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人生会議

2019年11月29日 | 社会派らぼ
厚生労働省が作成した「人生会議」のポスターが物議を醸しており、厚労省は各自治体への発送を中止すると共に、ホームページでの動画掲載も見合わせました。アドバンス・ケア・プランニング(ACP)というのは、本人が病気などで意思決定能力が低下した場合に備え、あらかじめ家族や介護者などと終末期を含めた医療や介護について話し合っておくことを指すのだそうです。リビングウィルが本人の希望を述べておくものであるのに対し、ACPは、家族や医療者、介護者が話し合って定めるものという違いがあるのだそうです。

厚労省は、そのACPに「人生会議」という愛称を定め、事前の話し合いを呼びかける目的でこのポスターを作成しました。愛称の選定委員を務めたお笑い芸人の小藪千豊さんが、終末期の患者に扮し、自分の想いを正しく伝えられていなかったことを悔いている場面を演じています。事前に話し合いを呼びかけるポスターなのですが、これに対し、脅しともとれる内容だといった批判が相次いだとか。不安を煽るものだ…と言うのが、批判の主旨のようです。国会でも取り上げられ、ポスター作成には、4070万円の契約料が発生している事が明かされました。

自分の意見を持つことは大切な事です。そしてその意見を堂々と述べる事も大切です。ただ不快だからと言って、すぐに相手を全面否定するのは、違っているのではないかと思います。「人生会議」でなく「死に方会議」だとする意見もあったようなのですが、その言葉の持つ響きや残酷さは別として、どんな風に死を迎えたいと思っているかに間違いはないのです。「死に方会議」という言葉を前面に使うのはどうかと思いますが、死に方会議であって構わないのではないかと思うところ大です。

ポスターのデザイン性やメッセージ性に、文句をつける事は簡単です。但し、デザインが全く白紙の「0」の状態から、提案し模索し完成していく作業は、実は大変なものがあります。制作者は、それなりに苦心し、工夫し、悩んだうえで出来上がってきたポスターに、あれやこれやケチをつけるのは慎むべきではないかと私は思います。それが制作者に対する最低限の礼儀です。

自分の生き方は自分で決めたい。つまり、自分の死に方は自分で決めたい。「これが理想の生き方だ」として、社会から押し付けられるものであって欲しくないと、実は思います。著名人の闘病は何かと話題に上ります。正面から病と向き合って、それを克服するのが「勝者」だとする考え方は、同時に現代社会の中に多くの「敗者」を作り出しています。自分は「こう死にたい」と願っても、たとえ公言していても、最期に意志表示が叶わなくなった時、家族の意志が優先されるべきだとも思っています。例えば、「死んでいく者」と「残る者」の宗教が異なる場合、お葬式自体は「残る者」の意志で行えば良いと考えます。こんな風に送って欲しい、こんな風に送られたい、そう思う事は勝手ですし、そう頼んでおくことも勝手です。ですが、あくまで葬儀を執り行うのは、残された者の意思のはずなのです。

そういう理由で、実は根本から「人生会議」が必要なのかと言うと、そうも思っていません。リビングウィルで本人の意思が確認できれば、それで十分です。自分はどんな風に最期の灯を消したいと願うのか。本人の志表示を念頭に家族や介護者は、自分たちの想いの丈を込めて、送り方を決めれば良い。もし、本人が意思表示していないのであれば、なおさら送る者の意思で送り方を決めれば良い。自分の意思はそれぞれ、唯一自分だけが決定できるのですが、他人の思いを決めることはできません。他人の想いを否定するのは違っている…と思うのです。今の社会は他人に対し、あまりにも無遠慮に、自分の考えを押し付けすぎていませんか。

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発信

2019年11月28日 | 社会派らぼ
ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者支援と称して「アイス・バケツ・チャレンジ」や「ペッパー・チャレンジ」が意味もなく、流行ったのは記憶に新しいところです。バケツの氷水を頭からかぶるか(激辛のトウガラシを食べるか)、ALS支援団体に寄付をするかの二択で、次のチャレンジャーを指定して行くいわばチェインメールのようなものでした。アイス・バケツ・チャレンジでは、レディ・ガガ、ビル・ゲイツなど著名人が氷水をかぶり大きな話題になりましたが、一方で間接的な原因ではあったものの死亡者も出ました。一時は、運動に参加するのがもてはやされたものの、参加しない事を公言したツイートなども、一部では大きな支持を集めたように記憶します。

医療も日進月歩です。ALSといった難病も、いずれは根本治療法が見つけられて、治る病気になって行くのかも知れません。そしてそうなることを何より祈りたいと思います。そのためには、多額の研究費が要ります。ただ手をこまねいていても、研究費が湧いて来るわけではありません。そういう意味で、やり方の賛否はともかく、多くの寄付金を集める方法としては、間違ってはいない…という結論に、異論を唱えることができない事に、もどかしいものがあります。

但し、今流行って(?)いるTwitteの「チーズチャレンジ」はいただけません。アメリカのあるTwitter ユーザーが、赤ちゃんの顔にスライスチーズを投げつける動画を投稿したところ、あっと言う間に8000万回以上再生され、更に「#cheesechallenge」のハッシュタグをつける同様の動画投稿が流行っているのだそうです。スライスチーズですから、赤ちゃんに危険が及ぶわけではありません。突然、眼前に異物が投げつけられるために、ひるんだり、戸惑ったり、泣いたり、キョトンとしたりする様が可愛い…という事なのでしょうか。見てしまうと、のっぺりしたスライスチーズが顔に密着して、呼吸を妨げなければいいな…と一瞬思ってしまいました。チーズバーガーやハンバーガーのぬいぐるみなど、投げるものもエスカレート、ターゲットもペットや大人、老人などにエスカレート。「児童虐待」とか「愚か」だとか、批判の声が多く上がっているのですが、その割に投稿者がどんどん増える…といった不思議な現象です。日本に波及して来ない事を願いたいと思います。

誰しもが、自由に発信できる世の中になりました。ホームページでは敷居が高かった人たちも、ブログになり、SNSになり…、どんどん発信が手軽で身近なものになってきました。ただ、何のために発信するのか、何を発信するのかは、誰も振り返らなくなりました。自分が存在する…ただそれだけの証を求めているかのようで、でもその存在すら、自分でも何一つ確かなものがつかめていないのか、トテモ危うくて消えてしまいそうで、一層不安になって、また意味もなく「私はここに居るよ」と叫びたくなっているのかも知れません。

ある教育に携わる先生が、思春期の子ども達に向かって「君らは存在しているだけで素晴らしい。存在そのものがキラキラと輝いている。…だから、今はただ勉強さえしていれば良い」といった事を言われました。「勉強さえしていればいい」というくだりは、何かしら誤解を招きそうな言い方ですが、先生が言わんとされている事は良く分かる気がします。どの子も、存在そのものが素晴らしいのだ…と思えたら良いなと思います。大人が、子どもに教える事は、そういう事かも知れないと思います。


第4の火

2019年11月26日 | 社会派らぼ
小学6年生…と言うと、12歳。自分ではいっぱしの大人のつもりでいたのではないかと思いますが、思うほどに世の中の事が分かるわけではありません。「知らない人にはついて行かない」とか「ネットの危険」とか、日頃両親や先生からから聞かされていたとは思いますが、実際の身に降りかかる危険を感じて、どんなに怖かっただろうかと想像します。そんな中、自力で逃げ出した勇気と行動力は、立派に「一人前以上」持ち合わせた少女なのだと思いました。無事に保護されて、何よりです。

但し、一方で、複雑な事件だったことも確かです。厳密に言えば「誘拐」ではありません。無理やり連れ去ったわけでなく、「お菓子をあげる」「面白いものを見せてあげる」など、甘言で誘い出したわけでもありません。少女は自らの意志で、容疑者について家を出る事を決心したはずです。それはおそらく、彼女にとって「苦しい現実」から逃げ出す、勇気ある選択だったはずなのです。

報道されているのかも知れませんが、ワイドショー的なものを全く見ない当方としては、この少女がなぜ「学校に行きたくない」「家に帰りたくない」ところに追い詰められていったのか、経緯を知りません。その根底に「いじめ」があったとか、親との確執があったとか、恐らく何かしらの現実があるのだと思います。が恐らく、この少女も、キットまわりの友人も、そしてご家庭も、特別「悪い」わけでなく、ごく普通のどこにでもある、思春期の葛藤やいざこざにすぎないのではないだろうかと想像しています。つまり普通の少女だったのではないでしょうか。誰しも、周囲の大人が信じられない時期や、反発を繰り返して、大人への階段を上って行きます。親でありながら、最後は子どもを信じているしか仕方がない時と言うのは、どこの家庭でもあるのではないでしょうか。

この事件が特異なのは、この少女がTwitterという世界を持っており、そこから平均的な節度と常識を持たない大人が、近づいたところにあります。イヤ近づいてしまえたところにあるのだと思います。容疑者は、誘拐でなく、良い事をした…と主張したようです。少女が、つまらない現実から飛び出す手伝いをした…と言うのがその理由でしょうけれど、残念ながら12歳という年齢に対しては「同意」があったとするのには無理があるでしょう。

ネットは「第4の火」に相当するくらいの発明(発見?)なのでは…と私は思っています。エネルギーでは無いので「火」と言うのにはおかしいのかも知れませんが、社会の仕組みそのものを大きく変えて、産業の在り方にまで大きな影響を与えたという意味で、画期的なものだと思います。ただ、その第4の火には、管理者が存在せず、無法地帯と化しており、このような少女にいとも簡単に近づけてしまえるのが現実です。情報の海と表現されたりしますが、膨大な情報は真偽の区別もつかず、日常のあちこちに詐欺や犯罪の入り口が転がっているのが現実では、いずれ人間社会は、第4の火に焼き尽くされるのではないかと疑ってしまいます。さした理由もなく、SNSを始めるのが現実です。親が子どものSNSをチェックしたり、上司が部下のSNSを覗いたり、くだらない画像をアップしたり、他人を中傷したり…世の中は変わらなければならないと思います。

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2019年11月24日 | 社会派らぼ
「桜を見る会」を巡る迷走が続いています。招待基準があいまいで、参加者の数が異常に多く、選挙目当てに私物化している…という野党の批判もあながち間違ってはいません。政治家というものは、私腹を肥やしてはいけないし、発言や行動には責任を持っていただきたいと思います。が、約1万5000人の招待客名簿廃棄に使ったシュレッダーが、使用が重なって順番待ちとなり、以前から廃棄しようとしていたのが、たまたま共産党議員が衆院で資料請求した日に廃棄された…といった話になって来ると、何の話をしているのかさえ分からなくなってしまっています。消去したという電子データを復元して提出するような要求も出されています。

「桜を見る会」への招待客は誰でも良いとも言いませんが、政治家の方々には「政治」をして欲しいと思います。政治とは、もっと高次元のものであるはずです。つまらない喧嘩は、場外でお願いしたい。

相互不信の流れを壊さなくてはなりません。訪日中のローマ教皇は、長崎市の爆心地公園で、そう呼びかけました。自国firstの風潮の現代は、国と国も相互不信でしょうし、何かと言うと悪質なコメントが山のように押し寄せる現代は、人と人も相互不信に陥っているようです。大阪の小6女児を監禁しようとした栃木の男性は、トテモ真面目だったと言われています。真面目で優秀だったはずの人生はがどこから狂って行ったのでしょうか。

大局を見極める力…が求められていると思います。

逮捕

2019年11月23日 | 社会派らぼ
政府の陰謀論まで飛び出して来た「沢尻エリカ氏逮捕」のニュース。彼女が違法薬物を使用しているという情報があって、随分前から内偵していたようです。渋谷のクラブから帰宅したところを、自宅に踏み込み、合成麻薬MDMA所持の現行犯で逮捕、体内からそうした成分は検出されなかったとの事です。が、本人は随分前から違法薬物を使用していた事実を語っていると言います。もしかすると、逮捕されてホッとしているのかも知れません。

来年放送されるNHK大河ドラマ「麒麟がくる」に出演が決まっており、既に撮影も進んでいるという時期でてんやわんや。出演しているCMがストップされるなど、賠償額は10憶ともささやかれています。NHK大河は、早速代役が立てられ、撮り直しの方向のようです。

ところが「文春オンライン」が実施した緊急アンケートによると、撮り直しをするべきだという意見48.1%に対し、撮り直さなくて良いという回答が51.9%。ほぼ半々とはいえ、撮り直さなくて良いという意見が半数を超える結果になっています。言わなくても良いのに…と思う人たちまで、あちこちで「逮捕」についてのコメントが飛び交う中、カムバックに触れるなどの擁護論も見受けられます。こうしたケースは、取り敢えず「叩いておかないと」のパターンと思うのですが、堂々と庇う人もいるようです(犯した罪については、誰も異論はありませんが)。

圧倒的な実力がそうさせるのでしょうか。生きる事にさえ傷つく繊細な彼女のありようが、何かしら危ういものを感じさせ、放っておけないのかも知れません。沢尻エリカさんと言うと、20歳ごろの主演映画の舞台挨拶で「べつに…」と答えて、日本中のバッシングを浴びました。何も日本中が寄ってたかって、一人の女優の態度の悪さをあげつらう必要も無いと思うのですが、今の日本の社会はそういう社会です。有名な女優さんだったので尚の事、激しく叩かれたのだと思いますが、他人を叩く前に、救いの手を差し伸べる社会でありたいと思います。そうでない限り、堕ちた後に踏みとどまって、再び登って行くのは並大抵ではありません。特に違法薬物に関する犯罪は、意志が弱いと言った言葉でくくってしまうには、あまりにも壮絶です。

多分今は、日本中がその才能を残念に思っているはずです。逮捕が、彼女の人生の救いになると良いのですけれど。

汚言症

2019年11月21日 | 社会派らぼ
山梨県のキャンプ場で小学校1年生の女児が行方不明になって、早2か月が経つようです。無事に発見されるにせよ、最悪の事態が展開するにせよ、いずれにしても、女児の消息は数日で知れると誰もが考えていたと思います。ところが、女児は忽然と消えたかのように、全く足取りがつかめないと言います。着の身着のままで、何日も一人で過ごすことは不可能に近く、むしろ誰かに連れ去られていて、誘拐犯の保護下で命を繋いでいて欲しい…と、そんな風にも思います。

ご両親の心中は如何ばかり…かと想像します。「今時」ですから、トリミングサロンを経営しているという母親は、サロンの集客のためにインスタグラムを利用しており、それを利用して情報を集めようと考えるのは、当然の流れかと思います。ただ、女児の安否を気にしている風を装いつつ、別段どうでも良いと考えている「世間」は、そうした母親の一挙手一投足をあげつらって、批判する事に忙しく、悪質な内容を含む中傷コメントが数多く書き込まれており、「刑事罰に問われる可能性がある」との指摘があります。

先日、タレントが運営しているブログで、書き込まれるコメントがあまりにも非常識で、有名税を差し引いても我慢の限界を超えている…と、コメントを書き込んだ人の情報開示を請求し、認められた事が報じられました。順に法的手続きを踏むとしており、これを機に、無責任な書き込みが減ると良いとしていたのですが、そんな事では、無責任なネットを取り締まる抑止力にはならないようです。

ネット上で、こぞって誰かを悪く言い、口を極めて罵倒する今の社会は、一体何なのでしょう。事に対し、人それぞれに意見があるのは、当たり前です。が、それを当事者でも無い人たちが、あれこれ(しかも当事者を罵るように)発言する必要が、一体どこにあるのでしょうか。

場所や状況をわきまえず、攻撃的な言葉を発してしまう「汚言症」なるものがあるそうです。WHOの分類によると、汚言症は「音声チック」に分類されているそうで、意志と関係なく「言ってしまう」症状なのだそうです。詳しくは分かっていない…という事ですが、脳機能異常があるのではないかとも言われているそうです。…が、私は何でもかんでも、名前を付けて病気にしてしまう(語弊がある言い方かも知れませんね)のには反対です。

汚言症なるものが、ネット上で行き交う、悪口オンパレードの原因なのだとしたら、現代は「国民総(?)汚言症」に汚染されています。脳機能に異常があるかもしれない、僅かなケースは別として、「人間としての育ち方」に問題があるとしか思えません。「法治国家」と言われる現代は、「これをしてはいけない」「あれをしてはいけない」と事細かく法律で規定されていますが、ルールで人の品性を縛る事は、根本的な解決にはなり得ません。「人たるもの」どうあるべきなのかといった働きかけが、個々人に任されており、それはそれで良いのですが、下手をするとそうした問いかけには無縁で大人になってしまう世の中が違っている(?)ような気がしてきます。

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3Dプリンタ

2019年11月19日 | 社会派らぼ
和歌山県では仏像の盗難が相次いでいるそうです。盗難が発覚しても、既に転売されており、元の寺に戻って来る事は大変珍しい…とかで、和歌山県田辺市の華蔵寺の釈迦如来像が寺に戻されたとニュースになっていました。観光客の絶えない有名な寺社仏閣はともかく、普段は人が立ち入らない無人の寺社では、仏像を見張り続けておくこと自体が難しいと言います。

そこで3Dプリンターで身代わりの仏像を作成して寺に安置し、本物は安全に別場所に保管しておくといった試みが注目されているとか。和歌山工業高校の生徒らが、3Dスキャナで仏像を計測し、プラスチックで造形して塗装をするのだそうです。授業の一環として行われており、専門業者に依頼すると数百万円もかかる費用を、材料代のみに抑える事ができているということで、多くの関係者が取り組みを高く評価しています。

多くの文化財には歴史的な価値があり、それらは盗難や消失であっけなく失われてしまいます。先日のノートルダム大聖堂や首里城の火災は、大変ショッキングな光景でした。いずれも再建を目指しており、関係者の奔走や多くの人の思いは、近々実るものと思われますが、失った歴史的価値は戻ることはありません。ですから、本物は管理の行き届いた博物館や耐火宝物館のようなところに安置し、寺の本堂にはレプリカを安置する…といった防犯対策も、必要なことかも知れません。

それを「3Dプリンタ」といった機械が、簡単に可能にするのであれば、それは歓迎すべき事なのだと思います。…が、いずれ、仏像や国宝級の絵画・彫刻類が、いとも簡単にコピーされて、贋作が出回る図を想像してしまうのは、早計でしょうか。美術工芸品の贋作…は、古くから登場します。それでも昔は、贋作は贋作なりに、手間暇をかけて作られていたはずなのに、そのハードルが思い切り下がるといった図式になりそうです。

イートイン脱税

2019年11月14日 | 社会派らぼ
「イートイン脱税」という言葉が使われ始めました。10月1日から、消費税が10%に引き上げられたのですが、低所得者への配慮として「軽減税率」が導入されています。酒類を除く食品表示法に規定されている飲食料品と週2回以上発行されている新聞は、消費税8%に据え置かれているのに対し、外食やケータリングの食事などについては10%の消費税が適用されます。更にキャッシュレス決済によるポイント還元が導入されていて、実際に適用される税率は3%~10%の間で5段階に分かれていると言います。何せ、ややこしいのです。

イートインスペースのあるコンビニなどで食料品を買う場合、持ち帰るのであれば8%、イートインスペースで食べる場合は10%という税率になっていますが、レジではテイクアウトと申告しておき、店内で食べるのが「イートイン脱税」という訳です。中にはそれを取り締まろうとする「イートインポリス」という人まで存在するらしいです。

某弁護士の方の見解では、購入時点では「持ち帰りたい」と思っていて8%で会計を済ませた後、食べたくなったからイートインスペースを利用した…というのであれば、罪に問われない。最初からイートインスペースを利用するつもりで、レジでは嘘をついて持ち帰ると言った場合は、詐欺になる。…そうです。勿論逆もあり得るわけで、こうにゅ時点では店内で食べようと思っていて10%で会計を済ませても、気が変わって持ち帰る場合は、レジに申し出て返金してもらえるのでしょうか。

何しろ、「イートイン脱税」をしている人は、少なからずいるようですが、店側もなかなか1~2円の消費税を支払えとは声をかけにくいのが現状なのだそうです。律義に10%支払っている人がいるかと思えば、明らかに「詐欺」をするつもりの人もいるわけで、不公平感は否めません。

でもこれは、制度が悪くありませんか。このような不公平が起きる事は、当初から想定できるはずです。それでも尚、こうした仕組みを導入したのは、なぜでしょうか。やってみるまで予測のつかない事と、少し考えれば分かる事は、根本的に違っていて、予測できるトラブルを回避しない施策は怠慢と言うほかありません。

2020年度から導入しようとしている、大学入試共通テストも然り。先日、英語教科の民間試験導入が見送られましたが、記述試験も含めて、トラブルの想定は十分できるはずです。全国の大学進学希望者を、全く公平に記述式問題でランク付けしようとすること自体に無理があります。それを可能にする採点方式があるとしたら、それは本試験がうたう思考力のある人間を見出せるものとは程遠いものです。

最初からトラブルが十分に予測できる制度を強行する意味はどこにあるのでしょうか。

2019年11月13日 | 社会派らぼ
4月に、池袋で自動車の暴走事故を起こし死傷者を出した、旧通産省工業技術院の元院長が書類送検されました。はねられた母子2人が死亡したにも関わらず、運転していた元院長も怪我をして病院に運ばれ、結局今に至るまで「逮捕」されていない事について、「元院長」という「上級国民」だからか…と、かなり騒がれました。大津市の交差点で、衝突事故を起こし保育園児らを死傷させた事件の場合は、双方の車を運転していた女性はその場で逮捕されています。(交通ルール通り運転していた一方の女性は、すぐに帰されました。)逃亡のおそれや証拠隠滅の可能性がある場合に「逮捕」が必要になる…という風に、説明されていますが、事の是非をここでどうこう言うつもりもありません。意見として言う事は別として、感情論としてどうのこうの言えるのは、怪我をされた方々や大切な家族を亡くされた方だけだろうと思いますから。

ただ、そうした世論の火に油を注いだのは、元院長の「安全な車を開発するようにメーカーの方に心がけていただき、高齢者が安心して運転できるような外出できるような世の中になって欲しいと願っております。」という取材での発言でした。元院長は、当初ブレーキを踏んでも効かなかった」と発言しています。満更嘘を言ったわけでは無く、その時点では本当に、ブレーキを踏んだという認識だったようです。後に「アクセルとブレーキを踏み間違った可能性もある」と言を翻しました。警察は踏み間違いが事故原因と断定したようです。元院長の発言は、「現在の車は、高齢者が安心して運転できるものではなく、そうした車自体に事故原因がある」と言っているように聞こえるための、世間の反発です。あちこちで関係のない第三者が「それをお前が言うか?」と、声を大にしているようです。

発言者への批判はこの際、別として、車自体の開発を見直しても良いのではないかと思います。言わずとも、現場ではキット様々な開発研究が成されているだろうとは思いますが、私たちは車をある程度「完成した」ものだと思い過ぎているかも知れません。池袋の事件に限らず、高齢者が運転する車が大きな事故を引き起こす事例は、何度も報道されています。(もしかすると、報道がそれに飛びついているからかも知れませんが。)そのために、年齢によっては「免許返納」を考えるべきだという風潮が強まって来ました。家族が免許返納を薦める場合もあるようです。

ただ、高齢者のみの家庭にとって、車は大切な「足」でもあります。年齢を重ねれば重ねるだけ、外出を車に頼りたくなるのが現実です。買い物の荷物が重くなったり、病院通いが増えたりする時に、「足」が無いとトテモ不自由になると想像できます。自動運転の技術が進歩してきており、今にも実現するかのように報じられてはいますが、映画の中のように、呼べば車が一人で走って来てくれる世界は、まだ遠い先の事でしょう。実現できている技術は、運転アシストにしか過ぎないのが、現段階でしょうか。

現在の車は、足元にアクセルとブレーキがあって、それを足で踏み分けています。慌てた瞬間に、間違って逆を踏んでしまう危険性は大いにあるのではないかと想像できます。それなら、足元にブレーキペダルを、アクセルはハンドルの方に装備するといった工夫は出来ないのでしょうか。ブレーキは足で踏むけれど、アクセルは手で回す…的な。同じ動作でなければ、間違いも減るのではないだろうか…と。。。。

人はいつか死を迎えます。それは、残念ながら変える事ができません。身体の寿命のようなものはキットあって、病で命を落とす…と言うのはある意味で仕方がない事だと思っています。…が、逆を言えば、寿命以外の事で命を落とすことが無い世の中になって欲しいと思います。突然、命を奪われた方々の無念は、察するに余りあります。

ルール

2019年11月11日 | 社会派らぼ
11月11日は新聞休刊日でしたので朝刊はなく、夕刊で各紙一斉に「即位パレード」の模様が一面トップで扱われています。オープンカーで並ばれた天皇・皇后両陛下のお写真が大きく取り扱われています。紙面では、見出しのフォントサイズや写真サイズがニュースの大きさと比例します。

そんな中で、産経新聞の記事取り扱いには、少し驚きました。例のオープンカー写真が、高さは1面のおよそ半分を占め、横幅は最終ページと見開きに広げた右のほうへ大きくはみ出していました。その下に添えられたのは、パレードの車列を真正面から広角で狙ったもので、高さこそ大きくないものの、横幅はオープンカーより更に広いものでした。結局写真で占有された1面には見出しが無くて、見開きの最終ページの方に「両陛下、晴れやかに」と記されていました。

残念な事かも知れませんが(いいえ、当然の事でしょう)、各新聞社にはそれぞれのイデオロギーがあります。記事も客観的に書けているのかと言うと、実は偏っていたりもします。読者もそこのところはよくわかった上で、新聞記事に目を通しているはずです。産経新聞社は、「即位御列の儀」をより大きく、より華やかにレイアウトしたかったのだと思います。

新聞記事のレイアウトを大きく破る事となったこの割付は、今までのルールに捕らわれない斬新さがあります。がもしかすると、ルールがあってこその努力であり、工夫であるような気がして来ます。言わば、テストの採点で「120点」をつけるようなものでしょうか。大抵のテストは満点は100点と定められていますが、恐らく100点満点よりもっと、数字にできない独創性や努力を感じて「120点」としますが、一旦100点超えの例を作ってしまうと、更に「150点」「200点」などの良く分からない世界に突入しそうな危うさがあります。

最大級の取り扱いを表現しようとしたのが、今回の最終ページとの見開き作戦なのだと思います。一旦ルール超えをしてしまうと、そこから更に品格を落とすことに繋がる落とし穴に気を付けておきたいと、妙な事を思ってしまいました。

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