入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’18年「冬」 (20)

2018年11月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                                       Photo by Otsuki氏
 本日も快晴。ここの午後1時の気温は、5度だった。日陰にはまだ雪が消えずに残っていたり、一部は融けた雪が氷結しているところもあった。昨日、富士見町の建設課からから、富士見側から入笠へ通ずる道路がきょう30日より、通行止めになる旨の連絡があった。



 

 ずっと肉体労働をしていたので、肌着2枚でもその位の気温では格別な寒さを感じなかった。昨日、なかなか上手くいかない作業道の整備を中途のままにして山を下った。その帰り、「池の平」を少し下ると官行造林があるのだが、間伐してまだそれほど日が経ってない放置されたままのナラや白樺の木が眼に入った。そのままにして腐らせるつもりなのだろうが、何か役に立つ利用法はないものかとかねてより気になっていた何本もの気の毒な木だ。
 注意して見れば、まるで土留めには「オレを使ったらどうだ」と言わんばかりのお手頃が何本も目に付いて、途端に、半ば放り出したくなっていた作業道整備の仕事だったが、俄然やる気になったのはあまりに単純か。
 今朝上がってくる途中に何本かを見繕い、それらを利用してご覧のような"ハイウエイ"かと見紛うような立派な作業道が完成した、と個人的には思っている。何でも機械化のこのご時世、使用した機械はチェーンソーぐらいで、鶴嘴(つるはし)、ジョレンがもっぱらの主役だった。特にジョレンは昨日、やたら柄が抜けてしまい往生したが、昨日の帰り際に水の中に浸けておいたのが良かった。古くからの用具が意外に活躍してくれて助かった、有難かった。

 Otsukiさんの素晴らしい作品に無粋な写真を載せてしまいました。孤軍奮闘、苦労の結果を見てもらいたいという気持ち、ありました。

 そういうわけで「冬の営業案内」をご覧ください(下線部を左クリックしてください)。予約は早めに頂ければさいわいです。

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     ’18年「冬」 (19)

2018年11月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 まさかの初雪。昨夜は里は雨だったが、入笠は1千700メートルくらいから上は雪だったようで、「ド日陰の曲がり」まで来たら山道に薄く雪が残っていた。さらに日の当たらぬ森から牧場に入ると、大沢山や権兵衛山は雪の装いに変わり、目の前にはコナシの細い枝に付いた雪が融け、それらが無数の水滴となって朝日にまばゆいばかりの輝きを見せていた。



 きょうも「貴婦人の丘」にある機材搬入用の作業道が気になり、上がってきた。来月早々に予定されているCM撮影のためだが、作業は上手くいってない。軽トラが傾斜のきつい山腹を走るため横転の危険があり、前回も何度となく冷や汗をかいた。その反省から、軽トラ1台が荷を積んでも安心して通れるように山側を鶴嘴を使って削っているのだが、これが予想外の大変な仕事になってしまった。しかも、どうも土留めをしないと上から力が加わった場合、あのままでは積み上げた土を横に押し出してしまいそうだ。そうかと言ってこの時季、適当な材料を入手するのは簡単ではない。
 こういう時、あの人の顔がチラチラするが、我慢!孤軍奮闘が続く。明日も来ることになるかも。

 初雪のせいで、予定していた写真は明日のお楽しみにさせていただきます。
 
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     ’18年「冬」 (18)

2018年11月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 初冬の穏やかな日が続く。午後になって雲が出てきたが、気温はそれほど低いわけではなさそうで、寒さを感じない。この分では、まず雪にはならないだろう。なったとしても、根雪にはならず融けてしまうに違いない。
 今の季節の山がいい。化粧を落とした素顔の、どことなく親しみやすくて素朴な感じをつい抱いてしまう。この季節の森や林とも12年を共にしてきた。長い付き合いだが、それでも倦きることはない。長年連れ添った仲の良い夫婦とは、双方にとってこんな感じであったなら、微笑ましくも羨ましい。それに比べたら、夏の緑一色の森には、それほど惹かれることはない。樹種を無視した何の特徴もない重い色だが、それを夫婦の関係になぞらえるには経験も、知識も充分ではないので控えたい。



 今朝来る時、鹿の親子だろう5,6匹が、車のすぐ前を横切っていった。最後尾は小鹿だったが、不安そうな顔を見せて必死で藪の中に逃げていった。予期せぬ出会いだったに違いない。寒さが増せば次第に谷川の水量が落ちてくる。あの親子も、さらに下方に水場を求めて下ってきたのだろう。もっと下では久しぶりにサルも見た。
 鹿やサルすら冬支度を始めたというのに、まだ上でモタモタしている。きょうは12月にあるCM撮影の最終打ち合わせが残っていた。総勢100人を超え、車輌は30台規模の予定。

 赤羽さん、有益な資料を興味深く読みました。気弱そうな小鹿を見ると、人並みの感情は湧くものです。「みろく山の会」のO槻さんにも大変お世話になりました。次回は山と写真に専念してもらえるよう努力します。

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     ’18年「冬」 (17)

2018年11月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 

     

     山は冬の眠りに入りつつある。北アルプス、乗鞍、御嶽はすっかり白い冬の装いに変わった。中アも薄化粧ながら雪はこのまま根雪となるだろう。入笠はこの辺りまで上がって来ると、今朝はかなり気温が下がったようで、川のよどみには氷が張り、飛沫を浴びた枯草は凍っていた。(11月24日記)

     

   しばらく呟きを休んでいた。今朝小屋の外に出たら、キャンプ場の方で何か物音がした。なんと、予期せぬ"お客"である。1昨日はS藤夫妻が愛犬ココを連れて1泊の予定で来ていたからおとなしくしていたのだろうが、昨夜は誰もいないからと出没したに違いない。あるいは、本格的な冬を前に逢瀬を急いだのかも知れない。いずれにしろ運のない鹿としか言いようがない。 実は彼を捕獲した罠は、幾日も前から作動しないようにしてあった。にもかかわらず、である。体重がもっと重い牛ならこういうことがあるかも知れないが、いかんせん雄とはいえ鹿である。だから運のない鹿だと言ったのだが、さてどうするか。 

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     ’18年「冬」 (16)

2018年11月22日 | 入笠牧場からの星空

      バラ星雲                Photo by かんと氏

 きょうも上に来た。細かい雨が降っている。いや、霧と変わらぬような小糠雨で、権兵衛山はその中に姿を隠したままだ。昼の気温は4度とそれほど高いわけではないが、寒さを感じない。身体を使う枝打ちをしたからだろうが、炬燵には電気が入っていないし、ストーブも点けていない。もっと高い山はどうだろうか。この時季の雨や霙は雪よりも性質(たち)が悪いという記憶がある。
 それはさておき、この調子ではいつになったら雪が降るのか気になる。12月に入れば例のCM撮影があるから、降らないならずっと降らなくても一向に構わないのだが、仕事の決着が付かないことだけが困る。年内に予定していることもある。明日は長野県の北部は雪のようだが、ここらは好天の予報だ。(11月22日)


 
 探査機ボイジャー2機がそれぞれ広大な宇宙空間を今も、孤独な飛行を続けている。「キラキラと輝くエレガント」な探査機Voyagerの打ち上げは1977年、41年も前のことだった。発射時には明らかにされていなかったと思うが原子電池を搭載していて、各種有用なデーターを現在も送ってきている。
 それまでの探査機には科学的な機器が積み込まれるだけだったが(パイオニア10号、11号には発射時刻とその場所を示す金属板を搭載)ボイジャーにはいつの日にか宇宙人との遭遇の可能性まで考え、われわれ地球人がらのメセージや、その送り主である人類やわれわれの惑星・地球を紹介する「ゴールデンレコード」が積み込まれていた。そのため人々の夢や好奇心をくすぐり、評判になった。
 専門家ばかりでなく、宇宙探査に一般の関心を集めることに長けていたのが、この計画の主導者の一人であるカール・セーガンだった。いろいろな評価はあるものの、名著「コスモス」は世界中で読まれた。この本は、妻であるアン・ドルーヤンに献辞されていたが、その印象的な言葉は今でも覚えている。彼女が最初の妻ではなかったことは知っていたが、生涯に3度も結婚していたとはずっと後まで知らなかった。彼は21世紀を見ずに1966年、62歳でこの世を去った。ある朝、新聞の小さな記事で知ったのだが、その時のこともまだ忘れないでいる。

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