インドのブッダガヤの大塔は仏陀のお悟りになられた記念すべき場所である。ここでお悟りになったのが2500年前とはどうしても思えない。ここに座る。こことは仏陀のお悟りの場のことである。わたしは菩薩座に座る。仏陀と対面をする。安定した座だ。だが目が開けていられない。閉じてもいられない。安心安寧がからだをほっかり包む。仏陀と対面するのだから無理はない。理屈じゃない。充足感と言ったらいいだろうか。肉体の奥の精神が叫び出したくなっているようなのだ。精神のエクスタシーが来る。これは何だろう。この幸福感、この浮遊感はいったい何事だろう。すべてを投げ出しても惜しくはない。仏陀に今会っているのだ。それ以上にわたしをうなずかせるものはない。直感に過ぎないが、わたしは死んだらここへ来そうな気がする。一目散にここへ走ってきて仏陀に対面をして、嬉しくって嬉しくって泣き出すに違いない。わあああん、わあああん、生まれてきたばかりの赤ん坊のように嬉しくって嬉しくって泣き出すに違いない。泣き出す以外に、暮風にはとても方法はないだろうと思われる。
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