「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、、文化財および近代土木遺産をめぐる。

北九州市若松区 「 火野葦平旧居 『 河伯洞 』 」

2014-05-31 04:45:41 | 文学・文化・映画作品



火野葦平旧居 「 河伯洞 」















本名の 「 玉井勝則 」 の表札が掛かった玄関




















かつて 「 玉井組 」 の事務所があった場所











河伯洞 ( かはくどう ) は河童の棲家といった意味で、火野葦平の住居であった。
一時会社の寮として貸されたりして建物が傷んでいたが、
1997(平成9)年北九州市の文化財に指定され、保存されることになった。

戸籍に従えば、1907(明治40)年1月、火野葦平は福岡県遠賀郡若松町に生まれ、
1914(大正3)年若松町は若松市となる。
本名を玉井勝則といい、父と母は彼の小説「花と龍」の主人公である玉井金五郎とマンで、
その長男に生まれた。
金五郎とマンの間には男3人、女7人の10人の子が生まれ、
父金五郎は石炭仲仕 ( 石炭荷役夫、この地方では 「 ごんぞう 」 と呼ばれた ) の親分として
玉井組の看板を掲げていた。


火野葦平は、若松をこよなく愛した作家である。
彼が書く作品の舞台のほとんどが北九州で、
日本の近代化という激動の波にもまれた庶民の哀歓をとらえているのが特徴である。

そんな彼の作品 「 花と龍 」 は、読売新聞に昭和27年6月から翌年5月にかけて連載された。
明治から昭和にかけて石炭の積み出し港として全国一の出荷量を誇った若松を舞台に、
沖仲仕の世界を生き生きと描いている。
葦平の父、玉井金五郎は門司で沖仲仕となり、マンと出会って所帯を持ち、
下関、戸畑、若松と渡り歩く。
その間、裸一貫から若松でも一目置かれる石炭荷役請負業の
玉井組の親分と呼ばれるようになり、
市会議員も務め、沖仲仕のために奮闘する。

「 金五郎は、遂に決心した。マンも、同意した。
金五郎夫婦は、若松に移住した。
聯合組の壁から、古ぼけた 「 永田組 」 の札が外され、
真新しい 「 玉井組 」 の札がかかげられた。

これは明治39年に金五郎が若松の新仲町 ( 現・白山町一丁目 ) に
玉井組事務所を開いた場面で、海岸通り ( 現・本町一丁目 ) にも、
玉井組現場事務所があった。
その海岸通りには、古河鉱業若松支店や若松石炭商同業組合などの建物が
当時のまま立ち並んで、当時の面影を残している。



熊本県御船町 「 河内田堀切橋 」

2014-05-31 04:44:41 | 熊本の石橋



草を刈るとその姿を現した








山の水路にはコンコンと水が流れていた







壁石には自然石が使われている







広域農道(マミコゥロード)の真下にある




所在地 / 熊本県御船町滝尾
架橋 / 不明
石工 / 不明
長さ / 3.3m
幅  / 2.2m  高さ / 2.0m


河内田堀切橋は、広域農道(通称 マミコゥロード )にある河内田大橋の真下にあり、
急斜面の山林に囲まれ橋の先にわずかに残る耕地も
人の手が入らない荒地になっている状態のため、
その存在は地元の高齢者など一部の人が知るばかりになっている。


河内田堀切橋へのアクセス
河内田堀切橋へは、御船インターより国道445号線を山都町(旧・矢部町)方面に進み、
御船市街地を過ぎて約1キロほど行くと、左に入ると広域農道へ行く道がある。
その道を進むと頂上手前に川内田大橋があり、その橋の下にある。
駐車は、橋を過ぎて右へ下りる道があるので途中まで車でいけるので、
広くなった場所で止めて橋まで歩いて350mほどで行ける。

沖縄県うるま市 「 伊波グスク 」

2014-05-30 04:35:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



城外から見た虎の口付近







伊波城址碑銘






グスク内にある説明版






グスク内に所どころに残っている石積






自然石を用いた野面積み






朝日が差し込む東側の物見台の跡






東側物見台付近の拝所






グスクの物見台付近より朝の石川火力発電所を望む





伊波グスクは、1322年に北山王となる怕尼芝・羽地(はにし)按司に滅ぼされた
今帰仁城主の子孫(伊波按司)が、この地に逃れて来た後に
力を付け城を築いたものとされる。

華麗なる一族
村人に推されて伊波按司となった今帰仁子から、伊波按司・初代伊覇按司(八男)、
瀬長按司(六男)、玉城按司(四男)、高瀬按司(二男)、
今帰仁子(長男)、大湾按司(三男)、山田按司(五男)が生まれている。
また、初代伊覇按司からは、中城按司(十男)、幸地按司(八男)、勝連按司(六男)、
安慶名大川按司(五男)、二代目伊覇按司(長男)が生まれている。

そして、これらの諸按司の中から、琉球の戦国史に名を残した護佐丸、阿麻和利、
鬼大城なども生まれている。

今帰仁子からの血は脈々と受け継がれ、琉球の歴史を巻き、彩った華麗なる一族である。

城の構造は、一重だけの城壁をめぐらす単郭式で、
石垣のほとんどが自然石をそのまま用いた野面積みで積まれ、
東北面は切り立った自然の断崖を利用し、
南面は自然岩を取り込んで石垣をめぐらしている。


伊波城跡へのアクセス
伊波城は、うるま市(旧石川市)の石川市街の伊波地区にあり、
石川インターを下りて石川バイパスを沖縄方面に進み、
トンネルを出てから、県道6号線を伊波小学校手前を左折し、
150mほど行くと右側に社会福祉センターがある。
その向かいの道を入って200m~300mほど行ったところの右側にと鳥居がある。
わかり難いときは、「ココガーデンリゾートオキナワ」で検索すればいいと思います。
なお駐車は、グスク入り口が少し空いているので、
鳥居のそばの空地に停められると思います。



鹿児島県喜界島 「 早町港東防波堤灯台 」

2014-05-30 04:34:41 | 奄美群島の灯台



















































灯台表番号 / 6932.5
ふりがな / はやまちこうひがしぼうはていとうだい
標識名称 / 早町港東防波堤灯台
所在地 / 鹿児島県大島郡喜界町早町 ( 早町港東防波堤外端 )
北緯 / 28-20-00
東経 / 130-00-26
塗色 / 赤色
灯質 / 単閃赤光 毎5秒に1閃光
光度 / 実効光度 200カンデラ
光達距離 / 6.0海里
地上~頂部の高さ / 12.73m
平均水面上~灯火の高さ / 19.35m 
地上~灯火の高さ / 12.35m
業務開始年月日 / 平成7年2月10日
現用灯器 / LD管制器Ⅱ型



早町港東防波堤灯台は、喜界島の東側にある唯一の灯台である。
灯台のある防波堤は切れ防波堤になっているため干潮時でなければ灯台に近づけない。
そんな灯台の歴史は浅く、平成7年と新しい。


早町港東防波堤灯台へのアクセス
早町港東防波堤灯台へは、喜界島の北東部にあたる早町港入り口の公園の先から
左に入って行った防波堤の先にある。
灯台までは海岸を300mほど歩かねばならない。
駐車は、防波堤入り口の広くなった場所に駐車した。



沖縄県豊見城市 「 長嶺グスク 」

2014-05-29 04:44:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



グスク内にある長嶺按司の碑







グスク入り口にある路標







グスク頂部に通じる道







グスク頂部への道沿いにある大岩






グスクの頂部






グスク頂部より那覇市街地を望む




長嶺グスクは、長嶺按司の居城だと伝えられるが築城年代は不明であり、
また豊見城按司の長男に長嶺按司がいたと「琉球祖先宝鑑」に記されているが
定かではない。

グスク内には石垣や城門などの遺構は見当たらず、
グスク頂部への道沿いに大岩があり、そこを抜けると広場になっている。
また、このグスクは、別名デーグスクとも呼ばれている。


南風原町津嘉山馬場にある仲間グスク城主・仲間按司には、美人の評判高い姫君がいた。
姫とは婚約も整い、式を挙げるだけだった。
ところが、長嶺按司は姫を自分の妻にしたいと申し込んで来た。
「もしこの要求を聞き入れなければ仲間グスクを攻める」という理不尽なものであったが、
仲間按司は武力では到底長嶺按司にかなう筈もなかったが、仕方なく戦の準備を進めた。
そんな折、長嶺按司が舟遊びをすると聞いて、仲間按司は不意打ちに長嶺軍を襲った。
いくら強力な軍といえども逃げるのが精一杯で、長嶺グスクは落城し、
逃げた長嶺按司の行方が分からなかったが、
グスク内の井戸に馬もろとも落ちて自害したといわれているが、
井戸には馬だけしか見当たらなかったとも言われている。
現在でも、南風原町津嘉山地区で行なわれる「アミンの御願」では、
井戸に落ちた長嶺按司の霊を慰めるために豚を身代わりにした祭りだといわれている。


長嶺グスクへのアクセス
長嶺グスクへは、喜数バス停のすぐ先を左折して、約150mほど登り坂を進み、
突き当たりを水道タンクの方へ右折して200mほどで突き当たりがグスクになるが、
水道タンクより道幅が自動車が一台しか通れないくらいの農道なので
注意して行かなければならない。農道を抜けるとグスクの入り口である。
駐車は、グスクの入り口の空いた所に停められる。


北九州市戸畑区 「 戸畑航路第一号灯標 」

2014-05-29 04:43:41 | 福岡の灯台












船が接触・衝突する前の灯標








上部が壊れた灯標




船が接触して灯標の上部が壊れた戸畑航路第一号灯標。
普通に立っている姿が当たり前だと思っていたが、
多くの船が行き交う関門航路や洞海湾入り口では、
たまにはこうした姿を見ることもあるということを思い知らされた。




沖縄県うるま市 「 伊覇按司の墓 」

2014-05-28 04:46:41 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



伊覇按司の墓








伊覇按司の墓と伊覇中門祖宗の墓










伊覇按司の墓は、山城集落の手前を走る石川バイパスの道沿いにある岩陰墓で、
入り口には 「 伊覇按司之墓 」 と書かれた墓標が建っいる。

伊覇按司の墓の隣には「伊覇中門祖宗の墓」 がある。
伊覇按司は伊覇グスクを住居としていたが、山城村に墓を造った。

1322年、羽地按司の攻略で今帰仁城を追われた城主・仲宗根若按司と
長男の今帰仁王子は、名護の屋部村に身をひそめたと言われている。
父が死んだので、宇茂佐の山中に葬って、王子は伊波村まで落ち延びた。
嘉手苅の洞穴で暮らしていたが、伊波大主が人物を認め、婿にした。
そして村民の協力で伊波グスクを築いた。

息子の一人は伊波グスクを継いで東道を押さえ、
他の息子は山田グスクを築いて西道を固め、今帰仁グスクからの来襲に備えた。
子孫一族はさらに防備を固め、具志川の喜屋武グスク、安慶名グスク、具志川グスク。
嘉手納の屋良グスク、比謝川の大湾グスク。
コザの越来グスク。中城グスク、勝連グスクを築き、勢力を張ったと言われている。




鹿児島県喜界島 「 湾港導灯 ( 後灯 ) 」

2014-05-28 04:45:41 | 奄美群島の灯台
































灯台表番号 / 6935
ふりがな / わんこうどうとう ( こうとう )
標識名称 / 湾港導灯 ( 後灯 )
所在地 / 鹿児島県大島郡喜界町 ( 前灯の南南東方約500m )
北緯 / 28-19-06
東経 / 129-56-23
塗色 / 白色
頭標 / 白色三角形頭標付
灯質 / 不動赤光
光度 / 200カンデラ
光達距離 / 6.0海里
地上~頂部の高さ / 9.0m
平均水面上~灯火の高さ / 30.78m 
地上~灯火の高さ / 7.38m
業務開始年月日 / 昭和51年3月25日
現用灯器 / 蛍光灯 Ⅰ




湾港導灯(後灯)は、喜界町の公共の施設が集まる場所に立っており、
それは喜界町立第一保育所と給食配膳センターとの境にある。
こちらの導灯も前灯同様に白い塔に赤い頭標と赤いライトが印象的であった。
ただ高さが前灯の10mに対して、こちらは標高が高い分、9mとなっている。
また、前灯がストレートな塔形に対して、下部にハッチが室が設けられていた。


湾港導灯 ( 後灯 ) へのアクセス
湾港導灯 ( 後灯 ) へは、喜界空港ならびに湾港から
喜界町役場を目指して上がって行くと役場の手前に喜界町立第一保育所がある。
その敷地内に隣接している。
駐車は、保育所の駐車場を使用させてもらった。


朝焼けの5月27日

2014-05-27 05:59:41 | 朝の風景とその他の風景






今朝は5時前に家を出た。
すると東の空が朱に染まっていた。
夕陽もいいが、こうした朝焼けが見れるのは早起きの特権だな。

朝から得した気分になる。







北九州市小倉北区 「 堺川口船だまり防波堤灯台 」

2014-05-27 04:48:41 | 福岡の灯台



堺川口船だまり防波堤灯台






































コンクリートの壁伝いを歩いて行かねばならない










灯台表番号 / 5473
ふりがな / さかいかわくちふなだまりぼうはていとうだい
標識名称 / 堺川口船だまり防波堤灯台
所在地 / 福岡県北九州市小倉北区 ( 堺川口船だまり防波堤外端 )
北緯 / 33-54-29 ( 28.9 )
東経 / 130-51-15 ( 14.6 )
灯質 / 等明暗緑光 明3秒暗3秒
光度 / 80カンデラ
光達距離 / 5.0海里
地上~頂部の高さ / 7.35m
平均水面上~灯火の高さ / 9.2m 
地上~灯火の高さ / 7m
業務開始年月日 / 昭和41年3月1日
現用灯器 / 放電灯装置




熊本県御船町 「 長迫橋 」

2014-05-27 04:47:41 | 熊本の石橋



路肩を補強された上流側から見た長迫橋







下流側から見た長迫橋






橋の大きさの割に大きな石が使われたアーチの石組み






長迫橋の遠望




所在地 / 熊本県御船町上野
架橋 / 不明
石工 / 不明
長さ / 不明
幅  / 不明  高さ / 不明


長迫橋は、日向往還から脇に入った用水路の架かる橋である。
山の谷間にひっそりと架かっているため分かりにくいが、
今も農道としての役割を果たす隠れた名目鑑橋である。


長迫橋へのアクセス
長迫橋へは、御船インターより国道445号線から広域農道を経由して
221号線との十字路を左に曲がり、
黒田酒店より左に300mほど下りたところに位置する。
駐車は、橋付近の道路が狭いので、手前の広いところに止めて行くことをお薦めする。


北九州市若松区 「 三菱合資会社若松支店 ( 上野海運ビル ) 」

2014-05-26 05:04:41 | 近代化産業遺産・土木遺産




























































































所在地 / 北九州市若松区本町1丁目10-17
竣工  / 1913年 ( 大正2年 )
施主  / 三菱鉱業
設計  / 保岡勝也
施行  / 清水組


褐色の外観。
当時はその大きさでは他を圧巻していたと思われるが、
コントラストの関係からか?他の建物を払いのけるほどの強烈なものを感じさせない。
これは外観の素材である鉱滓煉瓦 ( 製鐵の際、産出される残り滓を煉瓦の素材として
使用した、いわゆるリサイクル煉瓦の一種 ) の特徴であるとも言えよう。

現在は周囲に高いマンションなどが立ち並んでいるため、
その大きさがより一層小さく見えるが、
大正時代の雰囲気を漂わせる外観はひと際目を惹く。

現在の姿は竣工当時から比べると、玄関部分と屋上部に改修が施されている。
建物の単体を見ると、最も注視すべき部分は内装にあり、
建物の2階から3階にかけて吹き抜け構造になっている。
その吹き抜けの天井部分にはステンドグラスが配されている。
空から零れ落ちる色とりどりの光が
仕事に追われる人たちの心を癒したに違いない。



HY 「 帰る場所 ( 沖縄の歌 ) 」

2014-05-26 05:03:41 | 音楽 ・ 映画










彼らの出身地の与那城支所にあるHYの記念碑





沖縄県うるま市与那城にある 「 HYの記念碑 」












スーパーで買い物をしていたら 「 沖縄の歌 」 という歌詞が耳に飛び込んで来た。
その唄声やメロディーからHYの曲だろうと思い、パソで調べて即購入したわけである。



そっと目をあけて見れば
輝く星たちを見ることが出来る
海や空、雲、大地が
違って見えるんだ どんな場所より
寂しい時、何を思う あの島の温かさ

母なる島の歌を歌おう
わったーの島の沖縄の歌を・・・
人を愛し、時を愛して
愛に溢れてやまない島の歌を

うちなーの心、忘れるなよ
うちなーの歌を忘れるなよ
響けよ響けエイサーの音
この島の夜に魂の音・・・


※ わったー ( 私たち )
※ うちなー ( 沖縄 )

この歌を聴くと沖縄が恋しくなり、今すぐにでも沖縄へ行きたくなる。


北九州市若松区 「 河童封じの地蔵尊 」

2014-05-25 13:19:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



 「 河童封じの地蔵尊 」 が祭られている堂















正面にある地蔵尊







地蔵尊の本体と壁の間に大釘が見える







背中に打ち込まれた大釘













「 河童封じの地蔵尊 」 がある北九州市若松区の高塔山公園











その独特な形をしたコンクリートの堂が目を惹く。

高塔山頂上にあるその中に背中に釘のささった虚空蔵菩薩がまつられている。
この河童封じ地蔵は、若松生まれの作家・火野葦平の小説
『 石と釘 』 により有名になったものである。

その作品によると・・・昔、島郷と修多羅のカッパ群が、
夜になると手に手に葦に葉っぱを太刀のようにひらめかし空中戦を行い、
朝になると、田や畑にカッパの死体が溶けて青緑の液となって溜まり、
鼻をさす悪臭を放ち、村人達を困らせていました。
 
 この話を聞いた堂丸総学という山伏が、カッパ封じの祈祷を始めました。
日は昇り、日は沈み、また昇り、また沈み、山伏は食抜きで祈祷を続けました。
カッパの化身は美女になり、金銀をつみ、お化けとなり、
尿を垂れ流し、妨害しましたが、山伏の祈祷は続けられ、何千遍目かの日の沈む頃、
石地蔵の肌はモチのように柔らかになりました。
すかさず山伏は、地蔵の背中に1尺 ( 約30cm ) の大釘をハッシと打ちこみました。
その瞬間、カッパ群は木の葉のように舞い落ち、
永遠に地中に封じこめられたと伝えられている。
 
毎年7月下旬の夜、 「 河童まつり 」 「 火まつり 」 が行われ、
※一般には 「 かっぱ地蔵 」 といわれているが、正しい名称は 「 虚空蔵菩薩 」 である。



久し振りの高校時代の友達との飲み会

2014-05-25 13:13:41 | 日記 ・ イベント































当時、全国で15校しかない「 設備工業科 」 の第一期生として
共に机を並べた同級生と久しぶりに美味しい酒を飲んだ。

先日、高校の同級生から電話があり、
「 今度飲み会をするので出て来れないか? 」 という内容だった。
競輪選手時代はほとんど選手と飲んでいたし、
議員時代は議員と飲んでいたし、土建屋時代は土建屋と飲んでいたので、
こうして同級生と飲むのは高校の当番幹事以来である。
今回集まったのは9人だったが、
また現況を語り、懐かしい話しに花を咲かせたいものである。