時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

巨匠の素描を見て考える

2017年09月08日 | 絵のある部屋

Leonardo da Vinci  レオナルド・ダ・ヴィンチ
<少女の頭部/岩窟の聖母のための習作>1483-1485年頃 トリノ王立美術館 

ミケランジェロ・ブオナローティ
<レダと白鳥のための習作>1530年頃 フィレンツッェ、カーサ・ブオナローティ

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ひさしぶりに青空の見える一日、東京駅前の三菱一号館美術館へ出かけた。『レオナルド x ミケランジェロ』展がお目当てだ。この美術館、立地が素晴らしいので訪れる頻度は非常に高い。特に、最近は周囲の樹木と建物の関係などが次第に馴染んで充実し、落ち着いた街並みになっている。しかし、元来美術館として設計・建築された建物ではないので、その限界を感じることもしばしばある。館内は品格のある調度など雰囲気は良いのだが、展示の仕方、照明などにもう一工夫あったらと思うこともある。例えば、今回の見ものは二人の巨匠の素描(デッサン)なのだが、作品保存の目的もあってか、薄暗く作品鑑賞に難を感じることがある。経年変化して黄ばんだ紙に薄く描かれた素描は、こちらも老化した視力では、細部などはかなり見にくい。

この美術館、展示室の関係で大作は展示が困難なところがある。この程度の規模の美術館には企画が極めて重要であり、それがうまくゆけば、かなり質の高い展覧会を開催できる。今回、あまり面白くなかったという批評をいくつか聞いたが、色々な理由が考えられる。見る側の関心がどこにあるか、どれだけの蓄積があるか、視点がどこにあるか、などでこうした展示の評価はかなり異なるだろう。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)とミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)は、改めて記すことのない美術史上の天才・巨人だが、レオナルドの方がミケランジェロよりも23歳年上である。しかし、二人は文字通り同時代人であった。お互いに相手の力量を十分に熟知し、時に同じ対象をめぐっての競作、考えの違いによる対立など、人間としての個性、感性などの違いも、今日まで生々しく伝えられていて大変興味深い。

二人ともに天賦の才能と芸術環境に恵まれての生涯を過ごしたが、当時の画家、彫刻家などの常としてパトロンをや制作環境を求めて、各地を遍歴しているので、両者が同じ地でともに制作活動を過ごしたのは、1501年から1506年にかけてのフィレンツエでの短い時期であった。

両者の制作活動における作品の規模、数などを考えると、その全面的な対比などは到底できない。今回の展示の特徴は、芸術家の制作活動の根源とも言える素描(ディゼーニョ、デッサン)を主軸として、油彩画、彫刻、手稿などが展示されている。

今回展示されている作品の多くは、以前にトリノの王立図書館その他の展示で見たことがあった。16-17世紀当時、素描、デッサンは画業、彫刻などの制作活動の出発点とされ、画家や彫刻家は徒弟を志す段階から懸命に力を注いだ。ほとんどは画業の一環としての習作の意味が大きかったと思われるが、デッサンそのものが最終作品の意味を持った場合もかなりあったと思われる。

しかし、17世紀頃から少しこの風潮に変化が現れた。画家の間には直接、カンヴァスなどに素描する傾向が強まってきた。修復の際にX線を使用して下地や画材などを調査した時に画家が最初に抱いた構想のデッサンの跡などが発見されることもある。しかし、デッサン自体に接する機会はかなり減少してきた。それだけに、この二人の巨匠のデッサンを対比して見られることは極めて興味深い。

この巨匠の作品の評価などとてもできないが、よく見ていると、両者の対象への制作態度、思想には大きな違いがあることが感じられる。見て考える。そこに美術館に足を運び、鑑賞する楽しみもある。






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