ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

生きる動機

2013年05月31日 | 命の生き方
私たちは生きていますから、一瞬たりとも止まっているわけではありません。もちろん、何もせずに静かにお茶を飲んでいたり、景色を眺めていたりする時間もありますが、それとて「お茶を飲んでいる」「景色を眺めてる」わけですから、何かをしているわけです。「休養している」ことも、何かをしていることの一つです。まして、積極的な活動をしている時には、私たちは五感をフル動員させて「ものごとに取り組んで」いることになります。

ですが、何をするにせよ、それには明白な「理由」を持たなければならないような気がするのです。活動には、もちろん「目標」はあります。たくさん展開されている環境保護活動にしても「湖を守る」「自然を守る」「美しい地球を残す」。明白な目的があります。多くの募金活動も「○○ちゃんを救う」「海外での手術費用を集める」「○○の研究費用に充てる」等々。

でも、こうした活動の真っただ中に身を置いていると、そうすることが当たり前になっていて、掲げられている目的こそが絶対になってしまって、私たちは半ば惰性で活動を続けてしまうものです。掲げられている明白な目標のもっと奥底を流れる「理由」のようなものを、私たちは捉えておく必要がある…そんな気がするのです。物事は意味もなく、ただ何となくするのではなくて、強い意志を持っていなければならないのではないでしょうか。自分の行動のいわば「動機」のようなもの。ただ無心に関わり続けることも、大切なことではあるけれど、生きる動機、強い意志を伴わなければならないような気がしてなりません。



パワーポイントのスライドショーをDVDに焼きたい

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英語教材

2013年05月30日 | 雑談
最近良く「聞き流すだけ」という英語教材の宣伝を耳にします。多分、数社の教材があって、それぞれに商品名があるのでしょうけれど、興味を持たないために区別ができていません。毎日、ただ聞き流すだけで、習得できる…と宣伝をしているようです。効果は本当にあるのだろうか?と話題に上ることもありますが、たぶん効果はあるでしょう。赤ん坊が言葉を習得する過程というのは、そうなのですから。英語のシャワーの中にいれば、間違いなく言語を習得することはできると思います。但し、それ相応の期間が必要です。

これだけ、宣伝が頻繁なのは、それだけの市場があるということだと思われます。小学校に「英語」の時間が設けられるようになり、一部のIT関連企業が社内語を英語にしたり、大学受験へのTOEFL導入案があったり、…ともかく、英語学習はいつの時代もブーム(笑)なようです。

数年前、元マイクロソフト社・社長の成毛眞氏の著書「日本人の9割に、英語はいらない」という本が話題になりました。「英語ができても、バカはばか」「頭の悪い人ほど英語を勉強する」などといった、挑発的なコピーが印象的でした。英語など必要でもない人が必死になって英語を勉強していることの無意味さを語るこの本は、同時に日本人の1割は英語を堪能に操らなければならない…現実を語ってもいます。

英語に限定するものではありません。世の中には「それ自体が目的」になり得るものと、あくまで「目的を達成するためのツール」でしかないものがあります。英語は間違いなく「ツール」です。日本語を解さない国の人と、互いに意思を伝えあうコミュニケーションツールですから、伝えるべき中身を持たないまま言語を習得しても何の意味もありません。更に、習得する目的がハッキリしない限り、いつまで経っても学習は学習のままエンドレスに続きそうな気がします。

ここ数日、何となく感じていることはあるのですが、うまく文章にまとまりません。…物事には、はっきりとしたメッセージが要る…と、そんな気がしたりしています。



作業中突然ウィンドウが消えてしまいます

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お久しぶりです

2013年05月29日 | 雑談
しばらく更新が滞っておりました。その間、お訪ねいただいた方もたくさんおられたようで、ご心配をいただいたりしてしまいました。ありがとうございました。所要がありまして、1週間ばかり滋賀を離れていました。

また気ままにぼちぼち更新をしようと思っています。よろしければまたお訪ねください。


セルの範囲指定ができない

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記録

2013年05月19日 | 雑談
80歳になられるという三浦雄一郎氏が、エベレスト登頂を開始しておられます。入念な準備をしながら、満を持しての挑戦、順調にいけば金曜日あたりにも山頂に立つとのこと。一方で、エベレスト登頂の最高齢世界記録を巡っての記録争いのような視点で書かれている記事が多く見られます。

2003年に三浦氏が70歳でエベレスト登頂に成功された折、ギネス世界記録に最高齢登頂が認定されました。その後、2007年に当時71歳の柳沢勝輔氏が登頂。さらに2008年、三浦氏本人が75歳で登頂。ところが三浦氏登頂の2日前、当時76歳のシェルチャン氏(ネパール)が登頂していたため、最高記録はシェルチャン氏保有ということになっています。その76歳をさらに上回る80歳での登頂を今回企てておられるのですが、降って湧いたようにシェルチャン氏(81歳)が、今回も登頂を目指すというニュースが報じられました。地元(?)ということもあって、三浦氏のような入念な準備もなくベースキャンプ入りということですが、執念のようなものを感じるのは私一人ではないでしょう。

記録というのは「破る」ためにこそあるもので、それが挑戦の大きな動機となることも十分に考えられることです。が、一方で「記録」のための「記録」になってしまうと、興ざめしてしまうのも事実です。ギネス世界記録というのはあまりにも有名ですが、あまりにも滑稽なものまでギネスには掲載されています。実際に自治体等で「ギネスを目指そう」を合言葉に「くだらない(失礼)」挑戦を掲げられることもしばしばあります。特にお金も使わず、ただイベントを盛り上げるためのアイデアであればそれもお愛嬌だったりしますが、そのために小道具などを用意するとなると、それも一体何なのだろう?と首をかしげたくなってしまいます。

幸い、三浦氏はその挑戦に、軽々しい雰囲気を漂わすこともなく、求道者としての顔をされているように思えます。やはり「記録」のための「記録」ではなくて、道を究めんと求める人たちが塗り替えていく「記録」であって欲しいと思います。ともかく凡人とは違った体力と精神力をお持ちのお二人とは思いますが、お元気に挑戦を完遂されますように。


べき乗の計算がうまくいきません

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ワンクリック詐欺

2013年05月18日 | 雑談
Google Play上で、ワンクリック詐欺が急増しているそうです。Google Playというのは、Androidスマホを使っておられる方なら良くご存じの、アプリや映画、音楽などの配布用のアプリです。これまで私たちが思っていた「機能」や「ソフト」という概念が、すべて「アプリ」という概念に集約されています。アプリ配布用のアプリなのです。

つまり、色々なアプリや音楽、動画などが欲しいと思っている人が、まず探すのが「Google Play」。そこで、興味のあるアプリを落とそうと思ってタップするだけで、有料サービスに登録させようとするということです。もちろん、公開されると、すぐに削除されるのですが、またすぐに別アカウントで公開される…というイタチごっこで、当然その間隙をぬって被害者が増えるようです。ニュースによると、アダルト動画に興味のあるユーザーを誘い込むのが多い…との事ですので、身に覚えのある方は(笑)ご用心。

先日は、ハッキング技術を競う全国大会に、警察官が出向き、出場者を勧誘したとも言います。これまでは、そうしたアピールは不正を助長するのではないかと自制していたようなのですが、遠隔操作ウィルスなどによる誤認逮捕などが相次いだことで、技術者が必要と判断したようです。ハッカーという言葉には「悪い人」といった印象を持つ人も多いようですが、本来のハッカーの意味は「コンピュータ技術に通じている人々の総称」で、悪事に加担するといった意味合いを持つ言葉ではありません。しばしば善意のハッカーをホワイトハッカー、悪意の場合をブラックハッカーといった言葉で区別することもあるそうです。

ともかく、そんなこんなで、人を騙したり乗っ取ったりすることが、当たり前の現実が一方にあり、それの上を行く技術で取り締まろうとするものの、更にその上を行く悪意が渦巻く…というのが今の社会の現実です。私たちは、こんな風な現状に、もうずいぶん慣れてしまったような気がします。世の中は、そうした不遜なことを考える輩がたくさんいて当たり前。人にはそれぞれ屁理屈なりに理屈があって、大きな広い目で善悪のバランスが取れない人がいること自体が当たり前。自分の欲望を満たす…といった視点だけで世の中のことを回していくことに、何の疑問も感じない人が当たり前。そうした現状に、ため息を漏らすだけで、有効な手段の一つも思い浮かばない日常に少しストレスを感じます。

(それって私たちの日常とはかけ離れたトッテモ悪い人たちの話…なんじゃなくて、もっと別次元でも、自分の理屈だけで世の中を短絡しているのは、私たちの日常の問題のように思えるのですが。。。。)



同時に同じ名前のファイルを開きたい

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まち

2013年05月17日 | 社会派らぼ
この頃は「まちづくり」という言葉がよく使われます。この時は「町」とも「街」とも使われずに、「まち」とひらがな表記されるようです。「町」や「街」が、道路や建物を含んだ町の構造自体を指すのに対し、「ひと」といった側面からアプローチする時に、好んで「まち」が使われるような気がします。更に「人」も「ひと」と表記されることが多くなります。単純に人間という意味合いに加えて、互いのコミュニケーションを重視するようなニュアンスの時に、「ひと」と好んで使われるように思います。

つまり、そこに住んでいる住民たちが互いに色濃く関わりあって、自分たちの住環境を良くしようと取り組むのが「まちづくり」でしょうか。そこでは、「人と人」のコミュニケーションがひときわ意識され、互いの結束を深めようとする、様々な提案がなされるようです。

いわゆる「お役所」に、自分たちの住環境を任せっきりにするのではなく、積極的に自分たちが関わって、自分たちにとって住みやすい環境を模索しようとすることは、住民の自立という意味でも、大切なことなのだと思います。但し、こうした場面でつい陥りがちなのが、ある決まって熱心な人達のコミュニケーションばかりが優先されて、そうした密な関係を望まない人達が無視されていくような状況です。

無視は言い過ぎかもしれませんが、人には群れたがる人と、群れたがらない人があります。「まちづくり」の声がかかることで、群れたがる人達は結束しやすく、それぞれに居場所を確保して、その活動が「まち」のために役立つと信じて疑わないのですが、その一方で群れたがらない人達も含めて「まち」が存在するのです。声の大きな人の意見は通りが良くて、まるでそれが正論のような錯覚を起こしますが、そこには近づいてこない多くの人たちの気持ちや意見も大切にできなければならないと思います。


設定したルビが見えない

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真に

2013年05月16日 | 雑談
完璧になんてできるはずがないし、人間って間違いだらけの生き物だし、本音と建前があるのが人間だし。

それでも人間は、自分の快楽だけではない、もっと次元の高いものを自らの内に求めていく求道者のような一面をどこかに持っているはずだと思いたいのです。それは、どんなに邪まなことを考えたとしても、自らの内の内に捨てきれずに残っているはずのものではないのでしょうか。

但し、それは自分に酔うこととは、とんでもなく違うし、正しい倫理観や価値観や判断力を同時に持っていなければ方向を誤ってしまうものでもあるし。単純に「息を吸って吐く」ような「生きる」レベルではなく、「真に生きる」ことはとてつもなく難しいという結論しかないのでしょうか。


PDFをJPEG画像にしたい

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確率で測れるもの

2013年05月15日 | 命の生き方
アンジェリーナ・ジョリーが両方の乳腺切除術を受けたことを発表したために、大きな話題となっています。それは単に乳がんにり患したためでなく、予防のためであることが公表されたためです。

母親を卵巣がんで亡くしている彼女は、医者から乳がんが発生する確率が87%であるという数値を聞かされ、予防として乳腺を切除する選択をしたと言います。さらに、世界的な女優である彼女がそのことを公表したことに対して、おおむね好意的な意見が大方を占めています。

日本ではこうした治療は一般的ではありませんが、欧米ではある特別な遺伝子に変異があって、乳がんを発症しやすいとわかっている女性が、予防のために切除術を受けるという試みが行われているのだそうです。

実際に「87%」という高い数値を告げられ、それを「5%」程度にまで下げる手段があるのだとしたら、選ぶのは賢明な方法なのかもしれません。実際に決断した彼女は確かに凄いとも思います。が、どこかで割り切れない思いがあるのが否めません。病気も発症部位や病名が異なれば、当然対処法も異なるわけですが、では他の臓器にがんを発症する確率が高いから…と言って、それが切除できるのかと言えば、そうでは無いはずです。予防医学というのが、そのような方向に発展することは、少し違うのではないかという思いがあります。

私たち現代人を翻弄するこの「確率」というものが、私には果たして必要のある数字なのか分かりかねます。「余命」という言葉にも同じ戸惑いを覚えます。「余命○か月」「余命○年」という宣告は、単なる確率論でしかありません。人は「未来」を「予知」することはできないと考えます。できることは「確率」の計算で、これまでの○○症例中○名がこういう予後をたどった…ということでしかないのです。見てきたかのように、こうした数値を一人歩きさせることには反対です。

人類は、知らなくても良いことを知りすぎたの…ではないかとも思っています。本来、ただ畏怖の念さえ持っていればよかったあらゆる現象を科学的・化学的に切り刻んで、すべてを白日の下に晒すことがイコール幸せかというと、そうとは言い切れないのです。あたかも何でもを知る英知と知る権利があると私たちは信じていますが、実は知らない方が幸せなことも数多くあるような気がします。

話が飛んでもない方向に行ってしまいました。アンジェリーナ・ジョリーの一層のご活躍を心より祈ります。



型抜きした写真の縦横比率が崩れてしまう

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時代

2013年05月14日 | ぱそこん道
世の中には、「パソコン」が普及し、事務仕事など必須アイテムになりました。これが使えないと、多分就職もままなりません。確か2000年頃でしたでしょうか、当時の森首相が「IT立国」を目指すといったことを宣言され、日本中津々浦々で無料のパソコン講習が繰り広げられました。全国民がパソコンを使えるように…といった大胆な構想でしたが、それはそれで一定の成果を上げたのかも知れません。

人は社会の中で暮らしていく以上、大きな社会の流れには無縁ではいられません。銀行のATMや、コンビニでのコピー、デジカメ写真のスピードプリント。いずれも画面をタッチして操作を進めなければなりません。いずれ、住民票や戸籍謄本を取るにも、電子化された末端を、お年寄りまでもが扱わなければならない時代は、確実に来ると思います。

だから、誰もがパソコンを使うべきなのかというと、私はそうは考えません。来たるべき次の時代は、「パソコン」ではなく、「タブレット」なのではないかと想像したりするのです。今も熟年者層を中心に「パソコン熱」があるようには思いますが、それとて「しなくても良い」のではないかとさえ思ったりするのです。私たちの日常は、パソコンではなくて、タブレットですべての用事が済ませられるようになるのではないでしょうか。

ただ、現実には、どんな組織もパソコンが当たり前になって来てはいます。時にそうした分野に明るい方が然るべきポジションに配属されると、「便利だから」「簡単だから」と、どんどん新しい技術を取り入れる試みが展開されがちです。合理化、経費節減、アピール性などを考えて、IT技術が必須なことは確かなのですが、行き過ぎた技術導入は真に慎むべきだと思います。

デジタルデバイドという言葉があります。IT技術に長けた人と、苦手な人の間に生じるギャップを指し、そうした技術の恩恵にあずかれない人たちを不利にしてはならない…とする考え方です。自分の技術を磨くことは良いことですし、それが様々なシステムを合理化し、スピード化し、多くの恩恵を生み出すことは、現場に関わる私が誰よりも感じているところです。でも、世の中の平均値が上がったとは言え、多くの人たちにとってパソコン技術の敷居がまだまだ高いこともまた一方の現実です。現場に高度な技術を持ち込んでいくことには、十分な検討が必要だし、安易に突っ走ることは控えねばなりません。一部の技術に長けた人たちの意見に惑わされて、まだ多くの人が不案内な技術を振り回すことは避けたいと思うのです。それが少なくとも技術に長けた人間の義務ではないかと考えます。


Windows8でペイントを起動する

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