紫式部追跡(5)

2024-03-22 00:00:00 | 市民A
今回からは、紫式部ゆかりの場所の散策。

まず、平安時代の前半の貴族の娘たちは、無暗に外出は行わなかった。もちろん従者付きなのだが、大手を振って行けるところは寺院や神社。いわゆる参詣。娘と書いたが、実際男でもさして変わらないだろう。



そして、人気があったのが北山方面や琵琶湖方面(石山寺や三井寺など)。北山という言い方がいつ頃なのかはわからないが、「北の方の山がちな場所」という意味で、広くは西は高尾、東は比叡山までの区域のようだ。距離的には日帰りが基本。(琵琶湖方面では、石山寺へは朝出て琵琶湖で舟に乗って夕方到着するということで宿泊することになる)



ということで、まず鞍馬山へ行く。鞍馬山と言えば牛若丸(義経)ということだが、紫式部の時代から150年ほど後の話。数え11歳から6年ほど修行をしていた。



もう一つは天狗。鞍馬山と言えば天狗ということだが、どちらかというと、人間を守る役目だった。関東の箱根の天狗はいばりくさっているように思う。



平安時代の女流作家の中でも、鞍馬と言えば清少納言というように、「近うて遠きは鞍馬寺の九十九折の山道」というように山門を入って、寺が見えてから何回も坂を上らないといけない、と、枕草子に不満を書いている。実に実感が書かれている。なにしろ日帰り旅行。上るだけで力尽きると帰れなくなる。

源氏物語では光源氏が病気快癒を祈るために北山の寺に行った道中に紫の上を見初めたことになっていて、これは鞍馬山がモデルとされる。

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