時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

トルコ・クーデター:どこかで見た風景?

2016年07月17日 | 午後のティールーム

 

 早朝、TVをつけると、トルコのクーデター失敗の映像が飛び込んできた。はるか昔に訪れたことのあるイスタンブールの橋の上に、戦車と投降する兵士の姿が映っていた。説明を聞かなくても、映像だけでクーデターと思ったかもしれない。死者194人(内市民47人)という衝撃的数字を知るまでは、どこかで見たような光景に思えた。déjà vu (既視感)なのだろう。

 映像を見ている間に、ある話を思い出した。ジプシー(今はロマ人と呼ばれることが多い)の間に伝わる「人生占い」である。"Bleigiessen", lead-pouring と呼ばれている。少量の鉛を鉄製のポットに入れ、加熱して溶融させ、それを冷たい水の上に落とす。すると、鉛は突然冷却されて、独特の形態をもって固形化する。その形状を見て、占い師は依頼者など、人の運命、行く末などを占い、告げるという。東洋でも茶葉占いといって、茶湯の中に残った葉の開き具合、形状などで、人生占いなどをする風習もあるようだ。

 性格テストでよく使われることで有名なロールシャッハ検査 Rorschach test のことを思い出される方もおられるだろう。被験者に下掲のようなインクの染みのようにもみえる左右対称な図を見せて、何を想像するか述べてもらい、その表現を分析することで、被験者の思考過程や障害を推定する。1921年にスイスの精神科医ヘルマン・ロールシャッハによって考案されて、今日でもほとんどそのまま使われている。紙の上にインクを落とし、二つ折りにし、左右対称な図として提示される。

 人間は、かつて見たものがイメージとして心の中に蓄積されていると思われている。それがある日、壁に残る汚れ、雲の形状、インクの染みなどを見ると、それが媒介して、かつて見たイメージがよみがえるらしい。美術史家のエルンスト・ゴンブリッジ Ernst Gombrich (1909-2001)が、名著 Art and Illusion (『美術と幻影』、岩崎美術社、1979年)で同様なことを記している。これは個人差があり、そうしたイメージをどれだけ脳内に蓄積しているかで定まるらしい。

  ゴンブリッジのことを考えていると、ふと若いころに読んだゲシュタルト(ゲシタルト)心理学 Gestalt Psychology のことを思い出した。この学派には ユダヤ系の学者が多く、20世紀初頭にドイツで発祥した当時は、ナチスが台頭した時代で、同学派の中心的な学者はほとんどアメリカに亡命した。今日でも英語ではなく、ゲシタルトというドイツ語が使われていることに、その歴史的文脈が感じられる。日本では、ゲシュタルト心理学と通常呼ばれることが多いが、どういうわけか、発祥の地ドイツ(ベルリン、フランクフルトなど)と日本で、大きな発展をとげた。アメリカではあまり大きな流れにはならなかったようだ。しかし、友人の話などを思い起こしてみると、この学派が心理学や関連学問の発展に与えた影響は、一般に考えられている以上に大きいようだ。

 ゲシュタルト学派は、基本的に知覚は単に対象となる物事に由来する個別的な感覚刺激によって形成されるのではなく、個別的刺激には還元できない全体的枠組み、構成によって規定されると考える。たとえば、果物を鉛筆などで描いた絵を見て、点や線の集合ではなく 「リンゴ」と認知するのは、ゲシュタルト(形態)と呼ばれる全体的枠組みとして、描かれた対象を人間が判断するためである。このブログにも登場するカナダ人の親しい友人(ユダヤ系ロシア移民の子孫)が
、これもロシア・リガ生まれのユダヤ人で哲学者、思想家であったアイザイア・バーリン Isaiah Berlin (1909-1997)の研究者であったことも、なにか不思議な因縁を思わせる。この分野は、ユダヤ系の研究者の存在感が大きい。

 それにしても、戦車と兵士が銃を捨て、両手を後ろ手に組んで歩いている映像を見ただけで、ほとんど瞬時にクーデターと直感したのは、脳内でどういう現象が起きた結果なのか、わがことながら正確には分からない。これまでの人生で数は少ないが、トルコ人の友人もできた。皆、穏やかで親切な人たちだった。今回のクーデターで亡くなった多くの人々に哀悼の意を表したい。

 

 



 

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