入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

       牧人の休日 (11)

2015年01月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 今日で早くも1月が終わる。毎日カレンダーを眺めていたのに、曜日の感覚が薄れてしまっていたのか、殆ど気付かないでいた。年の始めの月ぐらいはもう少し日々の経過に意識的であるべきだったと、いささか悔いが残る。

 今朝は5時半に起き、6時からの小学生の通学路の雪掻きに参加した。土曜日だから学校はないはずだし、天気は2,3日好天が続くようだから大丈夫だろうと思っていたら、出動せよとのお触れが回った。まだ夜の明けない中、80歳にもなる年配者もいた。子供を気遣うよりも、本人が労わられてしかるべき年齢の人たちだ。頭が下がる。それに対して若い人は意外に少ない。
 家に戻ってから、眠り足りずビールを飲んで、再び床へ。それで車での外出は不可となる。午後3時ごろ、犬を連れて1時間ほど天竜川の土手を寒風に吹かれながら散歩した。以前、天竜川の葦の茂る川原の景色を何枚か描いたことを思い出した。そういう気になるのは何年かに一度のことで、野生化が進むばかりの昨今は、すっかりそんなことも忘れていた。ウインザー&ニュートン(絵の具)が泣いている。
  
 明日は山スキーを買いにいこうか、目下思案中。当節人気のスノーシュー(ズ)は、特に厳冬期だが、喧伝されるほどのものか、という以前からの疑問に加えて、入笠のような中級山岳には山スキーの方が向いているのではないかと考えていた。このブログに登場する”あの人”も、同じことを言っている。昨シーズンはスキーを新調し、今年はすでに山靴を買ったし、悩ましいところである。もし入手したら、その比較をしっかりと報告したい。
 ところで、スキーが手頃な価格で出回るようになった分、山の用品が少し高過ぎないかね。それに見せかけが目立つ。

 今日はブログを休むつもりでいたのに、本日で睦月も終わりということで、急きょこんな時間に。
 
 山小屋「農協ハウス」の冬季営業に関しましては、昨年の11月17日のブログをご覧ください。

  
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       牧人の休日 (10)

2015年01月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

    Ms.OZW(1月14日撮影)

 イヤー、またしても何たることか。「来週の水曜日」はもう1月ではなく、2月になるのだとは、不覚。というよりか、いつの間にか「今」という時間の速さに、付いていけなくなってしまったらしい。これから先、少しづつ時間に置いてきぼりにされていくのか・・・。まあそれも、全部悪いことではないのかも知れない。
「おじいさん、今年で80歳になったんですよ」
「アレーそうかい、まだ73歳じゃなかったのかえ」
 なんて。

 ところで、政治的なこと、宗教的なことと、牛守のこんなブログなどとは関係ないが、少しだけ書く。
 現在、「イスラム国」を名乗る集団に拘束されている日本人のことだが、日本政府は「卑劣なテロにはぜったいに屈しない」と内外に宣明している。その一方で、「できる限りのあらゆることをする」とも言っている。「あれは国家の対面を保つためで、あなたがたの要求を飲めるよう、上手な方法を見付けましょう」などと言って水面下で交渉しているのかも知れないが、そういうややこしいことがあの人たちに理解できるのだろうか。微妙な段階でも、先方を批判するばかりの空疎で、声高な声明が必要なのか、疑問だ。
 もう一つ、新聞の広告欄を見ると某週刊誌は早くも、拘束されている日本人やその家族のプライバシーを得得と書きまくっているようだ。以前はもう少し読む価値・知る価値のある内容に誌面をさいていたはずのこの週刊誌だが、読者や日本人をナメていないだろうか。勉強はできても、運動神経の悪い、人気のないヤツ、そういう感じが誌面から臭ってくる。もうとっくに読まないようにしている。
 そして最後、外国の報道機関では、あるアンカーウーマン、と呼ぶらしい、が足を組み、ふんぞり返るようにして世界中の不幸なニュースを、まさに朗報・快報でも読むかのように報じている。この局にもきちんとした態度で、しっかりと伝えている人もいるのだから本人の人間性の問題だろう。「大きなお世話」と言われそうだが敢えて、日本女性には真似してほしくない。え、すでにいる?・・・。

 なるべく毒を吐くまいと、さしさわりのない夕暮れがどうした、雪の森がこうした、星がああしたと、無理して書いていても時に皮肉られ、時にからかわれる。どうせそうならたまにはと、詮無い感情らしきを吐露させてもらった。今日のPHと内容はマッチしないが、これを見たら雪の入笠牧場へ来たくなること間違いなし!OZW夫妻に感謝。
 山小屋「農協ハウス」の冬季営業に関しましては、昨年の11月17日のブログをご覧ください。

 
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        牧人の休日 (9)

2015年01月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 なんともはや、またしても無知をさらけ出してしまった。ギャーギャーがあの椋鳥(むくどり)だったとは、赤面。もちろん、椋鳥という名は聞いたことは何度もある。誰でも知っている高名な作家が、実は松の木を知らなかったという嘘のような話を読んだことがあるが、さんざん親しんできたあの鳥の正しい名前を昨日まで知らなかったとは、大作家はもちろん他人さまを嘲えない。

 外から戻ったらその椋鳥、もう今日はねぐらに帰ったのか、夕暮れの空に影のように浮かぶ柿の枝にその気配はない。寒気が来つつあるせいだろう、雲一つない冬の晴れ渡った夕空はやがて、かろうじて耐えていた中空(なかぞら)の群青色も、まだ少し明るさを残していた薄青色の西の空も、音を消した闇と同化していく。



 Oさん、了解しました。是非一緒にHALも連れて、法華道を登りましょう。一応、週の半ば、水曜日(28日)ぐらいでどうですか。詳細はコメントにください。その際、TEL番号も(こちらから連絡いたします)。何泊でも結構です。

 Nさん、Umeさん、TDS君、椋鳥についてご教授たまわり、ありがとうございました。TDS君のコメントに添えられた一茶の句、掲げておきます。
 
  椋鳥と 人に呼ばれる 寒さかな
  
 俳人のTDS君によれば、江戸に出稼ぎに来た東北人の集団の、田舎弁丸出しの騒々しさを蔑んで、椋鳥と呼んだとか。
 似たような説明だが、「一茶無頼」(吉田美和子著)によれば、「椋鳥とは、とりわけて信濃の者を指す言葉であった。季節によって大挙して移動する信越地方からの出稼ぎ者を、江戸の庶民はそう呼んで、おのれの江戸っ子ぶりを誇示した。江戸川柳では「信濃」あるいは「おしな」とは、大喰らいの謂でもあった」、と。
 ウムー、東北と信濃、まあ江戸の人から見ればどちらも、似たようなモンだったろう。
 次の句も一茶。どちらかといえば、こちらを推したい。昔の田舎では、はばかりは外と決まっていた。

  小便所 爰(ここ)と馬よぶ 夜間哉

 山小屋「農協ハウス」の冬季営業に関しましては、昨年の11月17日のブログをご覧ください。

 

 


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       牧人の休日 (8)

2015年01月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

    中ア「経ヶ岳」

 昨夜の雨は雪にならなかったようだ。今日は例の柿の木にはまだ、一羽の鳥も来ていない。子供のころからギャーギャーと呼んでいた鳥だが、正しい鳥の名前は今も知らない。柿の実は一つ残らずとっくに落ちてしまったが、たくさんのヘタが残っていて、そこにわずかながら柿の実の一部が付着している。それを目当てにギャーギャーは来るらしい。理由は忘れたがギャーギャーは嫌われものだった。一度退治してやろうと空気銃を撃ったら、ブスッという不気味な音がして命中したにもかかわらず、鳥はそのまま飛び去った。

 また「昨夜」で始めるが、おかしな夢をみた。入笠牧場へやってきたお客の夢だ。夢の中の入笠牧場のキャンプ場は実際よりももっと鄙びていて、まるで時代劇にでも出てくるような小屋が建ち、あたりの雰囲気は山奥のまさしく野良とでも言うにふさわしい原野だった。
 そこへ、二つの団体がやってきたのだ。一つは引率者を含めて20名ほどの幼稚園児の団体、もう一つはやはり20名ばかりのこちらは小学生たちだった。両団体とも日帰りだということで、さて料金をどうしたらよいかと夢の中でも管理人は大いに悩んだ。で、幼稚園さまにはお一人200円、小学生さまにはお一人300円を請求させていただいた。すると、両団体の引率者の女の先生方から猛然と反発が起きた。有料は「ケシカラン」というのである。「イヤ、みなさまは広い場所を一日占有し、トイレや水道も使ったし」などなど防戦に大わらわのうちに目が覚めた。イヤー夢の中の若い元気な先生たちの顔、顔、顔、「参りました」。

 今日のコメントに「事後報告」というタイトルで、あのFJ/59さんが3,4日の間入笠界隈に出没し、釜無山まではいいとして、小入笠や貴婦人を襲い、大沢山にまで侵入したと言ってきた。女の身で単身「よくやった」と讃えてやりたい気持もなくはないが、トンデモナイ話だ。そういう勝手なことを許せば、どういうことになるかという想像力はないのだろうか。いまでもたくさんの人たち(だけでないから困る)が、牧場内への侵入を虎視眈々と狙っている。放置すれば、早晩冬季は「スノートレッキング」とやらのコースにどこもかしこもされてしまうのは明白だ。牧場を運営するJA上伊那にとっても、地権者である伊那市にとっても、なんのメリットにもならない。それに、防疫についてはたとえ冬季であっても、深刻な問題を生む可能性があるのだ。
 現在農業は、就中畜産業は、難しい問題をたくさん抱えている。当牧場も今後の方針について存続か否かについて揺れているのが現状だ。将来、一般の人たちが一定の範囲内に、自由に立ち入ることができる可能性がないとは思わない。その際には是非とも、これまで以上に伊那市のためにもなる入笠にすべく、みんなで知恵を絞ってほしい。
 現在は許可なく、勝手に牧場内に立ち入ることはできないので、厳守していただきたい。

 つがい鳥だろうか、いつの間にかまた今日も冬枯れの柿の枝に例の鳥が二羽やって来て、寒々しい風景にいささかのうるおいを感じさせてくれている。

 
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       牧人の休日 (7)

2015年01月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 毎日まいにち、窓の外の柿の木を眺めるともなく眺めて日を送っている。今日は青空と白い雲がおよそ半々ほどの割合で見えている冬空に、柿の木の鋭い枝が風に揺れている。
 昔、寒くて日の当たらぬ北裏の部屋の窓から、西山から吹きおりてきた風が田圃を吹きぬけていく様子に妙に惹かれて、生垣のわずかな隙間から眺めていたものだ。無為なる日々を持て余していたのだが、しかしその風景も、ここ数年で変わった。天竜川まで何もなかった田圃の中に、続々と各種の店舗が出現して、気に入っていた景観は失われた。
 あのころは、北の荒涼とした土地に憧れていた。それが今では、日当たりの良い部屋を選び、ストーブを2台も置いて、日がな一日炬燵に閉じこもったままだ。当時の北方志向はどこへ行ってしまったのだろう。あれはただ単に、若かったからだけだろうか。
 連日のように降っていた雪が雨に代わり、長かった冬が終わりを告げるのを、気抜けしたような思いしながら白馬の無人駅で一人、列車を待っていたこともあった。怠惰な冬ごもりの日々にあってはそういうころを甦えらせて、懐かしんでいる。
 
 止まれ。まだ老人になるには早い。
 一昨日、北原のお師匠と芝平へ行った折、堰堤からの風景を撮ろうと無理して雪の中を歩いたせいだろう、翌日になって臀部に痛みが残った。しかし今日はそれもない。来週あたりHALと一緒に、天気の良い日を選んで、法華道から入笠に行ってみよう。そしてまず、管理棟のあの入口のわずかな日だまりに椅子を出して、冷えてドロンとしたウイスキーを味わおうか。
 
 ――こんなことを書くと、また北原のお師匠から「よく酒のことを書く」と、教育的指導を受けるかも知れない。受けるかも知れないが、書く側にも思惑があってしていること。そう、アルコールは、山にあっては料理のスパイスのような、塩気のような大切な物だけれど、惜しむらくは師は酒を嗜まれないのだ。嗚呼。
 誰か酒を飲み、冬の星座を眺めに来る人はいないのか。

 山小屋「農協ハウス」の冬季営業に関しましては、昨年の11月17日のブログをご覧ください。
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