<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

それに該当するものが立ち上がって来る その3

2017年03月13日 23時26分21秒 | Weblog

15)

「ああ、嬉しい」を声に出して10回、20回と繰り返してみる。

16)

するとその声に応えるようにそれに該当するものがそこに立ち上がって来る。不思議なことだ。魔法のようだ。

17)

いやいや、そういうものが立ち現れてこなくともいいのである。贅沢をしなければいいのである。

18)

わたしのこころが嬉しがっていればそれですべてが完了しているのである。

19)

あとはただの蛇足である。

20)

事実は感情の蛇足に過ぎない。現れて来る事実は精神界の蛇足に過ぎない。

21)

わたしは已にわたしの胸襟にそれを収めているのである。果報という宝物を我が蔵に収納し終わっているのである。

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それに該当するものが立ち上がって来る その2

2017年03月13日 23時23分46秒 | Weblog

8)

それをそうとしていないだけであって、己の手落ちをあっさり認めて、それをそうとすればよいのである。

9)

今日は道の駅に立ち寄った。そうしたら、そこに蕨が売ってあった。立派に伸びた蕨である。10茎あって200円。野山に出掛けて行ってもまだ見つからないはずである。ハウスものなのだろう、きっと。いかにも早すぎる。蕨の立つのはもう少し後のはずだ。でも、何処かにあったのだろう。あるいはどうにかして育成したのだろう。ともかく買った。明日の朝のお味噌汁の菜にしてもらうつもりだ。蕨は早春の使い、使者だ。それがいまわたしの手にある。嬉しい。

10)

野辺を春にして蕨を生やしてくれたパワーが何処かにあったということである。もちろんわたしはそれを200円のお金を払って買い取ったのであるが、蕨がお金をもらったわけではない。

11)

だからこれは純然とした自然界の愛情の吐露である。お慈悲である。サービスである。

12)

結果的にはわたしに対する愛情表現である。それをわたしがそうだと受け止めたのであるから、それはたしかにそうなる。愛情になる。

13)

こうなれば、双方交流の愛情の遣り取りが嬉しくなる。

14)

そういう自然界の愛情は愛情過多と言えるくらい無数に存在している。それを自然界の愛情だと思うか思わないかだけである。

 

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それに該当するものが立ち上がって来る その1

2017年03月13日 22時48分38秒 | Weblog

1)

こころみに「ああ、嬉しい」を10回言ってみる。声に出して。感情を込めながら。

2)

するとどうなるか。この実験は愉快だ。

3)

なんだかそのような状況が生まれてくる。快感ホルモンが滲みだして来る。瞑想の裏側があたたかい湯気を立ててくる。自己導引術だ。

4)

ものの見方が順次、変化するようだ。

5)

嬉しいことは実はたくさんあるのだ。たくさん手にしているのだ。それを気づかないでいるだけだ。

6)

そこにある嬉しいことに気づく。先着していた嬉しい事実がこれでやっと償われる。やっと認めて貰えたのだから、当方も嬉しくなる。

7)

嬉しいことというのは無限にある。それをそうとすれば、無限にある。

 

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今日は診察日

2017年03月13日 14時49分55秒 | Weblog

今日は診察日だった。血液検査の数値はすべて正常値だった。ああ、嬉しい。禁酒が功を奏したかもしれない。薬を食前と食後の寝る前に服用していたからかもしれない。散歩を心掛けているのも一因かもしれない。ともかく一安心。それで、中華料理店に行ってランチ贅沢した。朝ご飯抜きだったので、余計おいしく感じられた。それから、その足で古湯温泉に来ている。ゆったり湯を浴びた。雨も降っているので畑仕事はできない。それで、ゆっくりしている。そろそろ帰るとするか。

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