ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

2015年08月31日 | 雑談
段組み機能の正しい(笑)解除方法

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友だち

2015年08月30日 | 雑談
日米中韓の4か国で行われた意識調査の結果が発表されていました。高校生を対象に「ネット上の付き合いだけで、実際に会ったことのない友達」について尋ねたところ、「1人以上いる」という回答が、日本では55.2%、米国では71.7%、中国53.3%、韓国で36.8%に上りました。それだけネットが普及したと考えるべきでしょうし、この意識調査では、ネットの危険性についても90.4%という高率で危険性が認識されていたと言います。若い世代は、ネットの弊害を良く知った上で、そこに新しい世界を開こうとしています。これまでの世代には超えられない、新しい世界を開く可能性があります。

ただ、彼らが、どのような存在を「友達」だととらえているのかが、多少気にかかります。最近のニュースを見ていると、友だちは、ただ単にいつも一緒にいて行動を共にする者といった感覚でとらえられているような気がしてきます。いつも一緒にいなくてはならないわけですから、物理的に離れている間は、ラインやメール・電話などで連絡を取り合っていなければならない? 少しでも返信が遅れると、何をしてた!になってしまっているのでしょうね。

一緒に居ることで、一人では無いという安心感こそが彼らのよりどころなのでしょう。四六時中繋がっているということは、裏返すと一人では不安で仕方がなくなります。自分に自信を持つのではなく、依存することでのみ救われようとしてしまいます。但し、現実の生身の友だちは、他の友だちと仲良くしてしまう場合もありますし、瞬時に返信して来ない場合もあります。もしかすると、どこかで自分の悪口を言っていないとも限りません。それなら、ただ単にネット上だけで繋がれる友だちの方が、数倍安心して孤独を癒してもらえます。

友だち…が、いつからそんなに概念的になり、希薄になったのかは分かりません。「生きていく目的」のようなものを求めなくなったせいかも知れません。世の中を豊かに生きる…ということの、本当の意味を、教えられる大人がいないせいでしょうか。短絡した快楽だけが人生の全てであるような厭世観を払しょくすることが、現代の急務です。



印刷プレビューで余白をドラッグ変更できたはずですけれど?

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IT社会

2015年08月26日 | ぱそこん道
嘘のような本当の話。

スマホの画面で「1」を2回押した後に「0」を押して発信すると、通信速度が速くなるというデマが広がって、間違い「110番」電話が、全国の警察に相次いでいるそうです。普通に考えれば「110」を押せば、警察に繋がる事くらい、小学生でも分かる話なのでしょうけれど、まことしやかに「通信速度が…」と言われると、ツイ信じてしまうところがなんだか怖い気がします。

勿論、本人は、イタズラ電話のつもりは全くありませんから、「110」を押して、警察に繋がって慌てて切るケースが多いのだそうです。が、「110番」通報が切れた場合、警察からは発信元に電話を掛け直す事に定まっているために、事態が発覚したと言います。

エイプリルフールのツイッターがデマ元だという事です。ツイッターなどで使われるハッシュタグは、元々、ユーザーが提案したことによって広まった機能だと言われていますから、「110」もあり得ることだと、多くの人が思ってしまったのでしょうか。IT社会を正しく生きていく常識が必須なのでしょうか。正しい関わり方を広めることも、大切な事と改めて思わされました。


縦書き中の半角数字だけを横に並べたい

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発信

2015年08月25日 | 社会派らぼ
世の中に向かっての発信が容易になりました。然るべきポジションの方々には、記者会見なり、インタビューなりで、意見を述べる場があっても、個々人にはそのような場面が無いのが通常でした。が、今ではホームページやブログ、更にSNS…と、世の中に向かって広く意見を言う事が、トテモ手軽になりました。勿論、著名人とは違って、その注目度合いは知れたものですから、どれほどの社会効果があるかという点では、今でも私たちに力は微々たるものでしかありません。それでも、世の中に向かって、自分の意見を堂々と言える時代なのです。

世の中の事象には、流行り廃りがあるのが常です。その流行りについて行くことも、一つの見識です。「そんなものは…」と吐き捨てるように無視するのも、一つではありますが、「やらない」ことと「やれない」ことの間の壁は、決定的でさえあります。知った上で「やらない」という選択肢をとることも可能なのですから、登場する様々なツールも理解はしておきたいと思います。

ブログが急速に流行り出したのは、今から何年前でしょうか。当ブログの開設が2005年ですから、少なくとも10年の年月は流れ、今では情報発信の手段は、ブログから離れたと言っても良いかと思います。ブログよりSNSでしょうか。フェイスブックやツイッターなどに、人気が移行しました。そして更に、既にフェイスブック離れも秘かにささやき出されていて、…Instagramが急上昇しているとか。

どのサービスを使っても、似たような事はできるわけで、根本的に異質のものではありません。それでも、この流行の変遷には、少なからず「文字文化」から離れ、絵で物事を把握する世界に興味が動いてしまっている感を感じます。Facebookより、Instagram。言葉で説明をするより、直感的に感じようとする文化が主流化している気がするのです。

Lineのスタンプ機能なども、まったく同じ流れかも知れません。LINEの言葉のやり取りは、既に文章という概念から外れ、より会話化した言葉のキャッチボールが目指されています。が、更に言葉そのものを使わずに、言葉を補う「スタンプ」機能が人気です。実際、可愛らしいモノもたくさん手に入りますから、結構便利に使っていますが、いわゆる絵文字より、モット雄弁です。

少し、冷静になってこの流れを考えてみると、人は「文章」の文化から離れ、直感の世界に逃げ込もうとしているかに思えて来ます。ただ、直感や感性といったものは、大切にしたいと思ってはいます。でも、それだけで世の中を過ごして行こうとする流れがあるのだとしたら、それはヤハリ違うのではないかと思います。直感には、深い考察はありません。物事を幅広く、深く、理解することによってのみ、人はとぎ冷まされるはずだと思うのです。

フェイスブックページのファンを辞めたい
特定の相手の記事がニュースフィードに表示しないようにする

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働く動機

2015年08月23日 | 命の生き方
世論調査…というのは、一体どうやって、世の中の「世論」をまとめるのでしょうか。個別訪問面接聴取、RDD(乱数番号法によってかける電話)、インターネットといった手法が説明されています。が、こうした収集する世論には、偏りが無いとは言えないと思っています。時折、固定電話が鳴って、アンケート依頼を受けることはありますが、申し訳ありませんが、私は断ります。日時を構わずに、一方的に突然アクセスされても、こちらはその気にはなれない…といったわがままな感想が、その理由なのですが、意見を求められるなら、もう少しキチンと求めて欲しいといった心持がどこかにあります。

世論調査の信ぴょう性はともかく、プレジデント編集部が、約2000人を対象に、働く人たちの仕事観を調査しました。これは、毎年実施されているのだそうですが、「働くモチベーション」が「給料」だとする回答が55.6%を占め、昨年の調査より、1.5%程度増えたそうです。「自分の成長を実感すること」「社会自体のおもしろさ」のポイントはいずれも昨年に比べて減りましたが、「社会や他の人々に貢献できること」というポイントが2%程度微増しているという結果でした。年収別の統計をみると、年収が低い場合も高い場合も、「お金のため」という依存度が多いのに比べ、700万~1200万という層では、お金に依存している比率が50%を切っています。

別段、動機が「お金」にある事が、悪いわけではありません。但し、理想を言うならば、お金が目的で仕事をし始めたものの、いつしかそれに勝る価値に開眼するという経緯をたどって欲しいなどと思ったりするのです。人間というのは、本来「一人」では生きることのできない生物なのではないだろうかと思っています。否応なしに、他者と関わりながら、この世を生きるしか術が無くて、気が付けば、他者の中で生かされている自分に気づくのではないでしょうか。「誰かのために」などというおこがましい生き方ではなくて、誰かのために役立っている自分の存在に、秘かに安堵するのが「人」なのかも知れません。

古くからの年功序列と呼ばれた雇用制度が瓦解して、リストラや非正規雇用が当たり前になりつつある現代で、信じることができるものが、唯一「お金」だとする価値観は、ある意味正しくはあるのでしょうけれど、そうはなるまいとする自負も失わずにいたいものです。金銭が保証されたら、人は幸せかというと、実はそうではない現実を、実際に目の当たりにしてもいます。



式が見えないようにしたい

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生きる動機

2015年08月22日 | 命の生き方
寝屋川市の中学1年の少年少女は、動機も不明な犯人の手によって、最悪の結末で家族の下に帰りました。明日も、今日とさして変わり映えのしない一日が始まり、そして終わるはずだと、無条件に信じていた家庭に、とんでもない残酷な明日が明けてしまいました。嘆いても悔いても戻る事のない時間に、ただ打ちひしがれて涙を流すしか術の無いご家族と、そしてまだこれからの形すら描けてなかったであろう明日を奪い去られた、若い命に、ただただ目を閉じ、頭を下げるばかりです。

彼らの冥福を祈る声と共に、彼らの育った家庭環境を厳しく指摘する声がある事も事実です。報道の大半は「死者に鞭打つ」事を良しとはしませんし、悪いのは犯人なのですから、動機や経緯の解明に力が注がれています。が、最近の風潮は、誰であれ、つぶやけるし、うそぶけるし、あからさまに人を揶揄できてしまいます。そうした「影の」報道が、中学生が深夜に外出することができていた事実に、彼らの日頃の生きざまに、大きな疑問を呈していることは、一方で事実です。事の全てを解明し、再発を防ぎ、未来を担う命を正しく育てるには、様々な解析が多分必要です。ですが、それはあくまで、礼儀をわきまえた1社会人として、発言すべきであって、自分の低い品性をさらけ出すような、発言の仕方は厳に慎みたいと思います。なぜ、人は、一旦「裏」に回れば、下品な言葉を敢えて連ねて発信しようとするのでしょうか。

犯人と報道された人物は、以前にも、若い中学生を拉致したり、現金を奪うなどしたりしていたという報道もあります。勿論、あっという間にネット上には、様々な過去がある事、ない事、書き入れられています。が、これがフェイスブックやツイッターの威力だと思っている人がいたら、少し違うのではないでしょうか。

考えるべきことが、キット多々ありますが、いずれもが根本的な解決のヒットを飛ばせるわけでは無く、今回も、この起きてしまった悪夢の総括を個人に押し付けて幕を引くしか手はありません。再発防止に、自警団のようなものも活発になるかもしれませんし、家庭は子ども達の素行により目配り気配りを増やすでしょうし、学校では物騒な事件に巻き込まれないような生活指導が増えそうです。いずれもが大切な事だと思いますし、何より町全体の治安の向上に、多くの努力が重ねられる事と思います。

何より、モット大切な事は、人が「〇〇のためにこそ、生きる」と胸を張って目指せる何かを持てる事なのではないかという気がしてなりません。深夜に彷徨うしかなかった子ども達も、人を殺めて手に入れるものでしか空洞を埋めることのできなかった犯人も、自分の品性を下げる事承知で書き込みをしている者たちも、もっとその身を焦がすほどの「生きる動機」が持てていれば…と、あらぬことを思ってしまいます。現代の教育は、体・知・心の教育を目指していると言いつつ、「生きる動機」を持たせるには至りません。そんなものは、自分で苦しんで見つけるものだと思いつつも、社会全般に漂っている「どうでもよい…感」や「適当に…感」は、社会の責任でもあります。



1枚の印刷に納めたい・その2

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盗用

2015年08月19日 | 社会派らぼ
先日の国立競技場騒ぎで混乱を見せたばかりの2020年・東京オリンピックは、再びエンブレム騒ぎに起こっています。佐野研二郎氏が手がけたエンブレムが、盗作ではないかという疑惑です。ベルギーのリエージュ劇場のロゴと酷似しているとして、IOCが劇場ロゴ制作者より提訴されています。オリンピック組織委員会は、当初は問題なしとしていましたが、ここに来て、佐野氏の他の作品での盗用が複数発覚し、提訴の件もあって、白紙に戻す方向のようです。

本来、希望の象徴と位置付けたいオリンピックですが、どうも最初からぎくしゃくが否めません。せっかくの国を挙げてのイベントですから、成功裡に終わって欲しいと思います。1964年の東京オリンピックにも、キット色々な困難はあったのでしょうけれど、今になって、あまり悪い事は語りつがれてはいません。2020年のオリンピックも、歴史の中の美しい一点になって欲しいと思います。

それにしても、芸術というのは、難しいところがあります。「盗作」だと決めつけることは簡単ではありますが、物品のように、所有をキチンと割り切れない難しさがあります。他作品での盗用を本人が認めた事もあって、真っ白とは言い難い状況ではありますが、エンブレムと劇場のロゴだけを比べるのであれば、偶然だとも考えられなくもありません。

まして、芸術の多くは、他作品から触発を受ける、ヒントにする…といった事も、恐らくは日常茶飯事ですから、明らかな悪意のある盗用をどこで線引きするかは、判定する人がいるとしたら、判定者の胸先三寸といったところです。アイデアやデザイン、の世界では、多くの人が泣き寝入りを余儀なくされていたりもします。模倣された側からすれば、どのようにして、自分の作品を守れば良いのか、困難な道のりで、今回の劇場のロゴ制作者も、致し方なく提訴という判断をしたものとは想像します。作る側の産みの苦しみを良く理解できないままに、雰囲気だけで、声高に批判し、口汚く彼らを揶揄する事だけは、しないでおきたいと思います。



1枚の印刷に納めたい

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個人情報

2015年08月18日 | 雑談
個人情報保護法と呼ばれる一連の法律は2003年に制定されたようです。個人を特定できるような情報は、人格尊重の理念の下に慎重に取り扱われなければなりません。情報取扱事業者などは、本人の同意が無ければ、個人データを第三者に提供してはならないとなっています。その頃から、人々は「個人情報」という事に、敏感になり始め、小学校の教室で友達の電話番号も分からないとか、友達に年賀状を出すことができない…という風景がよく見られるようになりました。大半が、不便だけれど仕方がないという風に諦めているのが現実のようです。恒例のクラス集合記念写真が撮れなくなったとか、連絡網は自分の前後の家の電話番号だけが伝えられるとかいった話を良く聞きます。

個人情報はムヤミに晒すべきではないと思います。が、実際にあちこちで見聞きするクレームは、一体何を怖がっているのだろうかと怪訝に思う事もしばしばです。個人的な事を言うならば、私は人の名前や住所は公開情報だと考えています。家に表札を掲げて暮らしているわけですから。(最近は、そうでもないのでしょうか。マンションなどでは、ポストにもドアにも名前など見かけませんねぇ。。。。)

行事やイベントの写真でも、過敏な反応をする人がしばしばおられ、公開が著しく制約を受けます。個人を特定した撮影には、本人の許可が必要だと考えますが、多数の中の一人として映り込んでいうものに対しては、その必要をあまり感じません。多数ですから、一々確認を取るという事自体が無理です。そして、映り込んでいる個々人に目的があるわけでは無く、全体の雰囲気を残すことに意義があると判断されるべき場面でしょう。

にも関わらず、多くの人がノーと表現をされます。万一の事があってはならない…というのが、その主旨だと理解はしますが、その万一とは一体何を指しているのかわかりません。一方で、ブログやSNSには個人情報を山と流し、クイズや懸賞などには不用意に住所や電話番号を書くことに躊躇をしないのに、一方で過敏に反応するのは、アンバランスのような気がしてなりません。


ヘッダー等に入れる日付と、関数で埋める日付は何が違うのですか

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情報

2015年08月17日 | 雑談
私は、iPhoneを使っていますが、元々フォトライブラリをiCloudにあげるように設定していませんでした。昨日たまたま、そういう気になって(笑)、写真の設定の「iCloudフォトライブラリ」をオンにしてみました。iPhoneを使い始めて、丁度一年くらいになります。それほど写真が好き…というわけでは無くても、カメラロールに保存されている写真の枚数は、相当のもので、アップロードするのに延々と時間がかかり、途中で嫌になって止めました(苦笑)。

特に、写真に興味があるわけではありません。Lineなどで送られてきたその都度のスナップ写真は、何となくツイ、保存してしまいます。後から見るだろうからと思うし、実際に後日、写真を利用することもあるのですが、大半は撮ったっきりになってしまっている感も否めません。

フィルムカメラの時代、こうはたくさんの写真を撮りませんでした。多分、写真の世界に限った話ではないのだと思います。現代は、必要以上にデータを積み上げ過ぎる気がします。本当に大切で必要なデータというのは、そう多くはないのに、取り敢えず置いておくデータが恐らく多過ぎるのだと思います。

本当は、整理して、必要な情報を、いつでも取り出せるようにしておかなければならないのに、取り敢えず…って、自分の吟味を加えずに、安心目的だけのために、大量データに埋もれているのが現在の私たちのような気がします。

大半のシーンは、自分の目で見て、記憶の中に留めておけば良いだけなのかも知れません。



撮影した写真を印刷するには

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