ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

2023年01月21日 | 命の生き方
今どきのタレントさんや歌手の名前も知らないくせに、芸能ネタを書こうとは思いませんが(笑)。体調不良で昨年11月から活動休止していた中居正広さんが、相次いでレギュラー番組に復帰を果たし歓迎されています。異例の長期療養に、重病説まで飛び交っていたようで、ファンならずとも安堵しているところでしょうか。

この長期療養が話題になるのは、偏に中居さんの人気・実力を示すものではありますが、同時に「体調不良で」としながら、その詳細を明かさない彼の姿勢にもあったようです。小林麻央さんが「なりたい自分になる」と題して、「がんの陰に隠れないで」と医師に言われたことをきっかけに、自らの病状を公開し大きな反響を呼んで以来、少し前まではタブーとされていた自身の病気や闘病を明らかにする芸能人が多くなりました。病気であるとすることが、致命傷のハンディになった時代ではなく、むしろ(言葉は悪いかも知れませんが)宣伝になる時代に突入した感があります。そんな中、敢えて「公表しない」姿勢を貫くトップスターということで、人目を集めたようです。

実力も人気もあるタレントばかりでなく、ブログの世界には確実に「闘病もの」とでも言える分野があるようです。非常に厳しい状況を乗り越えた方から、現在リアルタイムで直面している方まで。自分の経験が誰かの役に立てば…という動機も理解できますし、そうしたブログに勇気をもらっている方や、情報を仕入れている方もいらっしゃると想像します。それでも、それにしても、オンパレードの様は少し異様にも感じます。

公表したい方があっても良いし、公表しない人があっても良い。それはあくまで個人の自由です。が、あくまで非常にプライベートでナイーブなものは人目に晒すのが基本ではないような気がします。某病院では、診療時間が始まると、受付前に列ができます。来院した人の症状を聞いて、いくつかの科に受診を振り分けるのが、受付の仕事のようです。…が、列に並んでいる人に片端から「今日はどうされました?」と尋ねて患者がそれに答える様は、何となく違うのではないかと感じます。

医薬分業が進んだおかげで、診察は病院で受けた後、処方箋を持って薬局で薬を受け取るといった図式が定着しました。ここでも、狭い薬局の中で、アクリル板で多少区切っただけのブースでは、薬剤師が「痛み止めが増えていますが、痛みが強いですか?」とか、「〇〇の薬が出ています」といった説明をしています。医師と話した上で説明・処方された薬を、尋ねたい人は別として、病状も知らない薬剤師に大声で繰り返して欲しくはない…と思う人はいないのでしょうか。

好んで病気になる人はいません。病気を歓迎する者もいません。他人に大きな声で吹聴したい人はいるかも知れませんが、伝えるとしたらそれにはそれで深い理由があるはずで、大半の人にとってそれは非常にプライベートな問題です。恥ずべきものでもない代わりに、吹聴したいものでもない。それを、無神経に多人数の前で読み上げる必要は無い…と感じる私だけがもしかすると感覚が異なっているのでしょうか。他人が直面している闇に無神経に聞き耳を立てたくはありません。

本音と建前があって、人は本音で向き合わねばならないといった事は良く耳にします。が、私は「建前」というのはトテモ大切なものであると感じています。何もかもさらけ出してぶちまけるのが良い事ではなく、こうありたいこうあるべきだという志を高くありたいと思っています。

自転車人間

2023年01月14日 | 雑談
毎日冷たい日が続きます。寒い…というより、冷たい…感じです。「年」と「年度」が異なっているのは周知の事で、年は明けて暦は新しくなりましたが、年度末の時期で、年度末処理や4月からの「新年度」の準備に忙しいのがこの季節でしょうか。

ちなみに日本では、財政法に「国の会計年度は、毎年4月1日に始まり、翌年3月31日に終わるものとする」と規定されており、地方公共団体についても地方自治法で同様に規定されているそうです。更にちなみに、アメリカの会計年度は10月から9月だそうですし、イギリスは日本と同様4月から3月。欧州主要国を中心に1月から12月としている国が多いようで、世界統一基準はありません。

何せその年度末ですので、新年度に向けての計画にあれやこれや頭を悩ませています。近年はスマホやタブレットの時代となっているようで、パソコン離れが顕著だと言われます。以前は、中高年はパソコンが苦手というのが通例で、職場では年配者が若者に教えを乞う図式だったようですが、最近はパソコンが使えない若者が急増していると言います。スマホやタブレットの普及によって、パソコンを使う必要が無いのだとか。

が、スマホやタブレットの時代だからこそ、「パソコンはもっとパソコンらしく」使わなければならないのではないだろうか…と考えています。単にネット検索をしたり、メールやラインのやり取りをするのなら、スマホの方が便利なのはわかり切っています。パソコンの使い道がネットやメールでは、廃れて当たり前かと。スマホ時代を十二分に意識したパソコンというものをもっと考えて、提案ができたら良いなと思って、あれこれ思案を巡らせています。

ですが、あれやこれやと思いを巡らせて、私の場合はそれを実際にご案内する機会を想定し、内容を組み立てて資料を作る…といった風になるのですが、この作業はやはり楽しい(笑)。二輪の自転車は漕ぎ続けていないと、自立しません。漕いで前に進むことで、初めて姿勢を真っ直ぐ保ち続けることができます。自転車人間の私だけでなく、きっとそういうものなのではないかと思います。

世の中は、個人の力が及ばないところで、最悪の加速度を加えているようです。大きな流れを考えると、足がすくむような気がします。そんな時代だから…ではなくて、そんな時代だからこそ…、一人ひとりが小さな自立を続ける事しかできないのかも知れません。漕ぎ続けることでしか、前に進むエネルギーは出て来ないのだとしたら。

ネット迷子

2023年01月09日 | 社会派らぼ
突然「デバイスが不具合で…」と瞬間ダウンを繰り返したパソコンが、本当に立ち上がらなくなり、起動にすご~~~~~く時間のかかるノートパソコンで仕事をしています。

ネットが使える事が当たり前で、何でも気軽に検索して…の日常です。先日気軽に検索して「いいかも…」と思っていたサイトを再度探そうとしたら、どうしても見つけられないという落とし穴に陥っています。これ!と思ったページは、そのままデスクトップにドラッグして、リンクを残したりするのですが、この時は検索し始めたところで、まだ「これ!」の感想に至っていませんでした。あちこち色々調べてみた結果、やはり最初に見ていた「あの」サイトだな…になったのですが、サイト名も覚えていなければ、検索キーワードもうろ覚え、運営されている方の情報に至っては何一つ記憶にありません。パソコンがダウンしてしまっているので、履歴をたどりようもない。「ネット迷子」のようなものです。

検索し始めて間なしだったので、それほどキーワードをあれこれ試したわけではないので、シンプルなキーワードでチャレンジし直してみるものの、見覚えのあるページは出て来ません。画面の中でコレと思うリンクを、気の向くままに辿ったりするのは常なので、あっちへうろうろこっちへうろうろ。手がかりは、探そうと思っている自分の中のシンプルなキーワードのみ。それでもどうしても、目的サイトが見つかりません。完全に迷子です。

だから…、一度見たサイトを再度訪ねられるような機能をとはもう思いません。履歴をたどる機能はあるのに、パソコンが壊れてしまっていて使えない状況なのです。肝心なことは、サイト名を意識することもなく、サイトを作った方に関心を持つこともなく、ただ情報の中身だけしか見ていなかった自分に責任があります。便利な世の中に乗っかっているだけでは、多分ダメなのだと思います。

「便利」というキーワードには魔性が潜んでいます。ついつい「便利」に誘われて、便利ではないものはダメなのだと思い込まされてしまっていますが、一つひとつ自分の眼で確かめて、時間をかけて手間暇をかけて、自分の知識と見分を広げる事の意味を考え直す必要があるという事でしょうか。

見つけ直そうと思っているサイトは、仕方なく諦めて、今度は情報を探しに書店へでも足を運ぼうかと思っています。

あけましておめでとうございます

2023年01月06日 | 雑談
明けましておめでとうございます。

新しい年が明けました。ただひとすら流れていく時間の中で、人間は「暦」というものを考えました。それは壮大な宇宙の定まった動きに起因しているとはいえ、辛いことも哀しいことも一区切りさせて、新たに頑張ってみようかなという真っ新な気持ちにさせてくれる不思議な効果があります。

昨年は長く続けたブログを開けない日々が続きました。いっそ閉じてしまおうと何度も思いましたが、これまで紡いだ駄文が愛おしくてそのままに。いただいたお年賀状でブログに触れて下さった方もおられ、…心の片隅で気にかけていただいていることが有難く、新年の真っ新効果もあって、久々にキーボードを叩いています。

駄文を綴らなくなった理由は、単に日々惰性に流されていただけです。哀しいかな、年齢を重ね、若い時のように勢いだけで突っ走ることが次第に難しいお歳ゴロに差し掛かってきました。加えて世界が誰もが止められない方向に突っ走っており、そこではいくら「人はこうあるべきなのでは」とか「こんな風に生きる方が…」とか考えてみても、異なる価値観の前に全てが無力であることを実感させられる日々であったせいもあるかと思います。(←言い訳)

「ニワトリが先か 卵が先か」。互いに循環している原因と結果の端緒を探ってみても、明確な答えは出てはきません。「国ありき」か「人ありき」かといった問題も、似ている気がします。「国ありき」で、その国に人が住んでいると考えるか、「人ありき」で、その人たちが国を作っていると考えるか、そんな根本的な価値観の相違がある限り、世界が一つになることは難しいように思えてきます。プーチン大統領が率いるロシアの蛮行を非難する声は確かに正しいし、ロシアという国の民意が平和へ舵を切ってくれないかと切に思います。が、もしかするとプーチン大統領自身が「国ありき」という大前提で、その国が偉大でなければならないという大きな妄想を背負って、苦しんでいるのかも知れません。

ネットの世界が大きく変容を遂げました。当初は、発信が可能なのはほんの一部の限られた人だけで、それなりに立場を持っている人たちの手でネット世界が築かれて来ました。最近はどんな考えの人も等しく主張が可能な時代に突入し、真偽・虚実・表裏が混とんとした世界になっています。

大地が誰かの所有物であり、その大地が生む産物は所有者の財産であり、財産を築く営みで経済が回るという世の中である限り、世界も一層混とんを極めていくのではないかという危惧が否めません。生まれた土地や住む土地に関係なく国が選べるとか、もしかすると国という概念がなくなるとか、価値を定めるものが貨幣でなく例えば「人からの感謝」であるとか…。いずれにしても現在の社会のありようは、人間がたどり着く最後の形態ではない気がします。

世界がどうであれ、「自分の生を閉じる」ためにどう生きたいのか、自分で納得のできる日々を過ごしたいと思います。今年は気まぐれ発信をいくつ重ねることができるでしょうか。パソコンが不調で、突然落ちることを何度も繰り返し始めており、行先思いやられる新年です。皆様のご多幸を心より祈ります。