
こんもりとした 「 世之主城跡 」 の全景

グスクの頂部にある 「 世之主神社 」


頂部の神社への登り口

グスクの頂部にある鳥居とそれに続く階段
世之主城跡は、沖永良部島の大城間切りのほぼ中央に位置している。
世之主城の頂部には世之主神社が建立されており、
南は沖縄本島北部から伊平屋島、伊是名島が眺望でき、
北は徳之島を見渡せる立地の丘に築かれたグスクである。
「 世之主がなし由緒書 」 ( 沖永良部島郷土史資料 ) によれば、
初代・永良部世之主は、琉球国北山王の第二王子、真松千代 ( ままちぢよ ) であった。
真松千代王子は、永良部島へ渡海して玉城村の金之堂 ( ふばどう ) に館をつくった。
ある時、大城村の 「 川内の百 」 を連れて与和の海に漁猟に出かけた時、
川内の百が古城地 ( 現在の世之主神社の丘 ) を指して「彼地は大城村の地所ですから、
世之主がなしの居城をつくってはどうですか」と進言した。
この進言を入れて古城跡に館をつくることにした。
その築城については後蘭孫八に申し付け、三年がかりで完成したといわれている。
1422年に北山は尚巴志によって滅ぼされ滅亡した。
その折、永良部世之主は琉球国中山の使船が数隻渡海して来るのを見て、
使者を与和の浜に派遣し、使船の目的が征伐か、恭順を促すためかを確かめた。
使者は恭順を促す和平の使船だったので、
安心して出された振る舞い酒に酔って帰りが遅くなった。
ところが、世之主の方は使者が殺害されたと思い込み、
奥方をはじめ嫡子らと刺し違えて自害したといわれている。