「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、、文化財および近代土木遺産をめぐる。

長崎市 「 帆船まつり 」

2014-04-30 04:51:41 | 日記 ・ イベント







昨日、4月27日~5月1日まで行われている 「 長崎帆船まつり 」 に行って来た。
小雨が降るあいにくの天気だったが、帆船をめぐる時は何とか持ってくれた。
まだ、写真や動画を整理していないので、すぐには紹介できないが、
取り込み編集ができ次第随時紹介して行きたいと思っているので、
楽しみにして待っていただきたい。




沖縄県今帰仁村運天 「 大北墓 ( ウーニシ墓 ) 」

2014-04-29 04:48:41 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



今帰仁村運天 「 大北墓 ( ウーニシ墓 ) 」

























大北墓 ( うーにしばか ) は、沖縄県国頭郡今帰仁村運天にある、
北山監守を代々務めてきた琉球王族・具志川御殿 ( 元の今帰仁御殿 ) の墓である。
墓様式は掘込墓で18世紀後半に建造されたもので、
今帰仁村指定文化財 ( 建造物 ) になっている。


具志川御殿は、一世・尚韶威・今帰仁王子朝典 ( 尚 真王三男 ) 以来、
七世・朝幸まで代々北山監守を務めてきた御殿 ( うどぅん、王家分家 ) である。
首里に引き揚げるまで、歴代当主は今帰仁城に居住し、
その墓ははじめ今帰仁城下の親川の東方、俗に 「 ウツリタマヒ 」 という場所にあり、
「 玉御墓 」 と呼ばれていた。
しかし、この墓の天井が崩壊したために、1761 ( 乾隆26年 ) 年、
新たに運天に大北墓を建造して遺骨を移葬した。

墓様式は掘込墓で、 「 申方 ( 南西 ) 」 に向いて造られている。
墓室の前には石牆 ( 袖垣 ) で囲まれた墓庭がある。
墓室は墓庭よりやや高い位置に岩壁を掘削して設けられており、
墓庭から墓室へは石段で上がるようになっている。
墓室正面左右からは、袖石 ( に相当する石垣 ) が弧状に延び、
そのまま墓庭を囲む石牆へとつながっている。

墓室内部は、 『 沖縄県国頭郡志 』 記載の図によれば、
方形をなし正面奥にさらに上段の間 ( もしくは石棚 ) が設けられている。
厨子甕は全部で12基で、上段に4基、下段に8基安置されている。
被葬者は、 『 向姓家譜 ( 具志川家 ) 』 によれば、
七世までの具志川御殿の歴代当主ということであるが、
1911 ( 明治44 ) 年に修理した際の調査によると、
実際には下記のようにさらに多くの人物が葬られている。


一、イロノヘ按司、今帰仁按司御一人御名相不知
二、宗仁公嫡子、御一人若○○カリヒタル金、御一人アヲリヤイアン、シタル金
三、御一人真南風按司、御一人アヲリヤイアンシカナシ、オリヒカナコイ
四、宗仁公四世今帰仁按司ママカル金、御一人御名相不知申候
五、記名ナシ(宗仁公五世及び夫人等にあらざるか)
六、宗仁公次男南風按司子孫多人数永々相成面々相不知 雍正十一年癸丑三月十六日 移
七、宗仁公六世曽孫今帰仁按司童名松鶴金、御同人御母思玉金、
  与那嶺按司御同人ヲナジャラ、アヲリヤイ按司
八、宗仁公七世今帰仁按司、御同人ヲナジャラ
九、崎山按司、伊野波按司、親泊按司、崎山按司、本部按司、伊野波按司、後付相不知
十、呉我アムカナシ、浦添大屋子、知念大屋子
十一、崎山按司嫡子、崎山里之親雲上、同人姉マウシ金
十二、今帰仁里之子親雲上

一世・朝幸は玉陵、三世・朝敦は今帰仁村今泊の津屋口墓 ( 別名アカンバカ ) に葬られている。
八世以降は家譜によれば首里末吉町の亀甲墓に葬られているはずであるが、
付近は沖縄戦で大きな被害を受けており、この墓が現存しているかは不明である。
大北墓は、1991 ( 平成3 ) 年、今帰仁村の文化財(建造物)に指定されている。



「 木立ちの風景 ・ その7 」

2014-04-29 04:47:41 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々







木立ちを抜ける一本道
緑の色の鮮やかさが
風景をより牧歌的に見せる




熊本県豊野町 「 下鶴橋 ( 安見橋 ) 」

2014-04-28 05:12:41 | 熊本の石橋
































所在地 / 熊本県豊野町安見
架橋 / 嘉永元年 ( 1848年 )
石工 / 祐助
長さ / 22.7m
幅  /  3.7m 高さ / 8.3m


下鶴橋は、同じ名前の石橋が御船町にあるが、
この下鶴橋は宇城市豊野町にあり、石造りの欄干や親柱まで往時のまま残り、
佇まいが周囲の景観に溶け込んでいる。
安見地区と下鶴地区を結ぶ橋であることから、地元では「 安見橋 」 とも呼ばれている。
また、山崎橋の下流にあたりのどかな田園に包まれた雰囲気が安堵感を引き出してくれる。


下鶴橋へのアクセス
下鶴橋へは、松橋インターより国道218号線を美里町方面に進み、
豊野町交差点を左折して県道32号線を右に
下安見集落へ約250mほど入ったところにある。
駐車は、橋の袂に1台駐車できる。


沖縄本 「 モモト ( 別冊 ) ・ うるま市 」

2014-04-28 05:11:41 | 沖縄






先日、沖縄から取り寄せた 「 モモト 」 を見て、
勝連グスクなどを特集したバックナンバーの・うるま市を注文し、定期購読を頼んだ。
毎日、仕事でクタクタになって帰っているが、
落ち着いたら沖縄へ行きたいものである。




沖縄県読谷村 「 タカヤマグスク 」

2014-04-27 04:54:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



タカヤマグスクの全景








ソテツの木があるグスク内






グスク頂部のソテツの木の下にある拝所






頂部の拝所の周りにわずかに残った石垣





タカヤマグスクは、読谷村を代表するの座喜味グスクの
東方の小さな丘に築かれたグスクである。
名前の由来についてはハッキリとしていないが、
タカヤマ按司なる者が居たのではないかと推察できる。

タカヤマグスクの性質は、領域を守るような城の役割として築かれたグスクではなく、
按司の住居跡もしくは拝所や按司墓からなるグスクだと思われる。
グスクのある山の南側に頂上への登り口があり、拝む人たちが入って行くための小道がある。
その小道を登って行くと、丘は樹木で覆われ聖域の雰囲気が漂っていた。

グスクの頂部に位置する拝所には石灰岩を貫くようにソテツが生えていて、
その前には香炉が置かれてある。
またグスクの西側の下には按司墓があり、
伝承によるとその昔、国頭方面から移動してきた人物を葬った墓だといわれているが、
詳しいことは分かっていない。


タカヤマグスクへのアクセス
タカヤマグスクへは、国道58号線を読谷村の喜名番所より県道12号線に入り、
座喜味バス停手前を右に入った左側にある(牛舎か鶏舎)の奥にある山がグスクである。
駐車は、家畜舎屋の人の許可を得ればグスク入り口に車を駐車することができるが、
そうでなければ、家畜舎屋の入り口付近の広い場所への駐車になる。



「 最南端のかき氷 」

2014-04-27 04:53:41 | グルメ














日本最南端で食べた
パッションフルーツの
かき氷
南の暑さを
氷がスッキリさせてくれた




鹿児島県奄美大島 「 今井埼灯台 」

2014-04-26 04:56:41 | 奄美群島の灯台



高さが10mの円形灯台








昭和50年の初点になる今井埼灯台






群閃白光で毎7秒に2閃光の灯器







青空に白い灯台が映える







灯台下の道から灯台方向の眺望







今井埼灯台の遠望







灯台上にある 「 今井権現 さん 」







灯台下から笠利湾を望む





灯台表番号 / 6939
ふりがな / いまいさきとうだい
標識名称 / 今井埼灯台
所在地 / 鹿児島県奄美市 ( 今井埼 )
北緯 / 28-28-35
東経 / 129-37-16
塗色 / 白色
灯質 / 群閃白光 毎7秒に2閃光
光度 / 実効光度 5600カンデラ
光達距離 / 12.5海里
地上~頂部の高さ / 10.06m
平均水面上~灯火の高さ / 76.11m 
地上~灯火の高さ / 9.6m
業務開始年月日 / 昭和50年3月28日
現用灯器 / LC管制器Ⅱ型



今井埼灯台は龍郷町の安木場集落の先に突き出た岬の山に立つ灯台である。
灯台の上には 「 今井権現さん 」 があり、
地元はもとより多くの人たちに崇拝されている。
灯台までは旧道を進んで行かねばならないので探し当てるのが困難であった。


今井埼灯台へのアクセス
今井埼灯台へは、県道81号線を龍郷町の円集落から1キロほど北に走ると
安木場集落があり、そこから右に入って旧道を進むと
峠の頂上付近に左に入って行く道があるので、
それを入って行くと突き当たりに今井埼展望所と今井権現さんがある。
そこからさらに右下に500mほど下って行くと左側に灯台が見える。
駐車は、灯台前に駐車できるが、轍のひどいガタ道なので通行に注意してもらいたい。


「 木立ちの風景 ・ その6 」

2014-04-26 04:55:41 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々







静かな木立ちの中
その間を
風が抜ける

その風も
声を殺して
通り抜ける




沖縄県波照間島 「 波照間島星空観測タワー 」

2014-04-26 04:54:41 | 離島めぐり













何かの雑誌で
この星空観測タワーを見た
遠い場所だと思ったが
いつかは
訪れたい場所だと思っていた

そして
現実にこの場所を訪れた

この観測タワーの周りには
明かりがないから
より一層
満天の星が瞬きを見せる
特別な場所
「 ぱてぃろーま 」



沖縄県那覇市 「 渡嘉敷三良 ( とかしきさんらー ) の墓 」

2014-04-25 04:58:41 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所


























































那覇の国際通りと美栄橋との間の緑ヶ丘公園の中に渡嘉敷三良の墓がある。

この緑ヶ丘公園がある場所は、周囲の地形を見ると王朝以前は、
ガーブ川が作る谷にそびえていた山であったと思われる。
また、十貫瀬 ( 今の久茂地川の流域辺り ) の海岸線を形作っていた断崖で、
沖縄戦で地形が多少変わっていると思われるが、
その山の頂上の平坦地が今の緑ヶ丘公園だと思われる。
その公園内の一際高い丘陵にあるのが渡嘉敷三良の墓である。

渡嘉敷三良は、久米36姓と呼ばれる明からの帰化人で、16世紀の生まれである。
琉球に産業を興した久米人の中で、彼は瓦職人であった。
彼の偉業は、琉球の地に瓦産業を興したことにある。
その技術は子孫に受け継がれ、四世の安次嶺ペーチンは、
当時板葺き屋根であった首里城正殿を瓦葺きに変えた人物だと言う。

当時は内地風の黒い瓦で、赤瓦登場は江戸時代まで待たねばならない。
渡嘉敷の墓は、1600年以前に造られたことはハッキリしているらしい。
400年以上前の墓にしては、豪奢なつくりで彼の人物像が伺い知れる。

渡嘉敷の墓の周囲はきれいに整備されていて公園と一体化しているため、
墓というよりも公園内の丘陵と言う感が強く、
その墓壁には沖縄戦での銃弾の痕跡がいくつも遺っていた。



マルエーフェリー「 ニューあかつき 」

2014-04-25 04:57:41 | 船 ・ フェリー ・ 港



沖永良部島の和泊港に入港する 「 ニューあかつき 」







沖永良部島の和泊港




韓国で沈没したマルエーフェリーの「 なみのうえ 」
南西諸島で活躍していたマルエーフェリーの 「 ニューあかつき 」
鹿児島ー奄美大島ー徳之島ー沖永良部島ー与論島、
そして沖縄本島の本部ー那覇と、船を乗り継いで島をめぐった。
いろんなフェリーが思い出に残る。



沖縄県波照間島 「 モンパの木 」

2014-04-25 04:56:41 | 沖縄







日本最南端にある店
波照間島の 「 モンパの木 」





熊本県豊野町 「 山崎橋 」

2014-04-24 06:10:41 | 熊本の石橋



























所在地 / 熊本県宇城市豊野町
架橋 / 天保2年 ( 1831年 )
石工 / 不明
長さ / 25.0m  径間 / 14.0m
幅  /  3.6m  拱矢 /  2.2m



山崎橋は、旧・豊野町山崎集落の中を流れる小熊野川に架かる橋で、
架橋は天保2年だが、欄干の部分については、
慶応2年(1866年 ) に取り付けられている。
国道218号線から望む山崎橋は、蔦に絡まり小熊野川を誇らしげに跨ぎ、
古き良き目鑑橋の情緒があふれていた。


山崎橋へのアクセス
山崎橋へは、松橋インターより国道218号線を砥用方面に向かい、
約10分ほど行くと国道の左下に橋が見える。
駐車は路上駐車になる。


「 それぞれの海 ・ 日本最南端波照間の海 」

2014-04-24 06:09:41 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々














おのおの方
見るがいい

ここが
有人島で
日本最南端の海だぞ