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人はパンのみに生きるにあらず:その4

2016年12月11日 14時50分11秒 | Weblog

「人はパンのみによって生きるにあらず」    マタイによる福音書4章4節。

ここを考えているのだが、どうも袋小路に来た感がある。出口が見つからない。

パンは人の創造意欲の結集されたものである。創造の意思が働いてこれを製品化し、都合のいい物質にしたのである。いわば結果である。結果を易々と受け入れるだけでは、次なる意欲、意思は生まれてこない。意欲や意思というものは物質ではない。物質の製品化のスタート地点に陣取っているのが、意欲と意思である。だからこれは原因に近い。パンをパンにしようとした意欲や意思が不可欠である。

「イエスよ、爾はパンのみによって生きよ」という悪魔の誘いかけは、イエスを物質界に封じ込めてしまおうとするものである。神の子イエスはこれを否定する。悪魔は「この石をパンにしたらいいではないか」と言って、彼がそうするかどうか試している。石をパンにすることはできたはずである。我々から見たら奇跡と見えていることでも、彼には決して奇跡などではなかったのだから。

彼は物質化できる能力、つまり非物質を物質にする能力に不自由はしていなかったのである。物質はあくまでも結果である。結果の前、結果が導き出されるそのスタート地点には、それをそうする意思の原因が働いていなければならなかったのである。

 

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