W・G・ゼーバルト(鈴木仁子訳)『目眩まし』白水社、2005年
息抜きのつもりで読み始めたのだったが、やはりしっかりと読まされてしまった。この作家の作品は『アウステルリッツ』『移民たち』*を読んで、かなりスタイルには慣れていたつもりであったが、前作以上に手強かった。
なにしろ、スタンダールの旅、カフカの旅と、自分の旅を重ね合わせる構成となっている。『移民たち』ときわめて似た構成ではある。しかしながら、今回は文豪の旅と重なり、一段と重厚味を増している。スタンダール、カフカはあまり読んだことがない。文学専攻の友人の話に出てきた時などをきっかけに、いくつか読んだきりだ。
作家が自ら楽しみ、読者を翻弄するかのように技巧のかぎりを尽くして編み込んだ虚構の世界と作家の実体験とが、文字通り虚実の隔てなく次々と展開する。時の流れを縦糸に、空間を横糸にした織物に作家が思うがままにストーリーを編み込んでいる。文学カテゴリーとしても、小説なのか、回想なのかも分からない。ぜーベルト独特の世界というほかはない。
題名につられて読んだ『移民たち』もそうであったが、この作家のとりあげる舞台は、不思議となじみのある土地が多いのも、ひきつけられて読んでしまう源である。インスブルックからブレンナー峠を越えて北イタリアにいたる地方は、生涯の友人となったドクターK(インスブルック大教授)夫妻と旅したことがあり、位置関係が浮かんでくるので迫真力を持ち込んでくれる。ある年の夏、ガルミッシュ・パルテンキルヘンからインスブルックを通り、ブレンナー峠を越えてボルツアーノ、ベローナへ抜けた記憶がよみがえってきた。
第二話「異国へ」に出てくるイタリア、リモーネのホテルで、パスポートをとりちがえられて紛失する事件など、警察署の証明の写真などが出てくる。これもゼーベルトの作品の特徴ではあるが、果たして本物なのだろうかと思わせるのは例のごとくである。すっかり、作家の術中にはまった感じがする。
四つの物語というのが、『移民たち』に続き、不思議なプロットである。なぜ四つでなければならないのか。これ以上少なくとも、多くとも成立しないという微妙な数である。
ゼーバルトは人生の後半をイギリス、イーストアングリア大学での教員をしながら、作家活動を続けていた。ここのクリエイティブ・ライティング・コースは、あのカズオ・イシグロ**やトレーシー・シュヴァリエ***が学んだところでもあった。どんな教育をしているのだろうかと興味が尽きない。
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