入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’19年「春」(27)

2019年03月31日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

「初の沢俯瞰」                Photo by Ume氏
 
 ここ何日か、Ume氏の空撮写真に寄せて、思い付くままを呟いてきた。そしたらある人が、入笠ばかりではなくもっと故郷の伊那、それも天竜川のことなどについて語れと、思いがけないことを言ってきた。
 天竜川と言えば最近、終電車が対岸の少し向こうを車内の灯を輝かせながら通過していくころ、酔い覚ましを兼ねてその川の堤防の上をよく歩く。もし誰かから一日のうちで一番好きな時間はと訊かれたら、ここを歩いている時だと答える。またもし、一番気に入っている場所はと問われたら、天竜川に架かった北殿橋が見える辺りの風景だと答える。新田へ天竜の水を送るポンプ小屋が出来て、記念の碑も建てられたのはいつごろのことだったのか。風景は次第に変わっていくが、それでもこの川への思いは何も変わらない。

 待て、そう言われたからといって、巡りくる新しい季節がようやくそこまで来ている時に、おいそれと入笠を、牧場を離れるわけにはいかない。
 きょうの空撮写真で初めて分かったが、仕事が始まれば毎日通らなければならないこの「初の沢」の大曲がり、これほど急だとは感じていなかった。この写真には写っていないが手前にはマユミや山桜、コナシの木があって、季節ごとに装いを変えながらその存在を訴えてくる。右に曲がり終えれば、すぐモミの大木が日陰を作り、この辺りも大分枝打ちをしたが、それでもこの時季は残雪がいつまでも融けず、通行の邪魔をする場所だ。
 昔は第3牧区に牛を放すと、道路をわが物顔で闊歩する彼女らが通行の車を停めたり、車内の人を驚かせたりした。また牛の一群が遠くから来て、この沢の流れの中に入って水を飲んだものだ。しかし恐らく、もうそういう光景を目にすることはないだろう。牛の入牧頭数が100頭、150頭のころの話だ。
 下流に下っても、上流に上がっても自然なままの渓流とか、なかなかの景観を目にすることができるが、現在は一般の立ち入りはできない。いつか解放されるようにでもなれば、周遊のための素晴らしい山径を作ることもできるが、そうやって変貌した牧場を見たいような、見たくないような、目下のところは複雑な気持ちでいる。合掌
 


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     ’19年「春」 (26)

2019年03月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

      「沢の雪溶ける」        Photo by Ume氏

 この写真(タイトルもUme氏)を見て、撮影場所を特定するのに少し手間取った。最初は、貴婦人の丘を右手に見ながら林道を100メートルばかり行くと、左手から1本の沢が流れ込んでくる。道はそこでほぼ直角に右折するが、その辺りを中心にして上空から撮った写真かと思った。しかしさらによく見るとそうではなくて、どうやらこれは「八株沢(やっかぶさわ)」の源流を俯瞰した写真ではないかと思えてきた。ただし、枯れた牧草を遮る樹林帯の左隣に人の踏み跡が見えないのが気になる点だ。この位置、高さからだと、それが写らない可能性も考えられるが、それとも全くの思い違いをしているのだろうか。
 完全に分からないということは、管理人としてはもどかしさや、ある程度の欲求不満を感じるが、その一方でそれはそれでいいという気持ちにもなる。これは、われわれの目で眺めている風景というよりか、ドローンの目を通して撮影者が創造した世界だとも言えるからだ。絵画の場合にも、実景と描かれた風景が違うということは、いくらでもある。しかし、描かれた対象が明確であろうと曖昧であろうと、作品の価値とは関係ないし、問題ではない。
 この空撮された作品にも同じことが言えまいか。これを目にする人は、恐らくこれだけ場所の説明をしても分からないだろうし(一言ある名前を添えれば分かる人は多かろうが)、そのことに関心があるとも思えない。要は、春まだ浅き牧場の一画に、芽吹きを待つ沢や森があって、その普段では目にすることのできない情景、そこから伝わってくる雰囲気を味わい、あれこれと個人の思いを重ねることができればそれで充分だと・・・、そう思う。そこから先のことは、管理人が悩み、考え、判断すればいい。己の耄碌の度合いもきっと分かるだろう。合掌

 高遠城址の桜の開花が4月になれば始まる。城内までは久しく行ったことがないが、「天下一」とか言うタカトウコヒガンの花も、あそこから見える雪を被った中央アルプスの眺めにかなり助けられ、また負っているように思う。城跡から眺める白銀の西駒ケ岳や空木岳は息を飲むばかりに美しく、その迫力、雄々しさは絶品にして無双。
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     ’19年「春」 (25)

2019年03月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

     「雪溶け進む」               Photo by Ume氏

 ウーン、上に行けばまさしくこの景色が待っている。送られてきたこの写真を見て、7か月の牧場の仕事が今にも始まるような気がしてきた。少し慌てた。
 林の中に点在する白い物は冬の名残りで、日増しに明度を上げる春の光に、置き去りにされた敗残兵のような姿を晒している。この季節の交代を毎年目にしつつ、やがては消えていく残雪に合わせるようにして冬のことを忘れる。芽吹きが始まり、野鳥の姿が目に付き、声がして、初の沢の流れも心なしか冷たさが薄れるころに、牧場には待望の本格的な春がやって来る。
 前にも呟いたが、この沢の流れに沿って登っていけば、流れの緩む場所に出くわす。そこは水音が特別な声で歌ってくれ、腰を降して休んでいけといつも誘う。ここで茶を沸かし、しばらくは仕事のことなど放っておこうと思いながら、まだ誘惑に負けたことはない。大方この沢に入るときは水回りに関して緊急事態が発生した時で、それどころではないないからだ。
 今年も牧場の仕事は、まずそのことが最初の課題となる。下にいて気を揉むよりか、いっそ今から上に行って仕事を始めた方がいいと思ったりするが、軽トラすら行けないのでは身体だけ行ってみても仕方がない。昨日行政に、今年は除雪を早めて欲しいと、依頼するだけはしておいた。
 
 天皇の代替わりが行われる。早くから新元号が話題になり、あれこれと取り沙汰されて喧しい。その歴史的な大事もあって、今年の連休はいつになく長くなる。もう、計画を立てた人も多いと思うが、その中に、入笠牧場を候補にしてくれた人が幾人ほどいるだろうか。まだ営業内容をまとめてないが、昨年と同じでやっていきたい。この声、どこまで聞こえたか分からないが、呼びかけはすでに2千回を超えた。

 昨日の独り言を読み返して、また訳の分からないことを呟いたと気付いた。雪洞の灯で充分だと思っているわけで、あれでは文意が繋がらない。ほろ酔いの、せいばかりではない。そう、ボケ。
 海老名出丸さま、それは大変ですね。あの痛みは2度ばかり経験しています。早い回復を願っています。撮影会、6月1,2日辺りはどうですか。さっちゃんさま、三角草(ミスミソウ)いい名前です。そういえば、あなたは、仙台坂下のさっちゃんですか。



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     ’19年「春」 (24)

2019年03月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

     「八ヶ岳遠望」                 Photo by Ume氏

 牧場へ行けば今ならきっと、きょうのUme氏の写真のような風景が見られるだろう。左手の縞状に配列されたコナシは、6月前後には真っ白な花を咲かせて幾筋もの花の列を作る。手前の芽吹きを前にした木々は、白樺とダケカンバの混生した林だ。その間を「初の沢」が流れ、昔はこの沢に沿って伊那側からの登山道があったのだが、もう知る人は少ない。春の日を浴びた牧草は、新芽を出すまでにはもう少し大地が温がまらなければならず、後1ヶ月くらいの時間が要るだろう。牛の入牧頭数が減って、写真に見える大半は牧場で一番広い第3牧区だが、ここ2,3年は放牧していない。そして、そのはるか向こうに、澄み渡った青空の中、雪の八ヶ岳が見えている。かなうことなら空に浮かんで、こんなほっこりとした早春の牧を眺めを見てみたいと、詮も無い空想も湧いてくる。
 それにしてもこの先、この風景は一体どうなっていくのだろうか。気になる。何でもやたら観光と言えば、活性化と叫べば、もっともらしく聞こえるようだが、本当にそうだろうか。下手なことをするなら、自然に任せておいた方がいいと、あちこちの観光地を回ってみて思う。
 
 今年もまた花見の季節が来て、どこもかしこも照明をこれでもかと花に浴びせ、必要以上の人工的な雰囲気をつくろうとする。雪洞(ぼんぼり)ほどのほの灯の下で充分だと思うのは、これも時代遅れ、今の風潮を知らぬ者と謗られるか。
 しかし、もっとひっそりと、渋く、一人だけ、二人だけ、あるいは少人数で、夜桜を楽しんだらと思うのだが、それを言うとたちどころに、今では贅沢な望みだと大きな声が返ってくる。加えて、花より団子、花より酒で、花見は昔から庶民の祭りじゃないかとも。いや、ごもっとも。若いころの花の下で見せた数々の狼藉を忘れて、振(ぶ)ったことをった言うなとも。それもまた、ごもっとも。
 
 いろいろな場所での花を見て、またいろいろな山で春を迎えた。「この花をこれから先、幾度見ることができるかと、僕はつい思うんですよね」と、街角に絢爛と咲き誇るソメイヨシノの花の下で、あの人は背を曲げたまま呟いた。30年、いやもっと昔のことだった。ムーン。合掌
 

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     ’19年「春」 (23)

2019年03月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

       「大阿原早春」            Photo by Ume氏

 西山で採ってきたカタクリの芽が出てきた。採取した翌年には発芽したのに、それをHAL奴が蹴散らしてしまい、それ以来、何年経っても葉は生えてくるも花が咲かないままの状態が続いた。ところが昨年初めて花を咲かせてくれた。まだ小さいが、今年はどうなるか、期待して待っている。
 そしてきょう、ついにボケの花が二輪だけ咲いた。この花の咲くのを待って、北原のお師匠や、昨年野菜をたくさん届けてくれた友人などを呼び、天婦羅でも揚げて春の小宴をと、ずっと考えていた。



 この時季だけだが毎年、放置したままの荒れた庭に残る草花に気を遣う。どうせまたすぐに、「主(ぬし)無き宿」になってしまうのだが、あばら家とも呼ばれたこの家にも、思い入れの何程かは残っている。枯葉をどけたら、イカリソウの芽も出始めていた。

 驚いた。種平小屋が長期休業に入ったと、久しぶりに届いたF破氏からの通信で知った。早速「種平小屋便り」を開いてみたら、小屋の営業ばかりか、いつも羨ましく読んでいた"夫婦の渋い山行"の記録「種平小屋便り」も中断するという。一体どうしたことかと、電話した。幾つかの事情を種平小屋の主人が話してくれ、また再開の意志もあると知って納得し、安堵した。そこらの事情をここで代弁はできないが、一つだけ言っておきたい。
 前から知ってはいたが、訪れる人たち対して虫のことを気の毒なほど気にしていた。しかし、山奥の山小屋、と言ってはもったいない、に虫がいてはまずいのだろうか。そんなことを気にする人には、来てもらわなくても一向に構わないじゃないかと、つい言ってしまった。どうもそういう人の話を時々に耳にするが、周囲の環境だけは美しい自然を求め、街の暮らしと同じような便利さ、快適さを求めるなんて、それこそ虫が良すぎはしないか、と言いたい。もちろん虫の嫌いな人が悪いわけではないが、我慢できないなら・・・、これ以上言わなくてもわかるでせう。
 小屋の営業を生活の糧にしている人たちではない。それでもウオシュレットを備えたトイレ、檜の風呂を設け、訪れた人たち本意の山小屋である、惜しい。
 まあ古い家屋だから、修理の必要も分からないではない。営業再開を首を長くして待つが、「種平小屋便り」だけは、あの小屋を愛する人たちのために、ぜひとも続けていってほしい。頼みます。

 F破さん、通信ありがとうございました。写真撮影会は当然その中の一人と確信しています。Ume氏には講師役をお願いしたいと思っています。他にもウルサイ人が来てくれるはずです。I籐さん、海老名出丸さんはどうかな。クク。
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