仙台城址には天守閣はなかったのだから

2017-01-04 00:00:00 | The 城
仙台城は別名青葉城といって石垣の下には青葉川は悠々と流れている。仙台の駅前から行こうとするとなかなか交通機関がなく、以前訪れたときは、長い坂道を歩いた記憶がある。今回は運良くルートバスという観光地巡りのバスがある。仙台駅より行はいいのだが帰りは遠い。時計回りのバスしかないのだが、反対周りも必要と思う。

しかし、仙台城が観光地化できないのは理由がある。天守閣がないわけだ。本丸など、城のもつ行政的な機能は十分だが、戦闘設備である天守閣は築城した伊達政宗が不要と判断したのだろう。省略されている。二代目の忠宗が二ノ丸、三ノ丸を増築し大藩に相応の城となる。

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江戸時代初期にはまだ徳川家の権威が確立されてなく、特に伊達、前田、島津の三藩の動静には幕府が注意していてお庭番と称するスパイに内偵させていた。余談だが松尾芭蕉も伊賀藩に由来するスパイであり、奥の細道にしても東北各藩の偵察旅行であり、特に仙台藩の領内では、スパイの常として緊張感を続けていたようだ。松島旅行なんかまさにスパイ旅行だ。

ところが明治以降になり、仙台城はよってたかって痛い目に合う。まず、陸軍が使うといって本丸を破壊。次に火災発生で二ノ丸、三ノ丸が焼失。B29が爆撃して残っている江戸時代の建物がほとんど焼失。そして戦後進駐軍が接収し、完全に破壊する。最後のとどめが東日本大震災で、石垣が崩壊。

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城内の解説書では、『平和な城として完全に保存して明治時代に至ったが、心なき俗吏によって破却せられ・・・』となっている。明治政府に反感があるということなのだろう。

本丸周辺の建物の礎石は復元されていて、各部屋の名称まで特定されているのだが、入り口のところにある部屋には『首実検の間』と、気持ちの悪い名称がつけられている。首実検といっても、首をつかって化学実験をするわけでもなく、「クビ!」と言い渡してどういう反応をするのか実験するわけではなく、戦闘で殺した相手の首を並べて、これは誰のものかと特定していく部屋だ。あまり使われなかったと思う。


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