ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

ワクチン

2021年01月31日 | 社会派らぼ
新型コロナウイルス感染者は、現在世界中で1億230万人。亡くなった方は221万人に上るとされています。今はワクチンに期待の目が注がれており、世界でワクチンを取り合っている状況です。

オックスフォード大学とワクチンを共同開発するアストラゼネカ(イギリスのゼネカととスウェーデンのアストラが合併)が、ワクチンの生産が遅れており、当初EUと合意していた供給量を納入できないと通知した事に端を発します。アストラゼネカが、EUに先立って契約した英国への供給を優先し、EU向けの出荷が遅れるとしたため、EUは域内に製造拠点を置く製薬会社の域外輸出の管理強化を決定しました。アストラゼネカは、ワクチンを英国・ベルギー・オランダなどで生産しており、EUがワクチン確保を強く訴えています。WHOはパンデミック長期化の原因となりかねないと批判しています。

域外輸出…という事になれば、1億2千万回分の供給を受ける契約を結んでいる日本もその対象となります。日本への供給に関してアストラゼネカは、以前から日本国内でワクチンを製造する体制を整え、近く生産を始める方針としていましたが、国内需要を補う量が生産できるかどうかというところでしょうか。

現状、新型コロナウイルスのワクチンは、富裕国が大部分を手に入れ、貧困国は接種の機会を失う事になると、人権団体などは警鐘を鳴らしています。アストラゼネカは当初、64%を発展途上国に供給すると約束していたようですが、現実ワクチンの接種を開始もしくは間もなく開始われるという42カ国はいずれも高所得国や中所得国で、経済的に豊かでない低所得国は含まれていないとされています。カナダなどは人口の5倍の数のワクチンを確保していると言われる一方、途上国では、今年中に接種を受けられるのは10人に1人という計算だと言われます。世界中がコロナを制圧するまでには、私たちはもっと足下の問題を克服しなければならない…ということです。

新型コロナウイルスワクチンの開発には世界中が取り組んでいます。米ファイザーと独ビオンテックのmRNAワクチンが40ヵ国以上で承認され、米モデルナのワクチンも承認を得ました。英アストラゼネカのワクチン、ロシア、中国、インドなどのワクチンが承認されています。いずれも、緊急を要する事態に対応していると思われますから、それぞれのワクチンに対する信頼度は、人それぞれ国それぞれというところでしょうか。

日本勢では、阪大がアンジェスと共同開発しているほか、塩野義製薬も試験を進めているとか。他にも開発が進められてはいるようですが、当面の日本のワクチン接種は他国に頼る状況で、日本が出遅れているのは事実です。巨大な開発費が必要である事もネックではありますが、残念ながら日本の製薬企業は既にその器を失っているかに見えます。日本には優秀な製薬会社があり、世界の第一線にありました。が、ここ数年製薬会社の人員は減少の一途をたどっています。買収や売却・合併で生き残りを図らねばならない図式でなく、ものづくりの原点に立ち戻る必要があるように思えます。

勇気

2021年01月29日 | 社会派らぼ
世の中では日々いろいろなニュースが起きているはず…ですが、ニュースを開くと、その多くが「コロナ」関連の記事で埋め尽くされています。ニュースとは、起こった事実が客観的に流れてくるものだと単純に思っていますが、流す側のフィルターと読む側のフィルターが、必ずそこにはかかっています。

緊急事態宣言が再発令されてから、関東は3週間、関西は2週間が経ちましたが、各地の感染者数は依然として高い水準のまま推移しているように見えます。数字を聞いてもピンと来なくなりましたが、死者数が増えている感は否めません。予防接種が始められるとの事で、各所が準備に入っているようです。報道によると、このワクチンの効果はかなり優秀だと言われており、コロナ禍脱出の切り札として期待されています。が実際に欧米では一足早く接種が始まっているにもかかわらず、世界のコロナ状況が好転したとの印象はありません。

ある種の報道によれば、重症化した患者ほど、体内の抗体量は高まっていたとの記事がありました。抗体量が多ければ、ウイルスを撃退しているはずなのに、患者は回復せず重症化しているという現実が指摘されているというのです。いずれにしても、この予防接種が一定の効果を発揮したとしても、それは未だもう少し先の話になるのではないでしょうか。

そんな中、先日はコロナ禍を押して、大学入学共通テストが実施されました。マスク着用の仕方についての指導を再三無視したとして、失格になった受験生の件が報道されましたが、それ以外は大きな混乱もなく無事に終了できた感があります。が、今週末は第2日程が実施されるため、未だ緊張が続きます。

大学入試と並び、五輪も必須のようです。オリンピック開催まで、後半年となりました。IOCや国は開催を主張していますが、国内の意見や欧州からの声を聴くにつけ、オリンピック開催が最善の道だとは思えません。いくら開催できると主張しても、無観客で実施するにしても、各国から参加する選手たちは、国をまたいで移動しなければなりません。もちろん、オリンピックに照準を合わせトレーニングに徹してきたアスリートたちが参加を望んでいるのは当たり前ですが、一方で感染の危険を冒してまで参加したくないと考える選手がいてもおかしくはありません。自国が「参加する」と決めたため、意に反して参加を強要される選手も少なからず出て来るかも知れません。

冬山登山では「山頂を前にして、登るより諦めて降りる方が勇気がいる」といった事がよく言われます。冬山では一瞬の判断の誤りが、死を招くといったような危険がしばしば起こります。歴史に「もしも」というのは存在しないことは分かったうえで、頂を前に断念したケースを強行して、大過なく終えられたかも知れないという可能性は多々あると思います。それでも断念した勇気に意味が無かったとは思いません。


VR

2021年01月20日 | 社会派らぼ
発達障害のある児童や生徒は、人との付き合い方が上手でなく、コミュニケーションをとる事に苦労をするケースが良くあるそうです。社会生活を営んで行く上で、対人コミュニケーションをとる事は必須で、障害があれば猶のこと、環境に受け容れてもらうのにコミュニケーションが重要になってくることが想像できます。

施設でこうした対人コミュニケーションを学ばせるのに、これまではロールプレーなどが用いられてきました。が、訓練生同士がロールプレーの前提を理解してコミュニケート練習が成立するのは、なかなか難しい側面があり、大きな課題となっていたと言います。

そこでこうしたコミュニケーション訓練にVRが使われるようになり、飛躍的に効率が上がったという報告があります。あらかじめVR機には、社会生活を疑似体験できるような想定場面が登録されており、生徒は相手の目線や表情、言葉、態度など全てを体験しながら意思疎通の方法が学べると言います。

確かに、生徒一人一人に職員がついて、言葉のやり取りを学ぶことができれば良いのでしょうけれど、実際は人手が十分にあるわけではなく、生徒同士の訓練に限界がある以上、なかなか効率が上がりません。その点、VRであれば、あらかじめ記憶させてある様々な意思疎通表現を返すことができますから、生徒一人ひとりに職員が付いているのと同様の展開が可能になります。

にもかかわらず、VR機でコミュニケーションの取り方を学ぶ…という事実に、多少の違和感が否めません。バーチャルと称される世界がどんどん広がっていて、私たちは現実ではない偽現実の世界で、現実の訓練をするという矛盾を生きなければならなくなっているのですね。

シカケ

2021年01月17日 | 社会派らぼ
豊中市では昨年から、自転車の迷惑駐輪防止策として、歩道にチューリップの花壇を描いたシートを貼り付ける試みをしているそうです。豊中市の北大阪急行・千里中央駅は、迷惑駐輪がひどく、市民からの苦情も寄せられていた箇所ですが、設置前は平均すると1日で約50台以上も放置されていたのが、約2割減少したとの事です。2割減少した…という事は、逆に言うと8割は、相変わらず迷惑駐輪を止めないという事です。市は、検証の結果で、他地域に広げるかどうか検討する…としていました。その後の情報は探してはみたのですが、それらしい記事がさくじょされていたり…で、実際どうなったのかは不明です。

路面に、白・青・黄に色分けされた三角柱のような図形が描かれている事があります。「立体路面標示」「立体減速表示」などと呼ばれるようです。路上にあたかも突起物が置かれているかのように見せ、車の速度を抑制させるための仕掛けです。道を狭く見せるよう、車線の左右に設けたり、進入口にドライバーの方に向けた矢印を描くなど、さまざまなタイプがあるようですが、描くだけなので道路の改修が必要なく、実際に事故件数なども半減するなどの効果が上がるようです。

こうした少しの工夫で、つい人が行動しなくなる仕掛けを募集する「シカケコンテスト」が行われ、これに応募した小学2年生のアイデアが「迷惑駐輪の個所に花壇を描く」だったそうです。迷惑駐輪で歩道が狭くなり、ベビーカーなどが通りにくいのを見て「人はきれいなものを汚したくないので、花の上には物を置かない」と思って、発案したと言います。本物の花壇を作ってしまうと、道が狭くなる上に花壇の世話も必要になるため、トリックアートで花壇の絵を描く…というアイデアになったようです。

この2年生の「人はきれいなものを汚したくないはずだ」という考え方を、私たち大人が裏切って良いものでしょうか。朝の通勤の1分1秒を急ぐ大人の論理が、「美しいものは汚してはいけない」とする子どもの論理を越さないで欲しいと、切に願います。このアイデアを出した小学2年生に、結局効果なんて無かったんだと思わせるのは、ダメだとは思いませんか。

2021年01月13日 | 社会派らぼ
東京都と埼玉・神奈川・千葉の4都県に緊急事態宣言が出され、更に今夕にも大阪・兵庫・京都・愛知・岐阜・福岡・栃木の7府県が追加される事になっています。いずれも各知事らからの要請で国が重い腰を上げた感があります。

毎日のように感染者数が報じられますが、正直数を聞いてもピンと来なくなりました。医師会は「このままなら医療壊滅になる」と訴えていますが、ある意味で既に「医療崩壊」は始まっている、異常事態が起きているという認識です。にも関わらず、国自体が積極的に何かの策を考えてくれているという感がとても希薄なのは、気のせいでしょうか。恐らくは未だに、夏のオリンピック開催を考えて、事が運んでいるのでしょうけれど、オリンピックよりも国民の命が大切だと言ってくれる国であって欲しいと思ってしまいます。

このさなかにあっても、学校は休校にならず、子ども達は登校を続けていますが、これまでに経験したこともない事態が起きているのですから、これまでの経験を超えた対策を打たない限り、どうにもならないはずなのに、国が動かないなら、各都道府県が、それがだめなら市町村が、それもダメなら学校長の英断があっても良いのではないでしょうか。

子ども達は、給食時の会話や向かい合って食事をすることが禁じられています。そのために給食時間にビデオを見せる指導をしたり、手話を取り入れる指導をしたり…が、注目を浴びているようです。どうしても友だちとしゃべってしまう子ども達に、何とか無言で前を向いていて欲しいという困った末の策のようです。

まぁ、それはそれとして、通勤や外出を云々、人が集まるのを云々というのであれば、春の時のような休校措置も必要なのではないでしょうか。リモートに順応する環境がある家庭と、そうではない家庭がある事も良く分かりますが、事態は一刻を争っています。登校せずに授業が受けられる子ども達が減るだけでも、教室は密の状況を減らすことが可能です。昨春は本当に、これまでにない事態が起きたので仕方がなかったわけですが、それから1年足らずが経とうとしている今も尚、リモート授業などの環境が整えられていないのは、怠慢以外の何物でもない気がします。

「人生とは嵐が過ぎ去るのを待つことではない。雨の中で、どんなふうにダンスするのかを学ぶことだ。」と言ったのは、アメリカフィラデルフィア出身のR&Bシンガー、ヴィヴィアン・グリーンという人だそうです。

混乱

2021年01月09日 | 社会派らぼ
米国大統領選挙で、トランプ氏が2選を果たせず、民主党のバイデン氏が就任する見通しとなっている事について、当のトランプ大統領が敗北を認めないところから、混乱が起きています。元々トランプ氏は「不正選挙があった」と主張しており、恐らくは一部には不正票もあったかもしれません。特にコロナ禍で郵送での投票が多かったことから、トランプ氏は懐疑的になっているようです。これまでの大統領選挙においても、きっと見えない部分には多々遺恨もあったでしょうが、常に敗れた側が敗北宣言を出して、一丸となって新大統領を支える事を誓う事で、国の一体感を維持してきました。今回は、トランプ氏の執拗な選挙結果への不信が、国の混乱を招いているようです。

バイデン氏の大統領就任を確定する上下両院会議に、トランプ大統領支持者が暴徒となって乱入するという前代未聞のニュースが入って来ました。議事堂が襲撃され、死者が出るという事態に、逆にこれまでトランプ氏に同調してきた共和党の議員たちの間で選挙への異議を取り下げる動きが相次いだと言いますから、「贔屓の引き倒し」になったやも知れません。

元々、トランプ氏はツイッターで「選挙は盗まれた」との発言を繰り返しており、ツイッター社は社会を混乱させる発言としてルール違反を認定し、トランプ氏のアカウントの永久停止を発表しました。既にFacebookも氏のアカウントを無期限停止としており、主要SNSから追放された感となります。氏は、別アカウント(米大統領としてのアカウント)から反論しましたが、これらの投稿も直後に削除の措置がとられました。こちらは大統領のアカウントなので、そのままバイデン氏に引き継がれることになるため、アカウントの停止でなく、ツイート削除で対応するとのことです。

トランプ氏の姿勢は、元から「力の論理」に支えられており、自分自身が「正しい」との強い自信に裏打ちされていました。そこが魅力だという人も多かったのだと思いますが、「自国さえ良ければ…」という「セルフ・ファースト」の思想を世界にばらまいた…と言う意味で、大きな傷が生じたように思います。

当ブログは、政治の話はしない…のでした(笑)。

SNSというものには、こういう危険性がある…という事を、私たちは改めて思い知ったかも知れません。これが、ことアメリカの現職大統領でしたから、そして議事堂が暴徒によって襲撃されるというショッキングな事態を引き起こしましたから、多くの人はアカウント停止といった措置を受け容れたように見えます。が、SNS上には、もっと些細な場面ではあるでしょうが、理不尽な内容や危険なつぶやきが散在しています。それらの一つ一つは特にピックアップされる事無く、関係者以外の目に触れることも無く、まかり通っているはずです。それらは自ら通報などをしない限り、発見もされないし、通報したところでどうジャッジされるかは、わかりません。

SNSの禁止…と言うと、民主主義が冒されるというところまで話が飛んで行ってしまいます。発言する自由がないという事になれば、時代の逆戻りでしかありません。かといって、SNS上での発言がすべて「紳士淑女の発言」かと言うと、むしろ「悪魔の声」が大手を振っている場所です。ツイッター社、フェイスブック社が「完全正義」の代弁者ではありませんから、取り締まるべき内容と言うのは、なかなか難しいし、現実「猫も杓子も」発言しているすべてを管理すること自体、不可能です。

もっと、淘汰された場所(政治思想や宗教による価値判断を超えたもの)を、どのようにWeb上に作って行くか…。人は、もっと美しくあることができると信じています。

2021年01月07日 | 社会派らぼ
世の中には「し」と言う言葉が付く仕事があります。弁護士・弁理士・司法書士・行政書士・税理士・社会保険労務士・土地家屋調査士・海事代理士。医師・教師・看護師・薬剤師・助産師・あんまマッサージ指圧師・診療放射線技師。「士」と「師」の2種があります。違いについては、色々な区別の仕方が説明されたりしますが、ともかく「し」です。いずれも特定の技能が必要ですし、務めるのには資格要件を満たさなければなりません。社会の中で大切な役割を果たす職業です。

ただ、これらの仕事は、専門的な勉強をして資格試験などを受けなければなりませんから、どうしても仕事の基準がプロフェッショナルとしての自負みたいなところに、基準線が引かれることが多くなる気がします。仕事内容が、専門的なルールや知識に照らし合わせて考えなければいけない事ですから、「正しくはこうである」という根本的な知識はトテモ大切です。加えて、仕事をしていく中で、体得するようなノウハウや経験が大きくものを言います。仕事としての誇りを持てば持つほどに、自分なりの自負というか、ポリシーが生まれるのも当然かと思います。

ただあくまで私見ですが、「〇〇し」は自分のポリシーのみに従って仕事を粛々とこなすのでなく、相手の気持ちや想い、不安、疑問などに寄り添うべきなのではないかと思っています。でなければ、いつかの週刊誌の特集のように、近い将来AIにとって代わられ消えて行く職業になるのではないでしょうか。「正しい」ことが全ての基準ではなく、「美しい」ことが全ての基準になるべきだ…というのが、変わらない持論です。

フォント

2021年01月06日 | 社会派らぼ
しばしば、ポスターやチラシの類作成を依頼されることがあります。もちろん、デザインはずぶの素人ですが、嫌いではありません(笑)。

てんでバラバラな色を満艦飾に使っても、多分「おっ」と思わせるデザインにはなりません。勿論、趣味があって「好きな色」「好きでない色」がありますが、デザインには、色が大きな影響を持ちます。同時に、フォントも大きな要素になります。日本語フォントは、なかなかインパクトのある気に入ったフォントを探すのに苦労します。

アルファベットは26文字しかありませんから、オリジナルフォントも作りやすく、フリーでも様々なフォントが提供されています。26文字プラス数字を10文字、それにいくつかの記号類を作成すれば良いわけですから。対して、日本語フォントはひらがな50音、カタカナ50音、加えて漢字が山ほどあります。一筋縄で作れないことは明らかです(笑)。ましてフリーで探すとなると、気に入ったフォントにはなかなか行き当らず…パソコンの中に入っているフォントの中から選択する事になります。パソコンには複数種類の日本語フォントが入っていますが、どれを使おうかと、毎回頭を悩ませます。

そう言えば、フォントによって文字が多少違っている…というのがいつも気にかかります。大人はどんなフォントであっても、別段読むのに困りはしませんが、子どもはそうはいかず、学校で習う時はどれなのだろうと、ひとしきり悩むことになります。



左から「游明朝」「HG教科書体」「HG正楷書体-PRO」というフォントを充てました。「言」は1画目の点が、真横の線なのか、斜めの点なのか、まっすぐ縦向きなのかという違いです。「翔」は最終画が左下から右上にはね上げるのか、左上から右下へ向けて下ろすのかの違いです。そして「令「は屋根の下の部分の1画目と最終画が真っすぐなのか左上から右下へ流れる点なのかといった違いがあります。令和になった時に、またややこしい字を…(笑)と、思ったのも事実です。

これはほんの一例で、紛らわしい漢字は山ほどあります。字として美しいか否かのみでなく、小学生の子どもが見た時に混乱しないかどうかというのも大切なポイントなのではないでしょうか。逆に世の中がこれだけの違いを許容しているのであれば、学校で教える字もどこまでキチンと書かねばならないのかを明示していただきたいと思います。

がんばれ

2021年01月05日 | 社会派らぼ
三が日が明けて、日常が戻って来た…と言いたいところですが、誰も帰省せずほぼ日常と変わらない三が日でしたので、新年の感覚があまりありません。これから、今年初めて出会う方々と「おめでとうございます」のあいさつを交わす事で、新年らしさが増してくるのでしょうか。

首都圏一都三県に緊急事態宣言が出される方向と言います。但し、大学入学共通テストなどの入学試験は予定通り、小中高校についてもリスクは低く一斉休校の要請はしないという事です。首相は「強いメッセージが必要だ」と言われているようですが、強さを感じないのはなぜでしょうか。

連日、何百人と言った数の感染確認が報告されています。正直マヒしてしまったせいか、感染者の数を聞いても「多い」とすら感じなくなってしまいました。第三波と呼ばれているグラフは未だ上がる一方で、医療崩壊が心配されています。

緊急事態宣言と言っても、夜間営業の自粛と移動の自粛くらいの内容でしょうか。都立高校で生徒ら45人が集団感染といったニュースを見て、小中校は心配ないという判断も、何がどう心配ないのか、判断基準がわかりません。一層のコロナ失業やコロナ倒産を増やすべきでないという経済対策も重要ですが、これまでになかった危機に直面しているのですから、これまでにはなかった「切り抜け方」でなければ、このトンネルを抜け出せないのではないでしょうか。

新春、道行く人のマスク姿が減ったと思うのは気のせいでしょうか。どこにも出かけられないお正月だから、せめて近所でも散歩してみようかといった風体の家族連れや、運動不足を少しでも解消しようと歩いている方…。近所だからといった安心感なのか、マスクを外して久々冬の陽射しの中を歩く姿に、さてこのコロナ騒動、どのようにして終わらせていけるのか。関係者の皆様には大変申し訳ないのですが、私は成人式も節分会もオリンピックも止めるしかないのでは…と思っています。四方を壁で囲まれた部屋の出口の扉はどこにあるのでしょうか。

がんばれ、日本。がんばれ、世界。がんばり方を間違わないようにしたいと思います。

孤独

2021年01月03日 | 社会派らぼ
孤独

その昔、人が人とコミュニケーションをとるためには、必ず出かけて対面する必要がありました。ですから、その時代は「会えない」といった隙間を埋めるために、人は相手のことを強く思い、相手を心に描いて語りかける努力をしたものです。

時代が進むと、人は「郵便」というツールを開発しました。紙にしたためた思いを、他人にゆだねて遠く離れた相手に届けてもらうというものです。海を隔てて、何万キロの距離を隔てて、その間を文字が行き交った時代があります。

更に「電話」ができると、人は「他人にゆだねる」と言う行為を意識することなく、相手と声で繋がることができるようになりました。但し家電の時代は、必ず相手に直接電話がかけられるわけではありませんでしたから、そういう意味では間に人が介在していたかもしれません。

その電話が「携帯」になる事で、人は相手と四六時中繋がることができるようになりました。夜中であっても出先であっても、間違いなく相手を捕まえて話すことができるようになったわけです。更に相手が手の離せない時にでも繋がれる手段として「メール」、「ライン」、そして「ビデオ電話」に至ってはまさに目の前に相手の顔を見ながら、表情を見つつ語り合うこともできるようになりました。その昔の人が見たらどう思うでしょうか(笑)。

ただし、そうなった今、かえって人は「孤独」だと言います。リアルタイムな映像とリアルタイムな音声が伝えきれないものは「匂い」だったり「温度」だったり「感触」だったりするものでしょうか。いずれ遠くない未来に、私たちはそういうものをやり取りするツールを手に入れるかも知れません。

ですが、そうなればなるほど、人は孤独になるのかも知れません。好きな時間に好きな場所で、好きなように人と繋がっているのに、分かり合えることのできない大きな溝を埋めることができない。多分、それは「見えない」事で「聞こえない」事で、思い切り相手を想像し、募らせた思いが無いからなのではないでしょうか。瞬時に反応が見えない文面では、相手の誤解を招かないように、言葉を選んで選んでしたためたものを、私たちは六頭立ての馬車で追いかけても追いつけないような瞬時で相手を傷つける言葉を平気で発しているからでしょうか。相手のことを想像することなく(つまりは思いやることなく)、ただ自分の思いだけを発信しようとすることは、結局は遠く手の届かなかった時代よりも更に人の心を遠くへ追いやっているのかも知れません。