入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「春」(70)

2021年05月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 5月最後の朝、五月晴れの極みのような青空が広がっている。しばらく山鳩の鳴く声がすると思っていたら、いつの間にか聞こえなくなった。朝日を受けて、大きくなり過ぎた柿の木の新緑が今朝は一段と艶やかに見える。風呂に入り終えたら、弁当を持ってすぐ山の仕事場に出発しよう。

 昨日と一昨日で鹿の始末が済み、きょうは市の企画で広報担当者が、地域おこし協力隊の隊員を伴い入笠の自然や、牧場にあるお馴染みのキャンプ場と山小屋の紹介のためにやってきた。好天に恵まれて、いい内容の仕事ができたばかりか、期待してなかった場所からの素晴らしい眺めを堪能し、先程喜んで帰っていった。


 
 また、きょうから3泊の予定でO谷さんご一行5名が小屋に来る。さらに年配の女性1名が管理棟の10畳に泊まり、この人も単身ながら盛りだくさんの計画を背負って法華道から入山すると、昨夜のうちに連絡があった。

 オリンピック・パラリンピックの舞台裏が少しづつ明らかになってくるにつれて、あの平和の祭典とかいう高尚な理念はすっかり輝きを失い、色褪せたものになってしまった。こうして見れば、女性を揶揄して追放された元総理大臣の発言などまるで漫才のように思え、元々氏もそんなつもりでした発言だったのかも知れない。
 前回、1964年の東京オリンピックを知る者には、あの時、国民の全てが熱狂し感動した文字通り平和な祭典がますます懐かしく思え、輝いてくる。敗戦から19年、当時はテレビも大概が14チャンネルの白黒だったはずだが、そこに写る映像は今の大型鮮明なテレビに勝るとも劣ることはなかったと、それは言っておきたい。
 本日はこの辺で。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「春」(69)

2021年05月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 朝から忙しい一日だった。きょうは弁天様の前の三叉路から撮った誰でもよく知る穂高、槍の平凡な写真でいつもの饒舌は控えることに。
  
 と言いつつ、今年はコナシの開花は6月の10日ごろになりそう。早い年にはそろそろ咲き出すこともあるが、平年並みということになるのか。少しは遅れても、できたら一斉に咲いて、豪勢な縞状のコナシの花を大沢山や、小入笠の山腹に見せて貰いたい。
 クリンソウの花も恐らくそのころになるのではと予想されている。昨日、その大群落を見にいって、もしかすると今年は鹿の餌食にされずに、久しぶりに薄桃色に染まるクリンソウの川を見ることができるかも知れないと思った。なぜなら、あの囲いの中の捕らわれの30数頭の鹿たちも、実は重要な容疑者だと考えられるからだが、さてどうだろうか。すでに赤い蕾を覗かせているのもあるが、今のところ被害は免れている。

 本日はこの辺で、明日は沈黙します。

 


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「春」(68)

2021年05月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 今朝家を出て、爽やかな五月晴れを喜びながら、こんな日はどこへ一番行きたいかと自問してみた。そしてその答えがなんと、その時まさに向かおうとしている職場、入笠だった。ただ単に山の牧場へ行くだけでなく、そこでする作業も、やはり一番したいことだった。
 仕事など放り出し、つい、どこか山奥の温泉に浸かり、上げ膳据え膳で旨いものを食べて酒を飲む、などということを夢想しがちだが、今朝はとにかく入笠が最も身を置きたい場所だった。
 考えてみれば、これほどの幸福はない。頭、心、下半身には年齢相応の疾患、不調らしきもないわけではないが、それでも行きたい所が1700㍍の山の上で、やりたいことは肉体労働だというのだから、他人事のように言うが、有難い話だと思う。

 きょうのUme氏の空撮写真、ほぼ中央に上から下へと細い緑の帯が見えているが分かるだろうか。この左内側の斜面が「追い上げ坂」と呼ぶ、入牧したばかりの牛を何人もで第1牧区へと追っていく坂である。
 6月10日には第一陣が上がってくる。ただ今年はすぐには第1に持っていかず、しばらくは今捕らわれの鹿のいる囲い罠の中に置く予定になっている。実はこの囲い罠は本来は牛のための設備で、それを後から鹿の捕獲のために囲いを強化し、罠としても使えるようにしたものだ。
 牛の馴化が上手くいけば、あまり多くの人の手を借りずに牛を追い上げ坂経由で、第1牧区へ移すことができる。先代の種牛がいたころは、彼の助けを借りて一人でやったこともある。顔は不細工で、種牛としての評価はそれほど高くはなかったが、性格が温厚であの牛1頭で種牛としての役割の他に2,3人分の働きをしてくれた。いい相棒でもあったのだがもう何年になるか、病気のため殺処分されてしまった。

 そういえば、今思い出した。明日29日、入笠山の開山祭が行われる。前任者のMさんは毎年出席していたようだが、まだ一度も出てない。covid-19のせいで、簡素なものになるらしい。

 赤羽さん、あれは掛け算割り算をようやく覚えたばかりの者が、微分積分に挑むような話で、自死という見方もできるのではと思いました。それでも、彼は燃焼し尽くしたでせう。
 本日はこの辺で。
 

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「春」(67)

2021年05月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 雨はきょう一日降り続けるようだ。昼になっても気温は上がらず、6,7度を維持したまま変わらない。未舗装の山道をきょうも来ると、道路には幾筋もの水の流れができてかなり通行を難しくしていた。今年の梅雨は長いとの予報、その通りなら道路状況はさらに悪化すのは間違いない。
 峠に出てからも、舗装された道路には何か所か危険な穴ができていて、取り敢えず注意を惹くために周囲にアスファルトの破片や枯れ木を置いて来た。

 捕らわれの鹿も雨に濡れている。小屋の入り口からは直線距離でも300㍍以上あるだろうに、さすがに敏感で、人の姿を目にする度に群が動く。週末までは安心していていいと教えてやりたいくらいだが、森の中でも絶えず似たような緊張は続いていただろう。最近よく耳にする「安心安全」などとは無縁だ。
 さすがに空腹には勝てないとみえて、草を食む様子も見られる。そういう時も多くは群を崩さないが、中にはその中に入らず、1頭だか2頭で今も必死で脱出口を探すのを止めようとしないのもいる。

 昨日、集団で行動する動物は群の存続のために、自己犠牲の可能性について呟いた。その後の帰路の山道で、その見方はあまりにも人間的で、鹿たちにそんな殊勝な気持ちなどないだろうと、自分の考えを再考してみた。
 人もそうだが鹿にも個性があり、人や車に対しても、鹿が見せる警戒の仕方は一様ではない。中には猛者もいて、車が横を通り過ぎても逃げないような鹿もいる。そういう鹿の中には危急に際して、とにかく危機突破のために果敢な行動に出るかも知れない。例えば有刺鉄線を切ったり、檻の金網に激突を試みたりというふうに。
 それは極めて自己保身の行動なのだが、例えばその鹿によって破られた金網が結果的に群を助けることにも繋がるということはあるだろう。それが実相であって、それを自己犠牲などと言うのはあまりに情緒的だと考えを改めることにした。
 牛もよく群をつくり、その群の中心になるのも当然いる。そういう牛たちが塩場で見せる行動には、しかし相手を慮るような態度はない。弱肉強食で、強い牛に脅かされ退くことはあっても、それは譲り合う行為とは違う。
 群は同族だったり、別の何かのきっかけがあってできたかも知れない。ただそれは、牛が、鹿が、あるいは他の群れをつくる動物が、単独でいるよりか多数でいる方が安全であることを本能的に知っていて、それだけの理由で群を構成しているのであり、その群れのために自らの身を犠牲にするというのは話としては面白いが、脚色の謗りを受けかねないだろう。
 それにしても、有刺鉄線を支柱に結びつける際に使うあの16番のステンの針金を、まるでペンチで切断したように切ってしまう方法を知りたい。
 雨音は激しくなるばかりだ。本日はこの辺で。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’21年「春」(66)

2021年05月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 気持ちの良い朝、来る時正面に見えた仙丈岳の雪はすっかり少なくなり、その反対側、中アの西駒や空木はまだそうでもないが、経ヶ岳の雪は全く消えていた。
 開田の田植えの進み具合を目にしながら、田植機のなかった「お田植え」のころを、しきりと思いだした。今はどうか知らないが、田植えが始まる前日には熊手の親分のような物で苗を植えるための筋を付けた。そして田植え当日は4,5人が横に並び、一人が4本くらいの列を担当しながらその熊手の親分が付けた跡に苗を植えていった。今では考えられないことだが、半世紀前ならそれが普通のやり方だった。
 機械が普及して人の出は減り、土地の整備が行われた水田地帯は1枚毎の田が大きくなった。今朝も、そういう田を見てきたが、あれを人力ですると考えたら気が遠くなると思ったものだ。しかし、昔の田はもっと小さかったにしても、あの地域の水田の総面積は昔とあまり変わらないはずだから、実際は人力だけで気の遠くなるような田植えの仕事を、毎年まいねんずっと繰り返してきたことになる。
 あの広大な田を、手だけで植えて、手だけで刈った時代、その米の尊さはもう伝わらないかも知れない。



 ざっと数えて30頭以上はいる。昨日仕掛けた罠の中に入った鹿の頭数で、一矢ではなく、さて幾矢を報いたことになるだろうか。以前にこの罠で41頭を捕獲したことがあったが、今回が恐らく2番目に多い捕獲数になる。一昨日、小入笠の中腹にいた群だろうか。
 車が通るたびに群れが右往左往して、中には囲いめがけて頭から突進する鹿もいる。前から唱えている勝手な自説だが、群れをつくる動物は、仲間のために自己犠牲を敢えてするというこれも一つの例だろうか。牛は牧柵の有刺鉄線切ることはまずないが、鹿はよく切る。それが意図的な行動なのか偶然なのか、長いこと前者を疑っている。
 とにかく、この時季にこれだけ獲れれば、有害駆除の目的を果たしたことにはなるだろう。「この時季」の意味の説明は控え、本日はこの辺で。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする