「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、、文化財および近代土木遺産をめぐる。

想い出の競輪場 「 岐阜競輪場 」

2014-01-31 05:33:41 | 競輪・オートレース



ホームストレッチにあるメインスタンド







バンクの内側は庭園式の池になっている






バックスタンドの下にある敢闘門




冬場の岐阜競輪場は寒くて、カラダの芯から冷えた。
1月だったか、2月だったか憶えていないが、
初日が終わってドカ雪が降った。
当時、岐阜羽島に参加選手の宿舎があったので、そこからズンズン降り積もる雪を見て、
「 こんだけ降ったら明日は中止やろう 」 と、九州の選手は口々に言い、遅くまで酒を飲んだ。
朝起きたら、案の定凄い雪だ。
この時点で誰もが 「 開催中止 」 を疑わなかった。
だが、開催中止を告げる館内放送がないまま、朝食を摂りに降りて行くと、
いつものように参加準備した選手が食事を摂っていた。
「 今日、開催するのか? 」 と訊くと、
「 はい!しますよ 」 と、さも当たり前のように返事が返って来た。
まさか、まさかの展開に 「 ウソやろ~ 」 って思ったが、
一度ゆるんだ気持ちを競輪場に入るまで切り替えねばならない。

競輪場行きのバスに乗り、競輪場に着いた時は気持ちはもう開催モードだ。
夕方の4時過ぎの最終レースは寒くてたまらない筈なのに、
敢闘門を出る時は、気合で上気したカラダの熱気でゴーグルが曇るほどだった。
退避路に山のように積まれた雪を横目に走った。
寒さと風の強さで重く引きずるような走路に雪解けの水しぶきが上がる。
3着まで入れば決勝戦に進出だけに、どの選手も必死だ。

この時、ブッ千切って1着になったのは地元の浜口高彰だった。
ボクは3着に入って決勝戦にコマを進め、何とかノルマを果たした感じだった。
岐阜は目立った成績を残していないが、同じ岐阜県でも大垣競輪場は成績も良くて好きなバンクだった。

ちなみに優勝したのは浜口高彰で、優勝戦もブッ千切りのワンマンショーだった。



小野屋の 「 みかん大福 」

2014-01-31 05:32:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子







運転免許証の更新に行った帰りに小野屋に寄って 「 みかん大福 」 を買って来た。
今まで 「 いちご大福 」 や 「 栗だいふく 」 は食べたことがあるが、
こうしてみかんが丸ごと入った 「 みかん大福 」 を食べるのは初めてである。
「 雪見だいふく 」 のようにアイス状態になっているので、
半解凍で食べると、餡とシャキシャキみかんがマッチしてより一層おいしかった。




「 高速道路事故 」 と事故多発の原因

2014-01-31 05:31:41 | 日記 ・ イベント



高速道路事故




熊本から高速道路を帰っていたら、南関付近で交通事故車と遭遇した。
そんなに激しい事故ではないが、
高速道路で ” ひとり相撲 ” を取っていた事故車。

映像とはまったく関係はないが、
昨日の問題の交通事故の多かった事故原因のワースト3を発表します。

まずワースト3位から順に
3位は動静不注視、2位が脇見運転、
そして、事故原因として最も多かったのが安全不確認です。

とにかく、 「 安全確認を怠ったことが事故につながる 」 ということですな。
これは、運転だけに限らず、土木の現場でも同じこと。
” ヒヤリ、ハッと ” は、事故の警告なので、
適度の緊張感を持って取り組まなくてはいけないと思う。




大牟田の近代化産業遺産 ・ 「 旧・長崎税関三池税関支署 」

2014-01-30 05:47:41 | 近代化産業遺産・土木遺産



























旧長崎税関三池税関支署の内部の様子











明治41(1908)年4月1日に三池港が開港し、4月6日に開港場に指定された。
このときに、同時に開庁したのが、旧長崎税関三池税関支署です。
建物は木造平屋建、入母屋造に切妻造附き桟瓦葺一部銅板葺で、
3方の出入り口をもつ土間で関税の手続きが行われていた。
当時は本館および附属建物からなっていた。

三池炭鉱専用積み出し港である三池港に設置された当税関は、
企業側で設計・建築され、明治期の洋風建築としての風貌を残し、
三池港の歴史・港湾機能を考える上でも重要な施設である。


この税関は三池港開港と同時に使われ、
開港場として築かれた三池港の港湾機能(海外貿易)を示すものであり、
三池港繁栄の歴史の象徴であり、往時の三池港の景観の一部として不可欠な建物である。
現在も当時と同じ場所に残されており、当時の景観を現代に伝えている。

現在、旧長崎税関三池税関支署の南側には、
現在も専用鉄道敷きの木製の枕木と鉄のレールが埋没している。
これは当時周辺に立ち並んでいた倉庫群に引き込まれていた線路敷きの遺構である。
専用鉄道敷きが各坑口をつなぎながら三池港まで至り、物流網を形成したことがよく解かる。
当時、税関支署の周りには三池港務所の倉庫群や、貯炭場が広がっていた。



熊本県山都町 「 柚木橋 」

2014-01-30 05:46:41 | 熊本の石橋

























橋の近くにある下矢部西部小学校





所在地 / 熊本県上益城郡山都町柚木
架橋 / 昭和7年 ( 1932年 )
石工 / 黒田 正彦
長さ / 10.5m
幅  /  4.3m  高さ / 4.2m


柚木橋は柚木川に架かる橋で、山都町に残る石橋の中でも最も新しい橋である。
山都から美里方面に向う道筋にあり、コンクリートと鉄骨で拡幅されているが、
今でもその下には美しい石組みが見ることが出来る。
地元では、別名「 申和橋 」とも呼ばれている。


柚木橋へのアクセス
柚木橋へは、途中まで「とどろ橋」を参考にしてもらいたい。
その参考にした「とどろ橋」から県道321号線を美里方面に
約500mほど行ったカーブの左側のところにある。
欄干の黄色と「申和橋」と書かれてある看板が目印である。
また、近くに下矢部西部小学校がある。
駐車は、橋の近くの空いた場所に駐車できる。


「 運転免許証更新 」

2014-01-30 05:45:41 | 日記 ・ イベント























昨日は午前中で仕事の段取りがついたので、
来月が誕生日だけれども、行ける時に行こうと、
午後から 「 運転免許証 」 の更新に行って来た。
毎回のように違反者講習を受けていたが、
今回は違反がなく短時間の更新になった。

更新とは内容が違うが、ここで問題です。

以下の事故発生の原因の中から、
これが原因で事故が多く発生していると思うものを3つ選んで下さい。


1  信号無視
2  通行区分
3  速度超過
4  横断・転回等
5  追い越し
6  踏切不停止
7  右折違反
8  左折違反
9  優先通行妨害
10 交差点安全進行
11 歩行者妨害等
12 徐行違反
13 一時不停止
14 整備不良
15 酒酔い運転
16 過労運転
17 運転誤操作
18 漫然運転
19 脇見運転
20 動静不注視
21 安全不確認
22 速度違反


皆さん決まりましたか?
答えは明日のブログの記事で掲載します。

ちなみにボクは2つ当たってました。


それぞれの空 「 ひこうき雲 」

2014-01-29 05:12:41 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々








暮れなずむ空に
頭上を行く一筋の光体
UFOと見まがうほどの光度に
目を奪われた

それは
飛行機が残した
一筋の尾

夕陽に向かって
一直線に飛んで
機体も航跡も
箒星のように
オレンジに染める

その光景に
ふと 荒井由実の名曲が
頭をよぎった

「 空に憧れて
  空をかけてゆく 」





北九州市八幡西区楠橋西 「 寿命 ( じめ ) の唐戸水門 」

2014-01-29 05:11:41 | 近代化産業遺産・土木遺産


















水門の近くに立つ 「 寿命門紀念之碑 」





寿命の唐戸水門は、堀川の唐戸水門から上流に2キロほど行った場所に築造された水門である。

元和6年 ( 1620年 ) 福岡藩主黒田長政は遠賀、鞍手二郡の水害防止、
灌漑用水の確保、輸送の利便を目的として、現在の中間市から遠賀川を分け、
水巻町、八幡西区折尾を経て洞海湾に通じる約12.5キロの堀川水路開削事業を計画した。
宝暦12年 ( 1762年 ) にようやく完成したが、その後分流点付近に支障が生じたため、
文化元年 ( 1804年 ) 分流点を変更する工事が行われ、この寿命の唐戸が完成した。
唐戸には川の両岸に石の樋をたて、天井石を渡した上に上屋を設け、
堰の板戸を石の樋にはめて上下させる装置 ( 鳥居卷 ) が設置されている。




それぞれの海 『 青の世界 ・ 名護湾 』

2014-01-29 05:10:41 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々







山さえも
  青に染める
     青の世界

水平線は青く
  垣根も隔たりもない

  
あるのは
  青でつながる
    海と空だけだ





福岡県行橋市 ・ 村上仏山が開いた私塾 「 水哉園 」

2014-01-28 05:06:41 | 文学・文化・映画作品



村上仏山の私塾 「 水哉園 」









































初代川と鋤迫川が合流して長峡川となる行橋市上稗田。
そこに、かつて儒学者・村上仏山が開いた私塾 「 水哉園 」 があった。

水哉園は、天保6(1835)年に、儒学者・村上仏山(むらかみぶつざん)が開いた私塾である。
村上仏山 ( 諱は剛 ) は、文化7年 ( 1810 ) 年、上稗田に生まれた。
仏山は号で、近くのホトギ山に由来する。
9歳の時、津積村大島八幡神社の神官・定村直栄 ( さだむらなおしげ ) に漢学を学び、
12歳のころには 「 唐詩選 」 を暗記し、漢詩への強い憧れをもつようになった。
15歳で故郷を離れ、筑前秋月にある原古処の 「 古処山堂 」 に入門する。
古処が急逝したため、生涯第一の師と慕った白圭のもとで学ぶ。
その後、京都の貫名海屋や博多の亀井昭陽などを訪ね、諸国を歴訪する。

天保6年 ( 1835年 ) 、26歳の時にこの塾を開いた。
塾名は、孟子の仲尼亟しばしば水を称して曰く、水なる哉かな水なる哉かなと。
何をか水に取れる。孟子曰く、原泉は混混として昼夜を舎おかず。
科あなを盈みたして後に進み、四海に放いたる。
本もと有る者は是かくの如ごとし。是これ之を取るのみ)」。
孟子の説明によれば、 「 水哉 」 とは、たゆみのない持続的な学問研究の姿勢を、
常に流れて止まない水に喩えたものと言える 「 水哉水哉 」 から採ったもので、
塾には、厳しい塾則があり、全寮制で試験による進級制度も取り入れられ
文学や詩文中心の人間づくりの倫理教育が行われた。

明治12年(1879)年、仏山が70歳で没した後も、養嗣子の静窓(せいそう)に受け継がれ、
明治17(1884)年まで、50年間続いた。
その間には、関西以西から3000人もの入門者があり、
なかでも末松謙澄 ( すえまつけんちょう ) 、吉田学軒 ( よしだがっけん ) 、
安弘伴一郎 ( やすひろばんいちろう ) など中央で活躍した人をはじめ、
狭間畏三 ( はざまいぞう ) 、守田精一 ( もりたせいいち ) 、杉山貞といった
この地方の先達者など、優れた政治家、学者、名僧、医師を多く輩出した。

仏山は、日本の漢詩壇をかざる大詩人でもあり、
1860年 ( 万延元年 ) 3月3日、井伊直弼大老が水戸藩士に暗殺された
桜田門外の変を詠んだ、 「 落下粉々、雪粉々・・・ 」 の漢詩を納めた
『仏山堂詩鈔(ぶつざんどうししょう)』(全三編九冊)は、日本中の私塾の教科書として用いられた。

塾舎跡の一隅には、仏山ゆかりの資料 ( 県指定文化財 ) を収める仏山堂文庫が建てられている。


村上仏山の詩集や著作を納めた 「 蔵詩厳 」

2014-01-28 05:05:41 | 文学・文化・映画作品



村上仏山の詩集や著作を納めた 「 蔵詩厳 」













村上仏山の私塾 「 水哉園 」 から南西に3キロばかり入った御所ヶ谷に神籠石がある。
それを見下ろすようにそびえるホトギ山。
そのホトギ山 ( ほとけ山 ) を号とした村上仏山 ( むらかみぶつざん ) 。

御所ヶ谷を神籠石の手前の急こう配を左に15分ばかり登って行くと、ホトギ山の東側にあたる。
その中腹にある巨石に 「 蔵詩厳 」 と刻まれている。
「 何でこんな場所に? 」 って、思うような場所である。
「 蔵詩厳 」 に行くまで息が切れるほどの勾配のケモノ道を滑り々登って行かなければならない。
それは、途中で道を間違えたのかと思うほどのケモノ道である。

そのケモノ道の上にある 「 蔵詩厳 」 の下に仏山の詩集や著作が埋められているという。
仏山がじきじきにこの場所まで来て埋めたのであるとするならば、
これだけ困難な山道を辿っても、仏山はこの場所を愛していたのだろう。

そういえば、能書家・下枝董村の鏡岩も墓も山の中だった・・・



鹿児島県徳之島 「 亀徳港南防波堤灯台 」

2014-01-28 05:04:41 | 奄美群島の灯台















































































灯台表番号 / 6958
ふりがな / かめとくこうみなみぼうはていとうだい
標識名称 / 亀徳港南防波堤灯台
所在地 / 鹿児島県大島郡徳之島町 ( 亀徳港南防波堤外端 )
北緯 / 27-44-20
東経 / 129-01-40
塗色 / 白色
灯質 / 単閃緑光 毎4秒に1閃光
光度 / 実効光度 190カンデラ
光達距離 / 6.0海里
地上~頂部の高さ / 13.44m
平均水面上~灯火の高さ / 17.67m 
地上~灯火の高さ / 13.1m
業務開始年月日 / 昭和56年2月23日
現用灯器 / LD管制器Ⅰ型



亀徳港南防波堤灯台は、徳之島の東の玄関口にあたる徳之島町亀徳港沖の防波堤に立つ灯台である。
灯台の初点は昭和56年となっており、以前は旧・亀徳港を利用していたが、
現在は亀徳新港を利用している。
ただ風の向きや強さによっては旧港を使用することもある。
また、台風や強風で亀徳港に入港できない場合は平土野港へ変更することもあるという。


亀徳港南防波堤灯台へのアクセス
亀徳港南防波堤灯台へは、船で徳之島へ渡れば平土野港以外は必ずこの港に入港するので、
船上から見ることが出来る。飛行機の場合は空港のある天城町から徳之島町の亀徳まで出て
亀徳新港に行けば見ることが出来る。
駐車は、港の駐車場が利用できる。


大分県中津市 ・ 黒田官兵衛ゆかりの地 「 中津城と山国川 」

2014-01-27 05:07:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )




















中津城と山国川











川と海を自然の要塞とし、潮の干満で堀の水が増減する中津城。
官兵衛は河口に築城し、急事に備えて関西方面への海路を確保していた。
石垣には黒田時代の層が現存する。
自然石を使う 「 穴太積み 」 が主流時代に大きな加工石を混ぜたのが特徴で、
早く効果的に築城を目指した官兵衛の才覚が石積みに垣間見れる。

秀吉の ” 懐刀 ” として信頼を得た官兵衛は、秀吉に従い九州平定に参加。
諸大名への勧降工作に当たり、強敵の島津家主力を打ち破るなど、
二年におよぶ戦いでの功績が認められて天正15年 ( 1587年 ) に
豊前6郡12万国の領主となった。
その翌年、山国川の河口で築城を開始。
日本三大水城のひとつに数えられる 「 中津城 」 である。

しかしこの地は、血を好まず折衝など知略による決着を図って来た官兵衛に、
生涯唯一ともいうべき惨い策を講じさせる。
地元・城井の城主、豪族の宇都宮一族が新たな統治に反発したからだ。
宇都宮一族が滅びるまで繰り返された合戦や謀殺。
その悲劇のひとつである山国川の河原で千代姫をはじめ宇都宮一族13人を磔した。

天正17年 ( 1589年 ) 、官兵衛は44歳で、息子の長政に家督を譲り、 「 如水 」 を名乗った。



1050円で買える 「 黒田官兵衛の兜 」

2014-01-27 05:06:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )












組み立て図が入っている







パーツを外して折って組み立てるだけ







「 官兵衛の兜 」 が売っている行橋駅内にある 「 行橋市観光物産情報センター 」









実際に官兵衛が被っていた 「 銀白檀塗合子形兜 」













黒田官兵衛の兜と言うと、上の写真のようなお椀をひっくり返したような兜が有名である。 
ただこの兜は九州関ヶ原の時のみ使用された物だということであるが、
その形が独特なので 「 黒田官兵衛の兜 」 といえば、「 合子形・ごうすなり 」 であろう。 
合子(ごうす)とは身と蓋から成る小さな器という意味である。

その独特な形をした合子形の段ボール製の兜が1050円で昨日から売り出した。
早速、段ボールの兜が売られている行橋駅にある観光物産情報センターに買いに行って来た。
両面テープがあれば簡単に組み立てられる兜だが、
兜が曲線ではないので、モンゴルか、中国の兜のように感じた。



ムサシ 「 メタセの杜 」 で散歩

2014-01-27 05:05:41 | 柴犬 ムサシとピース
























昨日はいつものように早朝に散歩に行ったが、
天気が良かったので昼前にムサシとメタセの杜に再び散歩に行った。
日曜日だったが、思ったよりも人が少なくて、ほぼ貸し切り状態だった。