「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、、文化財および近代土木遺産をめぐる。

「 マサチューセッツ 」  ビージーズ

2017-07-01 16:20:29 | 音楽 ・ 映画
















たまに

この曲を聴きたくなる

そんな

文月のはじめ






「 加川良 死す 」

2017-04-06 19:12:41 | 音楽 ・ 映画



 「 教訓 」 と 『 親愛なるQに捧ぐ 』









「 教訓 」 のアルバム














『 親愛なるQに捧ぐ 』












大好きな加川 良さんが亡くなった。

「 教訓1 」 などで知られ、日本フォーク界の先駆け的存在だった
フォーク歌手・加川良(かがわ・りょう)=本名小斎喜弘=さんが
5日午前9時39分、急性骨髄性白血病のため都内の病院で死去した。
69歳。滋賀県出身。

所属事務所によると、昨年12月9日の検査入院で急性白血病が判明。
今月4日夜にに容体が急変し、妻・富士子さんに見守られて息を引き取った。
葬儀・告別式は親族のみで行い、後日、追悼ライブを開く予定。

生ギターでとつとつと語るような 「 下宿屋 」 を聴いて、
その魅力にいっぺんに引き込まれて行った。
当時、LPレコードが擦り切れるほど聴いて、
暗記で下宿屋のセリフを言えるほどだった。

奄美大島の 「 一村 」 で飲んで、
マスターにお願いして加川 良の 「 高知 」 を流して貰った。
長雲の古酒を飲みながら聴いていたら懐かしさに自然に涙が流れてきた。

加川良さんは亡くなったが、
いつまでも時代を遡って歌とともに思い出は甦る。




和楽器バンド / 心に響く 「 オキノタユウ 」

2017-03-11 18:04:41 | 音楽 ・ 映画








元気になる歌 『 楽 園 / デリシャス オアシス 』  伊禮麻乃

2017-02-07 15:08:01 | 音楽 ・ 映画



この歌を聴いたら元気になるぞ!































沖縄の えこさんのところで偶然見た
伊禮麻乃さんが歌う 「 デリシャスオアシス 」 の動画。
ステージやロケーションのいい場所で歌うPVと違って、
ホントにバリバリ進む元気が出る動画だった。


どんどん行こう
どんどん行こう
デリオス
アミセ
どんどんデレリオス

そんな前向きな歌詞から始まる歌の
軽快でノリの良いリズムが勇気と元気を与えてくれる。
歌詞の 「 どんどん行こう 」 ではないが・・・
この歌をブログに載せて ” 皆に元気を配りたい ” と思った。


ここで話の内容がゴロッと変わるが、
なかにし礼さんの 「 長崎ぶらぶら節 」 にも書かれているように、
「 人間は歌の魔力ばよう知っとっとたい。 」
「 そいは、人は泣きたい時に歌ば歌うということですたい。
声を上げて泣くかわりに歌ば歌う。
歌うたあとはすっきりして、また生きてみようかと思うとたい。 」 ってある。


この本の一編じゃなかばってん、
歌に自分の心ば見透かされて、歌に弱みば握られとぉと思う。
だけん、歌ば聴いて、泣いたり、笑ろたり、励まされたりするんやろうと思う。
それで、 ” 明日からまた頑張ろう! ” っち、思うとやなかろうか。

歌も酒も心の友っちゃ!
なっ! そぎゃんだろ。


景色を偲んで聴く 「ネーネーズ うむかじ(面影)」

2016-04-20 20:20:20 | 音楽 ・ 映画



ネーネーズ うむかじ(面影)




今日、工事現場で仕事をしていたら、
築城基地から大型のヘリが2機、頭の上を飛んでいった。
それに向かって大きくスコップを振った。

おそらく熊本の被災地に向かって飛んで行っているのだろうと思った。
その飛んで行く姿を追いながら、
我が築城基地から飛び立つ機体が誇らしげに思えた。

そんな仕事中に 「 うむかじ 」 のメロディーが頭の中で流れていた。
古謝美佐子さんや吉田康子さんなどの顔が見られる初代ネーネーズの唄である。

本当は人を想い、恋しのんで唄った歌だろうが、
何故か?今回は熊本の風景を思い浮かべた。
今回の地震で被災した御船も益城も健軍も
懐かしい思い出で一杯である。
その面影が消えていくのは悲しいことである。

長年暮らした生活の中の景色は、面影となって生きる。
それは恋心にも似た 「 ウムカジ 」 である。


永井龍雲 「 今度生まれて来るとしたなら 」

2016-04-12 00:30:53 | 音楽 ・ 映画



永井龍雲・今度生まれて来るとしたなら.wmv




目を閉じて
じっくり聴きたい歌である。



沖縄県石垣島 ・ 大島保克 「 流星 」 と琉球泡盛 「 八重泉 」

2016-04-10 03:37:06 | 音楽 ・ 映画



流星/大島保克














白保から伊原間・平久保への道路標識







玉取崎展望台から見た平久保半島




大島 保克(おおしま やすかつ 1969年 - )は、沖縄県石垣市(石垣島)白保出身の歌手。
同じく石垣島出身のBEGINとは高校の同級生で、
「 流星 」 では、BEGINの島袋 優がギター伴奏している。
大島の唄は、三線のメロディーが心を癒やし、
八重山の島言葉で唄う歌は素朴で心を惹かれる。

そんな大島は、1993年にデビューし、
三線を奏でながらトラディショナルな沖縄音楽を唄い、
21世紀の現代に継承する歌い手である。
八重山諸島を中心とした沖縄一帯に伝わる島唄、
またそれらをベースに作曲した自作曲をレコーディングし、
2012年現在まで5枚のソロアルバムをリリースしている。

八重泉 ( やえせん ) は、石垣を代表する泡盛で、
久米島の久米仙のように、多くの人に愛されているもっともポヒュラーな泡盛である。
昨夜 ( ゆうべ ) も飲んで、今宵 ( こよい ) も八重泉を飲みながら三線の音に酔い、
素朴な唄に酔い、島酒に酔おう。

桜シリーズ 「 サクラ大戦と活動寫眞の女 」

2016-04-02 05:45:39 | 音楽 ・ 映画















そろそろ九州各地の桜も満開になろうとしている。
そんな桜をテーマにしたものをいろんなカタチで紹介したいと思います。

ハッキリ何だったかは覚えていないが、
映画を見に行った時に次回予告で流れていた 「 サクラ大戦 」 。
その 『 檄! 帝国華撃団 』 の歌に聴き惚れてから、
すぐに調べてDVDとCDを即買したわけである。
たまに思い出したように引っ張り出して観たり聴いたりするが、
その度に浅田次郎の 「 活動寫眞の女 」 を思い出す。

このアニメの 「 サクラ大戦 」 のストーリーと、
浅田次郎が書いた 「 活動寫眞の女 」 の中に出てくる女優が重なるのである。
役者の 「 死んでも舞台に立ちたい 」 「 映画に出たい 」 という強い思いがあるから、
実際の撮影現場でも死霊や生霊が存在すると思う。

華やかなキネマの世界では、その華やかさゆえに、
妬みや恨みつらみの生霊が渦巻いていると思う。
アニメのサクラ大戦の中に出てくる 「 玉梓つわ子 」 が怨霊となって出てくるが、
浅田次郎の 「 活動寫眞の女 」 では、伏見夕霞 ( フシミユウカ ) という女優さんが、
チョイ役の脇役であったが、主役を奪うほどの美貌ゆえに命を絶った。
だが・・・映画に未練を残してスタジオに出てくる。

桜のように華やかにパッと咲いてサッと散るような
そんな華やかさと儚さが同居する映画界や芸能界。
一瞬の演技に魂を削っているからこそ、桜のように人を魅了するのかも知れない。


福岡県みやこ町犀川 「 大橋純子&山下洋輔コンサート 」

2016-03-21 08:06:54 | 音楽 ・ 映画















一昨日の永井龍雲のコンサートに続いて、
昨日は大橋純子と山下洋輔、それに山下洋輔が率いるAxis Mundiと、
ゲストにキーボードの大山泰輝が加わったコンサートに行って来た。

ピアノは小学校時代を4年間田川で過ごし、後藤寺小学校を卒業した山下洋輔さん。
ベースはナスノミツルさん。そしてドラムの植村昌弘さんがアレンジなどを担当し、
「 スパイダー 」 では、フルートのMiyaさんが譜面のないコンダクションを行い、
Axis2番では、ピアノの山下洋輔さんとキーボードの大山泰輝さんが腕力比べをしたり、
面白いステージを満喫させてもらった。

ドボルザークの 「 家路 」 では、山下洋輔さんの切な過ぎるほど流れるメロディーと、
Miyaさんのフルートの音色が心に響いた。

2日続けてコンサートに行くのは初めてなので、
感動の余韻が入り混じった贅沢な時間を過ごさせてもらった。

これも日頃から頑張って仕事をしているご褒美だと
自分勝手に良いように解釈している。 


大橋純子さんは、自身の名曲 「 たそがれマイ・ラブ 」 や
「 シルエット・ロマンス 」 を聴かせてくれ、
他にもハードロックな曲、 「 ブラック・ナイト 」 も唄ってくれた。

大橋純子さんが未だそんなに売れていないころ、
初めて聴いたのが、競輪学校時代の同班で、
仲の良かった神奈川の山田良彦さんのカセットテープである。


「 あなたは いい人ね 友達を紹介してくれる
困った時は 相談しろと 救いの手 差し伸べてくれた
違うの あなたは 心を読めないの あなたは とても 残酷な人 」

この 「 やさしい人 」 という歌は、
” 残酷な人 ” という歌詞がとても印象に残っている。
そのころはLPレコードをカセットテープに録音して聴くのが当たり前だった時代で、
大橋純子さん以外にも森田童子の 「 グッドバイ 」 のアルバムの中の
「 さよならぼくのともだち 」 なんかも聴かせてくれた。

ボクは、日田までよく練習に行っていたので、
耶馬溪から日田までの景色を思い浮かべながら、
日田出身の山崎ハコの 「 望郷 」 を聴いていたら、
「 なんだよ~暗い歌だな~ 」 って言われたことを憶えている。

そんな山田さんも一昨年、心筋梗塞で急逝し、寂しくなった。
ちなみに山田さんの娘さんはソフトボールで
北京オリンピックの金メダルに貢献した山田恵里さんである。

話が大きくそれたが、ジビエ料理でワインやビールを飲んで、
ほろ酔い加減で気持よくなった時に聴くナマの音楽は
素面の時の 「 よし聴くぞ! 」 って、身構えていないから
柔らかに受け入れられて良いものである。


福岡県みやこ町 ・ 永井龍雲コンサート 「 ルリカケス 」

2016-03-20 04:06:52 | 音楽 ・ 映画



永井龍雲が母を想って、母の生まれ故郷の奄美と母のことを唄った 「 ルリカケス 」








夕べコンサートの帰りに買ったCD 「 11 」







開演前のステージ







白浜から見た瀬戸内町の久慈湾





昨夜、福岡県みやこ町 ( 豊津・犀川・勝山 ) が合併して10年を記念して
犀川体育館で、旧豊津町出身の 「 永井龍雲コンサート 」 が行われた。
この犀川の伊良原地区は伊良原ダムの建設で集落や学校がダム湖に沈むため、
新しく小中一貫校として安藤忠雄氏の設計で 「 伊良原学園 」 が落成した。
その校歌を担当したのが永井龍雲である。

今度生まれて来るとしたら・道標ない旅・風のように ( 会津藩士 ・ 郡 長正に捧ぐ )
拝啓ヒーロー・暖簾・ルリカケス・先人たちの遺産・お遍路
FROMここから ( 伊良原学園校歌 )などを唄った。
このなかでもルリカケスは何度聴いても涙をさそう。

奄美大島の瀬戸内町の古仁屋から西古見に向かう途中に左手に久慈湾が見える。
アルバム 「 風樹 」 に入っていた 「 ルリカケス 」 の歌を聴いて、
龍雲のお母さんが生まれ育った久慈の海を見ようと立ち寄ったものである。

生涯、島から出ることがなかった西郷隆盛の奄美妻 「 愛加那 」 の悲しい物語と
奄美の美しい海が 「 ルリカケス 」 の歌と重なって、魂が震えた。


沖縄県金武町 「 島ん人ぬ絆 」

2016-02-17 08:22:41 | 音楽 ・ 映画














この 「 島ん人ぬ絆 」 は、去年、金武町に行った時に、
Sさんからプレゼントとして頂いたものである。
その日、SさんとSさんの友達と一緒に 「 ゆんたく 」 にも参加させていただき、
素敵なSさんと千葉から来たKさんなど楽しい仲間と
楽しい時間を過ごさせていただいた。

「 海外移民のことを多くの人に知ってほしい 」 と、
2011年の世界のウチナーンチュ大会に感動した上原顕蔵(けんぞう)さんが
歌の作詞に初挑戦した曲 「 島ん人(ちゅ)ぬ絆 」 のCDである。

移民の苦労や 「 チムグクル 」 を忘れないでほしいとの思いを込めた歌に、
第2回世界若者ウチナーンチュ大会沖縄事務局メンバーらも共感し、
大会でCD200枚を配布することを決めた。
上原さんの感動から生まれた曲が、県内外のウチナーンチュの心を結ぶ。

上原さんは11年の大会で感動し、胸から言葉が湧いた。
「 移民しんかぬ 百年の苦労(あわり) 世界うてぃ 
喜びの花咲かち 御万人(うまんちゅ)し 祝らな 島ん人の絆 」
( 移民の仲間たちの 百年の苦労の末に世界にいる子や孫には
喜びの花が咲いている みなで祝おう しまんちゅの絆を )

詞には「海外移民が古里を思う気持ちを地元の私らも感じていることを伝えたい」との
思いが込められている。






金武区の上の毛(ウィヌモー)に立つ 「 大城孝蔵 」 の銅像





フィリピン移民は、大城孝蔵の功績をおいて語れないといわれるほどです。
孝蔵は弱冠23歳のときに同郷の當山久三に勧められて
移民の監督として初めてフィリピンに渡りました。
当時、孝蔵は東京帝国大学農学実科に籍をおいていたといわれていますが、
学業半ばで移民の世界に身を移すことになります。
 
孝蔵の生誕地は當山久三と同じ金武間切(まぎり)金武村(きんむら)で、
生家は由緒ある家柄でした。
成績も優秀な少年生活を送りました。
當山久三は金武尋常小学校の先生で、孝蔵の恩師でもあったのです。
孝蔵は十代より海外移民には興味をもち、移民研究にも早くから熱心でした。
 
孝蔵は1904年(明治37)2月20日、神戸から出港してフィリピン・マニラに向かいました。
その後、同年4月には沖縄県移民111人が那覇港を出発。
それから1935年(昭和10)までの31年間、ダバオ市アンダ街の上原旅館で病死するまで、
孝蔵はその生涯を同地で送りました。
 
孝蔵の移民地での最初の仕事は、マニラでの過酷なベンゲット道路工事でした。
工事のあと、沖縄県移民100人余りを連れミンダナオ島のダバオへ移りました。
そこで、孝蔵は兵庫県出身の太田恭三郎(おおた きょうさぶろう)と
太田興業株式会社をおこし、マニラ麻(アバカ)栽培で成功をおさめることになります。
以後、同会社の副社長として沖縄県出身移民を多数呼び寄せ、
ダバオ市の開拓に人生を捧げました。
とりわけ、当時のダバオ市の開発と発展は、孝蔵の貢献が並々ならぬものであった。
ちなみに、ダバオ市にはバゴセロ(バゴ・オオシロ)という地名まで残されているほどです。
また、マニラ麻の動力応用麻挽機(ハゴタン)の発明にも貢献しています。
 
孝蔵はダバオ沖縄県人会やダバオ日本人会の創立に熱心に関わり、
大きな役割を果たしました。
その労が評価されてダバオ日本人会の初代会長になったほどです。
ダバオ沖縄県人会の創立は1916年(大正5)で、
ダバオ日本人会の創立は1918年(大正7)のことでした。
 
孝蔵が健康を害して世を去ったのは54歳でした。
ダバオで日本人会葬が行われたほどです。
一生涯を移民地で過ごした人物として知られています。



沖縄県石垣島 ・ やいまの歌姫 「 成底ゆう子 」

2016-02-11 02:30:41 | 音楽 ・ 映画




























昨日、仕事から帰ると成底ゆう子の 「 ナリシカー 」 が届いていた。
さっそく聴いてみたが、声が明るくて元気になる。
そして、その柔らかなメロディーに癒やされる。
それに故郷の八重山を想って唄う時は ” うちなーこぶし ” になっている。
10曲は、それぞれに聴かせる曲だったが、
なかでも、震災の地、南三陸町を唄った日和山公園や、
目黒川のさくら道、そして彼女の故郷を唄った、やいま ( 八重山 ) なども、
心に響いた。

「 ハンモックに揺られながら 」 は、一度聴いて好きになった歌である。
この曲は 「 朝だ!生です旅サラダ 」 のエンディング曲で3月まで流れている。
それに、 「 おばあのお守り 」 は、NHKみんなのうたで3月まで流れている。
10曲の楽曲がどれも個性にとんで、飽きさせない。
声色もその歌詞に応じた素晴らしいアルバムだった。
これが2200円で買えるのは、超お得である。


以前、宮古島の歌姫、砂川恵理歌が唄う 「 一粒の種 」 が
NHKの 「 きん☆すた 」 のエンディングで流れていた。
それを生で聴きたくて長崎まで彼女に会いに行ったことがある。


” いらっしゃい ” を沖縄本島では、 「 めんそーれ 」 というが、
やいま ( 八重山 ) では、 「 おーりとーり 」 と言い、
宮古 ( 宮古島 ) では、 「 ンミャーチ 」 と言う。

今年は久しぶりに石垣を拠点に、与那国・小浜・竹富・西表など行きたいと思っている。
波照間は船揺れがヒドかったので、行きたいけど行くとなると勇気が要るな。
できれば宮古や伊良部島にも・・・
それに多良間に行って知念さんにも会いたい。


※ 八重山コトバで成底のことを 「 ナリシカー 」 といい、
  宮古コトバで砂川のことを 「 ウルカ 」 という。

成底さんやレコード会社の回し者ではないが、
超がつくくらいのお薦めCDである。


心に響く方言の魔力 「 おっが島と娘と歌と 」 

2016-01-31 11:08:00 | 音楽 ・ 映画



「 ばらかもん 」 は、五島列島方言で 「 元気者 」 の意




今朝、 【 ドキュメント九州 】 と言う番組の、
「 おっが島と娘と歌と 」 という放送を見た。
五島の懐かしい風景と、その方言に心を鷲掴みにされた。


長崎県五島市。風光明媚な島で夏は観光客で賑わうが、
しかしここ50年で人口は半分以下に減少している。
これから先の30年後はさらに半減するとも言われている。

そんな五島を音楽で盛り上げたいと思うミュージシャン・ベベンコビッチさん。
ベベンコビッチさんは、44歳で国家公務員を退職、4年前に故郷・五島へ戻ってきた。
現在も五島弁の方言シンガーとして活躍中で、
東京をはじめ全国でライブを行い、歌を通して五島の魅力を発信している。
音楽の力で人口流出を遅らせたいと考えているが、
しかし、その思いとは裏腹に、娘・はいりちゃんが高校進学で五島を離れることになった。
五島では若者の約9割が高校卒業と同時に島を離れる。
はいりちゃんは、長崎市内の高校に通うため、その別れが3年早く訪れたのである。
「 五島にいると電車の乗り方もわからない 」 し、
「 島にない色んなものを吸収したいから島を出る。 」 という。
でも、島で暮らした4年間も捨てがたい。
長崎空港から東京へ飛び立つ時、島が恋しくなる。

小さい頃から父の姿を見て育ってきた、はいりちゃん。
将来の夢は 「 いつか大きなステージで歌うこと 」 だという。
そこで父・ベベンコビッチさんは、はいりちゃんと一緒に東京でライブを行う。
父と娘が一緒に行う東京初ライブには五島列島出身者の観客が詰めかける。
なっべしゃ ( 泣き虫 ) な親子が迫りつつある春の別れを、語り合うように歌い合う。
それが方言だから、島を離れても生まれ島を思い、
島の人の心を惹きつけるのだと思う。

五島ではないが、沖縄の沖縄言葉 「 ウチナーグチ 」 も同じだ。
宮古島で音楽活動を行っている下地 勇さんも
宮古言葉で歌詞を書き、歌っている。

遠く故郷から離れた場所で暮らしていると
何気ない日常会話でも、それが方言だとグッと来るものがある。
それは、その地方に染み付いたコトバだからこその力であり、
その方言の持つ魔力だと思う。

石川啄木の歌ではないが、

  ふるさとの訛なつかし
  停車場の人ごみに中に
  そを聴きにゆく


成人を迎えた君たちに贈る歌 ・ 「 空をこえて海をこえて 」

2016-01-11 21:21:21 | 音楽 ・ 映画



やなわらばー 「 空をこえて海をこえて 」




ボクラの頃は1月15日が成人の日を決まっていたが、
今はなかなか覚えられない。
そんな今日の成人の日に大人としての自覚が持てる
成人を迎えた君たちにこの歌を贈ろう。



クリスマスソングじゃないけれど 「 外は白い雪の夜 」

2015-12-25 02:25:11 | 音楽 ・ 映画



外は白い雪の夜  by 吉田拓郎 2002 10/19




ダンプを運転していると、カーラジオからクリスマスソングがよく流れる。
なかでも宇多田ヒカルの「Can’t wait till christmas」が好きだが、
ラジオでは曲はかからなかったが、
クリスマスソングでは、長渕 剛の 「 僕だけのメリークリスマス 」 が一番である。

動画の 「 外は白い雪の夜 」 は、クリスマスソングではないが、
この時期に思い出す歌であり、情景が目に浮かぶ好きな歌である。