入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’18年「冬」 (47)

2018年12月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 寒波の予報が続く。帰省と重なるからと、盛んに注意が呼び掛けられている。しかしこの注意喚起も、あまり過ぎては、その効果が疑わしい。この時季、寒波が来るのも、大雪が降るのも少しも不思議ではない。交通への影響も出るだろう。だからと言って帰省を諦めたり、山やスキーにいくのを取り止めたりはしないだろうから、気象予報に携る人たちには、あくまでも正確な分析と、それに基ずく気象予報を期待したい。
 
 18歳から30代半ばごろまで、年末年始は毎年スキーか山に行っていた。だから、里にいるようになってからは、その時期の過ごし方をどうしたらよいのかと、大いに戸惑ったものだ。特に一人で年越しをするようになると、新年を迎えるにあたり特別なことは面倒だからと何もせず、手持ち無沙汰に耐えられずさっさと寝てしまうことが多かった。今、ここ何年かの日記を見返してみたが何も書いてない。晦日に、二年参りを兼ねて墓参りをしてから神社に行ったのは、何年前の気紛れだろう。今年の正月は、雑煮を食べたかそれも定かではない。門松を飾らなかったり、供え餅も用意しなかったことは珍しくなかった。このままでは、また例年の轍を踏みそうだ。
 それでいて、入笠には三が日の間には決まって行ってる。年末年始に客を迎えた記憶はないが、それでもずっとそれが行事のようになっていた。今年は30日に行って、上で越年する。迎える登山者も2名だが、いる。1名は30日に赤坂口から、もう1名は31日に諏訪神社口から、法華道を登ってくることになっている。
 31日の年越しと元旦は、手料理を振る舞うつもりでその用意もした。そうしていたら、漁に出ていた山奥氏が船酔いで絶不調の中、城ヶ島沖でなんとイナダを3本も釣り上げたと連絡が入った。それで、早くその魚を持ち帰って、ここで年越しの宴に参加しろと言っておいたのだが。
 親愛なる読者各位に謹んでお伝えする。12年目にして初めて越年の客を法華道から迎え、豪勢極まりない年越しをするのだと。あ、もちろん酒もワインも極上、ビールは普通。料理の材料並びに味だって、負けない。それでも、1泊3千500円の料金は変えない。これこそ時代遅れの山小屋の実力、ワハハ、だ!

 もう思い浮かぶ惹句も尽き・・・、「冬の営業案内」をご覧ください(下線部を左クリックしてください)。予約は早めに頂ければさいわいです。







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     ’18年「冬」 (46)

2018年12月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 里にいては、まだ雪の来ない冬枯れのあの森の静けさを語ろうとしてもできない。と言うか、もし実際にそこにいても、感ずることをどこまで言葉に換えることができるかは、分からない。とりあえず、中途半端を承知で「法華道」の触(さわ)りでも。
 
 ようやくそこまでたどり着いた落葉樹の林は、枯葉をすっかり落とし、まるで手持ちぶたさでも見せているようだ。細い杣道も地表も、すっかり落葉に埋め尽くされていて、その昔、旅人が一服したり旅装を整えたと伝えられている「脛巾(はばき)当て」などという狭い鞍部で、同じように腰を降す。そして、静寂の中で疲労が消えていく快感を味わう。心を刺激するのは、周囲のクヌギやナラの疎林の乾いた風景ではなくて、もっと実体のない山の気とでもいうようなもので、それを感じつつ短い時を過ごす。
 古道「法華道」、先はまだある。そこからは急登が続き、尾根が終わると緩やかな落葉松の林になる。かつては旅人のお助け役を果たした「山椒小屋」と呼ばれた小屋があったらしいが、いつ頃までのことだったかは分からない。北原師が持ち上げた道標が、少し傾きかけたままそれを教えている。さらに古い林道へ出るまでには、落葉松の木に括られた小さな「法華道」と記された標識を頼ることになる。それらも、この古道に招き寄された師の、熱い思いの証だ。2月の厳冬期のころなら、雪の上をもっと効率よく行くこともできるが、却って苦労することになるかも知れない。試してみたらいい。
 古い林道に出てしまえば、後はダラダラと続く行程を「御所平峠」までこなすだけだ。峠の手前の「御所平」は落葉松の人工林で、落葉樹の森とは趣を異にしている。それでもそこが、南朝の皇子や北条氏の残党がいたという中世の歴史に縁のある土地と知れば、幾ばくかの感慨も湧いてくるだろう。小さなその峠から牧場の小屋までは20分で行けた。

 さて、こんな案内で、行ってみようと思う人がいるだろうか・・・。

「法華道」はきょう呟いた「諏訪神社口」と、もう一つ「赤坂口」があり、神社口から登る「脛巾当て」は、御所平峠までのほぼ中程の位置にあたる。なお、「脛巾(はばき)」とは和製のスパッツのこと。

 O里さん、そうですか。楽しみです。本(神足勝記)が出版されたら、真っ先に買います。

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     ’18年「冬」 (45)

2018年12月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 冬ごもりに入ったのか、どこからも、誰からも沙汰がない。まるで牧場の小屋にいるのと変わらない。

 山を歩いている時は、何か特定なことについて考えているわけではなかった。しかし、かと言って何も考えていなかったわけではない。何より、自分の存在を、背中の荷よりも重く感じていたかも知れない。今こうして毎日のように呟いているのは、まるで単独の山歩きをしているように思えてくる。いや、「一人相撲」と言うべきか。
 これを始めた理由は、入笠牧場にある小屋やキャンプ場の案内であり、また周囲の自然環境の紹介だった。これを読んでくれた人が「どれどれ行ってみようか」という気になってくれれば、それで充分なわけで、時には脱線をすることもあったが、何かを主張するなどという滅相もないことは考えていなかった。
 それで、この呟きに誘われて来てくれた人もいるし、その結果、馴染みになってくれた人も大勢いる。だから、この呟きが全く無駄だとは思っていない。それに何よりもここは、訪れるだけの価値ある中級山岳地帯であり、牧場だと思っている。ただ時には、この先が読めなくなって、夕闇の迫る中を行きはぐれた登山者のような気持ちになることもある。

 O谷さんが前回来てくれて、牧場を案内した際の数々の写真を、初めて昨日拝見しました。時々YouTubeに上げているとは聞いていましたが、迂闊にもなぜ今まで見逃していたのか・・・。数々の素晴らしい写真は、決まってCDにして届けてもらっていたから、そのせいだったかも知れません。それにしてもウーン、参りました。今度、相談させてください。それまでは、ここで詳しく呟くのは控えておきます。
 O沢さんはさすがにいい本を読んでいますね。まだハドソン湾で難破状態なので、サイベリアには時間がかかりそうです。モンゴロイドとは逆行することになりますが、ぜひ辿り着きたいと思っています。また教えてください。ところで肝心なこと、明治の伊能忠敬とも言うべき神足勝記の本の出版が決まったのですか。それについても教えてください。

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     ’18年「冬」 (44)

2018年12月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 本日の写真の仙丈岳は、登るにはそれほど関心のない山だったが、小さいころから眺めるのは好きで、今もそれは変わらない。

「日本一の山」富士山も、似たようなことを言われたりするが、この山には10回以上は登っている。嫌いな山ではない。案内役もしたが、単独で登った方が多い。ただ、いわゆる開山中は一度富士宮口から登っただけで、いつも小屋の営業が行われていない時期ばかりを選んだ。そう、以前にも呟いた。
 それでまた言うが、先日のテレビで、外国人観光客の増加がもたらす負の面を取り上げた番組の中で、富士登山に際して、小屋に宿泊しない外国人登山者がその対象にされていた。いつからか、そういう登山を「弾丸登山」とか呼んで危険視する傾向にあるようだが、これには首をかしげると前にも呟いた。確かに富士登山を安易に考える外国人は以前からいた。しかし夏場の1ヶ月半の間であれば、昼間であれ、夜間であっても、小屋に泊まることが安全登山に繫がるかといえば、一概には言えまい。それに、わずか2ヶ月足らずの間に集中するあれだけの数の登山者を、現在の山小屋の数でまともに収容できるとは思えない。

 本当は、富士登山のことではなくて、野生鹿の捕獲に関して書くつもりが横道にそれてしまった。赤羽さんから通信してもらった読売オンラインサイトの有害動物の駆除に関する記事だが、それによれば、罠猟での誘引には「濃い口醤油」が最も効果があるとのことだった。前橋市で主催された講習会でのことで、講師は「自然環境研究センターの担当者」で、「プロ」でもあると。こういう立派な人に異論をさしはさむのは勇気が要るが、醤油には塩分ばかりか強い匂いもある。それだけに他の動物まで誘引してしまう確率が高い。そういう経験を醤油を使ってすでに何度もしている。誘引の塩に少量の牛用の配合飼料を混ぜただけでも、タヌキや穴熊が来てしまったとここでも呟いた。
 前から思うことだが、これだけ有害動物の被害が問題になっているのだから、その対策に関する情報の共有がもっと行われるべきだ。もちろん、塩に対する反論があってもいい。赤羽さんには感謝!

 O里と、O谷(海老名出丸)、には明日返信します。

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     ’18年「冬」 (43)

2018年12月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 年末にかけてかなりの寒波が日本列島を襲うらしい。それで気象予報では今から、注意を呼び掛けている。少しまた大袈裟にも聞こえるが「当たるんだろうね」、と念押しをしたくなる。年の瀬どころか今でも信州の寒さは身に沁みる、応える。

 と、いうような弱音を吐いていたら、O里氏からアラスカがまだロシア領だった時代の文献や情報を囁いてもらった。その昔、アラスカなどという僻遠の地に関心を持ったものの、その知識や体験など実にお寒い限りで、一般の観光客の域を出てない。彼の地に関するきちんとした本など読んだこともなかったから、アラスカの州都がジュノーだと知ったのさえいつのことだったか。
 それでも、この呟きのネタにしようとある1冊の本を探した。ところが、どこにしまい込んでしまったのか見付けることができなかった。その代り星野道夫の本が4冊と"A Journey From Prince of Wales's Fort ナントカカントカ"という長い題名の英語の本が出てきた。ペラペラとページをめくったら驚いたことに、所々に鉛筆で単語の意味を書き込んだりしてあったが、もちろん内容など覚えていない。一体どんなつもりでこんな本を手に入れたのか、今となっては謎でしかない。きっと高い本だったろうに。
 星野の本は4冊のうち同じ本が2冊あった。もっと不思議なことには、これらの本を自分で買った記憶が全くないということだ。ただし、「CARIBOU 極北の旅人」というケース入りの本は、Y勝氏から進呈されたもので間違いない。「写真家が一冊の本をつくるために生きているのなら、僕の場合はこの一冊に違いない」とケースに書いてあるが、刊行された時には彼はすでに亡くなっていた。造本も手が込んでいて、生前の彼のこの本に賭けた意気込みが伝わってくる。いい本だ。彼はあんな死に方をしなければ、今でもアラスカに暮らしていただろうか・・・。

 そう言えば、I上氏は今年の7月だったかアラスカに行くと言って、とりあえずその前に準備やら何やらのためカナダへと旅立った。アラスカに落ち着いたら連絡を寄こすと言っていたが、その後どうしたのだろう。昨冬はそのために入笠で山スキーの体験をしに来て、雪の中で転んだまま起き上がれずにいたが。確か暮れには一度帰ってくるような話だったゾ。

 O里さん、「ロシア領アメリカの土地と人々」のO里訳を楽しみにしています。

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