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皆いっしょに等しく仏道を成じていきたい

2016年12月04日 16時53分51秒 | Weblog

ガンニシクドク フギュウオイッサイ ガトウヨシュジョウ カイグジョウブツドウ

真言宗回向文

抑揚をつけながら老爺がぶつぶつこの回向文(えこうもん)を唱えている。唱えているとそれだけで仏道を歩いている者になれそうな気がするのだ。老爺の錯覚である。偽装で或る。

ただの願望でしかない。彼には善の積み重ねはない。仏陀の功徳には遠い存在である。内実ろくでもない男である。だから、読経する。読経をすることでふりをする。振りでもって仏陀の功徳を借りようとする。あわよくば借りられるのではないかと思い込む。

願わくば此の功徳を以て、普(あまね)く一切に於いて及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成(じょう)ぜん。

わたくしは願います。わたしが仏より授けられた功徳果報が、どうか、わたしからスタートし、この世を生きているすべての生き物に等しく行き渡りますように。そうしてわたしと生あるすべてものとが残らずみないっしょになって、仏道を歩みしめて行き、ついにはこれを完成させることができますように。まずこのわたしが仏教の根本の「大悲大慈心=慈しみの心」を持ち、それを多くの人とともに分かち合うことができますように。

どうか、みながいっしょになって仏道を成じていくことができますように。この長い長い一生涯をかけて一歩一歩仏道の到達点に近づいていくことができますように。

この回向文は、妙法蓮華経の化城喩品[けじょうゆぼん]第7にある。

ガンニシクドク フギュウオイッサイ ガトウヨシュジョウ カイグジョウブツドウ

老爺はまだぶつぶつ呟いている。でもどうしても嘘っぽい。願いがこの男にかかると汚れてしまうのである。でも、いいではないか、それで。これをなさる方、願いを実行される方は仏陀なのだから。

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