ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

誘惑

2014年05月30日 | 社会派らぼ
アルツハイマー病研究のための国家プロジェクトにおいて、データが改ざんされたのではないかという疑惑が起きています。被験者データが書き換えられていたというものです。更に、関係者に口止めを依頼するメールが送られていたとも報じられています。

先日来、週刊誌の格好のネタになってしまった、例のSTAP細胞の論文でも、画像に意図的な変更を加えられていた…といったことが発端でした。熱しやすく冷めやすいマスコミはあまり追いかけなくなったようですが、あまりにも素早い理研の発表に、問題を長引かせたくない理研の意図が絡んでいるような気がしたのは私だけでしょうか。

本来、研究におけるデータ改ざんというのは、あってはならないものです。私たちは研究が完成した後から、つまり結論が出てからその過程を振り返って解説などを受けますから、理路整然とものが見えるのですが、研究の過程では結論がどこにあるのか分からぬままに進みます。仮定した結論を証明するために期待するような実験データが揃えば問題はありませんが、実際はそうは簡単にいきません。それが単なる誤差なのか、あるいは仮定が誤っているために合わないのか、それすら分からないのです。外堀を一つずつ埋めて、肝心の内堀に到達するまでに、多くの研究者が挫折し、未完のままの研究は埃をかぶってしまったりもします。

それでも、データは改ざんしてはならない…のですが、どうも最近は、安直に結果を求める風潮があるのかも知れません。教育の現場では、結論ありきの授業が繰り広げられて、子どもは成長します。絶対の尺度は最初から与えられていて、その結論からはみ出すことは許されません。仕方がないから結論にものを合わせていこうとしてしまうのは、私たちが思うよりも身近な誘惑なのかも知れません。



数値を入れているのに、どうして「標準」なのですか?

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特殊詐欺

2014年05月29日 | 社会派らぼ
国民生活センターが、また詐欺の新手の手口を紹介して、注意を呼びかけています。ロト6などの宝くじの当選番号を教えてもらうのと引き換えに、高額な情報料や預託金を支払ったものの、業者との連絡が取れなくなったといった相談が、最近急増しているのだそうです。この手の詐欺は、次々と手口が変遷し、その度に呼称なども様々に工夫して注意を呼びかけるも、未だにこのように新手が出てきて、相変わらず「被害」を被る人たちは後を絶ちません。

当初は、おそらく「振り込み詐欺」といった風に呼ばれていたようですが、途中であくまで自分の意志で振り込むのではなく、他者から騙されて「振り込め」と言われているのだと、「振り込め詐欺」と改称されました。他にも、子どもに成りすまして「俺だけど…」と電話をかけて騙す手口から「オレオレ詐欺」とも呼ばれ、突飛な名称が詐欺の手口を広く浸透させる効果もあって、かなり愛用(?)されました。

手口が次々に変わるため、実態と名称が合わなくなること再三で、一時は名称を公募したこともあります。「母さん助けて詐欺」だとか、「ニセ電話詐欺」「親心利用詐欺」などの名称が優秀作品として選出されましたが、結局のところは「特殊詐欺」と大きくくくった中に、様々の手口の犯罪が発生しているということになります。名称は、あくまで世の中に警告を発するために、その手口を紹介しながら注意喚起をするためのものです。

それにしても、次から次へと手口を考える詐欺師たちも(もちろん同一の人物がやっているわけではなく、犯人グループも実に裾野が広いようです)いい加減エネルギッシュですが、相変わらず騙される人が後を絶たないのも気になるところです。これだけ報道されており、「自分だけは騙されない」と思っていたりするのに、イザとなるとコロリと騙されてしまうわけです。手口だけを学習して、コレには騙されないぞ…という心構えでなく、世の中にそんなウマイ(甘い?)話がそうそうあるわけではない…という心構えが大切なのでしょうねぇ。



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言葉に込めるもの

2014年05月28日 | 命の生き方
大相撲夏場所で、モンゴル出身の白鵬関が、29回目の優勝を果たしました。お相撲も例にもれず、さして詳しくはありませんが、朝青龍関が何かと物議を醸した際に、対照的で大人な横綱として報じられることが多かったようで、温厚で誠実なお人柄のように見受けます。

今、さかんに問題になっているのが、この白鵬関が、優勝から一夜明けた時点でのインタビューを拒否したというニュースです。優勝決定のインタビューには応じたものの、当日の囲み取材も一夜明け会見も拒否ということらしいです。ご本人は黙して語らずのようで、その理由に様々な憶測が飛んでいます。

今専ら理由として挙げられているのは、「外国人力士が多くなり過ぎて(現在、横綱3人が全員モンゴル出身です。)、相撲を見る人が少なくなってしまった」というスポーツキャスターの発言です。「蒙古襲来」といった言葉を使って、モンゴル人力士やその他外国人力士に否定的な発言をしていたというものです。

ご本人が説明をされない以上、すべてが憶測に過ぎません。し、おそらく白鵬関はその理由を近々話すことは無いのではないかと想像します。何かしらへの「無言の抗議」だとしたら、それが一番効果的な抗議方法に違いないからです。

今回の憶測が仮に真実だとして…、今や角界は外国人力士抜きにしては成り立ちません。特にモンゴル出身の力士たちで持っていると言っても、過言ではありません。ただしそれは、彼らが貪欲に押し寄せたのではなく、日本の相撲界が望んで招いた事態です。それなしには、とうに相撲は廃れてしまっていたかも知れないのですから、いわば角界にとっては救世主とも言うべき力士たちです。それでも、ここは日本の国で、日本人力士とモンゴル人力士が優勝を争うとなると、日本人力士の方に肩入れをしてしまう客たちがいます。日本人力士への声援は、露骨にモンゴル勢を排除するような雰囲気がそこにあったのかもしれません。

日本が「礼」を重んじる国家であったことは間違いありませんし、今もその伝統はこの国に生きていると信じたいと思っています。それでも、随所で無責任に発する言葉は、ともすれば攻撃的で初めから人を傷つける刃をそこに含ませて語られている場合も少なくはありません。今回の相撲を巡る言動に限ってでなく、あらゆる場面で、ショッキングな攻撃的な言葉を敢えて使おうとする人は多くいます。国会中継なども、品の無い野次はなかなか無くなりません。言葉に込めるものは「刃」であってはならないこと、そこに込める想いは、偏りのない理性でなくてはならないこと…を、メディアの取材陣や解説者だけに限らず、私たちももう一度思い返しておきたいと思います。


クリップアートはどこ?

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アクティベーション

2014年05月27日 | 社会派らぼ
広島県の中学校で使っていた生徒用パソコンのうちに、ソフトが違法コピーされていたものが3台あったと報じられています。著作権保護団体などから、認証したソフトの本数より、使用数が多いのではという指摘があって発覚したようです。賠償金として、ソフトの定価の約1.5倍の金額が請求され、町教委が支払う運びと言います。

ソフトは違法コピーを防止するために、認証作業が必要になっています。その昔は、プロダクトID番号を入力するといった方法だけで、購入者本人にしかインストールができないようになっていましたが、不正コピーが後を絶たず、最近は正規使用のためにはアクティベーション作業が必要になっているソフトが殆どです。アクティベーションの際に、ソフトのプロダクトIDと端末が照合され、確実に違法コピーを防ぐ仕組みとなっています。正規に購入したソフトであっても、アクティベーションを行わないまま使用していると、警告メッセージが表示され、使用が既定回数に達すると、制限モードに入るといった仕掛けになっています。

ただ制限モードに入るまでは正常に使うことができるため、今回の中学校もそのまま不正使用を続けていたようです。教育現場にはあってはならない…と、私は考えます。パソコンのそうした常識を知らない方々も多くおられます。反面、アクティベーションの裏をかくような不正使用も無くはありません。不正使用を、さも得意気に吹聴される方も、時におられます(苦笑)。やんわりと、「それは、私は泥棒していると得意気に話しているのと同じなんですよ。」と諌めることもあります。

教育現場で「知らなかった」は許されるものではありません。また、誤って…という説明は、あまりにも苦しすぎます。アクティベーションを取っていなければ、使う時に警告メッセージが出ていたと思われますから、その状態で生徒に使わせるのはよくありません。

パソコンの資格試験を実施する会場に出向いたら、会場のマシンのソフトが認証を取っていなくて、警告メッセージが出ていた…という笑えない話まであったりします。受験者が、会場側に確認すると、「合否には影響しません」という答えが返ってきた…とか。不正使用をする目的はただ一つ。あまりにもソフト導入にお金がかかり過ぎるから、節約をするということなのですが、教育現場ではしてはならない節約です。



時間の処理

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面白い

2014年05月26日 | 命の生き方
AKBのメンバーが握手会で切りつけられ、病院に搬送されたというニュース。現行犯逮捕された犯人の動機などについて詳しいことは、まだ報道されていません。一方で、スタバに爆竹を投げ込んで、その様子を動画投稿したという2人は、「面白いと思った」「有名になりたかった」と供述していると言います。自分たちの愚行をネットに投稿して喜ぶ、性質の悪い遊びが流行りました。中にはそれで潰れた店があったり、人生を踏み誤った投稿者が出たり…で、少しお遊びも下火になったかなの頃でした。

彼らの言う「面白い」は一体、何でしょうか。「面白い」の対語が、もしかすると「つまらない」で、日々のつまらなさからどうすれば抜け出られるのか?を求めているに過ぎないように思えてきます。「つまらない」日常というのは、変化も刺激も無く、思い切り笑うことも、思い切り怒ることもない日々のことで、何かしら刺激を求めているということなのでしょう。

ただ、ほんとうに「面白い」ことというのは、単に「つまらなくない」ことではありません。本当に心躍ること…というのは、自分自身が本気になった時に出会えるものであって、本気になった時にしか出会えないものであって、ただどこからか降ってくるものではありません。そういうことを、知らない人が多過ぎる…というか、そういうことを経験したことがない人が多すぎる。学校生活を送る大半の若者が、ただ毎日を定められたとおりに学び、定められたとおりにこなしているに過ぎないような気がします。

私が出会った多くの人は、「学ぶことがこんなに面白いということを、初めて知った」といった感想をもらされました。「面白い」というのは、真剣に何かに向かい合って、なりふり構わぬくらいに必死になって取り組んだ先にしか、味わえないもののはずなのです。




画像の上と左に線が出る

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学校での教え方

2014年05月25日 | 社会派らぼ
小学校3年生の算数の試験問題が話題になっています。

割り算の答えを求めるのではなく、割り算の答えを求めるのに何の段の九九を使うか?という設問です。「21÷7」の計算には、何の段の九九を使うか? 答えは「7の段」。七一が七、七二14 七三21 …と7の段の九九を言っていけば、「七三21」が見つかるからですが、話題はここから。ある子供がこの設問に、既に割り算の計算をしてしまって、答は「3」だから、「3の段」を言っていけば良いのだと答えたところ、これは×になったというところが話題になっています。

掛け算の場合は、掛ける順序を入れ替えても答えは同じ…ですから「七三21」であると同時に「三七21」なのです。何より、先生からの説明は一切無く、間違っているからやり直し…と言われただけというのが、疑問の根底にあるようです。確かに「21÷7」の割り算の答えを「求める際」には、まだ答え「3」が求まってはいない…という前提です。ですから、「3の段」だと答えては間違いなのですが、割り算の仕組みを理解しているか否かということになれば、この子は割り算を完全に理解しているようです。

おそらくは、結果を短絡する風潮の中で、考えさせる問題を…というのが、問題の意図だったかも知れません。「21÷7」と書いてあれば、問題もろくに読まずに「3」と答えが出せるようにしているのが、今の教育です。理解力を求めるのではなく、短絡した回路を頭の中に作らせる…といった教育法が幅を利かせています。そうではなく、「問題をよく読みなさい」というのが、今回の出題の意図でしょうか。

但し、設問として良い問題だとは思えません。「『空』という漢字を書きなさい」という設問に、「空」と書かせているような感じがするからです。大切なのは、割り算をしようとすると、それは掛け算の裏返しであるということを子供たちに理解させること。そして、例えば上のような問題を出したとしたら、これはどう考えるべきなのか?ということを、教師が子供たちに説明すること。なのだと思います。

小中学生の頃にどういう先生に出会うかで、その子の人生が左右されることがあります。特に、教科の得手不得手、好き嫌いは担当教師の影響・大です。自分が割り算が解ければ、割り算を教えることができると考えるのは安直です。大人にとっては当たり前の事ほど、説明をするのは難しいものです。学校の先生になろうとする人たちが学ぶべきもの…、あるいは学校の先生になった人たちが受けるべき研修…が、見直されるべきなのでしょうか。


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昨日の記事が、何度アップし直しても、途中で切れてしまいました。
やっと修復できました。ご迷惑をおかけしました。


メールをいつも複数人に送るとき、アドレスを簡単に選びたい

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ぐんまちゃん

2014年05月24日 | 社会派らぼ
「ゆるキャラ」というのは、公称イラストレーターのみうらじゅん氏が提唱した言葉だそうです。郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること。立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること。愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせていること。この3条件を満たすものが「ゆるキャラ」なんだそうで、全国に何体くらいあるのでしょうか。1000体? もしかするともっとかもしれませんね。ひこにゃん以降、PRの第1手としてのゆるキャラ信仰は一向に勢いが衰えません。

第3回、4回のゆるキャラグランプリで、連続3位を獲得したのが、群馬県の「ぐんまちゃん」。ポニーをモチーフとする可愛らしいキャラです。この「ぐんまちゃん」に成りすましたツイッターが約1年半も続いていたことが分かったそうです。ゆるキャラがツイッターのアカウントを持っていることは別段珍しいわけではなく、あの有名な(!)くまモンは30万人以上のフォロワーを持っていると言います。ツイッターには、本人認証のシステムがあって、著名な人のアカウントはスタッフが連絡を取って本人かどうかの判断をしたうえで、本人と認める認証マークがつけられますが、ちなみにくまモンはこの認証マークが表示されています。

ぐんまちゃんは、出演するイベントなどに合わせてつぶやき、たくさんの人たちとメッセージをやり取りしていたと言います。が、本物ではないと見破って「なりすましに注意」などの投稿があってから、「ぐんまちゃんは公式ツイッターをやっていません」などの注意が呼び掛けられました。その後もツイッターは続いたようですが、群馬県の注意喚起によって「もうツイートしないようにします」のツイートを最後にストップしました。

見る限り「偽」ぐんまちゃんには悪意があるようには見えません。他人の中傷や品位に欠けるツイートも無かったと言います。ご本人は無償のボランティア的な感覚で、群馬の良さを発信しておられたかも知れません。それでも、Twitterでは「なりすまし」はルールで禁止されています。混同や誤解を招くような場合はアカウントを永久凍結することがある…としています。今回のケースは、なりすましと判断されてしまうかと思われます。

それにしても、「偽」ぐんまちゃんと繋がっておられた方々は、そこに何を求めておられたのでしょうか。Web上だけで成立する人間関係を私は否定しません。ですが、Web上の繋がりは、あくまでリアルな繋がりを補完するものでありたいと思ってもいます。考え方が古いのかも知れませんが、信頼関係はリアルな世界でこそ築くべきだと思うのです。人間とは、そういうものだと、思っていたりします。



Picture Managerはどこに?

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正しい自己評価

2014年05月23日 | ぱそこん道
パソコンが、世の中に普及し出してどのくらい経ったでしょうか。当初は特別な技能だったかもしれませんが、今では「できて当たり前」な世の中になってしまいました。…とは言え、その人が求められるパソコンの力の度合いは、環境によって全く異なります。仕事の合理的な処理のために、どんどん新しいシステムを構築していかなければならない方がおられる反面、取り敢えず定まったことを定まったようにこなせれば十分という場合もあります。パソコンというのは、あくまで「道具」ですから、必要なことをやり切る技量さえ備わっていれば、それで十分です。誰しもが、ピカイチの腕を持つ必要などありはしません。

ただ、パソコンの世界に携わっている者として、「自分の力を知っている」必要はあるような気がするのです。何につけ、私たちは「自分の力」を過不足なく自己評価することがなかなか難しいのですが、パソコンの世界では特に顕著であったりします。それは…上述しているように、自分のやりたいことさえ用が足りていればそれで良いので、客観的に力を計る物差しのようなものがないせいでしょうか。少なくとも、私たちの義務教育時代、パソコンの教科はありませんでした。自分の力を、客観的に評価された経験を私たちは持たないのです。

それで別段構わないのですが、パソコンの更なる力を習得したいと思っておられる場合に、自分の力を客観的に見つめることができないと、大変苦労される場合があります。自分が今つまづいていることの理由が分からない…のです。そこには「できるはずの自分」しか居なくて、欠けているものが何であってどうして乗り越えれば良いのかが分からない。残念ながら、私には「あなたの力はコレコレです」という立場にありません。それでも、時々禁を破って(笑)、パソコンの力量のアップのためには…と話すことはあります。悲しいかな、「いえ、そうではなくて…」と、ご本人に完全に否定されてしまったりもします。難しいです。

まずは正しい自己評価ができること。自信は無くても困りますし、あり過ぎても困ります。自分の力を知りたい場合、自分独自の尺度で測っては何もなりません。客観的な評価を受け容れて、自分に足りないものをきちんと磨くことが何よりの近道なのですが、今現在は学校教育も含めて、きちんとした基準がありません。早急にそのような目安が設けられることが必要ではないでしょうか。



図形枠内の文字が消える

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話す

2014年05月22日 | 命の生き方
「しゃべる」ことは簡単ですが、「話す」ことは難しい。井戸端会議と称されるような、無責任で脈略のない世間話や人のうわさ話に興じることには抵抗の無い人も、多人数の前で意見を求められると、物おじをしてしまう… よくある話です。が、「きちんと話す」、もしくは「きちんと話せる」ということはトテモ大切なことです。

「話す」には、まず物事を理解していなければなりません。理解したうえで、明確な考えがなければなりません。更にはその考え方を他人が理解できるように、順序立てて説明をしなければなりません。他人に理解してもらうには、まず「話を聞く気持ち」に相手がならなければなりませんし、「わかりやすい順序」で、「わかる言葉」で話さなければなりません。言っていることに明快な筋が通っていないと、聞いている側は混乱しますし、反発もします。感情の赴くままに、唯一自分の立場だけに立って、好き勝手な発言が許される「井戸端会議」とは根本的に違っているわけです。

他人に自分の意見を理解させようとして、人はよく「強弁」します。無理な理屈をつけてでも、自分の意見を言い張る事、でしょうか。時に言葉を荒げ、相手の発言を封じてでも、自分の意見だけをただ押し通すような強弁者もよく見かけます。時に激高するのは、そのような威圧でしか相手を説き伏せる道筋が無いことを、内心(無意識かもしれませんが)知っているからのような気がします。「小児病」という言葉を提唱する方がおられます。子供は、狭い視野でしかモノを考えることができませんから、自分の感情のみが絶対で、自分の主張にゆるぎない確信を持っています。そこで、他人の言うことには耳すら傾けず、ただ言いたいことだけを声高に主張し、時に脅したり泣いたり…と激しさを見せます。いずれ、幅広い知識やものの見方を吸収することで、卒業していくものなのですが、大人になっても子供と変わらない強弁をふるう人がいて、「小児病」と名付けたようです。強弁には、そんな側面があるように思います。

分かってもらおうとすると、人はまた「雄弁」にもなります。説得力を持って「巧く」話すというイメージが強くなります。よどみなく話す、話術も心得ていて、ある程度人を逸らさないところはありますが、必ずしも理に叶った主張ばかりではなく、独りよがりの主張も混じっていたりします。ですから、勢いに呑まれて理性的な判断を失わないように聞きたいと思います。効果的に、インパクトの強い言葉をちりばめることも自在ですから、ツイ最後には高価な布団を買わされる場合があります(笑)。

私は、強弁も雄弁も好きではありません。「話す」以前に、話し手はまず相手から信頼されていなければなりません。そうでなければ、人は耳を傾けてはくれないのです。そして耳を傾けたところで、心底受け容れようとはしないものです。以前良く「3か月」といった長さの講習を担当しました。大切なのは最初の1か月で、その間に「こちらを信じて」いただかなければ、以降の2か月は実りの浅いものになってしまいます。最初の1か月の殆どすべてを「私を信頼していただく作業」に充てることが常でした。

その信頼の上に、理路整然と説得力のある話し方をしなければなりません。三段論法などと言われる話の進め方は、物理的・数学的に理路整然としてはいますが、それだけでは説得力はありません。物理的・数学的に正しいことは必須ではありますが、それ以上に、受け容れてもらう生活感覚に基づいた知恵のようなものが必須です。自分の頭の中で理路整然としているだけでは、人を説得する力が無いのです。

強弁でもなく、雄弁でもない、もっとしなやかな「話し方」を身につけておきたいと思います。


ダウンロードした画像を挿入すると細長すぎる

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ニュースの本質

2014年05月21日 | 社会派らぼ
CHAGE and ASKA というと、実に幅広い年代にファンを持っています。大ヒットを次々飛ばし、今も根強いファンが多くいます。が、そのASKAが覚せい剤所持で逮捕されました。

これまで何度も週刊誌に報じられ、その都度否定しては来ていましたが、大半の人がうすうすは感じていたことで、ニュースは彼が覚せい剤を使っていたということよりも、当局が逮捕に踏み切ったことへの驚きの方が大きいようです。現在の薬物使用量は、依存者の中で言っても末期的なレベルと報じられています。報道等から司法の手が伸びてくることは十二分に分かっていたはずでしょうから、それでも絶つことができないほどの依存レベルにあったことがわかります。

薬物中毒の報道はよくありますが、その病的な症状の中にどれほどの理性が残っているものなのか、想像がつきません。が、おそらくある程度を超すと、本人の力だけで、抜け出すことは無理に違いありません。彼をめぐっては覚せい剤のうわさが常に飛び交っていましたから、近しい人たちには分かっていたはずです。周りが「変わった様子はなかった」」「気づかなかった」というのには無理があるような気がします。疑惑を否定することが本人を庇うことになる…と信じて疑わなかった方々には申し訳ないのですが、真に本人を救おうとする人が周りには居なかったということになります。所詮は、孤独な人だったのでしょう。

報道は、得々と…実家の父親に、マイクを向けています。有名人の家族がマスコミに追い回されるのは有名料のようなものかも知れません。が、ニュースにそんなものは要らないと思うのは間違ってはいないはずです。所用があってJRで出かけていたのですが、帰りの車中でテレビ局のディレクターと隣になりました。車中でも仕事に忙しそうでしたが、著名な若者の両親への取材の根回しのようでした。良いにつけ悪いにつけ、本人がどのような環境の中で育ってきたか…というのは、多くの人の興味をそそるのかもしれませんが、ニュースの本質には関係がありません。要らぬ取材は止められないものでしょうか。




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