)こすあらしかな」と刻まれた
和布刈神社の横にある宗祇の句碑
宗祇句碑から関門海峡を望む
門司港側から見た風景
門司港側から見た橋脚部分
門司港側にある関門トンネル(人道入り口)
門司港側の橋台部分
下関市あるかぽーと東防波堤灯台と関門橋
唐戸市場と関門橋
国道2号線と関門海峡と関門橋
国道2号線と下関導灯(前灯)
下関導灯(前灯)と関門橋
下関側の橋脚部分
下関側から門司港側(和布刈)を望む
関門橋の下を走る国道2号線
関門海峡を背に八艘跳びの「源 義経」像
関門橋と源義経像
錨を担いだ「平 知盛」像
源義経と平知盛の像の除幕式をおこなった滝沢秀明の手形
下関側の関門トンネル(人道入り口)
九州と本州が橋で繋がると言う夢のような話が現実となり、
あれから50年になった。
これまで半世紀にわたって多くの人の思いを渡して来た関門橋。
この橋にまつわる色んな思い出を語れば切りがないが、
いつ見てもこの橋には華がある。
土日祝は朝6:30からと朝うどんもOK
カルボナーラに肉とごぼう天のトッピング
店内の小窓から行きかう人や車が見える
以前、岡澤アキラのうどんMAPで紹介された「麵屋一期」。
その番組の中で岡澤アキラが注文したベストマッチうどん。
うどん麺を使ったカルボナーラに肉とごぼう天がトッピングされている。
ある意味ここでした食べれないメニューだったし、
納得のいく美味しさだった。
帯が色あせているが「ペイパームーン大橋純子Ⅱ」の文字が薄っすらと見える
山下洋輔さんと大橋純子さんのコンサートを告げるポスター
コンサート会場
上のポスターを見て大橋純子さんのコンサートに一度だけ行ったことがある。
1970年代後半から80年代前半にかけてヒット曲を連発した
女性シンガーの大橋純子さんが亡くなった。
奇しくも先月18日に亡くなった ” もんたよしのり ” さんと
「もんたよしのりWIth大橋純子」の名前でデュエットを組んでいた。
そんな大橋純子さんの曲を知ったのは競輪学校時代に
ソフトボールの選手で金メダリストの山田恵里さんのお父さんと同じ班で
山田さんがよく聴いていたので「それ何ちゅう歌ね」って教えてもらったのが、
大橋純子や森田童子の曲だった。
それは未だ「たそがれマイ・ラブ」や「シルエット・ロマンス」がヒットする数年前のことだった。
教えてもらったアルバムの中でも「やさしい人」や「キャシーの噂」などが好きだった。
それに森田童子の「さよならぼくのともだち」などを好んで聴いていた。
これらの曲とともにあの頃のことが思い出される。
ニホンピロキースで小倉記念(2005.8.14)
誰もがその勝利に驚いた有馬記念のダイユウサク(1991.12.22)
重賞「京都ジャンプステークス」を勝利したケンホファヴァルト(2021.11.13)
今日、平地と障害で活躍した熊沢重文騎手の引退式が行われる。
JRAでは珍しい平地と障害の両方のG1レースを勝っており、
とくに障害競走の勝利最多の257勝を挙げている。
当時最年少でオークスをコスモドリームで制して話題になった熊沢重文。
そして誰もが「アッ!」と驚いたブービー人気で勝利したダイユウサクの有馬記念。
多くの騎手が障害競走の免許を返納するなか、
平地と障害を両立させた二刀流に敬意を表したい。
今日1988年から乗り続けた騎手人生にピリオドを打つが、
ダイユウサクやテイエムプリキュアともども熊ちゃんの騎乗が忘れられない。
約38年間おつかれさまでした。
立冬を迎えた昨日から暦の上では冬に入ったが、
日曜日は暑くてクラーを入れた。
それでも短い秋を飛び越えて北風が吹きすさぶだろう。
そんな短い秋の日の芦屋町の秋景色。
芦屋町を流れる遠賀川の河口に近い場所にそそぐ支流の西川。
その西川を写そうと思い、
祗園橋が工事中のため祗園橋からの風景は写せなかったが、
祇園町から対岸の芦屋東小学校方面が写せた。
この日はコロコロ変わる天気だったので場所によっては違って見えるが、
どことなく牧歌的な感じがとても気に入っている。
体重も戻り元気になったムサシも一緒
今年も香月中学校美術部の笹尾川に架かる楠橋橋脚アートを見て来た。
月に向かって走る列車は、まるで銀河鉄道だ。
写真の「古秘」という芋焼酎は
先日、宮崎県五ヶ瀬町の「恵良八幡」に行ってきたという友人から
もらった物である。
普段はビールと泡盛ばかり飲んでいるが、
焼酎は好きだし銘柄や種類は厭わない。