ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

フェードアウト

2020年08月30日 | 社会派らぼ
2ヶ月半ぶりに安倍首相が記者会見を開く…と聞いて、辞任を予想していた人は少なかったようです。第1次安倍内閣と呼ばれたのは2006年から2007年にかけて…で、体調不良を理由に突然の辞任を表明されました。それから5年後の再登板後、首相の連続在任日数が佐藤栄作氏を抜いて最長記録となった矢先でした。今回も持病の悪化を理由とする突然の退任でした。首相という職のプレッシャーや重圧は察するに余りあるもので、長年の功績には素直に感謝すべきかと思います。大変お疲れさまでした。まずは体調を整えていただき、多分まだまだ日本という国のために尽力をいただかなくてはならないのだと思います。

健康問題とあらば、他人が口を挟める余地もなく、ご本人も(長期スパンで)予測できたわけでもなく、任期半ばの不本意な退陣は人為の及ぶ余地も無かったというほかなく、ご本人の悔しさも察するに余りあります。そこには様々な組織が同様に抱えている高齢化問題に近いものがあるように感じました。本人の能力と意欲に関わらず、老いや病魔は突然、もしくはじわじわとすり寄って来ます。

ただ一人の突出した指導者の最大の弱点は、「ナンバー2」なる人材が育たない事かも知れません。たった1つの才に任せておくことが一番得策で、その才を遺憾なく発揮してもらうためのサポートや下支えはできても、(対抗勢力ではなく)代わろうとする才が育ちません。安倍首相の功績の判断はそれぞれに任せるとして、その職を引き継ぐべき人材に、日本中が大きな不安を抱いています、多分。名の挙がっている方(手を挙げておられる方)は皆、日本を代表する政治家の方であろうとは思いますが、大統領がどう転ぶか先の読めないアメリカや、1強の不気味さを感じるロシア、虎視眈々と世界を狙う中国などの…一触即発の世界情勢を見るにつけ、それを託せるリーダーが現れるかどうか、甚だ不安です。いわゆる賢い人はたくさんいても、真に傑出した才能が政界に興味を示さない時代なのでしょうか。

不謹慎かもしれませんが、ある意味で先日亡くなった三浦春馬氏の事がよぎる部分があります。日頃から注意を払われていたであろう持病の悪化と、自死を同列に並べてはいけないことは充分に理解しながら、ある日突然「晴天の霹靂」とばかりに、その存在を一瞬にして失うことの無念さを何とかできなかったものだろうかと、悔やまれます。「PPK」でなく「フェードアウト」、じわじわと違和感なくす~っと消えることが世の理想かも知れません。



感染

2020年08月25日 | 社会派らぼ
コロナ感染関連のニュース報道が減って来た感があります。相変わらず、数字は〇〇〇人などと発表されていますが、連日目にしていたグラフも最近は探さないと見られなくなりました。探しあてたグラフによれば、4月頃をピークとする第1波の山よりも、7月以降の第2波の山の方が高い数値を示していましたが、8月初旬あたりをピークに、増えたり減ったりを重ねながら、ピークは過ぎつつある感があります。

クラスターが発生した…、誰それが入院した…、などのニュースは流れますが、「…だから?」。世の中の歯車は「もう止めてはいけない」とばかりに、それ以上の反応を皆がしなくなって来ています。不幸にも感染者が出てしまっても、本人の入院または自宅待機指示、濃厚接触者の感染検査、更に施設の消毒作業などが行われるようですが、それ以外は意外と平常どおり…といった風です。努めて、通常対応を心がけているのでしょうか、身近な人が感染したと言った人たち以外の世の中は、少し「喉元」を過ぎつつある感じも否めません。これが「気の緩み」として、病に付け込まれなければ良いのですけれど。

世界中が危機にあります。マスク着用やソーシャルディスタンスに加え、外出や会合の自重など、一部の人を覗けば皆が細心の注意を払って生活しています。それでも、注意を払っていたのに、陽性の検査結果が出てしまう人もたくさんおられるようで、ただただ驚いて戸惑っている様が伝わってきます。感染は若い世代が中心のようで、若い世代は症状も軽いと言われていますが、それでも入院や自宅待機が必要で、ある日突然日常が止まる感は否めません。

そして多くの場合、診断を受けた本人は驚きとともに、周囲に謝罪をする…といった図式になってしまっている事に、若干違和感を覚え始めています。勿論、中には不用意な行動をとる人や、感染後に敢えて周囲に迷惑をふりまこうとする人もいました。が、大抵の人は注意をしていたにも関わらず、感染してしまうわけで、それでも「皆に迷惑が…」と謝罪されます。

自らに非があるわけでもないのに、それでも周囲の人たちの困惑と恐怖を慮ると、謝罪の言葉が口をついて出て来ることは分かります。が、そろそろ「コロナ=悪」という図式を変えなければならないのではないでしょうか。

TikTok

2020年08月23日 | 社会派らぼ
TikTokというのは、中国のByteDance社が運営する、動画共有アプリです。撮影した動画にBGMを組み合わせて、ショートムービーを作成し公開する…らしいです(TwitterやFacebookなど、どんなものか?とひとしきりは経験してみましたが、今のところTikTokはしてみる気になりません。(笑))。が、10代の若者を中心にかなりの人気で、およそ10人に1人が利用している計算だそうです。

この世界的に人気のTikTokをめぐり、米国のトランプ大統領がByteDance社との取引を禁止すると発表した事で、新たな米中の火種となったのはツイ先日です。更に、米国はByteDance社に対し米国内での事業を売却することを命じています。要は、TikTokが利用者の位置情報や端末情報など莫大な情報を収集しており、中国政府のスパイ活動である…との見解です。10代の若者に、いくらでもフェイクニュースなどの拡散が可能である…という事になります。もともとSNSアプリ自体が、そうした情報収集・情報拡散が可能なツールであるということです。遡って6月には、インド政府がTikTokを含む59の中国製アプリの使用を禁じています。世界中に広がったSNS網というものを、一度本当に要るものなのか、自分にとってのメリットは何なのか…を、考え直す必要があるのではないでしょうか。

米国のリジー・ベラスケスさんは、生まれつき「マルファノイド・早老性・リポジストロフィー症候群」という難病を患っており、脂肪を身体に蓄積することができません。そのせいで体重は29キロを超えることができず、筋力や脂肪がつかない容姿は「世界で一番醜い女性」などと言われるなど、様々ないじめに遭ってきました。そうした経験から彼女は「反いじめ活動家」として、出版や講演・SNSでの啓蒙活動になど取り組んで来たと言います。

最近TikTokでは、親が子供に障害者やダウン症の赤ちゃんなどの写真を見せて、子供がたじろぐなどの様子を撮影する悪ふざけ動画が広がっていると言います。自分の写真を使った悪ふざけ動画を見つけたリジーさんは、自らのTikTok動画で「見た目が自分とは違う人を怖がること」を教えないで欲しいと訴えています。悪ふざけに使われているすべての人が感情を持つ人間であるという事を心にとどめておいて欲しい…と。

このリジーさんの動画は2億回近く視聴され、Twitterなどで拡散され続けていると言います。発信してくれてありがとうと、リジーさんを支援する多くの声が上がっているそうです。悪ふざけの動画が広まるのもTikTokであれば、それを諫める声もまたTikTokで、情報は一瞬にして世界を駆けまわっています。

スパイ活動云々という闇を一方に持つこうしたSNSが、果たしてこの世界に必要なものなのかどうか…は難しいところです。一種の「パンドラの箱」であり、既に蓋は開けられてしまったと認識すべきでしょうか。恐らくSNSが悪いのではなく、そのSNSに発信すべき情報とそうではない情報を区別できない発信者が悪いのだと思います。そしてそれは…つまるところ、教育によるのではないでしょうか。少なくとも世の中に向けて「発信」するということに、責任と自覚とビジョンが必要です。

緊張感

2020年08月22日 | 社会派らぼ
今年は、コロナ、コロナ…で、幾つものイベントが中止の憂き目に遭いました。緊急事態宣言が出された当時は、スポーツの試合や演劇などほぼすべての催しが中止または延期され、それはそれで当事者たち(それを生業とする人たち)からすると、かなり酷な期間でした。当面抑え込めた…との判断で、少しずつ再開されては来ましたが、第2波らしき感染者数の増加に、主催者側も右往左往させられています。

いつまでも休んではいられない…という事で、無観客で行われていたプロ野球も7月初旬から有観客で開幕し、現在は入場者数の上限が5000人と定められています。Jリーグも、入場者数には5000人の制限が設けられており、こうした制限は9月以降も(1か月間を軸に調整中)続けられる方針だそうです。

クラシックの演奏会なども再開はしているようですが、観客ばかりでなく演奏者の「3密」が課題だと言います。ソーシャルディスタンスを保とうとすると、大人数のフルオーケストラは、人員がステージから溢れてしまうため、少人数で演奏が可能な古典派の曲目に偏ることになってしまっているとか。

そんな中、明日びわ湖ホール大ホールで演奏予定の「マーラー交響曲」はフル編成で披露されるそうです。京都市交響楽団の皆さん約70人は、普段より7割増しの広いステージに、大きく広がる形で席を構えます。弦楽器の大半はマスク着用、管楽器からの飛沫を防ぐためのアクリル板なども設置され、コロナに配慮した形の演奏を目指すと言います。ただ互いの楽器同士が遠いため、音のタイミングがどうしても遅れてしまうらしく、他の楽器を「聴いて」いると遅くなるから、指揮を「見て」演奏するように…と指示が出ているそうです。

WHOの事務局長は、コロナの終息を「2年未満で」と、その見通し(?希望)を語りましたが、こればかりはまだ確信が持てません。更には「ソーシャルディスタンス」と言われる距離を保てば、感染が百%防げるのかというと、その保証もありません。郡山市青少年会館で合唱練習に参加した人たちの中で、クラスターが発生したと報じられていますが、全員フェイスシールドやマウスシールドを着用し、間隔も空けて、換気も行っていたと言います。

…とはいえ、いつまでも巣ごもりをしているわけにもいかないということで、当面綱渡りの日々が続きます。頼りは、綱を渡っているのだという緊張感だけかも知れません。

二冠

2020年08月20日 | 社会派らぼ
最年少二冠と最年少8段が実現するのかと、注目を浴びていた王位戦第4局。本来七番勝負で、先に4勝した方が勝者というルールなのですが、実際は藤井棋聖の4連勝というあっけない幕切れで、ビッグタイトルを手にされました。コロナと熱中症、先立っての豪雨禍など、最近は重いニュースばかりでしたから、ホッと救われる気がします。

将棋は、スポーツや芸能などに比べて派手さがありません。これまでから、強い棋士はたくさんおられましたし、世間の注目を集める棋士もおられました。が、これほどまでに注目を集めたことは無かったかも知れません。将棋は唯一、敗者が自ら「負けました」と認めることで勝敗が決する勝負なのだそうです。大抵の勝負は「勝ち」を宣言するのに比べ、将棋には立会人はいてもレフリー的な人さえもいません。

更に極めつけなのが、この藤井二冠の落ち着きぶりと、謙虚な礼儀正しさでしょうか。インタビュー等では勝った勝負であっても、必ず相手の事を「内容的には押されていた」とか「力強い」「勉強になった」などの表現で自然な敬意を表します。勝って有頂天に喜びを表現するところを見たことがありません。

一方で、政治の世界などでは、必要以上に相手を威嚇するような発言を日常茶飯事に見かけます。まるで「そこ」からが既に勝負のような勢いで(確かに、駆け引きなどといった点で、優位に立つ発言は必須なのかも知れません)、自画自賛の声を強くするさまには、毎回失望させられます。政治の世界にも、これだけの謙虚さを持った、スーパーヒーローが登場してくれないでしょうか。

第2波

2020年08月19日 | 社会派らぼ
日本感染症学会が東京で始まり、冒頭の理事長あいさつで「コロナ第2波の真っただ中にいる」との見解が示されました。政府は、感染者数が増えているものの、若い世代が中心で軽症の人が多く、感染のスタイルそのものが違ってきている…といった説明で、現状を「第2波」とは呼んでいませんでした。ただ、感染者数のグラフは、4月当時と比べて、明らかに数が多く、素人が見ても明らかに「第2波」であることは、疑いようがありません。

学会の見解を受けてか、西村経済再生担当相は記者会見で「第2波の定義があるわけではない。人によって第2波、第3波と呼ぶ」と答えたと言います。まぁ、どうでも良い事ですが、子どもっぽいと感じたのは私だけでしょうか。

素人ついでに、第2波のグラフは、わずかではありますが、ピークを超えたかに見えなくもありません。残念ながら未だ信頼のおける治療薬やワクチンの開発には至っておらず、飛沫感染、接触感染、空気感染を防ぐためのマスクやビニールカーテン、ソーシャルディスタンスなどだけで(100年前とほぼ変わらない)このピークが下がって来たのだとしたら…と少し希望的な観測もしたくなります。が、いずれ第3波、第4波…が来る可能性を思うと、なかなか終わりが見えないことに、変わりはありません。

コロナ禍による雇い留めや倒産など、経済は深刻です。経済を止められないのと同様、教育も止められない事です。身を伏せてジッと通り過ぎるのを待つだけでなく、新しいスタイルの教育の在り方を模索すべきだろうと思います。オンライン授業が続き、大学にまだ一歩も足を踏み入れていないという新入生がいます。立命館大学の学生の1割が退学を視野に入れていると言います。運動不足で怪我をし易い子ども達が増えていると言います。夏休みを短縮して、何とか授業時間を確保しようとしてはいるでしょうけれど、根本的に授業日数が足りないことに変わりはありません。計算上のテクニックだけで出席日数や単位の計算は何とでもなるのかもしれませんが、根本的に「教育」が足りません。

マスクで顔が覆われて、表情の見えない中で育っていく子ども達の未来は、限りなく不安です。

静かに

2020年08月17日 | 社会派らぼ
先日、俳優の渡哲也さんの訃報が報じられました。言わずと知れた日本を代表する俳優で、石原裕次郎さん亡きあとの石原プロモーションの社長です。刑事ドラマでの強面のスタイルがトレードマークのようでしたが、実際はトテモ優しい方だったそうです。

こうして芸能人の訃報がもたらされると、最近は決まって色々な方がコメントを発表されます。渡さんに対しても、あちこちで偲ぶ声が聞かれます。口をそろえて、心配りの行き届いたトテモ優しい方だったと、在りし日を述懐されています。きっと本当にそういう方だったのだろうと思いますし、惜しい方を亡くしたのだと思います。

素晴らしい方であればあるほど、親しかった方が増える(笑)? 「有名になると親戚が増える」と良く言われます。本当に、渡さんを追悼されている方々には申し訳ないのですが、SNS流行りの昨今、渡人気にあやかるようなコメントもキットたくさんあるのではないだろうかと、勝手に邪推してしまいます。

今回、石原軍団とも呼ばれる石原プロダクションの俳優たちは皆コメントを発表したりすることも無く、沈黙されていると言います。渡さんご本人が「静かに送って欲しい」と強く要望された…ことを守って「静かに」という形を貫くということです。本当に「故人を送る」というのはこういう事ではなかろうかと、密かに喝采を送ります。

やたら饒舌に故人を語る…事が日常的な風景となってしまっていました。報道陣の執拗なマイクに、仕方なく応える方もおられるでしょうし、自らのSNSで積極的に惜しむ方もおられます。目を閉じて、静かに頭を垂れて、胸の中から溢れてしまいそうな悲しみに耐える事が「故人を送る」という事なのだと思います。

コロナ後

2020年08月16日 | 社会派らぼ
全国的にお盆休みです(笑)。毎年この時期は一斉に皆が帰省するので、Uターンラッシュで新幹線や高速道路、更には空の便も混みこみになっているところです。高速道路には延々と渋滞が続き、ノロノロ運転でしか進まなかったり、120%の乗車率などと言われて、席が確保できずに立ったまま大きな荷物を抱えてぐったりする人たちの様子が、ニュース映像には映し出されていたはずです。

が、今年はコロナ禍。政府が「Go To トラベル」と笛を吹いても、一方では「帰省の際は注意をお願いします」「帰省は慎重に」。不気味に突出していく感染者数のグラフを見せられると、やはりやめておこうかに傾く人達が多かったようです。結果、新幹線も高速道路も、激しい混雑には至らなかったようです。子ども達の短い夏休みも、自宅でプールなどといった光景が目立つようです。6月の家庭用ビニールプールの売り上げは、前年比170%以上だったと言います。

ただ考えてみれば、例年の「お盆」の方が、多分異常なのではないでしょうか。キチンと準備を整えてお盆を迎えるお宅もあれば、単に「お盆休み」がそこだから帰省するというお宅もあると思います。これを機に、わずか数日に皆が同時に休んで同時に大移動する…という習慣を見直しても良いかもしれません。

コロナで経済が大打撃を受けています。コロナの終息の目処が立たない事や更に終息した後の経済をどう立て直していけば良いのか、今はまだ途方に暮れている状態です。…が、コロナ前とコロナ後。ものの考え方が一変する部分があるはずです。何が必要で、何が要らないのか…。どうしたら無駄をそぎ落として、皆がシンプルな暮らしをすることができるのか、社会の仕組みをもう一度考え直さねばならない時期なのだと考えます。

未来

2020年08月15日 | 社会派らぼ
7月1日から、店舗でプラスチック製のレジ袋を無償配布することができなくなりました。これまでスーパーやコンビニで、購入した商品を当たり前のようにレジ袋に入れてもらっていたものが、全て有料となり「レジ袋はご入用ですか?」と尋ねられるようになりました。店によって異なるでしょうが、1枚3~5円で購入はできるものの、「有料ですが、要りますか?」と尋ねられると、不要だと断る人が多いようです。これまで無料だったものに、お金を支払う…という事自体への抵抗感も強いようで、経産省の目論見は当たったと言えるでしょうか。

制度がスタートし、日常では有料が当たり前になりつつありますが、同時にレジ袋の有料化は決してエコに繋がらないという声も大きくなったりしています。絶滅危惧種でもあるウミガメの「オサガメ」が、網に絡まって動けなくなり窒息死して捕獲されたのですが、体内からプラスチック製のレジ袋が見つかった…と報じられたのは、ツイこの前です。以前には、親とはぐれて保護されたジュゴンの赤ちゃんが、体内にたまった海洋プラスチックのゴミで体調悪化を引き起こし、死亡したと発表されたこともあり、海洋汚染を引き起こす元凶のように報じられていました。

が、環境省の調査によると、海洋プラスチックごみのうち、ポリ袋が占める割合は0.3%でしかなく、漁網やロープ、発砲スチロールブイなどに続いて、多いのが飲料用ボトルだと言います。2016年にレジ袋を禁止した米国カリフォルニア州ではレジ袋無料を復活させたといった情報もあります。

更にレジ袋などを製造している会社に言わせると、ポリエチレンはダイオキシンなどの有害物質は発生しないし、ポリエチレンは石油をガソリンや重油に精製する際に生じる余りものであって、たとえポリ袋に加工しなくても結局は廃棄せざるを得ないものなのだそうです。要は、買い物に使ったポリ袋を、ごみ袋に浸かったり…ときちんと廃棄する人は良いものの、道端や海岸などに投げ捨てる輩が海洋汚染の原因を作っているのだという事で、私たちが聞いている環境キャンペーンは、実態とは多少のずれがあるようです。

ただ、時代は「脱石油」を目指そうとしています(多分)。石油を使う中で、嫌でも生じる資源の再利用云々でなく、石油そのものから卒業しようとしているのが、今の世界の方向ではないでしょうか。ペットボトルの有効利用とか、レジ袋有料化とか…そういう事ではなく、石油そのものに依存しない「未来」が模索されるべきなのだろうと思います。

発信の仕方

2020年08月13日 | 社会派らぼ
橋下徹元大阪府知事が、ジャーナリストの岩上安身氏のリツイートに対して起こした名誉棄損裁判に、大阪地裁が橋下氏の請求を認め、更に大阪高裁は岩上氏の控訴を棄却しました。元々、岩上氏は橋下氏の言動に批判的なツイートをしていましたが、第三者のツイートを一度だけリツイートしました。この1度のリツイートに対し、橋下氏が「パワハラをする人物だという印象を広く拡散された」と訴えたものです。

世間の論点は、「リツイートボタンを押す」という行為は、単に他人のつぶやきをシェアしているのに過ぎず、民事上の責任を問われる表現行為なのか…というところで、意味もなく「いいね!」を押すような感覚からすれば、そこまでの行為なのかというところでしょうか。が、ネット上に発信する…という事は、そういう事だと、この際皆がキチンと考えなおすべきかもしれません。

この頃、ネット上はありとあらゆる「悪口のたまり場」のようにすらなっています。一つ一つの事に対し、きちんとその是非を考え、意見を公表する…事は、悪いことでは無いと考えます。ただ、一個人の言動に関し、ネットという場で、辛辣な言葉を並べてあげつらう…という事は、私はすべきでないと考えています。

芸能ネタ…は、昔から無責任に、芸能人のゴシップニュースを流すものと定まってはいましたが、現代はそれに一般市民が加わっているという印象です。人を執拗に追い詰める行為を、さした覚悟も無く、その場でノリで簡単に書いてしまう…というのが、現状のネットですが、そんなに希薄な言葉の使い方をするものでは無いと思っています。火のないところに煙は立ちません。報じられている事は事実なのでしょうけれど、それを関わり合いの無い他人があれやこれや言う必要はありません。

SNS上では「コロナ自警団」とも呼ばれる投稿が、しばしば物議をかもします。自粛に従わない人や、休業しない店舗などを責め、それを言葉や行動に表す事を指しています。こうした書き込みが始末におえないのは、「自分は正しい事をしている」という間違った正義感です。

概ね正しい批判であっても、言うべき場所と、言うべき立場、使うべき言葉と、示すべき責任の所在。すべてが整っているものに対し、初めて人は耳を傾けるべきです。