ぱそらぼ (ぱぁと1)

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モノ創り

2023年04月18日 | 社会派らぼ
大阪府・大阪市が進めるIRが政府の認定を受けました。横文字の頭文字で呼ばれる言葉が次第に増え、その実態が普通に息をするように理解できるようになるまで、日本語の訳語に一々置き換えても、まだその実態がつかめないような期間が続きます。

IRは「Integrated Resort」。統合型のリゾートという意味のようで、カジノの他に国際会議場やホテル、劇場など様々なエンターテイメント施設を兼ね備える大きな施設のことなのだそうです。海外に負けないような競争力の高い観光施設を作って、多くの観光客を呼び込もうとする施設のようです。ディズニーリゾートやユニバーサル・スタジオ・ジャパンなども大きな収益を上げていますが、根本的に異なるのはその中に「カジノ」が含まれるというところでしょうか。

現状でも、競馬や競輪、ボートレース、オートレースなどはありますので、賭け事の施設が初めて登場するわけではありません。日本では基本的にギャンブルは禁止されていますが、国が定めた法律のもとで運営されている前述の「公営競技」は行われています。ギャンブルが禁止されている…というより、自由にギャンブルで儲ける(?)事が禁止されていると理解すればよいでしょうか。実際にはパチンコ店はそのあたりにたくさんありますが、店が直接お客さんに賞金を払っているわけではない…といった「抜け道」のおかげで、風俗営業法で管理されていると言います。

ともかく、IRという言葉にすり替えて、イメージをできるだけ清潔に保とうとする画策が行われているのではないかと、勘ぐったりもしますが、多くの人が既に「IR」を「カジノ」と置き換えて理解しているようにも思います。競馬や競輪は既に国から認めらているわけですから、今さら「カジノ」だけを除外しなければならない理由を見つけることはできません。実際、富裕層のインバウンド誘致が見込めるようで、消費や税収の増加は堅いと思われます。加えて交通機関などのインフラ整備が進むことなどから、地域活性化・雇用促進など、国と大阪府市が弾くそろばんは、確実な収益を計算しているわけです。

ですから、それはそれ。現に国が許可をしたわけですから、以降は言われているように、依存症などの対策が必須となります。ギャンブル依存症は、WHOが認定する病気ですから、本人の意志力や家族の愛情を超えたところにあります。実際、諸外国の例ではカジノ施設導入のせいで依存症が減ったという報告もあれば、増えたという報告もあります。減ったというのは、依存症治療施設などを整えられたおかげで、導入前からの依存症患者が減ったらしく、大阪ではこれからその対策の仕方が問われることになります。

ただ私は「モノ」を産み出すことナシに、右から左へ置き換えるだけでお金が増えたり減ったりする経済の仕組みには、甚だ懐疑的です。単に不勉強で、そうした事に疎いせいなのですが、要は「物々交換」の時代が一番分かり易かったと思っていたりもします。複雑な経済の仕組みを駆使して、高い収益を上げていくことも大切でしょうけれど、「モノを創る」ことで地に足がついた発展でありたいと思ってもいます。第三次産業だけで、世界は成り立たないと思うのは間違いでしょうか。

過程

2023年04月13日 | 命の生き方
13日朝、北海道を対象にしたJアラートが発動。「ミサイルが8時頃、北海道周辺に落下する」として、避難が呼びかけられました。その後、ミサイル落下の可能性はなくなったと訂正情報が流れました。過去の情報発信では、日本の上空を通過するというものでしたから、着弾の可能性が報じられたのは初めてのことでした。

誰もが声に出すことをはばかって、気づかないふりを装っていますが、一部にとどまらず世界が戦火に覆われる危険をひたひたとせまっています。ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、力の誇示が堰を切ったようにあちらこちらで溢れ出さんばかりで、僅かな理性と駆け引きが、最後の箍に手をかけることを思いとどまっているにすぎません。

人の満足、充実感は、最後に手にするものではなく、手に入れる過程にあるのではないかと思っています。「幸せ」は満ち足りたものの中にあるのではなく、それを目指す過程にあるという思いです。「目標」を手にしたいと必死にもがいている中にこそ幸せが存在するもので、手にした瞬間に「目標」は色褪せてしまうかに思えます。

彼の国の為政者たちが、どんな事をしてでも手に入れたいと切望している「強さ」であったり「力」であったり「大きさ」であったり…も、おそらくは手にした瞬間に色褪せて、次を目指さねば満足できないようなそんなもののように思えます。どこまで行っても、ゴールのない無間地獄なのではないでしょうか。

強いこと。大きいこと。偉大であること。自らが大きくないと、満足できない性はどこまで行っても、救いがないことに思い至りたいと思います。過程にこそ「全て」があるのだと考えれば、日常の「人生」そのものが尊いに違いありません。

チャットGPT

2023年04月02日 | 社会派らぼ
イタリアが「チャットGPT」の使用を一時的に禁止しました。

「チャットGPT」というのは、OpenAIが開発し昨年公開された人工知能チャットボットで、自然な文章を生成するチャットサービスで、対話型AIサービスといった風に訳されているようです。まるで人間が答えているような自然な会話が可能だということで人気を集め、急成長しているようです。

今回、イタリアは個人情報を違法に収集した疑いがあるとの理由を説明しています。情報収集の方法などが、個人情報保護に関する法律に違反している疑いがあるため、OpenAIに20日以内の対策と報告を求めています。確かに、ネット上のありとあらゆる情報を収集・整理していく過程で、どの情報がどのように使われたかが示されるわけではありませんから、参考文献を明示していない論文のような部分があるのは否めません。OpenAIはイタリアでのサービス提供を停止していますが、法律は順守していると考えているとしており、今後の経緯は未知数です。

チャットGPTの規制は欧米諸国では初めてということですが、米国などでも「人類に深刻なリスクをもたらす」と開発停止を求める署名活動も起こっています。技術開発は、一定の形として完成させるまでが至難の業ではあることは自明の理ですが、以降どう育てるかによって有益であるか有害であるかが分かれても行きます。遠い将来にならないと、その結論は出ないのですが、結論が出た時点では後戻りができない状況も十分予想されます。

利用に当たっては、無料でアカウントを作るだけ…との事で、実際に試してみようかとトライしましたが、電話番号を求められたので躊躇しとりあえず撤退しました。が、アカウント作成のハードルは殆どありませんでしたから、子どもであっても簡単にアカウントが作れると思います。検証によれば、大学生が提出するレベルのレポートを作成する能力がある…ということです。子ども達にとって魅力のツールであることは間違いありません。つまり、自ら考えなくても、考えたかのような文章がいくらでも手に入る時代が始まったということです。

言葉には「力」があると私は思っています。ただその「力」は借り物であってはなりません。一見、理路整然としたような文章であっても、きちんと読んでみると、同じことをくどくどと繰り返しているだけ…だったり、単に言葉に酔っているだけ…だったりすることは多々あります(自戒を籠めて)。真に言葉を紡ぐ力…というのは、物事を整理してきちんと捉えるところから始まります。物事を捉えることをせずに、ネット上に散見するある意味真実かどうか定かではない多くの情報から紡ぎだすものが、世の中を変えていく力を持ち始めることに、大きな抵抗を感じます。

いずれネットと人類が戦わなくてはならなくなる未来が来ないという保証は今のところありません。