「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、、文化財および近代土木遺産をめぐる。

鹿児島県鹿児島市 ・ 近代土木遺産 「 鹿児島市役所本館 」

2018-01-02 16:37:37 | 近代化産業遺産・土木遺産



一見、外観は角ばって硬そうな感じに見える








壁に埋め込まれた銘板







本館の中央上部に掲げられた市章







レリーフの下に連続して並ぶアーチ







正面玄関のアーチは凝灰岩で縁取られている







駐車場へ行く通用門にも優しいRが施されている





所在地   / 鹿児島県鹿児島市山下町
竣工    /  昭和12年 ( 1937年 )
設計者  /  大蔵省営繕管財局工務部
■  有形重要文化財


鹿児島市役所・本館は戦前の昭和12年に竣工された庁舎で、
木造建築物が多かった当時としては珍しく、
鉄筋コンクリートで造られた斬新的なものであった。
玄関部分や随所にアーチが設けられ、
角ばった外観の持つ硬さとは裏腹に
柔らかいRが役所の持つ硬いイメージを和らげる効果を発揮している。
また玄関ポーチや中央塔に取り付けられたレリーフが気品を感じさせる。


鹿児島市役所・本館へのアクセス
鹿児島市役所・本館へは、鹿児島中央駅前より
市電にて 「 市役所前 」 にて下車。
徒歩、数十秒。


北九州市八幡西区 ・ 近代土木遺産 「 旧折尾駅舎 」

2017-12-26 10:29:55 | 近代化産業遺産・土木遺産



門司港同様にレトロな雰囲気を醸し出す駅舎









1916年7月に竣工した東口駅舎
























梁と柱をつなぐ支持金具まで装飾が施されている








1階待合室の柱の台座まで凝った造りになっている








鉄骨がむき出しになったホームの屋根裏







高架のホームから1階改札口へ向かう階段








やや勾配のついたホーム








高架の鹿児島本線から筑豊本線への乗り換えや出口へ向かう階段








ベンチや梁に昭和が残る







長いホームが石炭や製鉄の隆盛を物語る








黒ずんだ壁面が当時の面影を偲ばせる








坂を上るように入ってくる鹿児島本線の列車







同じ大きさの煉瓦を積み重ねた連絡通路








鹿児島本線の下を通る連絡通路







小さな煉瓦が幾重にも重なり合って強固なアーチを造る






JR折尾駅は1891年 ( 明治24年 ) の開業で、
日本で最初の立体交差になった駅である。
上に鹿児島本線が、下には筑豊線が通っている関係から、
開業間もないころは九州鉄道と筑豊興業鉄道の
二人の駅長がいた珍しい駅だった。


折尾駅は1916年 ( 大正5年 ) に改築された
ルネッサンス洋式の木造2階建て駅舎には風格が漂うが、
連続立体交差化などの事業にともない現在取り壊されている。

近代化、合理化、構造上の耐震強度などの観点から
こうした近代遺産が姿を消して行くのは忍びがたい思いである。
現代建築の水準は高く、
一度造ったら半永久的に維持が出来るほどの技術を誇っているが、
そんな建築物が経営原理などの理由から
クラッシュ・アンド・ビルドを繰り返す。

1番ホームに立って上を通る鹿児島本線の高架の黒ずんだ壁面を見ると、
かつて石炭産業で一世を風靡した筑豊の重みを感じさせる。




福岡県岡垣町 ・ 九州鉄道 「 海老津赤煉瓦アーチ 」

2017-11-22 13:26:32 | 近代化産業遺産・土木遺産








































































海老津赤レンガアーチは、
九州鉄道本線(現在の鹿児島本線)の旧線跡に残る橋梁の遺構である。
九州最初の鉄道会社である九州鉄道は、
1889 ( 明治22 ) 年に
博多駅〜千歳川仮駅 ( 現在の佐賀県鳥栖市 ) 間で開業後、
門司に向かって延伸して翌年に遠賀川駅まで開通した。
海老津赤レンガアーチはこの時に建設されたと思われる。

当初の路線は城山 ( じょうやま ) 峠を越えるルートで通されたが、
急勾配が蒸気機関車には負担だったため、
山を貫通する城山トンネルが建設されて
1909 ( 明治42 ) 年にルートが切り替わり、
峠越えルートは廃止された。
この旧線跡をはっきりと示す遺構は、
海老津赤レンガアーチの他には残っていないようである。
なお、海老津赤レンガアーチとは後年に付けられたものであり、
現役時代の本来の名称は分からない。


住所 : 福岡県遠賀郡岡垣町海老津
竣工 : 1890 ( 明治23 ) 年頃

福岡県築上町  「 本庄の雪穴 」

2017-11-02 13:46:41 | 近代化産業遺産・土木遺産



雪が溶けないように石垣で囲まれた 「 雪 穴 」








雪穴へ向かう入り口の路標







山に入ると最初の路標







山道の途中のある路標








山道を10分ほど歩くと樹々の奥にフェンスで囲まれた 「 雪 穴 」 が見える













本庄の雪穴は東庵の発願で明治時代に造られた氷室は、
直径 5,3m、深さ 4,6mで、花崗岩の谷積で構築されている。
冬季に雪を運び入れ踏み固めて、茅などで覆い、
夏期まで雪氷を貯蔵し、病人の熱冷しに使用したものである。

内野東庵(1841~1926) は本庄村 ( 現・築上町本庄 ) に生まれ、
医師である父、蓬山のあとを継ぎ地域の医療に携わった。
また県道や萱切トンネル ( 横瀬―本庄 : 明治36年開通 ) 、
鉾立トンネルの開鑿・みかんの栽培・櫨の植樹・大楠の苗の移植など
産業、福祉、住民の生活向上に貢献した人物である。


鹿児島市  「 鹿児島中央高等学校 」

2017-10-28 14:32:37 | 近代化産業遺産・土木遺産



円形校舎は学校というよりも百貨店のようである










校門にある銘板








教会のように連続でアーチ窓が並ぶ








道路に面した壁面だけをモダンにした体育館








アーチのひとつひとつの窓枠に縁が付いている







角のない柱が気持ちを落ち着かせる








玄関の明かり取りの壁窓は円形になっている








照明器具もホテルのような物が使用されている







階段上の踊り場の梁は優しいアーチになっている








校庭には、かつて 「 第一高女 」 だった碑が建っている







敷地内にある 「 東郷平八郎の生誕の地 」 碑





所在地  /  鹿児島市加治町
竣工   /  1935年
鹿児島県内 二番目のRC造学校建築
設計者 /  岩下松雄
登録有形文化財



鹿児島中央高等学校の創設に当たって、
県当局の当初の意向では鶴丸高校の分校として
旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校 ( 一中 ) 跡地
( 現・鶴丸高校 ) に開校する予定であったが、
諸方面からの反対があり、当時の新聞にも取り上げられた。
一中や鶴丸関係者側としては、
かつての母校の敷地を取られたくないとの認識があり、
反対する意向が強かった。
結局のところ、鶴丸高校の分校ではなく、
別の高校として ( 鹿児島県立第一高等女学校跡地 ) へ
設置が決まったわけである。

そんな経緯を持つ鹿児島中央高等学校は、
RC造 ( 鉄筋コンクリート造 ) 3階(一部4階)で、
建築面積2866㎡の塔屋を備えた建造物であり、
鹿児島県内で二番目のRC造学校建築でもある。
丸く整えられた玄関や連続するアーチ窓などの外観もさることながら、
内部にも随所に洋風建築へのこだわりを垣間見ることが出来る。



鹿児島中央高等学校へのアクセス
鹿児島中央高等学校へは、
鹿児島中央駅前からナポリ通りを300mほど行くと、
「 維新ふるさと館 」 へ渡る南洲橋がある。
そこを渡って大通りに出たところが鹿児島中央高等学校になる。
現役の高校であるため事前に連絡を必ず入れ、
許可を得て見学すること。
駐車は校内もあるが、出来るならば公共の交通機関か徒歩をお薦めしたい。


福岡県築上町 ・ JR日豊線 「 二口橋梁 」

2017-10-17 14:26:29 | 近代化産業遺産・土木遺産



レンガで組まれた橋梁トンネル








草に覆われて分かりにくい位置にある







4層のレンガで輪石が構成されている








入り口から3mほどがレンガ造旧式の橋梁







奥はコンクリートで頑丈に造られている








ビシリとレンガが組まれたアーチ内部







二口橋梁の横を流れる城井川と城井川鉄橋












二口橋梁は、JR九州の日豊本線築城駅と椎田駅の間の高塚にあり、
弓の師橋梁から東に約2.5キロほどの場所にある。
レンガ作りのきれいな馬蹄形のアーチをなしているが幅が狭く、
線路が旧国鉄時代の単線であった頃の重量や頻度を考えれば、
力学的構造からこの構築で十分だったのだろう。

入り口から3mほどしかレンガ造りのアーチは存在しないが、
それでも当時の姿のまま
こうしてひっそりと遺っているのはうれしい限りである。



福岡県築上町  「 矢引迫 ( やびきざこ ) の氷室 」

2017-10-10 11:57:28 | 近代化産業遺産・土木遺産



氷室として築かれた石組みがわずかに町道側に残っている








氷室の中は土が流れ込んで原型をとどめていない







町道の横に露出した石組み











矢引迫 ( やびきざこ ) の氷室は、
福岡県築上町の真如寺から龍城院へ向かう町道の脇に
僅かに石組みが残っているが、
氷室として使われていた室穴は土砂が流れ込んで
原型をとどめていない。

氷室がある矢引迫は、戦後の植林で杉や檜が林立しているが、
戦前は茅葺の屋根の材料として使われていた萱の群生地であった。
秋になると鎌で萱を刈り取った後、露出した山肌を隠すように
大量の雪が積もる。
その雪を穴に詰め込み踏み込んだのが氷室であった。
遠く離れた 「 今井の祇園さん 」 に氷を馬車で運ぶのに、
夜中に出ていたと言われている。

また、矢引迫の地名となったのは、
この山上から攻めて来る敵をめがけて矢を射たことから始まる。
ここはかつて城井谷を治めていた宇都宮氏の領地で、
黒田の軍勢の来襲に備えていたと言われている。
その黒田軍の烏帽子を射たことから、
ふもとの真如寺には、烏帽子笠という地名も残っている。


山口県下関市 ・ 日本最古の現役郵便局舎 「 下関南部町郵便局 」

2017-09-13 13:13:13 | 近代化産業遺産・土木遺産































































下関南部町郵便局は、下関に現存する最も古い洋風建築物で、
明治33年 ( 1900 ) に赤間関郵便局 ( 当時 ) が電信局を統合し、
新築移転されたものである。
外壁のレンガは厚さ60センチという堅固なもので、
逓信省 ( ていしんしょう ) 技師の三橋四郎が設計を行った。
いまなお現役の郵便局舎としては日本最古の建築物である。

現在、局内には資料展示コーナーのほか、
カフェが併設されたギャラリーや中庭があり、
コンサートや結婚式等のイベントスペースとしても活用されている。




所在地  / 山口県下関市南部町22-8
電話  /  083-222-0161

佐賀県唐津市 ・ 国指定重要文化財 「 旧高取邸 」

2017-05-08 15:07:27 | 近代化産業遺産・土木遺産

































































旧高取邸は、杵島炭鉱などの炭鉱主として知られる
高取伊好 ( たかとりこれよし : 1850 ~ 1927 ) の邸宅である。
唐津城本丸の西南の海岸沿い、約2300坪の広大な敷地に、
大きく2棟の建物が建っている。

平成6年から平成7年にかけて行われた国の近代和風建築総合調査で
その重要性が確認され、平成10年12月に国の重要文化財の指定を受けた。

和風を基調としながら洋間をあわせ持つという
近代和風建築の特色を備える一方、
大広間には能舞台を設けるなど独特の造りになっている。
また、杉戸絵や欄間などの意匠にも見どころが多いのが特徴である。



所在地  / 唐津市北城内5番40号
開館時間  / 午前9時30分〜午後5時 ( 入館は午後4時30分まで )
休館日  / 月曜日 ( 月曜が祝日の場合は開館、翌日休館 )
年末年始  / 12月29日から1月3日まで

※ 連休や年末年始には、特別開館する場合があります。

入場料  / 一般 510円 : 小・中学生250円
問い合わせ  / 電話番号 : 0955ー75ー0289

福岡県久留米市  「 国旗掲揚塔 ・ 宮城遙拝 」

2017-04-18 15:23:30 | 近代化産業遺産・土木遺産



その出で立ちが丘の上に建つ西洋の城を思わせる








煉瓦できれいな円が造られている








裏手に回るとポッカリと開いた開口部が目に飛び込んでくる








塔への入り口







入り口の螺旋階段







螺旋階段の天井部分







螺旋階段の途中から見た入り口















中間にある明り取りの小窓








外から見た明り取りの小窓







掲揚台がある屋上出入り口








側面に「 皇紀二千六百一年」と書かれた宮城遥拝



















久留米競輪場の3コーナーの裏にある 「 国旗掲揚塔 」 は、
正源寺野外音楽堂から右手に坂道を登って行くと突き当りにあり、
煉瓦に多少の風化は見られるが、とても良い状態で遺っている。
競輪場側に回ると開口部があり、螺旋階段に繋がっていた。

掲揚塔の上には 「 宮城遥拝 」 と彫られた石が立っていた。
この彫石の真後が皇居を向いているそうである。
※宮城遥拝 ( きゅうじょうようはい ) とは
皇居の方向に向かって敬礼 ( 遥拝 ) する行為。

彫石の側面には皇紀二千六百一年と彫られている。
初代天皇であった神武天皇の即位から2601年、
西暦では1941年 ( 昭和16年 ) のことである。

陸軍が墓地の建設に着手したのは1939年 ( 昭和14年 ) 7月、
それから2年9ヶ月の歳月を掛けて完成との事なので
この国旗掲揚塔も同時に作られたもののようである。


福岡県朝倉市 ・ 近代土木遺産 「 山田堰 」

2017-04-03 14:59:30 | 近代化産業遺産・土木遺産

































































所在地  / 福岡県朝倉市山田161
管理者  / 福岡県朝倉郡山田堰土地改良区事務所

九州の筑後川中流域にある山田堰は、
その流域において昔から旱魃 ( かんばつ ) と
洪水に苦しめられてきた中で、
旧来の堀川用水の取水量を増やし安定して農業生産ができるように、
黒田藩の命を受けた古賀百工 ( こがひゃっこう ) が
寛政2年 ( 1970年 ) に造ったものである。

筑後川は 「 坂東太郎 ( 利根川 ) 、筑紫次郎 ( 筑後川 ) 、
四国三郎 ( 吉野川 ) 」 と言われるように、
我が国でも有名な三大暴れ川のひとつである。
山田堰はいわゆる農業土木学でいう 「 頭首工 」 という水利構造物であるが、
傾斜堰床式石張堰と呼ばれ日本唯一の方式である。

その構造的特徴は、堰前壁を水筋 ( みおすじ ) に対し、
約20度の角度をもって斜めに配置し、
水流が激しい筑後川の水圧を緩和する治水構造としていること、
突き当たりの取水口へ水流が勢いよく行かないように、
河川水を導流するために高低差のある構造物をうまく配置していること、
舟通しと魚道、土砂吐きからの水流を堰の末端部で合流させて
減勢させる構造を作り出している点である。

利水構造としては、220年以前に地の利をよく生かして
設計したことは巧みであり、
この水を単純に河川から得る方法・仕組みが
中村哲氏 ( ペシャワール会代表 ) らによる農地開発事業における取水構造物と
それに続く水路の建設モデルになり、
外国からの見学者 ( JICA等 ) も多いなど、国際貢献も果たしている堰といえる。



福岡県久留米市  「 正源寺野外音楽堂 」

2017-03-23 14:12:23 | 近代化産業遺産・土木遺産










































































久留米競輪場の正門や陸軍橋には行かず、
変則三叉路を左に入って
正源寺の神道墓地の左を歩くと野外講堂が見えてくる。
直径22メートルの約500人を収容できる規模で、
ステージとベンチが円形に配置され、
全体が土塁で囲まれており、
ステージは円形で球面状の壁が付けられている。
ステージの袖にはアーチ状の門があり、
その裏手には楽屋があったと言われている。

ベンチはステージを扇の要にして3列に配置され、
ベンチ平面も脚部もアーチ状に弧を描いている。
昭和初期のこのような施設は全国的にも極めて珍しく、貴重な遺構である。

この施設はブリヂストンタイヤの石橋正二郎氏がここで
軍従事者を慰問するためのコンサートなどを開くために建設したもので、
この施設は石橋文化センターにかつて存在した野外ステージに似ていると言われている。

ちなみにステージ中央の額文字の 「 養其神 」 の書は、
陸軍中将であった渡辺正夫氏の書だそうである。

※ 養其神 ( そのしんをやしなう ) は、
「 自己の精神の長い修養に努めなさい 」 という意味らしい。
【 法天生會 ・ 漢魏六朝 】


福岡県築上町 ・ 近代土木遺産 「 旧国鉄弓の師橋梁 」

2016-12-29 03:14:34 | 近代化産業遺産・土木遺産



上流側からの全景










下流側から見た橋梁








下流側から引いて見た橋梁








引いて見た上流側からの橋梁








上流側から見たアーチ








煉瓦が4段に重ねられた輪石








上流側の橋脚部分








橋梁内部 ・上流側から下流側を覗く








西洋の匂いを感じさせる煉瓦造り








かつて線路が敷設されていた場所











所在地  / 福岡県築上郡築上町大字弓の師
架橋  / 明治30年 ( 1897年 )
橋幅  / 4.5m
径間  / 2.4m
拱矢  / 1.2m


弓の師橋梁は、JR日豊本線 ( 当時豊州鉄道 )跡で、
日豊本線が電化の際、架線柱等が戦闘機の離着陸に支障をきたすため、
この区間だけ南西に約250m移動したもので、
移設に際し、単線から複線に変更された。

当時、単線だった旧線跡の煉瓦ア-チ橋と、
音無川の橋梁の橋脚部分だけ残されている。



長崎県的山大島  「 国選定重要伝統的建造物群保存地区 ・ 神浦の町並み 」

2016-12-09 16:12:50 | 近代化産業遺産・土木遺産



細い路地に伝統的な家が立ち並ぶ









集落の入口にある 「 案内板 」








深い入江の奥に家屋が密集する。








ほとんど人の往来がない路地




















その路地に足を踏み入れると、まるで映画のロケ地のようにタイムスリップさせてくれる。

大島村神浦(おおしまむらこうのうら)は、
長崎県平戸市大島村にある重要伝統的建造物群保存地区として選定されている地域である。

平戸島から約15km離れた北方海上にある的山大島 ( あづちおおしま ) は、
室町時代の遣明船寄港地として知られ、江戸時代には平戸藩松浦氏の支配下にあった。
神浦地区の町並みは島の南東部に彎入する神浦湾の奥にあり、
江戸時代前期の寛文年間 ( 1661年 - 1673年 ) に、
当時平戸藩から政務役として大島支配を任されていた井元氏第3代当主義信が鯨組を興し、
当地に捕鯨のための組網工場等を整備したころから発展が始まった。
鯨組は享保年間 ( 1716年 - 1736年 ) に廃業したが、
その後跡地に町家が新たに建築され、現在につながる町並みが形作られていった。

現在まで大きな火災等の災害や戦災等を被ることがなく、
江戸時代当時の港町の情景が現在までよく伝えられていることが評価され、
2008年(平成20年)6月9日に重要伝統的建造物群保存地区として選定されるに至った。



長崎県佐世保市  「 トンネル横丁 」

2016-10-29 11:04:20 | 近代化産業遺産・土木遺産









































長崎県佐世保市戸尾市場。
そもそも一帯の市場は湊町に集まっていた生鮮食料品の露天商に端を発する。
明治末期に山県町や京町周辺が繁華街として賑わいを見せ始めると、
魚や野菜を持ち寄って露天を開いていた湊町の露天商人たちは、
買い物客を求めて現在の戸尾市場一帯に移動した。

九州鉄道の佐世保駅が明治31年の開業だから、
人の流れにも変化が生じたと思われる。
さらに商港が湊町から万津町に移ることで、
ますます戸尾は便利な場所になり、
佐世保市民の台所として定着したのである。

昭和に入って佐世保線の延伸や松浦線の開通を迎えると、
沿線の人と物が集まり、西海市場・戸尾市場・三角市場、
さらにトンネル横丁などの組合が集中する大市場を形成した。
中でも小高い斜面に掘られたトンネルを店舗とするトンネル横丁は、
佐世保の名物的風景となっている。