さぶろうはよろよろしている。よろけ者である。あっちによろよろ、こっちによろよろしている。だから、仏書を読んでも正しく読めるはずはない。惑いを深めるだけである。今日のもそうである。
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「我は後世に助からんと云う者に非ず。ただ現世にまずあるべきようにてあらんと云う者なり」 栂尾高山寺明恵上人「阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)」より
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さぶろうは後世を助からんと思う者であるから、この論調を聞くと身体に鉄槌を打たれたように感じる。ひたすら後世に思いを寄せて、生きている今の今に向き合って厳しく正しく生きていないからである。
明恵上人は後世よりは現世をどう生きるかを問題にされている方である。後世に助かる以前のことを追求されている。浄土に往ってから仏に成るのではなく、あくまで現世において仏に成る道を歩こうとされた。現世をどう生きるか。仏の教えを守り継いでどう正しく生きるか。乱れに乱れる世上に在って、いかにして仏陀に近づく努力をするか。みずからが正しい解答を出そうと努めておられた。もちろんだから人の何倍も戒と律とを尊重されて修行に励まれたのである。
平安時代後期から鎌倉時代にかけて末法思想が流行した。戦乱と殺戮と飢餓と疫病と災厄が耐えなかった。現世を正しく生きようとしても正しく生きられない人々が溢れた。この時機に後世に助かる道があると説く浄土の教えが擡頭した。無力の大衆がこれに靡いた。浄土の教えでは、現世の戒律は重大事とはならなかったのである。
明恵上人、明恵坊高弁は華厳宗中興の祖。法然上人の興された浄土の教えと真っ向から対立された。「摧邪輪」を著して論陣を張られた。「後世を助からんと云う者」とは法然上人とその流れを酌む面々をも指している。それまでの仏教界、奈良仏教の諸宗派は、新しく興ったこの浄土の流れを世の悪害としたのである。
「仏教とはこの世で他者によるのではなくみずからの正しい努力によって自らを救うことを説く道である」。明恵上人のお考えはこうであった。これは釈迦牟尼仏の時代の原始仏教のあり方と同じである。「みずからを拠り所とせよ、正しい法を拠り所とせよ」と仏陀は諭された。釈迦牟尼仏その人にもその人の像にも依存してもならなかったのである。
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同じ仏教と云ってもさまざまに主張が異なる。仏教はさまざまな変遷を辿った。小乗仏教は大乗仏教によって小乗とされた。世の変遷と共に次々に新しく塗り替えられて来たのである。
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それでもこの栂尾の明恵上人の説にも強く引かれるのである。「今を正しく生きよ」「後世に助かるとも助からんとも先ずは現世を努力精進せよ」「戒律を守って現世で仏陀に近づく修行に勤しめ」そういう主張を無視し否定する気にもなれないのである。ではそうできるのか。それだけの力がさぶろうにあるか。この答えにも窮するのである。
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