ぱそらぼ (ぱぁと1)

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育休

2019年05月29日 | 社会派らぼ
自民党有志議員が「男性の育児休暇取得の義務化」を目指す議員連盟を発足させるべく、準備を進めているそうです。男性の育児休暇取得率は、わずかずつ増加しているとは言え、女性の90%近い数字に比べると、5%程度の数字しか報告されていないようです。それも国家公務員の取得率が上がったためのようで、地方公務員や民間企業の数値は3%を切っているというのが現状のようです。その一方で男性新入社員を対象にした調査ではおよそ8割が「取得したい」と答えているといったデータもあります。「取得しにくい雰囲気」や「業務が多忙」のため取れないといった実情を踏まえ、社会の意識改革が必要だとして、冒頭の動きになったようです。

こうした動きに先立って、三菱UFJ銀行では、5月から2歳未満の子どもがいる全行員対象に、約1か月の育休を実質的に義務化したそうです。同行ではこれまで、最大10日間の育休取得を促してきており、取得率自体は8割を超えているものの、実質は平均すると2日間程度だったので、5月の義務化に踏み切ったと言います。

そうした制度を望んでいるにも関わらず、周囲に気兼ねして休暇が取りにくい…という向きには大変ありがたい話だと思われます。その一方で、仕事に多くの時間を充てたいと考えている人達には、義務化といわれると、有難くない話になってしまいます。子育ての過程は、人によってすべて異なっており、手のかかる時期や手のかかり方は千差万別です。1か月の休暇を義務化する…といった形ではなく、休暇が必要な時に、臨機応変にとれる制度が有難いのではないかと思うものです。

仕事の内容によっても、休暇の取り方には大きな違いが生じます。仕事を、自分なりにプロデュースできる立場にいる人と、頭数が揃わないと仕事にならないといった種類の仕事に従事する人とでは、休暇の取り方も異なってきます。現場で仕事を進める立場にいる人たちの意識が変わることは必要ですが、家庭の基本は夫婦にあります。半数を占める女性が議論の場にいない状態で、制度だけを作っても、それは違うのではないだろうかとも思ってしまいます。

実際に「わが子」という形で育児に直面したそれぞれの家庭のニーズに応えられる柔軟性を、どのようにして実現するか…に多くの議論が費やされないと、単なる意識改革のための義務化では、実りが期待できないのではないでしょうか。

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デフォルトのフォントを変更する その2

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世論

2019年05月28日 | 社会派らぼ
早朝の川崎市で、登校中の小学生が刃物を持った男に襲われ、6年の女児と男性が死亡、16人が重軽傷負いました。現場は私立小学校のスクールバスの乗降場所に近く、同小に通う児童たちが襲われたようです。犯人とみられる男性は、自分の首を切りつけて搬送先の病院で死亡が確認されました。嫌でも20年近く前の附属池田小事件や10年も前の秋葉原通り魔事件を思い出させます。未だニュースにも名前が出ていません。日本の警察力は優秀ですから、実名や動機などが報道されるのもいずれ時間の問題でしょうか。

現時点で判明しているのは、事件のほんの一面でしか無いのですが、ネット上は騒然としています。人の言葉は、誰かと相対して交わす場合は、ある程度の節度が保たれますが、ネット上では平気で節度を超えるというのが現実です。もちろんネット世論には、それなりの真実が隠れており、正論であったりもします。「死にたいなら自分だけで死ぬべき」「迷惑をかけずに死ね」といった強い論調も多く、これらに対して、こうした強い表現は控えるよう呼びかけてる方がいます。曰く「次の凶行を生まない」ために。

こうした無差別殺傷事件は「社会に対する恨み」がその根底にある場合が多く、こうしたネット上の表現を見ている人たちの中に、自らの不遇を嘆き社会を恨んでいる者はまだたくさんいるのではないかというのが、その言のようです。こうした恨みを募らせている者たちは、「死にたいなら自分だけで死ね」などという言葉を聞くと、それが不遇な自分にかけられている言葉のように受け取り、結局社会は手を差し伸べてくれるわけでは無いと思い至ることを避けたいというのが主旨のようです。社会はこうした屈折した思いを抱いている人にも、寛容に手を差し伸べてくれるのだというメッセージを送るべきだという事でしょうか。

少し、論点が異なっているのではないかという思いは否めません。が、無節操で過激なネット上の発言が正しいとも思いません。顔が見えているところでは人は無節操にはなりにくいものです。一定の自己抑制が働きます。それは自分がどこの誰か素性が分かっているためで、変な人間だと思われたくない…といった自己防衛本能でしょうか。ネットでの発言はその本名、顔、所属など社会的な背景が一切隠されています。どこの誰かと特定されるわけでは無い場所では、自らの品位を下げることが平気なのでしょうけれど、そうした風潮は早く一掃されるべきだと言う点で、ネット上の発言には留意していただきたいと思います。

現代は「個」の時代で、昔のような「家」という認識もいつしか廃れ、「会社」など所属母体への忠誠も流行らなくなりました。あくまで「自分」という1単位が物事の中心であり、ここに至るまでの意識改革は並大抵のものではなかったようには思います。私たちはそういう「自由」な社会を生きています。但し、人間という存在を一つの「種」だと捉えてみると、本当の目的は「個」ではないような気がします。白昼堂々と刃を振り上げる行為は、「種」を保存しようとする本能に逆らうものであり、私たちの感性はキットそれを奥底で拒絶しているはずです。言葉を荒げずに、ダメなものはダメだとキチンと誠実に述べることが必要です。

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モノ

2019年05月19日 | 命の生き方
少し前、旧いCD-Rは読めないのだろうか?という相談を持ち賭けられたことがあります。旧いという理由で読めないとは思えませんと答えたのですが、結局そのCD-Rのファイルは読み込むことができませんでした。経年劣化でしょうか。

ヒトとモノは根本的に違っている…と思ってはいますが、ある意味ではヒトもモノの一つでしかありません。そういう意味で、経年劣化を避ける事はできません。大切に扱う事で、モノはその天寿を全うさせることに近づけるかも知れませんが、時を閉じ込めることはできません。モノは壊れる定めを負うものです。

以前は病を公表しない公人の方が多かったのですが、最近はカミングアウトする方が増えています。「負けません」と決意を語り、強い意志で復活を期す方が増えて来ました。口に出すことで、折れそうになる心を支えているのだと思います。頑張っている人が居ると思うだけで、多くの人の励みになっていると思います。

ただ、病を得て積極的な治療を断る決断をした知人が複数人います。それも雄々しい生き方のように私は思います。西洋医学は、ヒトの体の仕組みを知り、それをモノとして修繕する術を様々に発展させました。が、本当に大切なのはモノとしてのヒトではなく、ヒトとしてのイノチなのではないだろうか…と思います。

ユーチューバー

2019年05月18日 | 社会派らぼ
大谷大学教育学部がネットで実施した「幼児教育・小学校教育に関する保護者の意識調査」によると、子どもが将来就きたいと思っている職業の1位は「ケーキ屋・パン屋」、2位が「ユーチューバー」という結果でした。以下、警察官、プロサッカー選手と続きます。小学4年生から6年生の男子に限ると「ユーチューバー」が1位で20%、5人に1人がユーチューバーになりたいと思っているという結果だったようです。勿論、子どもに将来どんな職業に就いて欲しいかという親に対する希望調査では、1位が「公務員」、2位に「会社員」、3位が「医師」とオーソドックスな(無難な?)回答のようです。

ユーチューバーが、子ども達の憧れの職業のようなのですが、ユーチューバーというのは仕事なのだろうかという素朴な疑問が抜けきれません。制作した動画をユーチューブ上で公開しているのがHIKAKIN氏などをはじめとするユーチューバーですが、ユーチューブの動画再生で得る広告収入で生計を立てているわけです。総再生回数が10,000回以上でないと「You Tube パートナープログラム」への参加が認められない上に、過去12か月間の総再生時間が4,000時間以上、チャンネル登録者が1,000人以上など条件が強化されていますが、年収数億~十数億円に達する人も居るとか。

どんな世界でも、成功して功なり名とげるのはほんの一握りで、殆どがアルバイトや他の仕事で収入を確保しているのが現実でしょうか。ユーチューバーという仕事が単に認知度が低いだけで、これだけ小学生に人気ということですから、いずれ認知度が高くなって、仕事として誰もが認める職業になるのでしょうか。

多分「ユーチューバー」を目指すというのではなく、アップする動画の内容の方に自分自身のテーマを持っている人が「ユーチューバー」として生き残っていく…ということなのでしょう。HIKAKIN氏は抜きんでた(ヒューマン)ビートボクサーで、世界に認められるボイスパーカッションの腕を持っている事が一番の強みなのだろうと想像できます。ユーチューブなどがない時代であれば、テレビに出演する、舞台で披露するといった形で世に出た人なのでしょう。

思い付きのネタで行き当たりばったり…で、アップ動画を作るだけであれば、それを仕事とは呼ばないような気がします。不登校の10歳の少年がユーチューバーとしてもてはやされているようですが、学校に通わない10歳が世の中に提供できる主張など、やはりすぐに底が尽きるのではないだろうかと、老婆心ながら心配になります。

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ピボットテーブルが普通の表になってしまった

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常識

2019年05月16日 | 社会派らぼ
「常識」というのは、時に否定的に使われます。「常識にとらわれ過ぎる」といった形容詞は、誉め言葉として使われているのではなく、「融通の利かない度量の狭い人間」といったニュアンスを表現しています。では、常識などに縛られることなく、自分独自の感性にのみしたがって行動することが良いのか?というと、キットそれも違います。社会一般の通念上、最低限の心遣い…というモノはやはり誰もが守らなければ、社会の秩序が成り立ちません。その上で、常識にとらわれない自由な発想で、物事を別の局面から眺めることができるのが大切なのでしょうか。

これが世の中の常識で当たり前だ…と思っている事があります。それはキット紛れもなく「当たり前」で、誰一人疑う事はしないのだけれど、ひょいと違う視点から物事を眺めてみた時、それまで当たり前だと思っていたことが、不思議と全く別の見え方をすることがあります。どうして今までこれに気づかなかったんだろう? どうしても誰も異論をはさまなかっただろう?と不思議に思うのですが、それらが「当たり前」でしかなかった時には誰も気づかない…といった事が、ごくごく普通にあり得るような気がしています。

スイスの製薬会社が開発したがん治療薬「キムリア」の保険適用が了承されました。この薬は、1回の投与で済むのだそうですが、1回の価格が3,349万円と言われます。キムリアは白血病などの血液がんを治療する薬ですが、3,349万円という途方もない金額が保険適用になると1割~3割負担で済むわけです。仮に1割だとしても335万円という高額ですが、これに1か月あたりの自己負担の上限を定める高額療養費制度があります。結局、キムリアは40万円程度の負担で済むという事になるようです。ではその差額のおよそ3,300万円はどこから補われるのかと言うと、これらは税金と社会保険料で賄われることになるわけでしょうか。

こうした報道を、日常的に聞いているので、そうだ…と言われればそうなのでしょう。けれど、この途方もない金額は薬の値段として当たり前なのでしょうか。薬の開発には途方もない時間と金銭がかかります。薬価の引き下げは、患者には有難い話ですが、製薬会社の開発意欲をそぐことに繋がりかねません。かと言って、高い保険料を国が補填し続けることが、可能なのでしょうか。

薬の開発に高額のお金がかかることは分かりますが、こうも立て続けに高額の薬価を聞かされていると、それって「当たり前」の金額を超えている…という声を出すことがはばかられてしまうのですが、キット当たり前の金額ではないですよね。現行の仕組みの中で理解することには無理が生じている気がします。日本の「国民皆保険」という素晴らしい制度を維持し、薬品会社の正当な利益を保障し、患者負担が可能な範囲の中に収められる、何とか理解できる仕組みに変えなければならないのではないでしょうか。

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編集記号が消えない

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裁判員制度

2019年05月15日 | 社会派らぼ
「裁判員制度10周年」のポスターを見かけることがあります。裁判員制度は平成21年に始まったので、ちょうど10年経過したところです。ポスターは大きく「10th」と書かれていますが、その「0」が円グラフになっていて、裁判員を経験した人の実感として「非常によい」57.3%、「よい」38.4%。合わせると95.7%という高率を示しています。

一方で、裁判員の候補者に選ばれながら辞退する人の割合は、増え続けていると言います。当初53%だった辞退率は、24年には61%、30年に67%になったそうですが、30年にやっと低下傾向が改善したとされています。要するに半数以上は辞退を申し出て、辞退が認められているということになります。加えて、辞退を認められた人以外は選任手続きへ出席しなければならないのですが、無断で欠席する人は3割を超えると言います。22年には80%だった手続きへの出席率が、29年には64%にまで下がっています。

こうした数値を見せられると、冒頭のやってみて「よかった」という%が、まゆつば物ではなかろうかと疑ってしまいます。冒頭のポスターは「最高裁判所」名で出されていますが、札幌地裁でも同様のポスターを作成しており、こちらも「経験者の9割以上が『良い経験』だったと感じている」とされています。が、ある情報によると、終わった直後に書かせるもので大抵の人が「良かった」に◯をするようです。死体を見てPTSDを発症し損害賠償請求を起こした人も、直後は「良かった」に◯をしていたとも。

個人的にはこの制度には否定的です。そもそも、法律の専門家が出す結論を国民に理解しやすくする必要はあるのでしょうか。素人がよってたかって結論を出すことができるのであれば、法律の専門家など要らないのではないでしょうか。やむを得ない理由がある人以外は、呼び出し状に従わないといけないとされているのですが、仕事に穴を開けさせるほどの理由が理解できません。それなら、1年前から予定に組み入れることができるように、招へいすべきではないでしょうか。

裁判員制度は、従来の法律の専門家(検察官、弁護士、裁判官)が出す結論が、専門的な正確さを重視するあまり、国民にとっては理解しにくいものであったりしたので、国民の司法参加を促すもの…とされています。ある意味で、国民目線を目指すものと言えるのかも知れません。それなら…、この制度そのものをもっと国民目線で議論すべきなのではないでしょうか。

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システムが破損していると言われた

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知徳

2019年05月06日 | 社会派らぼ
茨城県で中3女子生徒が自殺したと報じられています。女子生徒は卓球部に入っており、卓球部の男性顧問が「ばか野郎」「殺すぞ」などの暴言を吐いたり、道具を床に投げつけたりしていた…と言います。自殺した女子生徒は、顧問の言動を書き記したメモを残していたと言われています。

教育長は「行き過ぎた指導で、限りなく体罰に近い」と言っているようですが、そもそもこれは「指導」とは思えません。「行き過ぎた」とか、「不適切な」とかの修飾語をつけても、あくまで「指導」は「指導」であるはずで、この教師がやっていたのは単なる「暴力行為」なのではないでしょうか。この先生の処分がどうなるのか…は、これから立ち上がる第三者委員会が結論を出すのでしょうか。こんな歴然とした事象を「第三者」に頼らなければならない教育委員会もお粗末としか言いようもありません。

日本中に、小学校はおよそ2万校、中学校は1万校。教員数は小学校が42万人、中学校が25万人も必要でしょうか。そんなに人徳者が多くいるわけもありませんが、教師になるハードルが低過ぎるのかもしれません。教員採用試験の内容については知りませんが、一般教養、専門教養を問う筆記試験に加えて、論文や面接などの個人試験を課しているはずです。時に10倍近い倍率をくぐりぬけたはずの先生にしては、質が悪すぎるのではないでしょうか。それこそ、AIがとって代われるのであれば、その方法を探って欲しいと思います。

彼女が何を感じ、何を思ったのか…は、知る由もありません。が、「こんな」教師のために、命を捨てることは馬鹿げていると思います。

一方、「学校は行きたい時に行く」とする少年がユーチューバーとして活動している事も話題になっています。どうやら両親も少年の活動を受け入れているようなのですが、こちらも少し違うのではないかと思います。「ノートに書くだけが勉強じゃない」けれど、ノートに書かねば分からない勉強もあるはずです。要は、彼に「勉強」を教えることができる教師がいなかった…という事でしょうか。

「教育」は大切だと思います。但し、今の学校が子ども達に与えている「教育」は、少し考え直す必要があるような気がします。本来の「学問」は、知徳を高めるものであるはずでは無かったのでしょうか。

AI再考

2019年05月05日 | 雑談
AIは、進化した技術…と私たちは思っています。もしかすると、コンピュータにはあまり縁がない方ほど、「スゴイ技術」で、(難しい事は良く分からないけれど)私たちの生活は飛躍的に便利になる…と期待を抱いておられるのかも知れません。AIは、そんな遠い未来ではなく、既に私たちの生活の済み済みにも入り込んで来ています。一見、万能に見えはしますが、諸刃の剣、使い方を誤ると自分の首を絞めかねない側面を持っていたりもします。

例えば、企業の採用選考にAIを導入するところが出てきています。AIを使えば、選考にかかる時間は格段に短縮されますし、コネも縁故もなく公平に優秀な人材を選考してくれる…のではないかと期待してしまいます。…が、AIが独自の眼をもって履歴書の内容を評価するわけではありません。AIというのは要するに、これまでのデータを「学習」することの上に成り立っているものでしか無いのです。アマゾンがAIを活用した人材採用システムの構築を目指したものの、ほどなく断念したという話もあります。システムが、女性への評価を低く判断してしまうという偏りが生じたというのです。つまり過去に提出された履歴書をAIに学習させたところ、合格者が男性中心だったから…という理由のようです。それなら、それに対して修正を加えれば済むようなものですが、問題は性差だけでなく、あらゆる条件で偏りを防ぎきれないと判断したそうです。

現在、アメリカで深刻なのが「AIによる犯罪予測」だと言います。刑事事件の被告の将来の再犯率を、AIで自動判定させ、それに基づいて裁判官が判決を言い渡す…というもので、実際に「再犯予測プログラム」の詳細は明らかになってはいないものの、現場には導入されていると見られています。犯罪、年齢、雇用状況、教育レベルなど多岐にわたる質問に対するデータが蓄積されたものが使われている…とかで、このシステム(COMPAS)を判決に導入する事の可否について、「被告が適正手続きを受ける権利を侵害していない」という判決が出たこともあります。

AIが悪いのではありません。同じ判断を人間がした…としても、AIのようにデータしか見ずに判断するのであれば、AIに任せておく方が時間的にも労力的にも合理的です。

実は…こうした事は、既に私たちの生活の中に、当たり前のように入り込んでいます。例えば病気の際に良く示される「余命」というモノも、実は同じです。コンピュータがはじき出して「ヨメイ 3カゲツ デス」などと言うと反発を食うものも、医師の口から聞かされると、そうなのかと思ってしまいます。が、あくまで確率論です。過去のデータを学習し、分析してはじき出された数値で、遠からず当たるとは言うものの、そうでないケースも山ほどあり得ます。

せめて「3カゲツ デス」ではない伝え方が必要です。目の前の患者が何を望んでいるのか、何に耐えられるのか、何にすがれるのか…医学だの、統計だのと言う前に、考えるべきことがあるのではないかと私は思っています。

どんな状況にあろうと、人が負っている荷物をほんの僅か軽くするために、気づかれぬよう手を添えられる人でありたいと思いませんか。それはキットAIにはできません。

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日付を令和表示にしたい

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宇宙へ

2019年05月04日 | 雑談
堀江貴文氏らが出資して設立したインターステラテクノロジズ(IST)という会社が、ロケット打ち上げに成功した…というニュースが飛び込んできました。MOMO1号機は、2017年夏に打ち上げられましたが、ロケットからのデータが地上に届かなくなり、地上から緊急停止させ、機体は海上に落花した用です。MOMO2号機は、2018年夏に打ち上げられ、こちらは失速して墜落、炎上して大破しました。今回はそのリベンジの3号機で、当初4月30日打ち上げを目指していましたがバルブ交換で延期、更に5月2日、3日とずらしたものの強風のため延期、4日の打ち上げで、目標高度100キロメートルを超える113.4キロの宇宙空間に達したと言います。同社はその前身SNS株式会社の時代から、小型液体燃料ロケットの開発を手掛けて来ており、今回のMOMOで実験機の打ち上げは終了し、次からは商業機を目指すそうです。

日本のロケット開発は、これまでJAXA(宇宙航空研究開発機構)が主導して来ました。内閣府、総務省、文科省、経済産業省が共同所管する国立研究開発法人、つまりは国が請け負っていました。アメリカや中国では既に民間ロケットビジネスがスタートしていましたが、日本では今回が初。日本でも、民主導の扉が開かれたようです。国による開発は、万全を期して特注品を使うことが多く、その分経費が非常に高く、発射1回に数十億円が使われているとも言われます。それに対し、ISTはホームセンターで材料を調達したり、自社で材料を加工したりして価格を抑えたと言います。更には打ち上げ費用をクラウドファンディングで募集、地元の大樹町のふるさと納税制度も利用するなど、様々な形が模索されました。

今回の打ち上げ成功は、既に他の走者がスタートしている中、取り敢えずスタートラインに立ったに過ぎず、今後の商用化には、資金の獲得や技術の開拓など、様々な関門が待ち受けるはずです。が、新しい技術への挑戦や、民間ロケットに託す夢は、何かしら私たちをワクワクさせるものがあります。日本の国がどんどんと進化していた時代、高度成長期と呼ばれた頃の勢いを彷彿とさせるものがあります。「これから」にワクワクするような時代は、日本を支える多くの若者たちに「元気」を与えてくれるはずです。停滞の中で鬱々と唇を噛んでいては、若者は明日の夢が描けません。新しいものに向かって、何かしら背伸びをしたくなるような時代になって欲しいと思います。

ホリエモンは、何かというとSNSを通じて「バカ」だの「クソ」だの…といった言葉遣いで暴言を吐くことがしばしばあります。それは、「世の中の常識」的なものに対する、彼特有の反発、反骨精神なのだという事は理解しても、50歳近くの大人が使う言葉としては、聞き苦しいものがかなりありました。「宇宙は遠かったけど、なんとか到達しました」とSNSに書き込んだ彼の言葉は、久々少年のような純真さが溢れていたようです。虚勢を張った口汚い言葉より、こちらの方が数千倍良かったと思います。

元号

2019年05月03日 | 雑談
渋谷のスクランブル交差点は、何かと人が集まる場所のようです。サッカーの日本代表の試合がある毎、若者は渋谷に繰り出し、歩行者用信号が青になるたび四方から集まってハイタッチをして喜びを表現していました。サッカーに限らず大晦日やハロウィンにも人が集まり、集まるだけでなく、一通り大騒ぎをするのが恒例のようになりつつあります。今回の、平成から令和への幕開けも、人はスクランブル交差点を目指し、カウントダウン前から大熱狂に包まれました。熱狂している人の殆どは、天皇制とか歴史を紐解いて国の成り立ちをどうとか…といった事には無関心で、ただ何かあると騒がなければ損…としか考えていないようで、後には大量のごみが残されたようです。

世界でも独自の元号を持つ国は、日本だけだと聞き及びます。当然、元号不要論も耳に入ります。新聞の多くは西暦年をメインに記述し、元号は括弧書きのようです。他国の人と話すにも、元号は西暦年に置き換える必要があります。生年月日を西暦年で記述する人も増えています。が、多くの日本人は、西暦年と和暦年の2種を、器用に変換し使い分けているようです。現代は、元号とイデオロギーは完全に乖離しており、和暦も無色透明で、ある種の国が危惧するような事は殆ど存在しないかと思われます。

日本人にとっての「元号」は、単に「そこにあるもの」。当たり前のように存在しているもののように思います。それでも、元号にはある種の効用があるように思います。それは、過去を一掃する事のできる節目としての効用です。西暦は、イエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年としています。ADはAnnno Dominiの略称で「主の年に」という意味を持つのだそうです。それ以来、歴史は綿々と続いており、年始にはこれまでを一掃する「新しい」感があるにせよ、「とき」に区切りはありません。それに対して、日本は諸外国の年始よりも「正月」を特別なものとしてとらえる感覚が強いようですし、改元には連綿と続く日々を突然リセットして、白紙の気持ちに戻す感が強くある気がします。日本人は、昨日までを「白紙に」、これまでを水に流すことが上手なのかも知れません。それはある意味では無責任で、ある意味では前向きな日本人のバイタリティーのようにも思われます。

丁寧に生きたいと思います。