入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「夏」(24)

2022年06月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうで6月も終わる。1年も半分が過ぎたわけだ。それを早かったと思うこともあれば、逆に長かったと感ずることもないではない。この半年間を漠然と振り返れば、呆気なかったと思うが、牛がここへ来てまだ1ヶ月も過ぎていないことを考えれば、この間は結構長かったとも言える。
 暦の上でのちょっとした節目で、こんな感慨を抱いてみても詮無いこと。分かっている。時は無慈悲に、かつ正確に過ぎていくだけで、138億年という時間の恐らく一瞬にしか過ぎないわれわれの歴史、その中で洩らした人間という一生物のあたかも吐息のような思いなどには、神でさえ頓着することはないだろう、ナンテ。



 昨日は人に頼んで発注してあったこの本、「孤高の道しるべ」を入手するために里へ下った。副題には「穂高を初縦走した男と日本アルプス測量登山」とある。
 以前にも呟いたことがあるが、明治の時代に宮内省に勤務し、皇室の御料林の調査及び測量、確定などに多大な貢献をした神足勝記について、上条武が綴った一書である。上条も長年林野行政に携わった、謂わば神足の後輩である。
 同書については神足だけのことが綴られているのだと思ったらもう一人、鵜殿正雄という穂高、槍を初縦走した人のことも詳細に語られている。ただし、この人物のことは知らなかった。
 立派な箱入りの上製本で初版は昭和58年(1983年)、定価3600円とあるから、当時としてはかなり高価だが、その価値は充分にあると思う。ようやく手に入れた本だから、読むのが楽しみだ。

 神足のことや、この本のことを教えてくれたのは神足の研究を続けている財政学が専門の大澤覚氏からであった。氏が神足の足跡を調査しに入笠へ来たときに偶々知り合い、それ以来、神足に関する新しい著書が氏の手で一日も早く世に出ることを期待して、折に触れて連絡を取らせて貰っている。
 入笠山が伊那側の人々の一部からは「雨請い岳」と呼ばれていたこと、「御所平」や「仏平」の古くからの地名も、案内人の中に芝平の住民がいたことで神足にも伝わったようだ。彼らの氏名もちゃんと記録されているから、北原のお師匠なら記憶にある人がいるかも分からない。

 本日11時55分の気温26度、快晴無風。訪問者無し。

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 本日はこの辺で。
 
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     ’22年「夏」(23)

2022年06月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 夏の青空が広がっている。午前6時半、気温20度。本当にもう、梅雨が明けたのだろうか。まだ、6月であるというのに、半信半疑でその報を聞いた。梅雨入りしてから今年は雨の降る日が少なかった。牧場の水源に関してはまず問題ないと思っているが、このままだと長いながい炎暑の夏になる。すでに各地で水不足が心配され始めた。

 朝飯前に小屋の周囲の草刈りを少しやった。気紛れでやったことで、それほど気を入れてしたわけではないのだが、この気紛れ、思い付きでも、やることは後から後から出てくるから、まんざら無駄ななことをしているわけではない、と思っている。
 単調な仕事が多いから、無理はしないで飽きたら止めて、また別なことをする。それでも、草刈り、伐採、その皮剝き、などは仕事というより・・・、何だろう、遊びと言ったら言い過ぎでも、趣味の一つくらいに考えてもいいかも知れない。
 若いころは、この手の肉体労働は一切やりたくなかった。それが変わった。今ここでする労働は、誰かから強いられてすることではないという点、その違いが大きい。例えばテイ沢の丸太運び、あんなことが強制された仕事だったら、絶対にやらない。そもそも丸太橋を架けるなどという仕事からも、間違いなく逃げただろう。
 
 山登りや岩登り、あるいは他の運動でもいいが、およその自分の能力がつかめてくれば、その範囲に甘んじていられず、少しづつでもより高みを目指そうとするようになる。向上心という一種の本能だろう。
 ここの仕事には、その向上心を刺激するような内容はあまりないが、一日にこのくらいやっておけば自分で納得できるというくらいの基準はある、自然にできる。できなくても、別に誰かから咎めを受けるわけではないが、自分で納得できないと、全力を投入せずにいい加減なところで妥協し、敗退した登攀のような後味の悪さが残る。この自己管理は、結構厄介で微妙に揺れる。
 
 一日歩いた歩数は、一つの目安になると呟いたことがある。仕事の内容、それに携帯電話を持たずに仕事をすることもあるから、6月の一日当たりの平均歩数が9,054歩というのは、まずまずだと思う。しかし、この歩数ばかりに捉われるのは全く馬鹿らしい。だから、どの程度自己評価に加えるかで揺れる。
 幾つかのことを諦めれば、あるいは方向転換できれば、田舎の百姓暮らしは悪くはない。あまり自己満足の快感に淫したり、溺れないように注意も要るが。クク。

 かんとさん、M田さん、昨夜なかなかの星空を眺めました。

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     ’22年「夏」(22)

2022年06月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


「一念」という言葉があるが、この場合もそうだろう。今では廃村となった山室川の源流に近い孤立した集落、芝平に生を受けた北原のお師匠94歳が「古道・法華道」に寄せた深い思いは、これまでもここで度々呟いてきた。特に、この古道の各所に残る名前を何としても後世に残したいとして、名前の由来も記した道標を担ぎ上げたのは20年も前のことになるらしい。


     ここに写っている人たちの他に、高座岩へ先行した人々も数人いる
 
 昨日、入笠の麓にある名刹「遠照寺(おんしょうじ)」の松井住職が副住職、檀家衆を伴い高座岩で法事を行った。その折、北原のお師匠も家族、親戚と一緒に御所平峠まで同道することを以前から聞いていた。
 峠に着くと、松井住職はそこで正式な僧衣に着替え、副住職とともに、師が運び上げた地蔵尊に懇篤極まる経が上げられ、師もそこに深くふかく額ずいた。
 その後、師と援護の牧守2名を残して、一行は本来の目的地である高座岩へと向かった。そして、そこで予定された法事が厳粛なうちに営まれ、朗々とした読経の声が法華谷に響き渡ったということを、参拝者の一人より後から聞いた。

 峠から無事林道まで下り、高座岩へ向かった一行と後に北原新道の登り口で合流するまで、余った時間をテイ沢や南沢出会いまで出向き、それなりにいい時間を過ごすことができた。
 テイ沢の出会いでは、ちょうど下ってきた二人組と出くわし、師は彼女らの衣装や身に着けている装備にいたく関心を持ち、好奇心の衰えぬところを見せた。彼女らの感じの良い対応に、南門まで軽トラの荷台に乗せて送って上げた。



 高座岩参拝の一行が帰った後、これから必要になる水切り用や、他にも使い道のある丸太を、実生から成長した落葉松の中から4本ばかり選んで伐採し、皮を剝いて保管した。長かった一日、また、懐かしい記憶が甦った。

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 本日はこの辺で。

 

 
 
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     ’22年「夏」(21)

2022年06月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 激しい雨音で目が覚めた。午前2時ごろだった。それから約1時間近く、雨脚は少し弱まったようだがまだ激しく降り続けている。牛のことが気になる。
 この仕事を始めたばかりのころ、牧場に牛舎がないことに驚くと、牛も本来は野生の動物だからと言ってその人は笑った。しかし、家畜となった牛たちは何代にも及ぶ品種改良を経てきている。そんな牛たちに、その人が言うような野生の勁さが残っているのだろうかと、納得できなかった。
 それでも今夜のような狂った天気では、唯一その納得できなかった言葉にすがるしか他にどうすることもできない。「異常」とか「狂った」とか「土砂降り」とかも言うが、「滝のような」ではなく、まさしく天は滝と化して大量の雨を降らせてきた。風の吹かなかったことが救いだった、幸いだった。
 美味くもないビールを飲んでいたら、ようやく雨の音が止んだ。3時半、夜が明ければ、きょうの写真のような天気に戻るだろう。

  一夜明けたらやはり快晴、心配していた囲いの中の牛たちは無事だったようで、昨夜の雨がなかったかのように草を食む姿が見える。第2牧区の和牛たちはあの豪雨で寝不足だったのか、日当たりのよい作業道とそのすぐ下の放牧地で、身を休める姿を全頭確認してきた。
 
 都会ばかりではなく、早過ぎる猛暑に当惑している人たちのことが報じられている。6月の今からこれでは、盛夏のころがどうなるのかと心配する、もっともな声も聞いた。「危険な暑さ」、「生命にかかわる暑さ」、「気象災害」等々と、おどろおどろしい気象予報士の言葉がそれに重なり、この先の夏、特にかつて暮らした都会の炎暑の夏が気になる。
 以前にも呟いたことがあったが、東京を去る時、これで地震と冷暖房機から解放されるかと思ったら、そこで暮らす人には申し訳ないが、やっと背中の重い荷を降ろしたような言いようのない安堵感を感じた。

 半袖に着替えたのも、ズボンの下の肌着を脱いだのも今週になってからだ。つい最近まで、たまには炬燵に電気を入れたくなるほど、今年はいつまでも寒い日が続くと思っていた。きょうは昼近くになれば20度を超えるかも知れないが、いい風が吹いているから暑さはあまり気にしないで済むだろう。
 牧の朝は言うまでもないが、これからはここの夕暮れの味わいが楽しみになる。

 UCDさん、単独でしたらまず大丈夫だと思いますが、そちらで日を決めて問い合わせていただいた方が確実です。

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 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
 
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     ’22年「夏」(20)

2022年06月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 緑の色が一段と濃くなってきた。芽吹きが進む春から初夏のころは、一口に緑色と言っても樹種によりかなりその色合いに違いがあり、緑と言うよりか黄色に近い色もあって、自然は絵具では手に負えないほどの複雑な色を見せてくれる。今はもう落葉松の葉の色であれ、白樺の葉であれ少し離れてみればそれほどの違いはない。
 今朝に限って、その単調で平凡な緑の色になぜ関心がいったかと言えば、それは前日の雨と朝の光のせいだった。同じ落葉松の緑でも、光の加減で単調な緑の色が絶妙に変わる。風も一役買って、夏の終わりのころの疲れた緑ではなく、生まれたばかりの朝の光に煌き、溌剌として変化する緑の色を見てきた。

 実は昨日も里に帰った。片付け損ねた食物と、家の周囲に繁茂する雑草が気になって、それで山を下った。雑草に混じり、4月の仕事を始めたころに咲き出したミヤコワスレの花がまだ咲いていて喜んだ。外来種だろうか、これまでに見たことのない草もあって、とにかく、力任せに草刈り機を振り回し、刈るだけ刈ってきた。
 
 上と下とでは6度くらいの温度差がある。そのせいでか、三日前に帰った時は少し寝苦しかった。昨夜もそうかと思ったら、意外とよく眠れた。
 このごろ、中高年の過剰な睡眠が寿命を縮めるなどという説を仄聞し、驚いている。これまでも、特に上で暮らすようになってからは喜んで9時間、10時間の長寝を楽しんできた。そんな快眠を止める気はない。夢も見るから深い眠りではないと言われても、その夢だって楽しみのひとつであるから気にしない。
 
 古来稀なる年齢を少なからず過ぎた身では、よく動く方だと思う。先週の平均歩行数は1万歩を超えていたし、まだ重い物も担ぐことができる。睡眠は肉体労働を評価、判定する目安のような物だと考えているから、逆にあまり睡眠時間が少ないと、怠けていたようで精神衛生上良くないとさえ思う。
 夜中に目が覚めて眠れなければ、起きている。苦にしない。ただし、昼寝はしないと決めている。快眠というご馳走を先につまみ食いしてしまうような真似は、愚かなことだと考えるからだ。
 肉体労働に加え、ここの気温と適度な湿度、そして無音と言ってもいいような静けさ、それが我が睡眠導入剤である。そして、最大の報酬であるかも知れない。

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 本日はこの辺で。
 
 



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