「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県上毛町 ・ 宇島鉄道跡を歩く 「 終点・耶馬渓駅跡 」

2021-07-31 23:45:48 | 廃線路

耶馬渓駅があった場所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁石が遺るかつてのホーム跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ランプ室

 

 

 

 

 

 

駅舎の便所跡

 

 

 

 

 

 

和式便所の足踏板に使われた石

 

 

 

 

 

 

 

 

宇島鉄道は明治45年3月に京築の有志により、

宇島鉄道株式会社を設立され、

大正3年(1914年)1月11日に待望の開通式を迎えた。

今から100年以上も前のことである。

豊前市八屋から上毛町有野までの17.7キロを結ぶ「宇島鉄道」であったが、

大分県中津市の「耶馬渓鉄道」の出現や経営難などから、

昭和11年(1936年)8月1日に全面廃業した。

わずか22年6カ月で廃線となった幻の宇島鉄道である。

 

宇島 ー 千束 ー 塔田 ー 黒土 ー 広瀬橋 ー 安雲 ー 光林寺 ー 岩木大池築堤

友枝 ー 鳴水橋 ー 下唐原 ー 中唐原 ー 上唐原 ー 百留 ー 原井 ー 鮎帰 ー 耶馬渓

 

長い間にわたって掲載して来た宇島鉄道跡を歩くは、

終点の「耶馬渓駅跡」で、終了です。

 


福岡県上毛町 ・ 宇島鉄道跡を歩く 「 鮎帰駅跡 」

2021-07-30 19:20:15 | 廃線路

鮎帰の駅舎は跡形もなく、今はラブホテルになっている

 

 

 

 

 

 

道路がかつての線路跡

 

 

 

 

 

 

 

 

宇島鉄道は明治45年3月に京築の有志により、

宇島鉄道株式会社を設立され、

大正3年(1914年)1月11日に待望の開通式を迎えた。

今から100年以上も前のことである。

豊前市八屋から上毛町有野までの17.7キロを結ぶ「宇島鉄道」であったが、

大分県中津市の「耶馬渓鉄道」の出現や経営難などから、

昭和11年(1936年)8月1日に全面廃業した。

わずか22年6カ月で廃線となった幻の宇島鉄道である。

 

宇島 ー 千束 ー 塔田 ー 黒土 ー 広瀬橋 ー 安雲 ー 光林寺 ー 岩木大池築堤

友枝 ー 鳴水橋 ー 下唐原 ー 中唐原 ー 上唐原 ー 百留 ー 原井 ー 鮎帰 ー 有野

 


福岡県嘉麻市  「 上山田線第二山田川橋梁跡 」

2021-07-29 16:46:04 | 廃線路

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

線路脇にある小夜媛神社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上山田駅から熊ヶ畑駅に向かって行くと、二つの鉄橋がある。

その二つ目の鉄橋がこの第二山田川橋梁である。

橋梁の上には未だレールが残っており、往時を偲ばせている。

鉄橋の横には「小夜媛神社」がある。

 


福岡県上毛町 ・ 宇島鉄道駅跡 「 原井駅 」 

2021-07-28 16:50:57 | 廃線路

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇島鉄道は明治45年3月に京築の有志により、

宇島鉄道株式会社を設立され、

大正3年(1914年)1月11日に待望の開通式を迎えた。

今から100年以上も前のことである。

豊前市八屋から上毛町有野までの17.7キロを結ぶ「宇島鉄道」であったが、

大分県中津市の「耶馬渓鉄道」の出現や経営難などから、

昭和11年(1936年)8月1日に全面廃業した。

わずか22年6カ月で廃線となった幻の宇島鉄道である。

 

宇島 ー 千束 ー 塔田 ー 黒土 ー 広瀬橋 ー 安雲 ー 光林寺 ー 岩木大池築堤

友枝 ー 鳴水橋 ー 下唐原 ー 中唐原 ー 上唐原 ー 百留 ー 原井 ー 鮎帰 ー 有野

 


福岡県上毛町 ・ 宇島鉄道跡を歩く 「 百留駅跡 」

2021-07-25 19:16:29 | 廃線路

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

百留駅は「百留横穴古墳群」の先にあり、

現在の状況を考えれば、「こんな場所に・・・」と思うような場所の駅である。

 

宇島鉄道は明治45年3月に京築の有志により、

宇島鉄道株式会社を設立され、

大正3年(1914年)1月11日に待望の開通式を迎えた。

今から100年以上も前のことである。

豊前市八屋から上毛町有野までの17.7キロを結ぶ「宇島鉄道」であったが、

大分県中津市の「耶馬渓鉄道」の出現や経営難などから、

昭和11年(1936年)8月1日に全面廃業した。

わずか22年6カ月で廃線となった幻の宇島鉄道である。

 

宇島 ー 千束 ー 塔田 ー 黒土 ー 広瀬橋 ー 安雲 ー 光林寺 ー 岩木大池築堤

友枝 ー 鳴水橋 ー 下唐原 ー 中唐原 ー 上唐原 ー 百留 ー 原井 ー 鮎帰 ー 有野

 


福岡県上毛町 ・ 宇島鉄道跡を歩く 「 中唐原駅 」

2021-07-19 17:00:43 | 廃線路

 

 

 

 

 

 

 

廃屋になった倉庫がある場所が中唐原駅

 

 

 

 

 

 

宇島鉄道は明治45年3月に京築の有志により、

宇島鉄道株式会社を設立され、

大正3年(1914年)1月11日に待望の開通式を迎えた。

今から100年以上も前のことである。

豊前市八屋から上毛町有野までの17.7キロを結ぶ「宇島鉄道」であったが、

大分県中津市の「耶馬渓鉄道」の出現や経営難などから、

昭和11年(1936年)8月1日に全面廃業した。

わずか22年6カ月で廃線となった幻の宇島鉄道である。

 

宇島 ー 千束 ー 塔田 ー 黒土 ー 広瀬橋 ー 安雲 ー 光林寺 ー 岩木大池築堤

友枝 ー 鳴水橋 ー 下唐原 ー 中唐原 ー 上唐原 ー 百留 ー 原井 ー 鮎帰 ー 有野

 


福岡県嘉麻市上山田 「 上山田線 ・ 上山田駅跡 」

2021-07-13 17:57:25 | 廃線路

かつて上山田駅があった場所に警報機が残されている

 

 

 

 

 

 

上山田駅の説明版

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突き当りが「山田図書館」

 

 

 

 

 

生涯学習館

 

 

 

 

 

 

上山田と下山田は旧山田市のメイン市街地だった。

 

明治31年(1898)2月8日に、

上山田線の臼井~下山田間(5.4km)が開通した。

さらに明治36年(1903)12月20日に上山田(2.0km)が開通。

明治42年(1909)10月12日に線路名称を統一した際に筑豊本線となった。

のちに昭和4年(1929)12月7日に筑豊本線が筑前内野から冷水峠を越えて

鹿児島本線の原田まで延伸した際に、上山田線として分離した。

やがて上山田から線路を伸ばし、日豊本線の苅田港までの石炭輸送を始める計画で、

まず上山田~豊前川崎間(11.5Km)が昭和41年(1966)3月10日に開業したが、

乗客数の減少等で、わずか22年後の昭和63年(1988)8月31日付けで、

上山田線全線が廃止されてしまった。

 


福岡県上毛町 ・ 宇島鉄道跡を歩く 「 下唐原の橋台跡 」

2021-07-09 16:32:55 | 廃線路

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左の下唐原駅跡から中唐原駅へは下り坂になる

 

 

 

 

 

 

前回紹介した「下唐原駅跡」から中唐原へは急な坂を下らねばならない。

そのため橋台を作り、橋を渡し、負担がかからないような勾配にした。

下りはいいが、上りは乗客が降りて貨車を押して加勢したそうである。

そんな坂の難所に残る橋台跡である。

 

宇島鉄道は明治45年3月に京築の有志により、

宇島鉄道株式会社を設立され、

大正3年(1914年)1月11日に待望の開通式を迎えた。

今から100年以上も前のことである。

豊前市八屋から上毛町有野までの17.7キロを結ぶ「宇島鉄道」であったが、

大分県中津市の「耶馬渓鉄道」の出現や経営難などから、

昭和11年(1936年)8月1日に全面廃業した。

わずか22年6カ月で廃線となった幻の宇島鉄道である。

 

宇島 ー 千束 ー 塔田 ー 黒土 ー 広瀬橋 ー 安雲 ー 光林寺 ー 岩木大池築堤

友枝 ー 鳴水橋 ー 下唐原 ー 下唐原橋台 ー 中唐原 ー 上唐原  

百留 ー 原井 ー 鮎帰 ー 有野

 


福岡県田川市 「 わずか10年足らずで姿を消した幻の伊田山トンネル遺構 」

2021-06-23 16:36:16 | 廃線路

右側奥の細い電柱から先が伊田山トンネル遺構になる

田川市役所下の松原橋から俯瞰(ふかん)した全景

 

 

 

 

 

 

JR日田彦山線の田川伊田~田川後藤寺間に開通当初、

伊田山トンネルと呼ばれるトンネルがあった。

もともと田川線の一部であったこの区間は豊州鉄道が建設したもので、

明治28年 ( 1895年 ) の行橋~伊田間の開通に続き、

明治29年 ( 1896年 ) 2月5日に開通した。

線路はすでに百十余年の歴史を持つが、

伊田山トンネルは開通後わずか10年足らずで姿を消してしまった。

 

このトンネルの存在は、当時の地形図や九州鉄道営業報告から明らかであるが、

あまりにも短命で、完成後の写真も発見されていないことから、

幻のトンネルと呼んでも差し支えないと思う。

 


福岡県上毛町 ・ 宇島鉄道跡を歩く 「 下唐原駅跡 」

2021-06-16 16:16:16 | 廃線路

 

 

 

 

 

 

バイパスの下をくぐった場所にある下唐原駅跡

 

 

 

 

 

左側の下唐原駅からこの坂を下って橋を渡って中唐原へと進んでいた

 

 

 

 

 

宇島鉄道は明治45年3月に京築の有志により、

宇島鉄道株式会社を設立され、

大正3年(1914年)1月11日に待望の開通式を迎えた。

今から100年以上も前のことである。

豊前市八屋から上毛町有野までの17.7キロを結ぶ「宇島鉄道」であったが、

大分県中津市の「耶馬渓鉄道」の出現や経営難などから、

昭和11年(1936年)8月1日に全面廃業した。

わずか22年6カ月で廃線となった幻の宇島鉄道である。

 

宇島 ー 千束 ー 塔田 ー 黒土 ー 広瀬橋 ー 安雲 ー 光林寺 ー 岩木大池築堤

友枝 ー 鳴水橋 ー 下唐原 ー 中唐原 ー 上唐原 ー 百留 ー 原井 ー 鮎帰 ー 有野

 


福岡県上毛町 ・ 宇島鉄道跡を歩く 「 鳴水橋橋台跡 」

2021-06-07 06:36:06 | 廃線路

橋の右岸に宇島鉄道の橋台跡が少しだけ残っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友枝川に架かる 「 鳴水橋 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋を渡り終えると緩やかなカーブになった坂になる

 

 

 

 

 

 

宇島鉄道は明治45年3月に京築の有志により、

宇島鉄道株式会社を設立され、

大正3年(1914年)1月11日に待望の開通式を迎えた。

今から100年以上も前のことである。

豊前市八屋から上毛町有野までの17.7キロを結ぶ「宇島鉄道」であったが、

大分県中津市の「耶馬渓鉄道」の出現や経営難などから、

昭和11年(1936年)8月1日に全面廃業した。

わずか22年6カ月で廃線となった幻の宇島鉄道である。

鳴水橋は友枝駅のすぐ近くを流れる友枝川に架かる橋で、

友枝駅から下唐原へと向かう坂の登り口にあった。

現在は橋台跡がわずかに残っている。

 

宇島 ー 千束 ー 塔田 ー 黒土 ー 広瀬橋 ー 安雲 ー 光林寺 ー 岩木大池築堤

友枝 ー 鳴水橋 ー 下唐原 ー 中唐原 ー 上唐原 ー 百留 ー 原井 ー 鮎帰 ー 有野

 


福岡県上毛町 ・ 宇島鉄道跡を歩く 「 友枝駅跡 」

2021-05-31 13:01:07 | 廃線路

駅跡は県道109号(福士吉富線)の横にあたる

 

 

 

 

 

 

 

光林寺駅跡から岩木大池築堤を経て友枝駅跡を結んでいた線路道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇島鉄道は明治45年3月に京築の有志により、

宇島鉄道株式会社を設立され、

大正3年(1914年)1月11日に待望の開通式を迎えた。

今から100年以上も前のことである。

豊前市八屋から上毛町有野までの17.7キロを結ぶ「宇島鉄道」であったが、

大分県中津市の「耶馬渓鉄道」の出現や経営難などから、

昭和11年(1936年)8月1日に全面廃業した。

わずか22年6カ月で廃線となった幻の宇島鉄道である。

 

宇島 ー 千束 ー 塔田 ー 黒土 ー 広瀬橋 ー 安雲 ー 光林寺 ー 岩木大池築堤

友枝 ー 鳴水橋 ー 下唐原 ー 中唐原 ー 上唐原 ー 百留 ー 原井 ー 鮎帰 ー 有野

 


福岡県上毛町 ・ 宇島鉄道跡を歩く 「 宇島鉄道岩木大池の築堤跡 」

2021-05-26 12:00:00 | 廃線路

今も灌漑用の岩木大池に残る築堤

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

池の向こうに光林寺が見える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

池の横にある岩木山

 

 

 

 

 

 

宇島鉄道は明治45年3月に京築の有志により、

宇島鉄道株式会社を設立され、

大正3年(1914年)1月11日に待望の開通式を迎えた。

今から100年以上も前のことである。

豊前市八屋から上毛町有野までの17.7キロを結ぶ「宇島鉄道」であったが、

大分県中津市の「耶馬渓鉄道」の出現や経営難などから、

昭和11年(1936年)8月1日に全面廃業した。

わずか22年6カ月で廃線となった幻の宇島鉄道である。

 

宇島 ー 千束 ー 塔田 ー 黒土 ー 広瀬橋 ー 安雲 ー 光林寺 ー 岩木大池築堤

友枝 ー 鳴水橋 ー 下唐原 ー 中唐原 ー 上唐原 ー 百留 ー 原井 ー 鮎帰 ー 有野

 

この灌漑用の岩木大池に築堤が造られたのは、

「 直線線路を確保したい 」 という宇島鉄道は、

築堤に開口橋を設けることで、水利関係者と合意し、

築堤を建設したという。

そんな岩木大池あたりを舞台とした民話がある。

 

『 汽車に乗って狐の嫁入り 』 (新吉富村誌より)

 

この村に軽便鉄道(宇島鉄道)の通っていた頃の事。

宇ノ島から有野まで、有野は有名な青ノ洞門の川を隔てた前のところ。

マッチ箱のような車両が二つ、たまに有野の木材を運ぶときには貨車ひとつ、

それを引いた機関車が、黒い煙をあげながら、

シュッポ、シュッポと田んぼの中、桑畑の中、

鉄橋を渡り、山際を通り、汽笛を鳴らして走る。

 

この線路は、西吉富の成恒の一部と、

安雲の田の中を突っ切って友枝駅に向かう。

安雲には、安雲駅のほかに光林寺(お寺のおつとまり時の臨時駅)があり、

一つの集落の二つの駅と安雲集落の人の自慢の種であった。

しかも代々の機関士さんや車掌さんが安雲の人であった。

 

晩春のある夜、乗客の少ない終列車が友枝駅を過ぎ、

岩木山の横にさしかかった時、車掌さんが一両目から二両目とめぐって来ると、

乗客のいないと思っていた二両目の座席に、

今まで見たことがない美しい十五,六歳の娘と三十半ばくらいの女の人とが、

ひっそりと腰を掛けていた。

「美人だな~」と思いながら、そのまま声をかけずに引き返した。

 

そして安雲駅に着いた時「おや?」っと思った。

降りた気配も無いのに、後ろの車両の娘と女の人の姿は影も形もなく、

ただ淡い電灯が空の車内を見せていた。

その出来事を私の家に風呂を入りに来た車掌さんが話してくれた。

友枝川の川姫だろうか?川姫なら座席が濡れている筈。

濡れていないところを見ると、野路の狐が照日に嫁入りに来たのだろうと、

妹や友達と話し合った。

それは空に木の葉形の月が出ている夜のことでした。

 

宇島鉄道は大正の初め頃から、昭和十一年頃までだったと憶えています。

線路の両側に咲く月見草を摘み摘み、竹久夢二の宵待ち草の歌を唄いながら、

夢二描く少女の絵と汽車に乗った狐の嫁入りを重ねて考える

多感な少女時の軽便鉄道の通った時代の懐かしい思い出話である。

 


福岡県上毛町 ・ 宇島鉄道跡を歩く 「 光林寺駅跡 」

2021-05-10 05:36:32 | 廃線路

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩木大池から見た光林寺の遠望

 

 

 

 

 

 

宇島鉄道は明治45年3月に京築の有志により、

宇島鉄道株式会社を設立され、

大正3年(1914年)1月11日に待望の開通式を迎えた。

今から100年以上も前のことである。

豊前市八屋から上毛町有野までの17.7キロを結ぶ「宇島鉄道」であったが、

大分県中津市の「耶馬渓鉄道」の出現や経営難などから、

昭和11年(1936年)8月1日に全面廃業した。

わずか22年6カ月で廃線となった幻の宇島鉄道である。

 

宇島 ー 千束 ー 塔田 ー 黒土 ー 広瀬橋 ー 安雲 ー 光林寺 ー 岩木大池築堤

友枝 ー 鳴水橋 ー 下唐原 ー 中唐原 ー 上唐原 ー 百留 ー 原井 ー 鮎帰 ー 有野

 

安雲から光林寺がある光林寺駅跡へとかつての線路道を進む。

お寺の周辺には家が集まっており、利便性がうかがえた。

 


福岡県上毛町 ・ 宇島鉄道跡を歩く 「 安雲駅跡 」

2021-04-26 05:29:41 | 廃線路

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広瀬橋駅跡

 

 

 

 

 

安雲駅跡から光林寺駅跡へ向かう線路道

 

 

 

 

 

 

宇島鉄道は明治45年3月に京築の有志により、

宇島鉄道株式会社を設立され、

大正3年(1914年)1月11日に待望の開通式を迎えた。

今から100年以上も前のことである。

豊前市八屋から上毛町有野までの17.7キロを結ぶ「宇島鉄道」であったが、

大分県中津市の「耶馬渓鉄道」の出現や経営難などから、

昭和11年(1936年)8月1日に全面廃業した。

わずか22年6カ月で廃線となった幻の宇島鉄道である。

 

宇島 ー 千束 ー 塔田 ー 黒土 ー 広瀬橋 ー 安雲 ー 光林寺 ー 岩木大池築堤

友枝 ー 鳴水橋 ー 下唐原 ー 中唐原 ー 上唐原 ー 百留 ー 原井 ー 鮎帰 ー 有野

 

一昨年に宇島鉄道跡を広瀬橋駅跡まで巡っていたが、

その先の安雲から終点の耶馬渓まで行かなかった。

それで最近その続きを探訪したので、

これから耶馬渓までの駅跡や線路遺構を駅順に紹介して行きたいと思っています。