入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「夏」(49)

2021年07月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝は夏の空というよりか秋空を思わせるような雲が浮かんでいる。午前6時、気温13度、7月もきょうで終わる。やはり、いつもの感慨ながら、この月も呆気なかった。あと半月も忙しく暮らせばここの短い夏は逝き、季節は目に見えて秋の色を濃くしていくはずだ。里でも、盆が終われば秋風が天竜川の川面を渡る。
 もう幾年前のことだろうか、30年ぐらいは経つだろう。朝日岳のテント場で去っていく人たちを遠くに見送りながら、一人取り残されたような思いをしながら、深い青い空を眺めていた。財布を忘れて途中から引き返したことともに、妙に晩夏のあの日のことを思い出す。
 確かに都会からは猛暑の便りが届く。昨夜もそんな話をしたばかりだから、気の早いことを呟くようで気が引ける。しかしそれでも、8月の声を聞けば、何年もここの夏の衰えを見てきた者には、否が応でもそこに待ち構えている次の季節のことを思う。
 それと、6月、7月のことを振り返ってみても、日々は淡々と過ぎていっただけで何も取り立てて思い出すようなことはない。いや、そう言い切ると、出番を待つ端役のような記憶がゾロゾロと出てくるのだが、主役級はやはり出てこない。ウーン、朝日岳でのあんなどうでもいい記憶がいまだに鮮明なのに比べ、最近のことは全く頼りない。

 きょうは小屋に5名の予約が入っている。朝一番で小屋の掃除をし、露天風呂も期待されているからその準備をしておいた。相変わらず水漏れは止まらないが、風呂に入っている間に水が抜けてしまうような心配はない。それにしても、癪な話だ。
 今年は林道の枝打ちとこの風呂に手を焼き、テイ沢や北原新道の草刈りができなかった。遅ればせながら昨日から北原新道の草刈りを始めたはいいが、あれだけ丁寧に刈っておいたクマササが思いの外に伸びていて驚いた。春先に人を案内して高座岩から北原新道を下りた時はこんなになるとは思いもよらず、やはり、草刈りの時季を逸したと言えるだろう。
 
 都会はCOVID-19と五輪、まったく相反する両者が力比べをしている。長野県も昨日は35名もの感染者が出たと報じていた。こんな時期に五輪を開催することに異議を唱えた立場、なるべくTVは見ないようにして早くに寝てしまう。
 巷にはCOVID-19に関しては風邪程度にしか考えない人もいると聞いて、これでは福島原発事故の影響を怖れて選手村で提供される福島産の食材を忌避する某国選手団、これもやりきれない政治の思惑が絡むのだろうが、これでは嗤えない。
 
 O沢さん、それが正しい態度かもしれませんね。来るくると言ってもう何年も過ぎましたが、了解しました。
 かんとさんから思いがけないお褒めの言葉を頂戴し、喜びました。本日はこの辺で。
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     ’21年「夏」(48)

2021年07月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 上空には寒気が来ているとのことで、先程の寒暖計が示す気温は13度しかなかった。6時半現在、雲が消えてようやく鋭い夏の日が射し込むようになったら、早くも20度に迫らんとしている。1時間ほど前に第4の水槽の、ここでも水漏れの応急処置をして、気になることがありテイ沢まで足を伸ばした時には上衣が必要だった。この時季、まき場の朝の気温変化には驚く。
 朝露を踏み、鳥の声を聞き、清流に手を浸し、いい一日が始まった。

 昨日は殆ど一日中テイ沢にいた。予想以上に進む丸太橋の劣化のことが気になり、取り敢えず下から2番目の橋を通行止めにして、近くに岩を置き渡渉できるようにした。その後水流の調整をしていたら、森林管理署のO氏が、沢の入り口に停めてあった車を見たからとやってきた。沢のこともあったが、それとテキサスゲートの件で確認しておくことがあり一度牧場まで戻り、その後同氏と別れて再び沢へ戻った。
 5番目の手摺りを直した後、迷ったがそのまま上流に向かい、先日TDS君父子に手伝ってもらった9番目の橋に手を加え、その際に使わなかった丸太1本を担いで下り、8番目の橋の補修に使った。
 これらの処置はあくまでも応急的なもので、残念ながら万全には程遠く、不安であれば迷わずに多少は濡れても沢を渡渉してもらいたい。それができる人がこの渓を楽しむことができるのであって、大勢の男女が場違いな犬をたくさん連れ、あるいは野外体験と称して子供を多数伴い訪れるのに、この渓が相応しい所だとは思えない。


 
 今ほどではないが、この渓を知る人は昔からいた。ところが、森林管理署の残した丸太橋は痛んで危険なため、何度か同暑を含め各方面に掛け合ったが埒が明かず、それで一念発起してTDS君を始めいろいろな人に助けられ素人が、ここを訪れる人の便と安全を考えてしたことで、丸太橋など「不要だ」という人の声も聞いている。
 大水で橋は何度も流れたし、毎年のように山道の草刈りをしてその間に補修もしてきた。牧場と同じように、あの渓をずっと守ってきたのだという個人的な思いがある。もう充分だと思うのに、まだ性懲りもなくあの渓から離れられずにいる。

 帰ってきて頭数確認をしようとしたら牛共、水槽の周りを水浸しにしてくれていた。
 本日はこの辺で。
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     ’21年「夏」(47)

2021年07月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 林や森との付き合いは長い。都会に暮らしていた時もそうだった。そのくせ木の種類も、そこで目にする花の名前も、遠くから聞こえてくる鳥の生態のこともよく知らずに来てしまった。今から思えば広い東京の極々限られた狭い世界を転々として過ごしただけだったように、歩いた森や、攀じたり登ったりした山にしても、高が知れている。知識にしてもそうだ。
 それにしても、牛のことや牧場のことももう少しすれば、同じような気持ちで思い返すのだろうか。

 一昨日、やはり里に下って一夜を過ごし、また上での暮らしに戻った。連休中はここにも訪れる人がいたし、昨日は農業実習で東部支所の職員がやってきた。その上、彼らが帰るのに同行し、壊れた冷蔵庫を支所まで持っていって来た。明日は撮影の下見があるし、月末からはここへの宿泊予約が入っている。
 そうした中、きょうだけは格別な予定もなく、牛守の仕事だけで済まそうとしていた。ところが、昨日実習の後で職員をテイ沢に案内したら橋の痛みがさらひどくなっているのに気付き、そのことが今もずっと気になっている。
 特に下から2番目はよく見たら1本の丸太が折れかけているような状態で、渡らないように注意書きを出すつもりでいる。また、5番目の橋には簡単な手摺りを付けてあるが、これもやり直した方が良いだろう。この二か所の橋はどちらも5㍍の丸太を使っていて(他の橋は4㍍を使用している)、そのせいでも余計に痛みが早かったようだ。
 一応、新しい丸太の入手については当てがあるが、もちろん、木材が用意できても、それで終わるわけではない。8月になれば、あの渓を訪れる人も多かろうと思うのだが、以来ずっとはっきりとした結論の出ない思案を重ねている。今年は予定の立て方が悪かった。

 本職でさえこんなもんで、車が通れれば側溝のことなどお構いなし。それを見にいった行政の関係者も、それで良しとしたようだ。雨が降ればまた山道は川になる。





 本日はこの辺で。
 
 
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     ’21年「夏」(46)

2021年07月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 台風接近のため、きょうのように曇り空の日もあれば、夏らしい太陽の強い光を浴びることもあるが、この風景をほぼ毎日のように眺めながら歩く。右手に見えているのが電気牧柵で、正常であればこれが小入笠の頭まで7000ボルト以上の電流を送っている。
 触れても、電流を抑えているから感電死することはないとはいえ、その衝撃は全身の筋肉が凝縮するような衝撃をもたらし、さすがの牛も一瞬「ブォッ」と鈍い声を上げるほどだ。今はこの電牧のある辺りの草は大方食べ尽くされ、牛の群れは他の草地へと移動している。

 今朝6時の気温は15度、肌寒さを感じながら目が覚めた。雨の音もしていたが、今は止んでいる。台風の影響はどうかと雲の動きを見てみれば、ここら辺りは大したことなさそうで、雨なら里へ下ることも考えていたが、どうやらこの分では昨日に続きまた追い上げ坂の草刈りをすることになるだろう。
 カヤという植物は不思議な生命力があり、刈れば刈るほど、焼けば焼くほど増えてくる。この牧場も、放牧をしなくなった牧区には少しづつその兆候が現れるようになり、頭が痛い問題だ。この先、牧場がどうなっていくのかという不安、懸念の一番はこのカヤのこと、それと風に運ばれて飛んでくる落葉松の種子で、ここら一帯が牧場でなくなれば遠からずここの景観は一変するだろう。このことは何度となく呟いてきた。
 思い付きのような無責任で安易な観光策などは自然破壊だけで終わる危険があり反対だが、長い目で牧場の将来を考えることは必要な時期に来ている。エライ人ではなく、これからを託す若い人たちに期待しているし、そういう人も出てきている。ここに来て、彼らには現状をよく知って貰いたいと思っている。

 別れ際「また来ます」と言って去っていく人たちを見送る、見送ってきた。あの人たちは4年ぶりに来たが、その間には家族が増えて、時の流れを感じさせてくれた。そういう人々が他にも結構いる。山梨のあの老人のように、古い黄色のテントと飯盒炊飯を愛し、単独で毎夏来てくれていたのに、いつの間にか姿を見せなくなった人もいる。
 今までなら、4年の期間が開いても再会できたが、さらにまた同じくらいの空白となったら、恐らく今夏のようにここで彼ら彼女らを迎えることはできないだろう。きっと、ここにはいないと思うから。
 山だったり遠い国なら、もう行くことはないだろうとか、これが最後になるだろうとか、そういうことを感じ、思うことはある。しかし、ここで出会った人々に対して、そういう感慨を覚えたことはなかった。しかし、それが仕方のない現実になりつつある。
 
 赤羽さん、久しぶり。8月のそのころになったら、是非お二人で、その新品に乗って出掛けてください。
 本日はこの辺で。

 
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     ’21年「夏」(45)

2021年07月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 

 きょう最後の一組が去って、またしばらくここには誰もいなくなる。小鳥の鳴く声を聞き、牛がのんびりと草を食む様子を眺める静かな朝が戻ってくる。そう思いながら、ここを訪れてくれた懐かしい顔や、新しい顔を思い浮かべつ、短命な夏で終わってもいいから、長い秋の来ることを今から心待ちにしているのだが・・・。
 
 風がコナシの葉を揺らしている。正午の気温は24度。日中は暑さを感じても、朝夕は長袖の上衣がないと寒いくらいだ。寝る時には毛布と布団を掛け、年中あまり寝具は変わらないが、今年の夏はさすがに用のない炬燵だけは片付けてある。
 いつの間にか、ここでの暮らした日数(ひかず)を数えなくなってしまった。昨夏のように、芝平の谷のことや家のこともそれほど気にならず、今やここはようやく引っ越した先の新しい住まいに慣れたような気分でいる。
 いや、正直に言えば、我が家のことについては多少の後ろめたい気持ちがないわけではない。里の人たちのことを考えることもある。それでも、こうして自然の中で漫然と時を過ごしていると、里よりか山の暮らしの方が合っていると思う。
 同時に、15年もあの片道1時間を超す山道を、よくもまあ飽きずに通ってきたものだと、自分のしたことを他人のように感じている。ただ、そのことが雨の日の中央線や山手線で通勤したころのような苦痛があったわけではないし、無理を続けたという気はサラサラない。
 牛は勝手だし、放牧地に侵入してくる鹿の"狼藉"は後を絶たず、しかも増えるばかりで、そんなことに翻弄されていることが多い。それでも、ひたすら草を食むのが牛の仕事であるように、人間も少しづつ牛に似てきたのか、似たような日々を過ごしながらも里心がつくことはない。
 
 頭数確認は下の水場でできていて、訪問者の対応もあり、二日ぶりに小入笠の頭に登った。やはり、あの急な勾配の草の原を歩いていると自然と高揚感が湧いてきて、夏山を楽しむ登山者の気分が甦ってきた。歩き、登り、草原や林の中を横断し、風に吹かれながら大きな空の下に立つ。そんな時、ここでの暮らしが納得できる。
 背中に少し無言の強制・責任のようなものを感じながら、それが推進力となって毎日が進んでいく。食べる物にも以前のような積極性はなくあまり気にかけていないが、きょうは富士見に下って何か力になりそうな食材でも買って来ようと思っている。
 COVID-19の感染拡大を案じながら、本日はこの辺で。
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