入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

   ’18年「初夏」 (45)

2018年06月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 梅雨が明けたという。本当だろうか。昨年よりも7日早く(昨年の梅雨明けはそんなに早かったのか)、平年より22日も早いとなると、いつかの年のようにまた梅雨明けの発表を撤回するなんてことがあるかも知れない。
 牧場のあるこの場所は標高1千700から1千800メートルと、下界の天気とは違って当然だが、さりとて3千メートル級の気象とも違う。天気予報は当てにならず、泣かされることが多い。7時のニュースの後、いつも笑顔で気象予報をしてくれる彼女を恨んでも詮のないことと知りつつ、実は八つ当たりの対象にしてしまうこともある。

 牛と鹿を同じ偶蹄類としているのは人間だが、放牧が始まると、牛の群れの中に自分たちも許されたかのように鹿の姿を目にする。牛は鹿を邪魔扱いしているようには見えないし、鹿も牛を怖れない。そこら辺のことはよく分からないが、あたかも同類であることを双方が認識しているかのように振る舞っている。
 昨日塩鉢に少し塩を残したのも、鹿の反応に牛が同調することを期待したからで、きょう行ってみたらかなりの鹿の足跡に混ざり、新しい牛の足跡もあった。しかし、あったが、鹿の数の方が圧倒的に多い。第1牧区にかなりの頭数の鹿が侵入、もしくは住み着いてしまっていると考えた方が良いようだ。
 牛には塩をやりたいが、鹿にはやりたくない。今の状態では、大半を鹿に食べられてしまうだろう。鹿に牧草を食べられ、その上え塩まで横取りされては、牧場をやっている意味がない。きょうは全頭がまた雷電様の近くに集合していたので、荷台に塩を容器ごと置いて様子を見たが、人や車には慣れても、塩への反応はもうひとつだった。ああして、あればっかしの牛にいつまで塩の給仕を続けなければならないのかと、かなり複雑な気持ちでいる。

 3組のキャンパーが来ている。このくらいでも、途切れなければいいのだが。静かで、なかなかの雰囲気。CM撮影は1本決まった。

 梅雨が明けたそうです。予約はお早めに。FAXでも予約や問い合わせに対応できるようになりました。ご利用ください。 入笠牧場の営業案内は「入笠牧場の山小屋&キャンプ場(1)」
「同(2)」をご覧ください。
 
 
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   ’18年「初夏」 (44)

2018年06月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 はっきりとしない天気だ。牛はようやく塩に反応するようになった。それにしても鹿奴、もう塩鉢の周りに幾つもの足跡を残していた。塩鉢の塩のことは牛が勝手に知ったのか、それとも鹿が教えたのか。後者の可能性も考えて昨日、少し塩を鉢に残してきた。

 昨日の毎日新聞長野県版に、県の消防学校に山岳救助科が開設され、36人が入校したとあった。その記事に関連して「山岳遭難 全国最多」と見出しを付けて、昨年の山岳事故の発生件数が長野県は全国一多いと報じていた。何か、長野県が悪いような書き方に感じたが、もちろん悪いのは事故を起こした登山者だろう。確かに山では不可抗力の事故もあって、一概に遭難者ばかりを責めるわけではない。御嶽山の火山事故などはその例と言えるだろう。
 しかし、それでも多くの場合が、登山者の責に帰せられても仕方のない事故で、ちょっと足首をねん挫したぐらいで安易に携帯電話を使い救助要請をし、それに対し救助する側は実に親切丁寧な対応をしてくれる。だが、これも立派な山岳事故になる。この入笠山くらいの山でもヘリコプターが飛来し、救急車ばかりか消防車まで来てくれる。これでは登山者に、必要以上の安心感や依頼心を持たせることになりはしないかと、余計な心配までしてしまう。
 いつか読んだ新聞記事で、山の事故の場合と、里の事故とで、救急対応に区別を付けるのは難しいので、長野県の場合は基本的にヘリコプターが出動しても無料で、今後も有料化は「考えていない」ということだった。
 埼玉県は特定の山域を決め、その方面へのヘリコプター出動は飛行時間に応じて遭難者に出動費用を請求するというやり方だと聞いている。また、長野県でも地上からの救助隊や捜索隊が編成されれば、山岳保険に加入していようといまいと相当の負担がかかる。そのことは是非承知しておくべきだ。
 誰も事故など起こしたくない。それでも、いろいろな思いがけないことから事故は起こる。
   
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   ’18年「初夏」 (43)

2018年06月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨夜の雨はかなりの降り方で、午前3時ごろから2時間ぐらい激しい雨音を聞いていた。天気予報はどうだったか覚えていないが、昨日の夕方散布した除草剤は無駄になってしまっただろう。
 今朝の山室川は流れ込む沢の水を集め大量の濁流となって流れ下り、未舗装の山道も川と化していた。それが「枯れ木橋」を過ぎたら道はいつもと変わらず、てっきり側溝の泥さらいが功を奏したと喜んだら、そうではなかった。山室川の水量もその色も、いつもとあまり変わらなかったのだ。上ほど雨量が少なかったということだろうが、山はいろいろな相貌(かお)を見せてくれ、面白い。

 記憶や印象が薄れないうちに補足の意味も込めて、もう少しだけ一昨日のテイ沢の夫婦岩(男岩)を高巻く登山道について呟いておきたい。
 まず最初に断っておくことは、一昨日の踏み跡の踏査は、地図に記された登山道とは途中からは一致してないということである。出発点こそは、現在の登山道から外れたあの沢で、まず間違いがないと思う。しかし、地図上では道は2度ばかり左折するも、あとはひたすら等高線を横切るように急登していく。そして標高差130から140メートルを登り、1千920メートルの頂に達している。
 以前にこの頂に登ったときは、男岩の近くを通り抜け、落葉松の林やクマササの中、「ともかく歩けるような場所」を選んで登ったが、思いの外時間がかかった。今回は等高線で1千800から上せいぜい50メートル前後の高低差の範囲を横断しただけに過ぎない。それでもその踏み跡によって、男岩の上部に達することができた。
 どうも、テイ沢の渡渉に苦労した先人は、沢を高巻くために幾つもの山道を残したのではないかという気がする。ただ謎は、その中で何故、最も苦労するはずの登山道が地図に記入され、残されたのか。まあ、あの幻の山道ならば「望月の駒」も歩けたかも知れない。
 テイ沢は不思議な沢で、明らかに信仰の対象になった場所であることは、20体を超える石塔や石柱、石像が物語っている。ひと山超えた隣の南沢なら、通行にはもっともっと楽だったろうにと、そこらあたりも尽きることない興味である。

 エライ過ちをしてしまった。呟きの(41)で「上流から見て左」とあるのは「右}の誤りでした。お詫びして、訂正いたします。

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   ’18年「初夏」 (42)

2018年06月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など



 風雨ともかなり激しい。来る時途中で道路を塞いでいた倒木を1本片付けてきた。こんな天気でも、雨が小止みになるとカッコーの声がする。その律義な鳥の声を聞きながら、これから牛のご機嫌伺いに行ってくる。
 たった100メートル上がっただけでさらに風は強まり霧は深かった。2群に割れた牛の確認に手間取り、第1牧区のほぼ全域を歩いた。

 昨日の続き、と言うほどでもないが、その後も、ともかく落石を出さないよう、転倒などしないように歩いた。相変わらず踏み跡の途絶えた枯れ沢の先などに、まるで手招きでもするように人の踏み跡が呼んでいた。昔から急な斜面で畑作業をしてきた南信州下栗の里の人たちの苦労を想像してみたり、はたまた紅灯の巷で妖しき色香に招き寄せられる男の心境にも似ているのかなどと、場違いな妄想まで頭を掠めた。どちらも体験したことはない。
 あれは果たして登山道だったのだろうか。ほぼ予想通り、夫婦岩(男岩)の10メートルばかり上部に出た。その辺りから踏み跡もはっきりしてきて、やがて下から上がってきた牧柵にぶつかり、それを超えた。これは想定通りだった。地図上からも判断できたし、この仕事を始めた最初の年の秋、公称305ヘクタールと言われる入笠牧場の全牧区を歩いた際にすでに通ている。その時、何故踏み跡が牧区内に入っているか疑問に思ったものだ。この牧柵は、それまで歩いてきた登山道らしき踏み跡のさらに上部を並行するように続き、権兵衛山の山頂を超えて仏平へと下っている。
 下りかけてすぐ、林業用の作業道に出た。そこで、それ以上は意味ないとして、踏み跡追跡を打ち切った。

 今地図を横にして、昨日のことをあれこれ思い出していると、古道ならなおさらだが、廃れた登山道でも、訪(尋)ね歩いたらなかなか面白いものだということが分かった。1千920メートルの頂を通っているはずの幻の登山道を、近いうちに別の登路を使って再調査するつもりでいる。「石堂越え」の何かが分かるかも知れない。

 赤羽さん、参考になります。明日できたら、北沢長衛や栄養学でも物語ります。MRIさん、予約多謝、待ってます。

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   ’18年「初夏」 (41)

2018年06月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 牛の面倒を見てから、栄養不足の身でテイ沢に行ってきた。この仕事を始めてからずっと気になっていたことだが、国土地理院が発行する地図(2万5千分の1)には、テイ沢を高巻く登山道が記されている。上流から見て右側になる。現在の沢に沿った径も石塔などからしてかなり古いはずだが、この地図に描かれた登山道がそれよりかずっと昔、10世紀ころの古道「石堂超え」と、一部でも関連するのかどうかということを知りたいと思っていた。
 きょうの最初の予定は、丸太橋や草刈りの下見をするつもりでいたが、丸太橋は一応の役目を果たしているようだったし、草刈りも慌てることはないと分かったところで気が変わった。不調を押してこの機会に、長年の疑問であった幻の古道、ならもちろん文句はないが、それが適わぬなら、かつて使われたらしい登山道でもいいから、辿ってみたかった。
 実は、この登山道の一番高い地点には、きょうと同じ目的ですでに行っている。しかしこの時は、最高地点にあった古い木の根なども注意深く調べたが、地図に記されている登山道はその痕跡すらもなかった。そもそも登山道として、山腹を巻くなら分かるが、なぜあんな高所まで登らなければならないのかも理解できなかった。
 きょうは、以前から目星を付けていた小さな沢から入った。確かに、登山道跡と呼んでもよいような踏み跡が、クマササの茂る急な斜面にしばらくは続いていた。登るというより巻くと言うにふさわしかったが、そのうちに分からなくなった。その後も、そういうことを何度も繰り返した。その度に、遠くの斜面に獣道と変わらないような踏み跡が見え、「もっと来い、もっと来い」と誘ってくれた。「御免こうむります」と何度か言いかけながら、それでも下降を我慢した。転がればどうなるか、それももちろん分かっていた。(つづく)


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