入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「冬」(40)

2023年02月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など



        Photo by Ume氏(2作とも)

 この冬は暖かかったのか寒かったのか、よく分からないうちにボツボツ春の便りが届くようになってきた。河津桜を見たさにご本家、静岡県の河津町に多くの人が押しかける様子をテレビで見て、花もだが、あの人たちには雑踏が、人混みが同じように必要なのかとも思ったりした。

 しばらく沈黙が続き、「アイツついに身罷ったか」などというよろしくない噂すらどこかで流れたかも知れない。幸いまだこうして生きているが、以前に「雪の法華道を行くよりか大変なこと」をそれとなく予告しておいたように、その「大変なんこと」に気を取られて、しばらく安気に独り言を続ける気にならなかった。
 実は、友人の会社で年1回開かれる関連会社との重要な会議があり、その後に何か喋ろと言われ、今でもその時の気持ちがよく分からないが、なぜか安易に引き受けてしまった。あまりにも軽率としか言いようがない。
 
 ともかく当日はこの独り言にも時々時々登場してもらっている元小学校の教頭TDS君と、元高校の校長AKR君とに付き添われ、会場に向かった。演題は「漫談 つれづれなるままに」という、考えてみれば同じような意味の言葉を連ねた文字通り行き当たりばったりの話。およその筋書きは考えておいたものの、どう話が進んでいくかは本人にも分からなかったような次第、後は天に任せた。
 
 まずは気合を入れるために、350㏄の缶ビールを2本ばかり控室で頂き、いよいよ本番に臨んだ。すると、演台にもちゃんとビールが用意してくれてあり、ここら辺りから乱調が始まり、いやはや全く制御不能の有様となってしまった。正しくあれは漫談、いやそれ以下。
 その上、会場の奥に何だか見たような顔があるゾと思ったら、後で分かったことだが、心配してわざわざ東京と松本からも、保護者然とした友人2名が駆けつけてくれていた。これには泣けた。
 ただ、45分の予定が時間が余り過ぎて、やむなく質疑応答を始めると、徳川将軍らの乱だな夜の話もしたので、それに触発されたのか、このうちの一人MCM君が「弁士の女性遍歴は」などと、とんでもない話を振ってきた。これまでひたすら「清貧独居禁欲」を旨として生きて来た人生、思わず「退場、退場」を連呼していた。

 というようなことで、それ以後は連日友情耽溺が続くばかり。久しぶりに夜中に目覚め、貰い物の沢庵でビールを飲みながらの独り言。日曜日からは、当初の目的は叶わないことになったが、それでもFMZ君の車に便乗して上京の予定。この独り言が巡行運転再開になるまでは、まだ少し先になるかも知れない。

 本日はこの辺で。
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     ’23年「冬」(39)

2023年02月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

      Photo by Ume氏

 先週末、久しぶりに散歩に出掛け、以前に呟いたことと同じことをさらに強く感じ、帰って来た。マラソンでも5キロ地点とか10キロ地点があり、選手はそれらの区切りを目途に42.195㌔を走るように、散歩にも例えば畑中の迂回路から瀬澤川に下る山道、隣の集落の端を抜ける細い道、長い登坂の上で待っている峠、そこからの眺め・・・、というように頭の中にそれなりの通過点を決めて歩いている。瀬澤川の渓の中に入って聞こえてくる沢の音もそうだ。
 ところが、それらの場所を通過するのが想定していたより早くて、しかもたちまち後方へ去ってしまい、それを人生と重ねてみたらよく似ているとしみじみ感じたのだ。
 少年が青年になるのを遥か遠い未来だと思うように、成人になって30代、40代はまだまだ先のことだと思う。しかしいつの間にかその年齢を過ぎ、それでも還暦や晩年のことなど考えてもいないうちに勝手にその通過点が来て、そして過ぎ、去っていった。

 このごろは有難いことに、たった1時間3,40分の散歩が、何度でも繰り返せる人生のように思えば、ますますそれを楽しめるようになってきた。これに40分ほどの「心のラジオ体操」と結び付けると、その効果たるや絶大、絶妙で、たった1合だった日本酒の酔いもさらに何倍にも深まるようだ。



 やはり、梅の開花の見立ては少し早かった。それでも蕾はここまで膨らんできた。あと一歩。冬の中に次の季節、春の気配が感じられるようになって、これからはこの梅にしばらくは独り言の代弁をして貰うつもりでいる。
 そのうちにはユキワリソウが咲き、ボケの白い花も咲く。先日ここで紹介したカタクリの葉がどこかへ消えてしまったけれど、それとは別にもう1枚新しい葉が出て来た。
 2月は一度も上にいけなかったが、残り10日もしないうちに3月となり、例年ながら3月の3日前後には法華道を通り上に行くと決めている。お供のHALがいなくなって2度目の冬が過ぎていく。

 本日はこの辺で。

 

 





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     ’23年「冬」(38)

2023年02月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 白鳥が北帰行を始めたのをテレビで見た。鳥たちはどうやって北へ帰る時を知るのかと不思議に思っていたら、日毎に長くなる日照時間が関係しているのだとか。
 ひと冬を過ごした日本の湖沼から白鳥たちが幾つもの群れを作り、まだまだ寒い海を渡り遠いシベリアの地へと帰っていく。きっと悪天に翻弄されることもあるだろうに、そんな中を懸命に飛び続ける鳥たちを想像すると、渡り鳥の習性を不憫に思いつつ、届かぬまでも声援を送りたくなる。

 今朝もかなり寒く、外気温は零下7度だったと聞いた。ところが日中は暖房が不要なくらい暖かくなって、近所の主なき家にも梅の花が咲いたと、はるばる東京経由でその知らせが届き驚くことに。
 それでわが家の梅の木を見にいけば、明日にでも咲き出しそうな蕾を2,3個見付けた。見立ては、大分希望が入っているかも知れない。
 梅の枝の剪定はこの時季には終わってないとまずいらしいが、実がなってもどうするわけでもないし、折角花が咲こうとしているのだからそのままにしている。いくら豊作でも、梅干を漬けるなどという気紛れは、もう起きないだろう。(2月17日記)

 夜の散歩を自粛するようになってから、すっかり冬の星座を目にする回数が減った。昨夜は久々に中天から大分西に傾いた冬のダイヤモンドを眺め、1年前の同じころ、やはり季節の移ろいを感じながら歩いたことを、つい数日前のことのように思い出した。
 変化のない日々を送るのはいつの冬も同じだが、昨年は今よりかcovid-19が人々を不安に陥れ、そして24日にはロシアによるウクライナ侵攻が始まった。野生の哺乳類を4%まで殺した人間が、それでは飽き足らないということか、今度は共食いをしている。

 たった一人の人間の思い込み、野望、その他よく分からない理由で、世界中がその影響を受けるということは、考えてみたら実に不思議な話ではないか。2,3人で襲いかかれば権力者も人間、ひとたまりもないはずだが、どうやったらそういう地位と権力を守ることができるのか。
 独裁者にかしづく者には、絶対の忠誠を誓わせるために相当の配慮がされて、だから近侍した者たちは後になっても独裁者の悪い面よりか、人間的に良い面を語りたがろうとする。太平洋戦争の責任を負わされた将軍についても、そういう話をする人がいた。
 総統と呼ばれ多くのユダヤ人を虐殺したあの人は、意外にも愛犬家だったそうで、犬を虐待してはならぬというお触れまで出したという。手の届く狭い範囲にしか、その人の人間的な感情、思いやりは及ばなかったということだろう。

 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
 
 



 
 
 
 

 
 
 
 


 
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     ’23年「冬」(37)

2023年02月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
    Photo by Ume氏(再録)

 古い話になるが20年も前のことで、信州へ帰ってきた最初の秋だったと思う。戸台から林道を見事な紅葉と、白い飛沫を上げる小黒川の急流を眺めながら上がってきて、牧場の南ゲートに行き当たった。牛はすでに里へ下りていなかったが、そこから目にした遠くまで続く緑の草原を目にしながら、ある登山家の言った言葉を思い出していた。
「もし山で死ななかったら、晩年はふる里の谷に帰り、羊を飼って暮らすのだ」。正確ではないかも知れないが、およそこういう意味だった。しかし、この人はそれがかなわず山で死んだ。

 あることのために、この人の名前を思い出す必要があった。しかし、山の本は大概処分してしまったから彼の著書を探しても見付かりそうもなく、ほぼ諦めかけていた。ところが昨夜、床に入り頭を枕に乗せた途端に突然その名前が脈略もなく、それこそ頭の中に飛び込んできた。ルイ・ラッショナル。
 最近でも、元活動家の名前を全く同じようにして思い出したばかりで、これは少し記憶力が回復しつつある兆候かなどと気楽なことを考え、そして寝た。翌朝になっても、忘れずに覚えていた。

 またきょうも「座る」ことについて少しだけ触れると、これまではそのことを「心へのビタミン補給」だと呟いてきたが、どうもそれよりか昨日思い付いた「心のラジオ体操」の方が自分にはぴったりするようだ。で、当分はその呼び方でいきたいが、とにかくそのお蔭で、多少なりとも劣化した記憶力に影響があったのかと考えたりした。
 ところが、それが見事に否定された。バレンタインデイなどというものは、この年齢にならずも縁なき西洋の行事で、貰ったことが無いとは言わないが、それはそれでいい。ただこの日が別な理由で忘れてはいけない日でありながら、14日を24日とを勘違いして、その間違いを昨日になって指摘されるまで、気付かないでいた。この日を忘れず、そのために毎年やって来たことを、初めて間違えた。

 まあ、この「心のラジオ体操」は、何かを期待して始めたわけではないと言った。そう呟いておきながら、はしなくもヨボヨボ老人の色気でも出たようところを見せてしまい、良くない景色だ。
 記憶違いでも、混乱でもこれからはもっと増えるだろうが、あくまでも淡々として「そうか、そうか」と受け入れて、気落ちしたり、自分を叱ったりするのは、難しいができるだけ控えるようにしたい。

 前から言っている、山では大したことは何ひとつできなかった。それでも、ルイ・ラッショナルの言ったあの言葉が牧守の仕事を始めるに当たり、背中を押したのだと思っている。

 本日はこの辺で。
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     ’23年「冬」(36)

2023年02月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 久しく散歩に出掛けないから、その時に感ずる解放感とか、快い疲労感などを忘れつつある。まして、夜の9時過ぎに山の中を歩き、墓地にまで出没したりしたことはわがことながら、もう遠い記憶でしかない。昨日はようやくその気になったが、外に出たら冷たい風が吹いていて「止めろ」と言われたようで、また家の中に引っ込んでしまった。
 散歩は気分転換と、衰えてゆく足の筋肉に気合を入れるのが主たる目的だと考えているが、年々その回数が減ってきている。昨冬は殆ど夜ばかり歩いていたが今冬は昼間に変えて、それが原因だとは思わないがさらに回数が減って、そしてますます炬燵との友情を深める日々となっている。

 その代わり、になるか分からないが、「座る」ことに関しては毎日酒を欠かさないのと同じように、ずっと続けている。昨日はついつい70分座った。久しぶりにそれだけ座り続けると、胡坐(あぐら)している膝の交差した部分が痛みだし、やはり1回に座る時間は30分から40分ぐらいがちょうどよいのではないかと改めて知った。

 この「座る」ということについては、以前に心に与えるビタミンのようなものだと言った。ビタミンが不足すれば身体に不調をきたすが、摂取したからといって格別その効果が分かるわけではなく、座る行為もそのようなものと考えている、と呟いて。
 宗教的な背景も持たないし、何か特別な目的があって始めたわけでもない。もちろん、今さら人格の陶冶などということはさらに考えていない。
 どうもこの辺りのことを上手く説明できないが、例えばラジオ体操をした後の満足感などは感覚的に近い気がする。あるいは日常から踏み出して、普段は無意識に過ぎていく時間と対峙し、ゆっくりと燃えていく線香を見つめる・・・、線香はあってもなくてもいいが、自分の捉え方はその辺りだろうか。
 
 まあ、欲に駆られて詐欺の餌食になる人もいたり、どんな幸福が欲しいのか某宗教団体に巨額の金を貢いで、それが遠因と考えられる大変な事件も起きた。もう人々は忘れかけているが、目の不自由な教祖に従い、その結果死刑になった若者たちもいた。
 ビタミンと言えばすぐ野菜サラダを考えるが、あれは比較的新しい食べ物で、体力がなければたくさんかつ美味しくは食べられないと料理の本に書いてある。みんな、求めるものがあったのに、それは無理だったとしても、せめて多少なりとも心にビタミンは届いたのだろうか。
 
 こういう人々に比べたら、一日の中でたった30分くらい座っても、武骨者がダンスか刺繍でも始めたようなものだと思い、嗤い捨てて頂けたら幸甚でござる。

 本日はこの辺で
 
 
 
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