ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

店頭で

2020年02月21日 | 雑談
資本主義の世の中では、採算がとれない活動は成り立たないのだと言う事はよくわかっているつもりです。そんな中で商売を成功させていくには、確実に収益を上げて行く必要があります。

だから…、例えばスーパーなどの店舗では、少しでも多くの商品を売らなければなりません。商品が売れ残ってしまわないよう注意しながらも、顧客の購買意欲を上げるような試みも探らなければなりません。一口に商売と言いますが、実際に黒字経営を続ける努力は並大抵ではないだろうと想像します。

それは分かるのですが、八朔など3つがネットに入って売られていると、必ず1個は鮮度の落ちたものが組み合わせてあるとか、いちごのパックは上の段には大きくてきれいな粒が並んでいるけれど、パックをひっくり返して裏から見るとこれも小粒で多少傷みかけているものが混じっているとか。そんなものだと消費者も割り切っていますから、パックは必ずひっくり返して裏を凝視するとか、複数個売りのものでなくバラ売りのものを選ぶとか、それなりの知恵を身につけています。

でも、それが当たり前の世の中を何なのだろう…と立ち止まってみると、世の中どうしたら変えられるんだろうと思わなくもありません。


健幸

2020年02月16日 | 社会派らぼ
スマートウェルネスシティという言葉があるようです。高齢になっても地域で元気に暮らすことを目指し、60近くもの市町が加盟しているのだそうです。私が住む「草津市」もこれに参加しているようです。身体の健康だけでなく、生きがいを持って生活できる状態を「健幸」と定義し、歩くことなどを基本に、生涯にわたり健やかで幸せに暮らせるまちを創造していくことに取り組んでいます。

言葉と言うのは時代と共に変わっていくものだと認識しています。学校で「現国」と共に「古典」という教科を学びます。私たちが「現代」使っている言葉と、「古く」に使っていた言葉とが違っているからです。が、いずれ今の「現国」が「古典」になる時代も来るはずで、そうなれば「古典」はどうその名称を変えるのでしょうか。いずれにしても、言葉が変わって行く…という流れは止めようがないのだという事になります。今は「乱れ」というくくりの中にあるものでも、いずれはそれが「正統派」としての位置を占めて行くという事でしょうか。

ただ、時代と共に変わるのは仕方がありませんが、意図して変えるべきものではないように思っています。それを教科として学んでいる以上、その時点では「乱す」べきでないと考えるからです。前述のスマートウェルネスシティは、「健幸=けんこう」という造語をキーワードにして、運動自体を広めようとしています。このような「健幸」という言葉を編み出すのは良しとしますが、それはあくまで「パロディ」という位置づけにあって欲しいと思います。大人は「健幸」と言うと、「健康」をもじっているのだという事が瞬時に分かります。コウの字に「幸」を当てたのだ…と、その着眼ににやりとするかもしれません。

ですが、市の機関誌の表などあちこち目に触れる個所に「健幸」という言葉を見かける度に、これを子ども達はどんな風に見ているのだろうか?と気にかかります。当然、学校の書き取りテストに「けんこう」と出題されれば「健康」と答えなければならないはずです。

「協働」という言葉にも似たような違和感を覚えます。人が無理に組み合わせて作った言葉を独り歩きさせる責任と言うのは、どう考えるべきなのでしょうか。

箸使い

2020年02月05日 | 社会派らぼ
ゆたぼんを名乗るのは、11歳の少年ですが、小学校で担任教師とトラブルになったのをきっかけに不登校になり、YouTubeで「不登校は不幸ではない」などのメッセージを発信する小学生YouTuberです。11歳の少年に主張はありますが、親の考え方が大きく影響しているのは確かで、その責任を巡っては色々な考え方が交錯するところです。本人よりも取り巻く周りの全ての大人に、大きな責任があると感じます。

ゆたぼんの話はともかく、彼の父親が食事風景の写真を自身のTwitterに投稿し、その箸の持ち方がまた騒動を引き起こしています。ただでさえ、11歳の少年を学校に通わせず、自由人を自称する父親には根強い反発があるのは当然で、箸の持ち方も含め批判的なツイートが相次いでいます。ネット上のマナーは常に首をかしげるところがありますが、他人の投稿に一々ここまで反応する必要があるのか疑問を感じます。

火に油を注いだのが、ダルビッシュ有投手。「自分の正しいを大事にすればいい」と、自身が箸を持っている動画をアップしました。価値観は人それぞれなのだから、自分の論理だけで完結して、他人を判断し批判すべきでないというのが彼の主張です。箸の持ち方だけで他人を叩くのはおかしいという彼の主張は尤もです。このような些末な事で、人の悪口を言い合う習慣と言うのは、如何なものでしょうか。そういう意味で、現代のSNS文化には大きな疑問を感じています。

ただ他人に対する「礼儀」や「マナー」と、自らのあり方を同列に論じる事は少し違うのではないかと感じています。人は自身の価値観を大事にして、他人の影響を受けない自由なあり方を貫くべきだと私も思っています。その価値観は千差万別、人によって異なって当然です。世の中の基準は「正しい」では無いというのが、私の持論です。簡単に考えれば分かるように、世界中の「正しい」は1つの絶対基準ではなく、国によって人によって異なるのは周知の事実です。「正しい」が絶対基準であれば、世の中にいさかいは存在しないという事になりますから。

代わって、世の中の絶対基準は「美しい」ではないかとすら思っています。「美しい」事こそ、もっと曖昧で、人によって価値観が異なるのではないかと言われそうですが、本当に理にかなった自然界の物事は、無条件で「美しい」と思います。そのレベルでの「美しい」です。お箸を持って食事をする姿も「美しく」ありたいと私は思います。(そういう自分は、美しい箸姿を披露する自信はありませんが。)誰に見せるわけでもありません。食事をする姿と言うのは、本来プライベートなもので、公開するものだとも思いません。それでも、誰も見ていなくても、やはり「食べ姿」は美しいのが理想だと思います。

内定辞退代行サービス

2020年02月03日 | 社会派らぼ
現在の就職戦線は「売り手市場」だと言われています。一般的に、企業が内定を出すのは10月1日以降とされていますが、実際には内々定が6月頃から出され始めます。学部3回生への就職説明会は3月に解禁になりますから、今の時期は2021年卒業の学生が、水面下で動き始める時期かも知れません。但し、経団連は201年春入社以降の、就活ルールを廃止する事を決めています。今後は早い時期からの囲い込みが活発になるかも知れません。企業があまりにも早くから青田買いを始めたことから、現在のルールが編み出されて来たわけですが、売り手市場と買い手市場がうまくマッチングする妙案がこれから出て来るのでしょうか。

ともかく…、この頃の就職の実体は「内々定」だの「内定」だのと言った、約束が、広く行われています。就職する身は1つですが、少しでも希望する職種に近いものを、少しでも勤務条件の良いものを…との思いで、何社もから内定をもらう学生も少なくありません。企業側は、実際に入社してくれる社員数を確保する必要があります。内定を出しても良いかといった打診が、実際には行われます。

そんな中、内定した企業に対して、内定辞退の連絡を代理でやってくれる業者があると言います。内定辞退代行サービス。内定辞退の電話をして迷惑がられるのが嫌だ…とか、強く慰留されると断りにくい…とか、そんな時間がない…とか、代行サービスを利用する理由は様々だと言います。実際、相手が喜ぶ話は気が楽ですが、一旦承諾した話をひっくり返して断るといった事は、相手から疎まれる可能性があるわけで、できたらやりたくないというのが本音かもしれません。ですから、ばつの悪い思いをしなくて済むサービスに頼んで、お金で解決してしまおうというものです。

言うまでもなく、「人として」誠実な行動だとは思えません。それでもこうしたサービスを利用する学生も多くいて、代行サービスは仕事として成り立っているようです。24時間メールやラインなどで対応してくれて、1件20,000円から30,000円と言うのが相場のようです。

社会の全てが、時間の流れと共に必ず「進化」するのかというと、そうだとは言えません。社会の仕組みは、時と共により一層複雑化し、以前のもっと社会自体が狭かった時の方が、本当の意味で人間は豊かであったというのは、多分皆の認めるところでしょう。ネットを駆使して、何社にもアプライし、何社からも内定を取り付け、挙句にお金を出して、他人に断ってもらう今の仕組みを打破したい…との思いが、経団連の動機であれば良いなと思います。

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Camera Raw フィルターがグレーアウトしている

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