「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大分県日田市  ・  天領日田の 「 月隈公園 」

2012-11-12 00:16:39 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



天領日田の 「 月隈公園 」の遠望






























公園内にある横穴古墳群








堀の向うにある日田林工高校







公園内は依然として工事中のため入ることが出来ない








































亀山公園 ( 日の隈神社 ) を出て、三久で 「 やきそば 」 を食べて、
次に向ったのが、 「 月隈公園 」 である。
ここは日田に来た時に駐車場を利用するの、ほとんど来るが、
公園内は依然として工事中なので、動画は撮らずに写真だけにしたが、
動画は去年撮ったものがあるので、それを使用することにしたのでご了承願いたい。


月隈公園(つきくまこうえん、つきのくまこうえん)は、大分県日田市丸山町にある公園である。

侵食によって形成された残丘である日田三丘(日隈・月隈・星隈)のうち一つで、
古くは月隈山と呼ばれ「丸山」「長山」「永山」、
また豆田町方面の城跡であることから「豆田の城山」とも呼ばれる。

江戸時代の1601年には丸山城が築かれたが、日田陣屋設置に伴い廃城とされ、
現在は一部の石垣や堀が残っている。
1818年(文化15年)塩谷大四郎正義郡代時代に金比羅社を建立するための
山道拡張と修復工事が行われた際、山の中腹より人骨が出土したため、
古代日田地方を治めていたと考えられている豪族日下部一族の墓であると考えられている。
このとき出土した人骨の供養のため塩谷は「帰安碑」という供養塔を建立した。
碑文は廣瀬淡窓によるものである。

1871年(明治4年)、三の丸跡広場に日田県県知事官舎や県庁が設置されたが、大分県へ併合された後、
県知事官舎跡には日田区裁判所が置かれ県庁跡は大分県立日田林工高等学校の敷地となった。
1910年(明治43年)、城山部分は旧跡保存のため公有地とされ、1915年(大正4年)には公園となった。

日田区裁判所移転後、跡地は広場として整備され普段はおもにゲートボール場として使われているが、
秋ごろには日田天領祭りのイベント会場として使用されることがある。
また、山上の月隈神社に至る坂道には、古墳時代の墳墓跡といわれる横穴群がある。
東部の堀跡には遊具を設置した児童公園とプールがある。


そうそう、これは余談だが、日田林工といえば、
甲子園に出場した時のエース・源五郎丸 洋を思い出す。


この日の行程、 道の駅・原鶴 ー 道の駅・うきは ー 夜明大橋 - 大肥橋 - 筑後鉄道軌道橋
筏場眼鏡橋 - 白手橋  - 日隈神社 -  三隈川 - やきそば三久 - 「 月隈公園 」




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