ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

ふるさと納税

2016年08月31日 | 社会派らぼ
「ふるさと納税」と呼ばれる制度があります。任意の地方自治体に寄付をすると、そのほぼ全額が税額控除されるというシステム。つまり、住民税というのは居住の自治体に納めるものですが、それを好きな都道府県・市町村に納めることができるという感じでしょうか。東京に住んでいても、故郷に税金を納めることができるといった感覚で命名されたようです。人口の過疎化が進んだ現代では、どうしても都会の税収入が多く、田舎は税収があまり見込めません。それを「ふるさと」納税によって多少でも補おうというもの。更に、実際は寄付をした自治体から返礼として、地域の特産物が送られてくるシステムで、かなり高価な肉、海産物、酒、工芸品などがもらえるそうで、人気を呼んでいます。

返礼品には、図書カードなどの金券も以前はあったらしいのですが、転売や換金するケースが相次いだこともあって、総務省は換金性の高いものや高額な返礼品を送付しないよう通知をしましたので、現在は自重する自治体が増えています。代わって、最近は「形の無い返礼品」が増えているのだそうです。「親孝行代行サービス」、「墓参り代行サービス」、…。最近芦屋市が返礼品に追加したという「傾聴&見守りサービス」。

あくまで、使い道を定めて払うことのできる税金…なのですが、「得」にならなければ、こぞって皆が納めません。かなりお得感を煽るようなものが並んでいたのが、自粛によってこのような無形サービスに変わってきているということで、おおむね報道は好意的です。違和感を感じたのは、私だけなのでしょうか。確かに、ひとり暮らしで話し相手もあまりいないお年寄りは、誰かと話すことができるというだけで、ひとときを楽しく過ごされるのかも知れません。荒れ放題のお墓も、人手が入ってキレイになるのかも知れません。でも、だから、…、ふるさと納税の返礼でやってもらって、これって意味があるのでしょうか? 「傾聴サービス」なる方々と話をして、盛り上がりたいとは思わないのは、単に私がそうした年齢・立場に達していないせいなのでしょうか?

* * * * * * * * * * *

グループ化した図形で、書式のコピーができません。

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

怒り

2016年08月30日 | 命の生き方
「怒り」の感情というのは、実はとても大切だとする説があります。怒りのエネルギーは、やる気に転換させることができるというのです。逆に言うと、感情を抑圧し、怒りを抑圧してしまうと、モチベーションが低下するなどと説明されたりします。確かに、全てのエネルギーの源が「怒り」のような人はいます。それがエネルギーの源だと言われれば、そうなのかも知れませんが、個人的には稚拙さを感じます。

「怒り」の感情は、どちらかと言うと「悲しさ」につながっている気がします。烈火の如くと表現されるような怒りは、自らの弱さの暴露であって、直視したくない事に出くわして「逃げ」ているに過ぎない事が多々あります。

人のエネルギーの源…というのは、モット「内」から湧き出すもの、いや空の「彼方」から引き寄せられるもの…ではないかと思っています。

* * * * * * * * * * *

スライドショーのバックに音楽をずっと流したい

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

感動

2016年08月29日 | 雑談
24時間テレビ「愛は地球を救う」。1978年から放送されているチャリティー番組で、今年で39回を迎えました。先週末の土曜から日曜にかけて放送されていたようです。日本各地でチャリティーキャンペーンが行われ、視聴者から寄せられた寄付を福祉や災害復興の支援に充てることを目的としています。多くの人の浄財が寄せられ、感動の涙を流す人も多いとか。

チャリティ番組であるにも関わらず、出演者にギャラが支払われるのかといった論議が賑やかなのも通例で、多くの賛同と批判が混在しています。何にせよ、批判票というのは、必ずあるものですから、一々気にしてなどいられないというのが番組の本音でしょうか。今年は同時間帯に、「清く正しい障害者」の頑張る姿を放映することは一種の「感動ポルノ」だとする、批判するような番組が流されていたそうです。

このようなチャリティ番組をどう思うか?という質問に対し、健常者の45%が勇気がもらえるなどの理由で「好き」と答えたのに対し、好意的な障害者は10%に留まりました。話題として取り上げてもらえるのであれば、感動話であっても仕方がないといった感想にとどまったようです。イギリスのBBC放送では、20年も前に、障害者を英雄や被害者として描くことが侮辱につながるというガイドラインが策定されたことも紹介されたようです。

日ごろ、脚光を浴びることのない障害者に無理やり焦点を当てて、感動を売り物にする番組の作り方には、いずれ多くの人が飽きて来ます。それは、オリンピックや高校野球などの報道時に流される裏話的な取材秘話に通じるところがあります。無理に「感動を作ろう」とするところに妙に違和感があって、単純な試合の勝敗記録で事足りるのに…と思うのと恐らく根は同じです。災害の報道も然り。事実を余すことなく記録することは、おそらく報道の大切な勤めです。が、饒舌に語られるほどに、反比例して冷めていくものがある事を、キチンと理解しておくべきだと思います。

矛盾してはいますが、障害者への理解は深まる方がいい。研究などのための資金は集まる方がいい。一夜限りの涙はすぐに渇き、表層の「かわいそう」に留まったままの人々の感想もすぐに消えてしまうことがわかっているのなら、違うアプローチを考える必要も大だと考えます。

* * * * * * * * * * *

zipフォルダーを解凍しても、正常にインストールできません

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

打ち上げ花火

2016年08月28日 | 雑談
打ち上げ花火は好きではありません。…と言っても、夜空に大輪の花を咲かせる「あれ」ではありません。鳴り物入りで派手に企画を打ち出すものの、一夜限りで尻すぼみになる…的なイベント事という意味です。「何かを成す」には、どんなに入念な計画や準備があったとしても、「やれば即、成功」というわけにはいかないと思うのです。同じ事を繰り返し実行する中で、初めて、本当の姿が見えてくるというのが通例です。何でも計画通りに行くはずもなく、見直して軌道修正することで、少しずつ一歩ずつ「何か」に近づくものだという気がするのです。思い描いた結果とは異なる方向に進む場合もありますし、その違う方向こそに、成功への大きなヒントが隠されている場合だってしばしばあります。誰の言葉なのか知りませんが、「継続は力なり」と言われます。単にマシンのように同じことを繰り返すことが「継続」なのではなく、何度も紆余曲折を経験し、その都度それに対処し、何度も挫折し、それでも諦めずに道を探ろうとするという意味なのだと思います。

話は矛盾するようですが、一方で物事には「終わり」がある事も、否定できない事実です。人に寿命があるように、私たちは「永遠」を手にすることはできないのだから、だから何にも「終わり」があって当然だと思います。いつ、どこで、どのように、フィナーレを迎えるかは、その人次第でありますが、「永遠」というものが存在しない事は、もとよりわかっています。どう「終わる」か、そしてそこから先をどう描くかは、いつも大きな命題です。

オルゴールの蓋はそっと閉まれば、もう音を奏でません。が、その音は、どこかの誰かの耳の奥でいつまでも鳴っているかも知れません。その音色に慰められた遠い日の記憶が、どこかの誰かを強くしているかも知れません。ねじを巻いて、再びその蓋を開く時が来るまで、違う「明日」を探しても良いのかもしれないと、そう思えます。「継続」というのは、その姿・形を変えることもあり得るのだと。その奥に流れる静かなメロディが変わりなく同じである限り。

* * * * * * * * * * *

保存せずにファイルを閉じてしまいました

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

危機管理

2016年08月27日 | 社会派らぼ
我が家にはテレビがありませんので(笑)、世の中の話題には疎いのですが、何でも女優の高畑淳子さんの息子が強姦致傷容疑で逮捕されたそうです。ネットでも、あれやこれやのニュースが後を絶ちません。この事件を受けて、母親である高畑淳子さんが会見を開きました。

…の謝罪会見を受けて、「危機管理のプロ」が高評価などというニュースまで飛び交っています。大体、マスコミや世間というものは、ハイエナみたいなもので、他人の不幸や不祥事に群がりたがる性癖があります。お見受けしたところ、女優という華やかな職業の方ではありますが、ただの母親でもあります。世の一般的な母親は誰しも、わが子を「より良く」育てたいと思ってはいますが、必ずしも理想通りの子育てができるわけでもありません。子どもの才能や資質も様々ですし、親の器にも限りがあります。親が力の及ばぬところは、子どもを信じるしかありませんし、その信頼が裏切られないという保証は、誰しもにありません。

犯罪者の親が、その子育てに強い責任感を感じるのは当然のことですし、同時に社会は成人に達した者の責任を必要以上に親に覆いかぶせてはならないことを、良く承知しています。この高畑淳子さんの会見は、世間にはおおむね好意的に受け取られているようで、それはそれなのですが、この謝罪会見を「危機管理」といった側面から取り上げている記事がいくつも見受けられたのは心外です。

何か失礼ではありませんか?  衣装がどうだとか、装身具が何だとか、挙句の果てに「成功」とか「失敗」といった表現で、会見を総括していたりします。元々、彼女が会見を開く必要などは全くありません。恐らくはその深いところで、高畑淳子さんご本人の女優生命に対するダメージを極力減らしたい…という思いはあるのでしょうけれど、あれやこれやを容疑者の母に語らせる必要はありません。

* * * * * * * * * * *

保存せずにファイルを閉じてしまいました

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

4年後

2016年08月22日 | 雑談
日本人選手の大活躍のうちに、リオ五輪が幕を閉じました。日本のメダル数は41個に上り、史上最多だそうです。「金」の数では、先の東京・アテネの16個には及ばなかったものの、次の東京オリンピックに向けた強化対策等が功を奏しているということでしょうか。ともかく、日本の活躍は目を引きました。ベテランの安定した技術もさることながら、若い力が台頭して来ていることは何よりの強みです。

オリンピックの舞台で活躍するだけの「力」は、単に能力や素質に恵まれた…というだけでは備わりません。その陰にどれだけの苦悩と猛練習があったかは、想像に難くありません。いつの大会にも、ひたむきに努力を重ねる多くのアスリートたちはいたはずです。良い結果につながったか、そうでなかったかは、彼らの努力を量る目安にはなりません。ただし、アスリートである以上、結果がすべてであるということは彼ら自身がよく知っていいるはずです。確実に形にすることがどれほど困難であるかということを、客席の私たちはよく知っておかなければなりません。選手の活躍に一喜一憂しているだけでは申し訳ないと思います。

リオ五輪で、見事に結果に結ぶ付けることができたのは、一体何の力なのでしょうか。メダル獲得数は、GDPの総額で決まるとささやかれたりもします。それは強化費などに反映するから…ということなのでしょうけれど、いくらお金をかけても、メンタルの強さを備えた優秀な人材が居なければ、強化費は空を切るだけです。若い世代のアスリート達の高いポテンシャル無しに、こんなメダルラッシュが実現できたとは思えません。

生まれた年代ごとに、大きく特徴ある世代名がつけられたりします。時代を映すネーミングでしょうか。その昔「しらけ世代」とか「新人類」とか言われた世代がありました。今の若者たちはさしづめ「ミニマムライフ世代」更に「ゆとり世代」とか「さとり世代」とか呼ばれています。時代の豊かさと反比例するかのように無気力になった時代から下って、阪神淡路大震災や就職氷河期を経験した受難の世代です。更に最近の東北大震災や熊本地震などの大きな災害にも出くわしました。それは確かに大きな不幸であったわけですが、もしかすると時代は大きな災害を前にして、強くしなやかになりつつあるのかもしれません。

ごく一握りのメンタルにも強いスーパーアスリートは、挑むことを恐れないたくさんのアスリートたちの中からしか生まれて来ません。自身に才は無くても、しなやかな時代を作る事で、私たちは4年後を応援することができるかもしれません。

* * * * * * * * * * *

メールがいつもハングアップする

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

事実

2016年08月21日 | 雑談
パソコンの機能を知っていることと、美しい文書が作成できることは、同義ではありません。

「美しい」という代物は、絶対的基準を持つものではないので、これがなかなか厄介です。人の感性というものは千差万別で、ある人にとってはさした値打に映らないものが、他の人にとっては涙を流すほどに美しいことだって、実際にあるわけで、非常に説得力に欠ける議論です。…が、それは単に「趣味の違い」と簡単に片づけるべきものでも無いような気がしています。趣味や好き嫌い、更には宗教や政治(え?!飛び過ぎ…でしょ 汗)を超えるものがあると私自身は思っています。説得力があろうとなかろうと。

話を戻して、美しい文書というものは、ただ単に○cm×○cmの紙の中に、必要な言葉面がすべて収まればよいものではありません。文字を美しくレイアウトする…ということに、意識を払ったものと、そうでないものの間には、厳然とした違いがあって、それはどうでもよい人たちにはどうでもよいことだけれど、私が大切にしたいと思っている事でもあるのです。

それは、言葉にも似ているかもしれません。ある一つの発言は、事実を余すことなく伝えていればそれでいいのではなく、どのように表現すれば相手が理解できるのか、どのように語れば相手の心をほどくのか、どのように伝えるかでその先の開く扉が違ってくるものなのです。

「事実」というものは、だれにも揺るがすことのできない絶対的なものだと、私たちは信じて疑いませんが、それも、実はそうではないような気がしています。日本人の女性平均寿命は世界でも第2位を誇ります(2015年簡易生命表より、女性1位は香港の87.32歳)。男性は第4位に連なっています。これは間違いなく、日本人が長生きであることを意味します。…ですが、その寿命の「様」はどこにも記述はされません。病院で寝た切りであっても、認知症を患って果てしないトンネルの中にいても、医療費や薬代がダントツ抜け出るほどの金額に至っていても…数字は数字であって、本人や家族の満足度とパラレルの数値が表現されているわけではありません。だから人はどう生きるべきか…といった命題を、私たちはスルーしているような気がします。

唐突な話が錯綜して、勝手な思い込みで偏向しているのは、当ブログの特徴ですのでお許しいただくとして(←完全な居直りです)、ただ目の前の数字や「事実」がすべてを表すとは思いません。私たちはそれぞれが、それぞれの感性に従って、何かを目指しているわけですから、ぶれない何かを信じたいと思っています。そしてそれはキット次の扉を開いていくものだと、そんな風に思います。

* * * * * * * * * * *

複数図形が一度に選択できません

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

2016年08月20日 | 雑談

* * * * * * * * * * *

ワードアートを解除したい

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

プライベート

2016年08月19日 | 社会派らぼ
若者のFacebook離れが目立つと言われます。原因の一つに挙げられるのが、中高年者のFacebook参加。これまで、どうせ若者のツールだと敬遠していたり、魅力を感じることが少なかった世代が、徐々に利用するようになってきて、中にはどっぷりはまってしまう人まで出てきているのだとか。Facebookの利用の仕方、頻度などは、人によって様々だと思います。が、突然はまり出した中高年が、若者のテリトリーに無遠慮に近づき過ぎ、デリカシーを持たない「乗り」で世代間交流(笑)の暗黙の一線を超えてしまう事例が目立つようです。例えば、部下に友達申請をして来る上司、親戚が個人的な乗りで書き入れてくるコメント類。それやあれやに嫌気がさして、やむなく友達削除を行ったとか、アカウントを削除したとか…。Facebook離れと言われる現象です。

Facebookという仕組みを作り、それを世の中に提案したアイデアや技術はスゴイと思いますし、利用の可能性もまだまだ多くあります。開くことのできる扉が無数に並んでいるとでも言えばよいでしょうか。世界はまだまだこれからより一層広がって行くかに思います。が、どう活かしていくかは、人次第といったところです。

現実のSNSに流れ出している数多くの情報にどこまで価値があるのか?というと、甚だ懐疑的です。もちろん、このサービスだからこその使い方も数多くあります。SNSを「1つの宣伝媒体」と解釈する使い方があります。大手企業のように莫大な宣伝費用がかけられるところがある一方で、宣伝費用など到底見込めない企業・個人も数多くあります。SNSでのフレンドリーな情報発信は、労なくしてある程度の拡散が見込めます。あるいは「啓蒙や啓発」とでも言えばよいでしょうか、社会に対してキチンと意見を述べていきたいと考えている利用者もたくさんおられます。もちろん「SOS」発信であったり、「社会への抗議」であったり、SNSが社会に対して提案していける可能性は、未だに多くが未発掘の未知数で、今後に期待されている部分です。

その一方で、あふれる殆どの情報は、他人にはどうでもよいようなプライベートの塊。プライベートを綴って何が悪い…という考え方もあるでしょうけれど、私は世の中には「公私」というものが存在すべきだと考えます。その双方が充実する必要があると思うのです。ありのままの自分、素のままの姿、自身の内面、その私的な魂の内側…それらは、あくまでプライベートゾーンに置いておくべき事柄で、そんなものがオープンスペースにぶちまけられている事自体に、強く違和感を覚えます。「自由」とか「権利」とかの範疇の話ではなくて、「品性」とか「理念」とかの問題です。ネットに書き込んだ時点で、それはプライベートではなくなります。

世の中には、秘しておくべき事が山のようにあります。公に晒す必要のない事も山のようにあります。プライベート空間にあるべきものまで、公の場に引っ張り出したSNSの使い方が見直されるべき時期なのだと思います。

* * * * * * * * * * *

タッチパッドでのホイールクリックは?

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

ロボット化

2016年08月18日 | 社会派らぼ
私たちは、様々な分野で発展した「現代」に暮らしていて、ある意味では今の世の中が当たり前だと信じて疑いません。科学技術も、医療水準も、社会制度も、進化して今に至ります。

でも、一瞬立ち止まってみると、違うんじゃないの?と思う事があります。社会が複雑化していきますから、当然その中では必要なルールが新たに定められ、社会で暮らす私たちは、それに従うしか仕方がありません。恐らく必要な事なのです。

社会のあちこちの狭間で、人を騙し、人を傷つけ、私利私欲に走る犯罪が絶えません。ゆえに、騙されないために、弱者を守るために、次々とセキュリティの強化が図られます。自分が自分であることを証明する事が要求されます。免許証提示とか、保険証とか、委任状とか…で済む間はまだしも、何か一つ手続きを終えるのに、多大な時間と書類が費やされます。そして、更にその次の手続きが待ち受けます。明らかな善意と事実確認が成されていても、手続きロボットは厳格なマニュアル対応しか許されていません。

それが「定め」なのだと理解はしていますが、フト原点に立ち戻った時に、自分が自分であることの証が様々な「手続き」でしかない事に、違和感を覚えます。そんな社会だから、人は簡単に人が騙せてしまう気もします。社会がもっと未成熟だった頃の方が、人間は人間として存在できていたのかも知れません。

自分であることの証が「数字の羅列」の時代に突入した今、人のロボット化が一層加速するような気がします。

* * * * * * * * * * *

ノートンが削除できません

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。