入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「夏」(26)

2020年06月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 HALが姿を消した。昨日29日の朝のことだった。起きてすぐ様子を見にいったら、玄関の三和土のいつもの場所に、当然いるはずだと思っていた犬がいなかった。あの痩せ衰え、息も絶えだえのような老犬(14歳)には最早、首輪も綱も無用だろうと2,3日前に外してやった。それが徒になってしまったということなのか。それにしても、夜中に雨に濡れながら、3メートルそこそこの距離を家の中まで戻れなかったような犬が、一体どこへ行くことができたというのか。余命わずかであることを知って姿を消したと考えるには、確かに川上犬は山犬や狼に最も近い犬種だとは言われていても、HALはあまりにも野生から遠く、離れ過ぎた犬だったと思っていた。それでも、もしかすればあの犬にも、乏しい生命と同じくらいの野生がかろうじて残っていて、その最後の本能をして彼女の姿を人の目から隠したというのだろうか。

 もう17年も前になるが、重い決断の末に東京を離れ、何の当てもない信州に帰ってきた。その40年近い無沙汰の故郷でまずやることは犬を飼うことと決めていたから、それを聞いた知人が、野犬として殺処分されそうになっているある犬のことを教えてくれた。
 思案の末、見たこともないその犬を助けることにして、貰い受け、小太郎と名付けた。小太郎は猟犬として育てられたと思われれ(クマを追い出したこともある)、川上犬の血を継いだ忠誠心の篤い、勇敢な雄犬で、この犬のことも語れば尽きないが、1頭では淋しかろうともう1頭を飼うことにしたのがHALだった。
 その翌年、小太郎が事故で呆気なく死に、HALが1匹になった。それでHALとかなり年齢の離れた妹キクが来たが、しかしキクも4年後には入笠へ来る夜の雪道で消息を絶った。キクは雌のくせに気性が荒く、恐らく道中で見付けた鹿の死骸を他の動物と奪い合いになり、生命を縮めてしまったのだろう。その時も、HALはすぐに追いかけてきた。



 この続きをどうすればよいのか・・・。午前10時ごろ、電話が入った。電話の主は家の一段下を流れる水路に、動物の死体らしきがあるが、思い当たることはないかと聞いてきた。即座に、HALに間違いないと思った。そこまで家から100㍍あるかないか、この家の裏が、一段下がるが、その水路の上流になる。
 
 今HALは、14年の生涯を閉じて、生前縁のあった衣服にくるまれて家の中にいる。少し汚れてはいたが、それほど痛んでいない身体は、洗い清めた。しかし、HALの飼い主として、この事実をどのように受け入れたらよいのか、長い煩悶の時が待っている。

 本日はこの辺で、Mさん、TDS君ありがとう。

 
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     ’20年「夏」 (25)

2020年06月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 滅多に鳴らない小屋の固定電話が鳴って、牧場へ行けば牛を見ることができるかとの問い合わせがあった。現在牛の放牧に使っている牧区は、入笠の前衛である小入笠の山腹になるため、一般の人が道路からでは、必ずしも見ることができるわけではないと話した。北海道のように、遠くまで地平線が続いているような牧場を想像されているのだと思うが、ここは起伏の大きな山岳の牧場で、きょうなど牛たちはかなり高い場所に移動している。だから、頭数確認をするにはそこまで歩いていかねばならない。
 また、ここへ来れば新鮮な牛乳を飲むことができるかとも聞かれた。当然な質問であり、期待であろうが、それもここではできない旨を、可能な限り分かるように説明した。
 ここのような公共牧場は、乳牛がいても搾乳を対象にするような牛は置かない。出産も里に下りてから行う牛が放牧の対象となり、まだ未経産の牛が多い(ということは乳は出ない)。妊娠している牛もいるが、それが早産をして騒ぎになったこともあった。
 ここでは自然を楽しんでもらうことが一番の"ウリ"で、それ以上でもそれ以下でもないというここでの事情を理解してもらうことは結構難しい。それくらい一般の人には、酪農を含めて畜産に関することは知られていないからだと思う。
 もちろん、美味しい新鮮な牛乳が飲めて、緑一面の放牧地に牛の姿を目にできれば充分だろうし、山を見て、地質や造山活動などについて考える人は少数なように、不要な知識を増やすこともないというのは分かる。ただ、野生の鹿を捕獲したり殺処分したりすることを野蛮だと言い、そういう人が高級牛肉に舌鼓を打つというのは如何か、とは思う。

 それでも、余裕があるときは牧場内を案内することもあるし、それで喜ぶ人たちを目にすれば、こちらも同じように悪い気はしない、ということも言い添えておかねば。

 本日はこの辺で、また明日。
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     ’20年「夏」 (23)

2020年06月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 レンゲツツジとクリンソウが今を盛りと咲いている。それにしてもこれらの花の長い寿命には改めて驚く。確かレンゲツツジは、もうとっくに散ってしまったコナシの花と同じころに咲き出し、そしてすぐにクリンソウが続いた。そういえば、今年はまだクリンソウの大群落を見にいってないが、きょうあたりちょっと様子を覗きにいくのもいいかも知れない。大方は鹿に食い荒らされているだろうから、そんなに期待はしない方がいいだろうが。

 先日呟いたように、牛が上がって来てから、鹿の行動が大胆になってきた。きょうも頭数確認のため放牧地を歩いていたら、出会った乳牛の群れの中に鹿がいた。鹿が牛を怖れないのは、同類だと本能的に分かるからだろうか。それとも、他の野生動物に対しても、人間に対するような警戒的な態度はとらないものなのか。例えば、クマに対してならどうだろう。
 それともう一つの疑問は、鹿のその大胆な行動の由って来たる所以である。どうも、鹿だけの群れでいる時よりも、牛たちと一緒の時の方が安心しているような気がする。人間は牛には危害を加えないから、牛といれば鹿も同じように扱ってもらえると誤解しているのか、それとも危険が迫れば牛が自分たちを守ってくれるとでも、これまた誤った判断をしているのだろうか。さんざん鹿の行動を見てきたつもりだったが、G氏のように「僕は射撃が上手いんじゃないんです、これだけ鹿を倒せるのは鹿のことを知っているからなんです」なんてとても言えない。
 そんなことを考えながら"大群落”を見にいって、呆れた。桃色をした川のようになるはずのあのクリンソウの群落に、そんな色など一点すらもない。まるで誰かが下草刈り用の大鎌で花だけを撫で切りしてしまったかのような無残な有様。それも1本も残さず執拗なまでに。数年前までなら、鹿はクリンソウには関心がなかったはずなのだが、奴らしか考えられない。
 何とかしたくてもあまり打つ手はなく、せいぜい囲い罠を20台も設置するくらいだろうか。まあ、そんな物好きがいたとしての策だが。

 和牛軍団は迫力があるけれど、呼べば来るようになってきた。

 M様:昨晩もHALに起こされ、その後の夢では埋葬の方法で悩んだりしました。今朝も粥を作り、卵と鹿肉のソテーに鰹節をたっぷりとかけてやってきたところです。少し、元気になったかも知れませんが、寿命はどうしようもないです。飼い主も大分疲れが堆積していて、昨日の午後、雨の降るのを見ているうちに眠ったらしく、目覚めたら夕暮れが迫っていました。それでもその夜9時に寝て、夜中に1,2時間くらい起きていたものの、朝6時までの浅い眠りが続き、自分でも驚きます。塩鉢は鹿にやらないよう蓋をするようにしました。通信は有難く拝読してまてす。

 本日はこの辺で、明日は沈黙します。

 
 
 

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     ’20年「夏」 (22)

2020年06月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前中はそれほどひどくはなくても、午後になれば雨は激しさを増すことは間違いない。最後まで囲いの中に残っていた1頭のホルスも昨夜の中に放牧地へ出たようなので、中にある水タンクの給水を止め、扉も閉じた。牛たちはどこへ行ったのか、きょうは姿を見せない。恐らく、森の中で雨を凌いでいるのだろう。
 こんな天気の日でも広い草の原を歩いていると、自然と気分が落ち着いてくる。ほんの2,30㍍上空は風が強いのか、落葉松や白樺の葉のざわめきが盛んと聞こえ、きょうはセミの声も鳥の声もしない。レンゲツツジの朱の色が雨に濡れた緑一色の中に目立つ。頭数確認と、電圧を計るためもにもう一度、今度は雨支度をしてから外へ。



 やはり昼を過ぎると雨音が強くなって、霧も深くなってきた。電牧に沿ってきょうも小入笠の頭まで登り、右縦線の有刺鉄線を張った牧柵を点検しながら下ってきた。途中、何度か鹿の群れは見たが、肝心の牛がどこにいるのか出会えず、その姿を目にした時は、すぐ下に道路が見えていた。
 誰かが「美味そうだ」などと言った5頭の和牛で、義理がたいのか後を追ってきた。そして弁天様の裏手を過ぎた林の向こうに3群ほどの牛の群れがいて、目的の頭数確認を念を入れて耳標で行った。この程度の頭数なら問題はないが、200頭近くが2か所の放牧地にいたころは、小屋に戻って台帳と照らし合わせても、漏れがあったりして頭数確認をやりなおすことがあった。
 神経質な牛は人の姿を目にして逃げようとするが、「よーし、よし」と大きな声を聞かせてやると動きが止まる。そのうちには慣れて、ぞろぞろと後を追ってくるようになるが、後を追うなということも教えなければならないだろう。
 牛たちの短い一生の、ここでの自由な暮らしが最高の4か月になるようにと思っている。

 本日はこの辺で、また明日。MSWさん、HALのことでは本当に有難く、感謝してます。
 
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     ’20年「夏」 (21)

2020年06月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 降り止まないかと思っていた雨が止むのか、少し霧が晴れて辺りの明るさが増してきた。

 昨日の電牧修理は、切断された2段のアルミ線や支柱、碍子の取り換えに手間取ったが、横線の半分ほどはリボンワイヤー1本をグラスファイバーの支柱で支えるだけで、その300㍍くらいは被害の割に早く済ませることができた。問題の縦線はここからまた2段のアルミ線と、表面を白い塗料でおおった金属製のパイプになるが、最初の100㍍ほどはひどい状態だったにもかかわらず、上部の被害は予想外に少なかった。
 2段のアルミ線の下段の線をあまり低くすると、草などによる漏電の原因となり、きょうで終わらせる予定の第1牧区の草刈りはまさにそのためだが、しかしあまり上部にするわけにもいかない。牛が電牧下に生えている草を食べようとして感電し、除角してない牛ならその角によって簡単にアルミ線が切られてしまう。その辺りの見極めが難しく、それでも幾箇所かの張り直しに手間と時間をかけた。
 この縦線のアルミ線や支柱は小入笠の背後の鞍部から入笠山の山腹を巻きつつ仏平に至るまでの、クマササの中に残置されていたものを全て回収し、A放牧地とB放牧地の境界を新たに設定し直すために行った自分で言うのも何だが、苦労の末の"労作"である。因みに右の縦線は有刺鉄線の通常牧柵だが、ここのバラ線と支柱は、小黒川に沿って2キロほど続いた国有林の中の、無用ながら貴重な資材を回収してきて、ここも支柱を含めて全て張り直した。
 だから当然、思い入れは強く、深い。霧の中に巻かれながらそんなことを思い出していると、いろいろな苦労だったことも、懐かしい記憶に変わるような気がする。それが、達成感だと思うし、満足感でもあろう。いつか訪れる牧を去った後の日々のためには、そうした苦労は貯えだと、そう思えばこそ折れずにやって来ることができた。
 作業を終えて下りてきて、縦線と横線の交わるところで結線して電圧を計ったら電圧ゼロ。調べたら犯人はまた和牛。しかし今度は少し学習したようで、悪さをして立たされたかつての自分のように、遠巻きにこっちを見ながら恐縮していた。そのように、見えた。

 先ほど呟いた「仏平」が、最近の案内には「首切り登山口」と表記されている。あそこには法華道の一部としてちゃんとした古くからの名前が残っているし、道標もある。「首切り清水」ならまだその先になるはずだが。それにしても「仏」と「首切り」、呆れた。

 深夜、変な呻き声で目が覚め、声につられ外に出たら、雨の中でHALが立ち上がれずに濡れていた。可哀想に、痩せるばかりでもう長くはないかも知れない。

 本日はこの辺で、また明日。

 

 
 
 
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