ぱそらぼ (ぱぁと1)

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VR

2020年08月04日 | 社会派らぼ
とんでもないニュースが流れた…と感じたのは、私だけでしょうか?

「死んだ人と会える」VR技術が登場したというものです。VRはバーチャルリアリティ。日本語では仮想現実と言った風に訳されているようです。ゴーグルのようなものを装着して、3次元の仮想空間を疑似体験するアレです。コンピュータによって作り出された環境を、現実として知覚させるもので、ゲームばかりでなく「避難体験」や「不動産内見」「手術のシュミレーション」「バーチャルトリップ」など、既に実際の場面で実用化されています。

Amazonでは、部屋の中など実在の風景の中に、バーチャルな商品イメージを重ね合わせて、家具などを実際に部屋に配置したイメージを確認できるサービスを展開し始めているそうです。避難訓練と称して、火事ではないと分かっている中で訓練を実施するより、災害体験や訓練用VRなどは効果が高いかも知れません。物は使いようです。こうした新しい技術を、どんな風に使えるかを様々に想像して、新しいサービスが世に出てくるのは、なかなか興味深いものです。

そうした技術を応用したものが「死んだ人と会える」VRです。生前に録音されていた声を使って音声を再構築し、生前の写真や動画から仕草などを分析して3D動画を作成するそうです。理論的には充分可能です。…だから「死んだ人に会いたいか」と言えば、会いたくはあまりありません。それはあくまで「死んだ人の合成映像」でしかなくて、「死んだ人」そのものでは無いからです。過去の音声や言葉から「こう言うであろう」と類推された言葉が機械的に作られているだけで、本人の理性や感性とは異なります。

もしかすると、本当に逢いたい…と切望する人との別れを経験していないだけなのかも知れませんが、本当に逢いたいと思う人であればあるだけ、本物もどきには会いたくないと思うのはアマノジャクなのでしょうか。人は過去を分析しただけで、未来をはじき出すことはできないと思います。これまでの発言を分析し、こう話すであろう台詞が合成されても、それはやはり違うし、逢いたい気持ちを更に募らせるだけのような気がします。

夢で良いから出て来て欲しい…と願うのも又人の真情です。夢に出て来てくれた…と、手放しで嬉しそうにする人もいます。夢は望んでも、必ず見られるものではありませんし、夢の中のストーリーは脈略があるようでありません。ゴーグルを着けて、確実に「会う」という行為とは、違っているように思います。

人類の研究が、様々に真実を解明し、新しい技術を生みだしていくことはスゴイ事だと思いますが、人は「神になってはいけない」と、今でもそう思います。