入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「冬」(24)

2021年11月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝も椋鳥の群れが柿の木に来ている。いつまでもそこに居残る鳥もいれば、来たと思ったらすぐに飛び去ってしまう一群もいる。そういう時には一時、鳴き声が喧しく聞こえてくるのだが、あの鳥たちにも縄張りのようなものがあるのだろうか。今は数羽が枝から枝へとせわし気に移動している。よく見れば、朝日を一番先に浴びる日当たりの良さそうな東側の実は熟すのが早かったのだろう、椋鳥奴に食べ尽くされてもうない。


                     Photo by かんと氏

 この写真なら、今月19日の夕方から始まった月蝕と、左上方には昴が見えるだろう。19日に牧を閉じて、その夜下に帰らず上に泊まった理由が、この月蝕と昴を同時に見ることだったことを、この2回目の写真を撮影者のかんとさんから送ってもらった時にやっと思い出した。まあ、そんなふうに一日いちにちは薄く、跡を残さず、呆気なく過ぎていく。
 
 昨夜は久しぶりに昨冬の散歩道、全7㌔を歩いた。9時に家を出て、小太郎とHALの眠る林を抜け、さらに開田に出ると、頭上に大きなオリオン座が待っていた。そこも入笠の牧場ほどではないが、夜は特に大きな夜空が頭上に展開し、中でもこの星座を目にすればやはり冬の到来を強く印象付けられる。
 約1時間半、歩数1万歩くらいの散歩の間、3回ぐらい星座は目前に迫ってくるように見える。瀬澤川の深い谷を渡る橋の上では、昨冬と同じように葉を落とした木々の間から、赤い色のベテルギウスと3個の冷たい青白い光に囲われ、星雲・M42や並列するオリオンの三ツ星が見えていた。
 オリオンに限らず星を目にすれば、頭の中の時間に対する認識が変わる。自分が生まれるよりかずっと遠い昔、億年の単位が付く時間を思い、また自分がいなくなった後もずっと続く、先のない時間を想像する。洞穴の住人と同じで、理解を超えた聞きかじりだが、以前に呟いた10の33乗年とは、原子を構成する陽子の理論上の寿命だとか。1兆年が10の12乗だと言えば、その永遠にも似た長さが少しは想像できるかも知れない。
 頭上の闇と無数の星の光の散らばりは、無窮と永遠を同時に伝えてくれる。そして、それだけでなく、慰められる。
 
 本日はこの辺で。

 

 
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     ’21年「冬」(23)

2021年11月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨夜も9時間ほど眠った。その間に目が覚めたかも知れないが、記憶にはない。一昨日は、小手調べに今冬初の夜の散歩をして、小太郎とHALの墓も含めて4カ所の墓参りをした。4,5キロは歩きそれなりの運動をしたと思ったが、夜間に2度目が覚めた。ところが昨日は、夜の散歩に出掛けなかったのに、あれだけよく眠れた。
 当面の冬ごもりの楽しみは読書と散歩ぐらいだが、目がどうもおかしくなって、長時間細かい文字を読んでいることができなくなってきた。極東軍事裁判を傍聴し、靖国神社を参拝し、今は月の世界に行っていて、この後はアラスカにも旅しなければならないというのに、これでははなはだ心許ない。
 
 読書は旅のようなものだと呟いた。列車に揺られながら変わりゆく窓外の景色を眺めるようなものだと。今さら知識を増やそうとしたり、何か高尚なことを考えるための読書では全くない。だから何でもいいのだが、傾向としては、もっぱら知らなかった事実を伝えてくれる本に関心が行くようだ。
 ところが、今読んでいる本はSF小説である。それも、視力のことさえ気にならなければ、一気に読了できるくらい面白い。
 SF小説は、アーサー・C.・クラークを何冊かくらいしか読んでいない。本人は「2001年宇宙の旅」を代表作と見做されるよりか「遥かなる宇宙の歌声」が「最も気に入った,最高の作品」だと言っていて興味深いが(「ODYSSEY」)、映画を監督したキューブリックへの対抗心、あるいは嫉妬心もあるかも知れない。それはどうであれ、ともかくSF小説とはあまり縁がなかった。
 ところがこの本を読んでいると、今の読者を満足させるためには発想も凄いし、何よりも著者が難しい科学の知識や理論に通じ、それらを縦横に取り入れ、活用している、ら・し・い・のに驚いた。どこまでが科学的に事実、理論に基づき、どこから先が虚構なのか判断できるわけではないから、そう言うしかないのだが。本の題名はそれとなく知っていた。

 この本と、アラスカを舞台にした日本人登山家の本は、秋の終わりごろ上を訪ねてくれたAさんが、その時一緒だったKさんを介して送ってくれた。偶々クラークの本や、アラスカの旅行記が部屋に散らかっていたを目にして、この2冊を選択してくれたのだろう。
 最近の"旅"の傾向とは違うが、それでもこの本は、、間違いなく読んでおいて良かった1冊になる。まだ読了してないが、そう断言できる。本の題名は「星を継ぐもの」、著者はジェイムス・P・ホーガン、創元SF文庫。同文庫読者投稿第1位、100刷だと!
 本日はこの辺で。
 
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     ’21年「冬」(22)

2021年11月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 1週間が逃げるように過ぎていく。19日に牧を閉じてから、もう、それだけの日が過ぎた。その最終日の19日は上に泊まり、翌朝20日、囲い罠に9頭の鹿の捕獲を確認してから里に下った。次の日の21日、その鹿の殺処分に立ち会うため上に行き、さらに24、26日とまた出掛けた。しかし、これで当分は上に行かなくても済むだろう。
 そうそう、誰かが小黒川林道の入り口に付けた不審な南京錠の件も、ここでは詳しく呟かないが一応落着した。後は貸与されていた軽トラを農協に返せば、まだ上に行くことはあっても、今年もまた例年のように長い冬ごもりに入ることにする。

 そう言えば、入笠も冬ごもりの体制に入るため、ゴンドラは止まり、それに合わせて山小屋も冬季営業の準備のため一時休業になったはずだ。それに今冬は、上に通じる道路は伊那側も富士見側も全て通行止めになってしまったから歩く以外に方法がない。たまに訪れる鉄砲撃ち以外、人気はすっかり絶えてしまっただろう。
 本当はこういう時こそ、冬枯れの山のうら寂しさを満身に感じ、孤寂の甘味をしみじみと味わうことができるはずなのに、どこからも、誰からも何の問い合わせもない。
 
 雪の山頂、ヒルデエラ(大阿原)、テイ沢ぐらいを歩いて入笠を知ったとか、「マンネリ」だとかウソブクXXXさん、あなたに言います。例えば、大沢山を巻く林道を一周しながら、葉を落とした木々の枝を渡る冬鳥や、群れから離れた孤独な鹿の姿を目にしたことがありますか。夏のころ、高座岩から半対峠まで足を延ばし、そして小黒川の川床を、石堂越えの踏み跡を辿るとか、渡渉して林道を戻ってくることなど考えたこともないでしょう。御所平峠から山椒小屋跡、あるいは御所が池くらいまでの雪の古道を散策したりしたこともありませんね。少し遠方になるけれど、深く切れ込んだ圧巻「東谷」の流れを眺めたことがありますか。手を浸したことがありますか。例えば・・・、ムー、もう止めておきますが、雪の降る夜道を、ご夫婦二人で歩いた時のことを忘れてはいないと思います。どうかたまには思い出してください。そして待っています。
 
 安直な案内冊子を手に、それに頼るだけでは勿体ない話だと思う。また、山では目に写る自然ばかりでなく、心の中を歩くわけで、同じ山、同じ山路であっても、その時その時の山々との違った出会いがあって、新たな感慨に打たれる。そして、その記憶がいつか心という酒袋の中で発酵していくという気がする。
 今、若かったころの山行を思い出しても、その時の目標の山の記憶はすっかり忘れてしまっても、ただ山を歩いていた時の情景ばかりが断片となって甦ってくる。それも、なぜか中級の上越や奥多摩の山々、少なくも森や林のある景色だ。森林限界を超えたもっと高い山のことを忘れたわけではないが、それらを懐かしく思い出すことはあまりない。
 本日はこの辺で。
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     ’21年「冬」(21)

2021年11月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 上に行くかどうか迷っている。多分、行くだろう。昨日の山奥氏からの連絡では、いつもながらあまり要領を得ず、やはり自分の目でオオダオ(芝平峠)崩落の現状を確かめる必要がある。崩落は、上に向かうアスファルト舗装の林道にまで及んでいると言ってたが、それがどの程度のものか、一番気になる。



 この写真ではよく分からないかも知れないが、峠から芝平方面にわずか10㍍か20㍍も下ると、左手の斜面から溢れ出た汚泥が道を塞ぎ、峠から下ることも、芝平方面から峠へ来ることも、歩く以外完全に不可能である。ただし、峠の上から一見したら、下り始めの山道は普段と変わらずに見える。人によっては、強行できると思い違いをする可能性がある。夜間は特にその心配がある。
 ところが、そこには馬(通行止めの柵)が2個おいてあるだけだ。しかも、観光局の縦看板はそのままになっていた。これについては以前も呟いたことがあるが、芝平へ下る道は荒れていて、携帯も使えないから、安全のために千代田湖経由にした方がいい、という意味のことが書かれている。
 この看板は以前には、国道から6キロも入った赤坂口に、入笠へ向かう人のために置かれていたものだ。そんな場所に置いても意味がないと観光局に話し、了解を得た上で峠まで持ち上げ、「入笠へ」を隠して、芝平へ下る人々への注意喚起に役立てようとしたものだ。
 しかしあそこに置いたままでは、あの看板のせいで逆に、通れると誤解する人がいるだろう。そうなった場合は大変なことになる。汚泥の中で車は動けなくなる。お節介を承知で、どけた。
 以前にも、乗っていた車が故障して、真っ暗闇を4,5キロも這うように歩いた末、やっと人家にたどり着いたという人の話を聞いたことがある。入笠へはできるだけ悪路の続く芝平を避け、千代田湖経由の林道を勧めているのは、実はこういう事故の対応にたびたび迫られた地元の住人の要望である。
 今は入笠方面へ向かう一般車を通行止めにするよりかも、それが必要ないとは言わないが、芝平へ下ろうとする車を止める方がもっと重要だと思った。なお、最も気になっていた「アスファルトの道に迫る」と聞いていた崩落については、前回と比べ大きな変化はなかった。ただし決して楽観はできない。崩落場所からは細いが水の流れが確認でき、それは明らかに地盤が「膿んで」いる証拠なのだ。

 道路の補修工事は来春になってしまうのか、気になる。本日はこの辺で。


 
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     ’21年「冬」(20)

2021年11月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                                Photo by Ume氏

 里も、ここ2,3日の間にすっかり冬の様相を濃くしてきた。灰色の雲は連日空の大半を覆い、わずかに見えている青空はかつての暖かさを失せ、むしろ冷たく光る。柿の木には連日のように椋鳥が来ているが、それでもかなりの数の柿の実が風に揺れ、寒空をさらにもの寂しく見せている。荒れ放題の庭にはモミジの葉が散乱し、風がなければ落ち葉焚きができそうだ。



 何もしたくないので本ばかり読み、気分転換に風呂に入り、そうやって長い一日を過ごしている。上にいた時は読書欲などあまりなかったが、今は牧を見回ったり、牧柵の修理などする必要もなく、ここで炬燵に囚われ本を読むことは、列車に乗って移り変わる景色を眺める旅人のようなものだ。
 今さら知識を増やそうとか、錆び付いた頭の回転に少し油を注そうとか、そういう気持ちはない。ただ、一瞬いっしゅんの景色が面白ければいいわけで、実際、昨日読んだ本の題名を思い出せず、さすがに呆れた。
 それと、手許にある本はすでに一度読んだ本ばかりだ。もう、乏しい暮らしの中で新しく本を買い、増やす気になれないから、それで再読するわけだが、これが意外と面白い。若いころに登った山、例えばこの時季の上越の山などをまた訪ねるような、そんな気になってくる。
 悪い癖で、本によく書き込みをするのだが、今改めて読んでみてそれらの著者に対する意見が見当違いだったり、誤解だったりすることもあり、消しゴムで消したり、黒く塗りつぶしたりして、過ぎし日のオツムの状態や理解、考えの不足を思い知らされている。と言って、必ずしもそう評価する今が正しいという根拠も、ないと言えばない。

 Ume氏が訪ねてくれた。今冬是非、泊りがけで法華道から牧へ行こうという話になった。まだ、法華道は未体験だという。他にも同行者がいそうで、面白い山行きになるだろう。雪に埋もれた森閑とした古道もだが、小屋で暖かく燃える火を囲んで酒を飲み、美味い物を食べるのも楽しみだ。
 山奥氏がきょうもわざわざオオダオ(芝平峠)の崩落の状況を見にいったらしく、また連絡をくれた。崩落はさらに進み、アスファルトの道路にまで及んでいるという。そういう連絡は有難くも、氏は相変わらずだった。
 本日はこの辺で。
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