入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’23年「冬」(31)

2023年02月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 寒さの中にも、少しづつ次の季節の予兆を感じている。天竜川の土手を歩きながら、遠くから河原に生えた何本かのヤナギの木に目をやると、その無数の小枝に薄緑の靄でもかかっているように見えた。冷たい川風の吹く中でも、すでに芽吹きが始まっていたのだ。
 昨日は日中、暖房の必要がなかった。また、明日から雪の予報が出て寒くなるらしいが、前回の「10年に一度の大雪」予報がそれほどのこともなく、今回も弁士さながらに滔々と語る予報士の解説を半信半疑で聞いた。
 
 カタクリは凍った土の中のようだし、ヤマバトの鳴く声はまだしない。それでも、庭の白い花の咲くボケの木には豆粒大の赤い蕾が付いていたし、その下の石の影の例のユキワリソウも、小さな蕾を膨らませていた。いや、よく見たら片葉ながらカタクリの葉をひとつだけ見付けた。




 
 止まれ、2月が始まったばかりなのに、春を話題にするのは気が早い。今月はまだ上に行ってないし、そろそろ古道の雪の中を歩かなければいけないと思っている。例年のことながら、3月の3日前後にも行くつもりだし、そういえば、谷川の山裾歩きや温泉行にも誘ったり、誘われたりしているが、まだ詳細を決めるまでにはなっていない。
  今頃の時季は、やって来る季節を待つのと同じように、去っていく季節にも未練を感じ、少しでも押しとどめておきたいと思う。一日に30分から40分「座る」のも、せめてその間だけでも「今」という時間を留めておきたいからだと言っていいだろう。

 座るといえば、相変わらず感知できないビタミンの効力、それにもかかわらず止める気はサラサラなく、このごろでは記憶を司るわが乾き切った海馬に、ほんの少しだが湿り気を感じさえする。ささやかな雨乞いの効果ではないかと思ったりするが、自己診断はまだ早かろう。

「理解」という意味がよくわからない。生理的な不快感を感ずるのは、これが性の問題であるからだ。身体の不自由な人へは感情を移入できるし、理解にも繋がる。しかし、これについては難しい。
 だからと言って妨害する気はないし、承知はしている。ただ、識者と言われる人々が、この件でなぜ多様性という言葉を持ち出し、それとからめて語ろうとするのか、それこそ理解できない。そのうち多様性の波が夫婦の在り方にまで及びはしないかと案じてしまう。如何か。

 本日はこの辺で。

 
コメント
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