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秋の日が終わる

2006年10月17日 10時20分13秒 | Weblog
 秋の日が終わる抽斗をしめるやうに    有馬朗人

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 これは自由律俳句だろうか。作者有馬朗人氏は学者で文部大臣経験者。

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 箪笥の抽斗を閉めるようにして、秋の日が西に傾いて行く。<釣瓶落としの秋の日>とはまた別の把握である。釣瓶はからんからんからんと自分の重みで落ちてゆくけれど、抽斗はこちらの力を加えないと閉まることはない。蝋燭の蝋でもひいておくとするすると抽斗は開け閉めできるが、古いのなら、勢いをつけてやらないと締まりが悪い。

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 こちらの力をも加わったかのように、見ている間に、短い秋の夕暮れが来るのである。こちらの力だから、もう少し待ってくれと思って、落ちてゆかぬようにすることができないものだろうか。

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 ものごとにもかならず終わりがある。終わりをあらしめようと力まなくとも終わりは来る。無常の世の中だから。いつも変化をして止まない。作者は自動詞ではなくて他動詞で、秋の落日を見ている、そこが面白い。面白い俳句になった。無常を早めるように、こちらで終わりを早めることもできるのかもしれない。

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 抽斗を閉めたら抽斗の中に秋の日     釈 応帰
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