2023.2.26(日)
南医療生協にある富士ツーリストの主催で実施された奈良の薬師寺を訪ねる旅に連れ合いと一緒に参加した。参加者は総勢25名であった。
午前8時半に観光バスに乗って南医療生協を出発し、伊勢湾岸道を走って途中亀山PAで休憩しつつ、名阪国道に入り白樫ICを経て、最初の目的地の月ヶ瀬渓谷にある「月ヶ瀬梅林」へ10時半に着いた。
梅まつりの時期でそれを目指して着いたが、寒さがきつい今冬梅の開花が遅れており、未だ二分咲き程度の状態であった。約1万本の梅林風景を楽しむ予定であったが残念であった。それでも連れ合いを含めて多くの人達は小高い山を登り、風景を楽しんだようだが、筆者は麓の茶屋で茶をたしなみその帰りを待った。
そのあと、白樫ICから再び名阪国道に戻り12時30分、途中の休憩所にあるレストラン(ばんか)で創作和食なるあわび膳を楽しんだ。食後14時に再出発し目的地の薬師寺に着いたのは午後3時であった。
法相宗大本山薬師寺はチラシによると、天武天皇により発願(680年)され持統天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見たという。その後、平城遷都(710年)に伴い、現在地に移された。
東西両塔有する薬師寺式大伽藍は我が国随一の壮美を誇っていたが、度重なる災害によって諸堂が灰燼に帰し、昭和初期に至っては辛うじて難を逃れた東塔だけが、往古のたたずまいを偲ばせていた。
昭和42(1967)年、高田好胤管主により、お写経勧進による白鵬伽藍の復興が発願され、金堂、西塔、中門、回廊、大講堂、食道が再建され、白鵬伽藍の建物と壮麗な美しさがよみがえった。
平成10年(1998)12月に世界遺産に登録され国際的にも注目された。夫婦合わせて1千円の拝観料を払って寺院を辞した。
帰路は再び名阪国道をひた走り、途中「針テラス」で休憩とショッピングを経て再び伊勢湾岸道を走り、午後6時には南医療生協に帰着した。
南医療生協にある富士ツーリストの主催で実施された奈良の薬師寺を訪ねる旅に連れ合いと一緒に参加した。参加者は総勢25名であった。
午前8時半に観光バスに乗って南医療生協を出発し、伊勢湾岸道を走って途中亀山PAで休憩しつつ、名阪国道に入り白樫ICを経て、最初の目的地の月ヶ瀬渓谷にある「月ヶ瀬梅林」へ10時半に着いた。
梅まつりの時期でそれを目指して着いたが、寒さがきつい今冬梅の開花が遅れており、未だ二分咲き程度の状態であった。約1万本の梅林風景を楽しむ予定であったが残念であった。それでも連れ合いを含めて多くの人達は小高い山を登り、風景を楽しんだようだが、筆者は麓の茶屋で茶をたしなみその帰りを待った。
そのあと、白樫ICから再び名阪国道に戻り12時30分、途中の休憩所にあるレストラン(ばんか)で創作和食なるあわび膳を楽しんだ。食後14時に再出発し目的地の薬師寺に着いたのは午後3時であった。
法相宗大本山薬師寺はチラシによると、天武天皇により発願(680年)され持統天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見たという。その後、平城遷都(710年)に伴い、現在地に移された。
東西両塔有する薬師寺式大伽藍は我が国随一の壮美を誇っていたが、度重なる災害によって諸堂が灰燼に帰し、昭和初期に至っては辛うじて難を逃れた東塔だけが、往古のたたずまいを偲ばせていた。
昭和42(1967)年、高田好胤管主により、お写経勧進による白鵬伽藍の復興が発願され、金堂、西塔、中門、回廊、大講堂、食道が再建され、白鵬伽藍の建物と壮麗な美しさがよみがえった。
平成10年(1998)12月に世界遺産に登録され国際的にも注目された。夫婦合わせて1千円の拝観料を払って寺院を辞した。
帰路は再び名阪国道をひた走り、途中「針テラス」で休憩とショッピングを経て再び伊勢湾岸道を走り、午後6時には南医療生協に帰着した。