入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     24年「冬」(25)

2024年01月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

     昨日はここで引き返した、この辺りの路面は大したことない
 
 1月も終わる。昨年、牧場の一部が撮影に使われた縁で、きょう東京で開かれる映画の試写会に呼ばれていた。関係者の配慮、厚意は大変に有難かったが、幾つかの理由が重なり行かなかった。東京も遠くなってしまったものだ。
 5月の末には封切られるから、その時には松本まで行って観るつもりでいる。映画の詳細についてはその折に触れたい。

 2月は3連休になる可能性が2回もある。まだ先のことだし、雪がドカッと降れば当然車の通行などできなくなる。それでも昨日は天気も良かったし現状を知っておきたくて、通行止めになっている林道を敢えて行ける所まで行ってみた。
 予想通り、芝平の集落、枯木橋そしてオオダオ(芝平峠)まで、雪は障害にならなかった。ただし道は荒れ放題でひどいもの、その上側溝から流れ出た水が至る所で凍っていて、何度もヒヤヒヤした。
 
 また、第1堰堤にはキャンプに来た者の仕業に違いなかったが、好き勝手に車を走らせ、道路があるのに堰堤にも縦横に轍が残っていた。廃墟を片付け、わざわざ看板屋に頼んで出した注意書きも、あれでは何の効果もなかったようだ。
 伊那市は50年後の森を想定した事業を行っている。ソフト面はいろいろな試みが伝わってきているが、しかし、ハード面はどうだろうか。雪が降る前に、あまり費用を掛けずにやれることもあっただろうに、ただ冬季通行止めにして済ませてしまう。いつものことながらああした状態を見て疑問を感じ、また大いに落胆した。

 峠に出ても積雪は大したことはなく、左手の千代田湖へ通ずる舗装路は雪もなく乾いていた。ただし問題は入笠に向かう林道の方だった。幾日か好天が続き、車両が何台も入ったらしく、それによって融けた雪が今度は夜間に気温が下がり凍結し、昼近くでも融けずにひどいことになっていた。
 引き返すに適当な場所がないまま、ついに焼き合わせまで行ってしまった。その先も雪の量は例年に比べ少なくカメになる心配はないと思ったが、そこで引き返した。
 あんなにまで荒れてしまった林道ではスノーシューズも山スキーも出る幕はなさそうで、せいぜい、軽アイゼンぐらいだろうか。(続く)
 
 かんとさん、それは見事過ぎる結果でしたね。アンカーに襷が渡った時には他の組はすでに全員がゴールしていたとは。お疲れさまでした。
 本日はこの辺で。
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     24年「冬」(24)

2024年01月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今は登山用品に関する知識はないに等しい。愛用していた登攀具のブランド「シモン」が消えたと知り驚いたこともあれば、たまに耳にするそうした会社は馴染みのない名前ばかりだ。
 ヘッドランプは大分軽量で使い勝手が良くなっていることは知っていた。充電用の電池と、普通の乾電池を併用できる物があり、これであれば夜間の登山や、日数のかかる山行にも予備の電池を持って行けるから都合がいい。
 雨合羽とヘッドランプは安物は避けた方がいいというのが、いまだに変わらぬ思いである。

 昨夜も月が外へ出てこいと誘っていた。テレビでウクライナやパレスチナに行った後でも、まだ9時を過ぎたばかりで寝るには早過ぎた。目も大分疲れていたから文字を読む気になれず、ならば久しぶりに夜の散歩に出て、冬の星の光でも眺めれば酷使した目も癒されるだろうと考えた。そう、買ったばかりのヘッドランプも忘れずに。
 
 月は頭頂の部分が少し凹んで見えていたが明るさは前日と変わらず、木立の作る影さえなければ灯りを必要としないほどだった。
 開田に出ると、月明かりの中に仙丈岳がうっすらと見え、その手前に拡がる広大な田畑と比べて、山裾の暗い部分に人家の灯りが遠慮するように固まって見えていた。
 冬の星々は月光に思ったほど影響を受けておらず、オリオンの三ツ星の先の北西の空に仄かな光の粒、昴も確認することができたくらいだ。

 実は家を出る前には行くべきか行かざるべきか迷った。散歩は1時間半はかかるから、帰れば11時近くになる。風呂に入って時間を潰し、さらに気が向けばもう一度「座る」という方法もあり、その案も考えていた。
 
 しかしやはり、出てきて良かった。闇の中から聞こえてくる瀬澤川の冷たい水音、峠の手前で久しぶりに聞いたキツネの鳴き声、それにもまして、昨夜は天竜川の堤防の上から眺めた月明かりに浮かぶ西山(中ア)の白い稜線が遠い昔そのままで懐かしく、胸に迫った。
 あの16,7歳のころ、寝静まった集落を出て、田圃に積もった凍てついた雪の上を歩き、天竜川の堤防までよく散歩をした。そのころと同じ冬の夜が戻ってきたようで、供の犬シロや、そのころの自分とも会えるような気がした。
 と、それは良かったが、こんな後期高齢者が未来の自分だと知ったら、彼はどう思うだろうか。いや、喜ぶだろう。クク。
 本日はこの辺で。

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     24年「冬」(23)

2024年01月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


  先週の土曜日の夜、青白い月の光が暗い部屋の中までも照らしていた。満月を過ぎたばかりの大きな月で、その光に誘われて久しぶりに夜の散歩に出たいと思った。時間は9時を過ぎたところだったろう。
 ところが、ヘッドランプが点かない。昔ならいざ知らず、今の世に灯りも持たずに夜道を歩いたりすれば、あらぬ疑いを掛けられる。
 
 それでも諦めきれず、車なら良かろうと、開田まで行ってみた。丁度中天に冬のダイヤモンドが見え、東の空には北斗七星が柄の部分の星を一つ二つ残して昇ってきたところだった。月の光もそれらの「奇すしき(不思議な)光」と競うように広い開田の闇を洗っていた。

 翌日の日曜日、再び前夜のような物足りない思いはしたくないと、ヘッドランプの故障の原因も突き止めぬまま新しい充電用の電池とケーブルを買って来た。しかし、いっこうに反応しない。行きがかり上新品の値段の半分くらいの金額を使ったはずなのに、本体に問題があるのか点こうとしない。
 やむなくまた出掛けて、今度は新品を買ってきた。しかしこれがまたややこしい。充電して、電池を装着するまでには幾度か焦燥と、怒りと、不安を繰り返した。


 
 祭礼など特別な使い方を省けば田舎育ちのわれわれは多分、提灯を使った最後の世代だろう。小学校も低学年のころだったろうか、夜間に外出する時はよく提灯を持たされ、稀に暗がりで人の気配がしたり、すれ違ったりしたときは「オツカイデス」と言うように教えられた。当時は「オツカイ(お使い)」の意味にも気付かないまま、それが夜の挨拶だと思っていた。
 
 もちろん夜の戸外は今よりか、もっと暗い。街灯などなかったから相手の顔どころか、男か女か、大人か子供かも声を聞くまでは分からないこともあった。
 時代劇で、夜の場面が出てくるが、撮影上そうするしかないとはいえ、月のないあんな明るい夜は絶対にになかったと断言できる。月明かりで特に明るい夜は、「雪でも降ってきそうだ」と、そんなふうに古老は言ったものだった。
 
 話が終わらなくなってきた。続きは明日にして、本日はこの辺で。かんとさんは駅伝どうだっただろう。
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     24年「冬」(22)

2024年01月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 冬の日が西の山に消え、空の色も薄れて白色に変わりつつある。どこへ行くのか、空の高い所を黒い点のような鳥が数羽飛んでいった。風はない。
 
 ちょうど今のような、音の消えた空白の時間、あの人はその寂寞感に気が滅入ると言った。それに対して、この時間が一日の中で最も気持ちが鎮まり落ち着くと応えたら、黙ってしまった。
 しばらくして、「わたしたちはやはり気が合わなかったのよね」と言って、こちらの同意を求めてきた。夕暮れに対する二人の感覚の相違が、それほど重要だったのだろうかと思いつつ、肯いた。

 というようなことがあったとして、さて、何を呟こうとしたのだろう。いや、思い出さないでおく。天人五衰、生きていたらあの人も、きっと、その最終段階にいただろう。

 幾日か前に大きなリンゴをモミジの木の根っこに置いてみたら、それが大分齧られていた。スズメか椋鳥だろう。昨日は米粒をその削られた部分に置いてみたら、全部食べてあった。せめて餌の乏しい冬の間だけでも、餌付けを続けてみようかと考えている。

 今朝は3時から6時くらいの間、またしても夢だか現だか分からぬ状態の中を彷徨っていた。惰眠を貪ってばかりいた罰だろうか、寝付けないと思いながらそれでも何度か同じような夢らしきを見た。
 それはアジの干物を使った料理とも言えない簡単な副食を作ろうとして、(干物を焼かず油を引いて炒め、その上に白髪ネギとパクチを散らし、さらに熱いごま油を垂らし、豆板醤を付けて食べる)白髪ねぎを刻もうとしてもなぜか薄い皮が剥けるだけで、朦朧とした3時間もの間に同じことを何度も繰り返し、とうとうできずに終わった。

 寒さに震えながら8時ごろに起き出し、そして、きょうが金曜日だと思っていたら、もう土曜日だと知り愕然とした。
 1週間は短く、1ヶ月は長い。8日に山から戻り、それからあれらの日々は遠くなるばかりだが、まだ1月は終わっていないのだ。それでも恐らく、この1年もまた、呆気なく過ぎるだろう。
 昨日、入笠の雪の状態を問う電話を受けた。
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
 
 
 
  
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     24年「冬」(21)

2024年01月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

  散歩の際、この2,300㍍は車輌に要注意、背後の西山の稜線も歩いた
 
 きょうも特に予定はない。有難い。炬燵の虜囚でいても一日は過ぎていくし、多分そうなるだろう。
 巣ごもりの日々、時間を持て余し、早く一日が過ぎて欲しい思ったりすることもある、あるけれども、そんな毎日ばかりだったら、いたずらに「終局」を待つようなもので、限られた寿命、残された時間を無駄にしてしまいかねず、勿体ないと思い直すこともある。
 
 そんなことを何かの機会にTDS君に話したら「いつでもビールや酒を飲める人はいいけれど、普通の人は夕飯時の家族の団欒や、その時の晩酌を楽しみにして働き、一日を過ごすんだゼ」と諭されてしまった。さすが元教育者だ。
 確かに今なら、いつ酒を飲んでも誰も文句を言う人はいないし、確かに、家族の団欒などというものは、もうない。
 それでも「一日を閉じる祭り」はある。特に上で暮らしている時は、それを楽しみにして働いていたし、今の里の暮らしでもそこへ焦点を置いている、と言ってもよいだろう。
 
 昨日は散歩の前に座り、それから午後の3時過ぎ、外に出た。夜はとろろ汁を作り、出汁が上手くひけて美味かった。つい気を良くしてビールはもう1本余計に飲んだ。風呂には2回入ったし、本も重い内容のものを読み、口直しは毎週楽しみにしているテレビの「剣客商売」だった。
 清貧独居禁欲、こうしてみると、どうやらいい一日だったような気がする。

 赤羽さん、そうですか。肉は良質のたんぱく質があると承知しながら、今の稼業のせいかあまり食指が動きません。短気を抑えるため、ヨーグルトは頂いています。身体はどこにも痛い、痒いところはなく、食事は丸元淑生先生の教えに習い、出汁に使った昆布は冷凍にしておいて佃煮にし、ゴマか千本しょうがを散らして食べるようにしています。
 本日はこの辺で。


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