入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(22)

2020年11月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょう1日を残して11月が終わる。この月は残留牛のこと、露天風呂の改修、野生鹿の捕獲、牧を閉じる準備などと思い返せばそれなりにいろいろあった。特にあの牛たちのことは、今はどうしているのかと思い出すことがあるし、無事に蓄主の許に返せた時の安堵感はまだ鮮明に残っている。最終的には牛の信頼を裏切った形になったが、麻酔とか鎮静剤とかよりかあの手のかかる、根気の要るやり方で良かったのだ。
 晩秋から初冬へと変わるころ、追い上げ坂の草刈りをしながら、はたまた電牧の冬対策をしながら、目の前に広がる細やかな自然の移ろいを存分に目にしてきた。今年は上に泊まる日が多く、里と山との往復で接する自然との回数はいつもの年より減ったが、その分を差し引いても、贅沢な自然環境の中で暮らすことができたと思っている。
 コナシの葉が黄ばめばやがては落葉し、白樺の樹幹が目立つ頃には放牧地から次第に緑の色が消えて、落葉松や広葉樹の落葉とともに忍び寄る冬の足音を次第に意識した。大きな空は澄み渡り、遠くの山々に降った雪は根雪となり、早朝の気温は零度を下回るころには管理棟から眺める景色に毎朝霜が降りるようになった。
 終焉を前にして見せる華麗な季節なだけに毎年、もっと引き留めておきたい気持ちを持つのだが、そうやって自分も老いていくのだという諦念と重ねれば、そんなどうにもならない思いもいつか季節への感謝や、ねぎらいへと変わっていく。
 
 きょうはこれから上に行ってくる。牧場と山小屋の見回り及び罠の点検、そして帰路は東部支所に立ち寄り今月の売り上げの納金を済ませる予定だ。契約は終わったのに、まだ上に用事を作るのかと思うかも知れないが、例年のことながらそうしている。今冬はcovid-19のせいでまだ決めかねているが、冬季の営業はあくまで自主的なもので、契約外のことだから無報酬だがそれでいい。車で行ける間は自分の車で上がり、それができなくなればHALを連れて山スキーやスノーシューズで登ったものだ。
 5か月の間あの小屋を無人のままにしておけないという不安もあるが、やはり入笠への愛着だろう。山の好きな人たち、それにかんとさんのような星の狩人たちに役に立ちたいと思う気持ちもある。それは、今も現役だったなら、自分も一人の登山者としてあの小屋に泊まり、静まり返った雪の森や林を訪ねてみたいと、きっと思うはずだから。
 本日はこの辺で。
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     ’20年「冬」(21)

2020年11月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうも柿の木に椋鳥が来ている。すでに熟し柿になっているのか分からないが4羽、5羽とやってきて嘴でつついたり、鳴いたりして、またせわし気に飛び去っていく。それを冬の日射しが射し込む部屋から、所在ないまま眺めるともなく眺めている。まだ気持ちも身体も牧の生活の余韻を引きずっているのか、それとも格別何の予定もないせいか、朝風呂に入りビールを1本飲んだら、罰でも当たったらしく身を持て余すことになった。
 こういう時に気分転換の相手をしてくれたのがHALだったが、もうそれができない。仕方なく読みかけの本を手許に置いてみたもものの、いまひとつその気になれないでいる。結構暇つぶしと運動がてらに散歩をする人がいるが、そんな"素人"の慰み事(失礼!)など真似るな、という声がどこからともなく聞こえてくる。
 
 昨日、HALが亡くなってから初めて、よく連れて歩いた天竜川の堤防から大きな碑が建つちょっとした広場まで行ってきた。散歩ではゴザラン。冬枯れの田園風景の中を流れる冷たそうな水の色と、瀬ノ音は変わらず、寒さをいっそうなものに感じさせていた。

 よく分からないが、この呟きの途中の部分が写真を入れ替えている間に消えてしまった。思い当たる原因がない。
 冬の営業は前向きに考えている、ただし現在のところはふたご座流星群の観測に期待をかけているかんとさん他1名の予約があるだけということ。また、近々に罠の点検を兼ねて上に行くこと、その他には今年は当てにしていたリンゴ農家の出荷が早まり、量的にも数的にも不足して、量を減らすなどしても送ることができなず慌てた、そんな内容だったか。どうせ大したことを呟いたわけではないにしても、消えてしまうとは・・・。
 きょうはこんなところで、明日は沈黙します。
 
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     ’20年「冬」(20)

2020年11月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 一昨日「しかし、それが山を生活の場にしている者と、たまさか訪れた者との、敢えて言えば差ではないだろうか。」と呟いた。「差」などと言わずに、「違い」ぐらいにしておくべきだったかもしれないと後で思いながらも、そのままにした。



 入笠山の山頂へは滅多にしか行かない。今年はこれまでに1回だけ市長ら一行が来た時、牧場を案内がてら一緒に登っただけである。晴れた日の山頂の眺めに文句はないが、それでも自分からは行くようなことはまずない。それに対してその西側の、つまり伊那側に少し下った小入笠へはよく登る。今年だけでも100回を超すだろう、雨の日も風の日も。
 そこから眺める景色は、東側は入笠の山頂が邪魔するから概ね眺望は西側に限られ、伊那の谷や中アから北アとなる。普段は閉鎖された場所だが、ここに人を連れてきて入笠の山頂と小入笠の頭とどちらを選ぶかと尋ねれば、恐らく入笠山の山頂と答えるだろう。この頭もなかなかの場所ではあるが、しかしそれでいい。
 そう答えた人は眺望の良さからの判断だろうが、他方、何百回も登った者には、その都度に味わった思いがどこかに沁み込み、それが目の前の風景を目にする時に重なる。そういう心象を通して見ているから、美しさといった物差しだけでは測れない景色を見ていると言ってもいいだろう。
 余程のことがない限り、誰であれ生まれ育った土地への愛着はある。あの山室川の造った谷が、いつの間にか練ってねって作られた絶妙な蕎麦の味にも似てきたなどと、こんなよそ者が言ったら、かつての芝平の住人たちはどう思うだろうか。

 昨日はその芝平で生まれ育った北原のお師匠のお供をして、県境にある日蓮宗「真福寺」と、その昔に日蓮が立ち寄り説法をしたと伝えられている近くにある「高座石」を訪ねてきた。師は2回目だということだったが、その一人で思い込むこだわりについては、残念ながら弟子にはあまりよく理解できなかった。対応してくれた真福寺の住職もそうだっただろう。
 なお、富士見町が建てた高座石を説明している石柱は、身延山第9世日学上人と11世日朝上人の記述がアベコベになっていた。入笠の観光に力を入れている同町だが、富士見側の法華道の説明にも少々疑念が残る。

 用事が出来て急遽芝平まで行けば、「ナントカさ(失念)の水」の近くの側溝を、中年を過ぎた女性が浚っていた。この春にも見掛けた人のようだったので声を掛けたら、やはり元は芝平の住人だと言っていた。離村してからもう42年にもなるというのに、変わらぬ故郷への思いに触れた。
 本日はこの辺で。
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     ’20年「冬」(19)

2020年11月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 牧場から下ってきて10キロ少々手前にこの第2堰堤がある。さらに山室川に沿って谷の中を10キロ以上も走らないと国道152号線の一部である「杖突街道」に出ることはできない。この間に廃村となった芝平、過疎化の進んだ荊口の集落があり、そして高遠の街を抜けてもまだ10数キロを走る。そうでないと、帰るべき所に着くことができない。
 帰路ともなれば今の時季、この辺りはすでに夜の帳に包まれて、寒空に眉月を眺めながら家路を急いだのも、まだついこの間のことだった。夜の山道を嫌う人がいるが、そういうことはない。むしろ好きだ。夏のころのように、まだ明るいうちに帰るよりか、狭い谷の中から星空を眺めながら帰る方が、快い安堵感が身体中に沁みてきていいものだ。
 今年は夏のころから里に下るのを止め、もっぱら山の中で暮らした。HALがいなくなったら、家に帰る理由が殆どなくなってしまったからだが、この片道38キロの道中で見たり感じたりすることが、結構大事であったことを後になってやんわりと気付かされた。言い方を変えれば、この道中があったことが、14年の牧場勤務を支えてくれたのではないかとさえ思う。
 この堰堤を下れば程なく舗装路になる。それでも道は狭く、かなり悪路であることに変わりはない。上りはオオダオ(芝平峠)まで3キロほどは未舗装の山道で、一時は「車が壊れてしまう」と言うほどの悪路であった。行くも帰りもそれにに耐えなけらばならなかったから、時にはこの山道を敬遠して、5キロほど遠回りになるが千代田湖経由の道を利用することもあった。この経路なら一応は牧まで舗装路を行けるが、しかし道中の自然が山室の谷と比べて変化に乏しく、その奥行きも感じない。歩いて登るべき登山路を、車や他の交通機関で済ませたような、なんとも味気ない気持ちになると以前にも呟いた。
 その点で山室の谷は、周囲の草木が、流れる下る清冽な水が、それらに育てられた動植物を含め、狭い谷間の印象を少しづつ変容させ、その先にいつしか新しい季節が来る。その繰り返しを毎年、日陰にまだ雪の残るころから見てきた。まさに自然の演出家の妙技の虜になって、そのお蔭で折れずに、この年までやってこれたのだと思っている。
 ただ、この独り言に誘われて来ても何もない、山の中の辺鄙で寂れた土地だという程度の感想しか持てないかも知れない。その可能性が高い。しかし、それが山を生活の場にしている者と、たまさか訪れた者との、敢えて言えば差ではないだろうか。だからもしも気紛れに手伝われ訪れることがあっても、遊子は何も語らずにそっと立ち去ってくれたら有難い、そう願いたい。
 本日はこの辺で。
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     ’20年「冬」(18)

2020年11月24日 | 入笠牧場からの星空


 お馴染みのオリオン大星雲。冬の夜空を代表する星座とくればやはりオリオン座であり、そしてあの厳寒の夜の誰もいない牧場のいつもの場所で、天空をじっと望遠鏡で睨んでいたかんと氏の姿を想像すれば、やはりこの写真を無視するわけにはいかない。
 寒さ、孤独、睡魔、そういうものにも無窮の遠(おち)への誘惑が勝り、氏は星の狩人となって銀河の海へと飛翔を続ける、何光年を、いや何百光年を、さらにもっと・・・。

 
Photo by かんと氏(2枚とも)

 これは権兵衛山の上空に煌めく無数の星々を、赤道儀による自動追尾を中止して、カメラを地球の回転に任せて撮った写真だろう。こうして見ると、星の似たような光も、微妙な違いがあることが分かるが、一般に赤みを帯びた光跡ほど星は老いて温度が低く、青白い光跡ほど星は若く高温であるらしい。
 オリオン座の一画を占める赤い星ベテルギウスなどは、すでに消滅してしまった星で、われわれが見ているのはその残光ではないかと言う人さえいる。ベテルギウスまでの距離は約600光年、仮に今、この星がその最期である超新星爆発を起こし、やがて消えてしまったとしても、600年と何年後かの天文学者や人々がその貴重な天分現象を目にし、喜びの喚声を上げることになだろう。このように一時的に現れる星のことを、「客星(かくせい)」と呼ぶようだが、昔人のその感性を褒めたい、納得できる。

 牧場の管理棟にも2台の望遠鏡と1台の双眼鏡がある。あれだけの美しい星空、それに相応しい観測機器が欲しいと思った。しかし、ようやくにして手に入れたそれらも、双眼鏡以外はあまり活躍していない。
 夜半にふと外に出て、もうオリオン座が見える季節になったのかとか、HALを連れて天竜川の堤防から牛飼座の主星を見付けて喜ぶくらいが、身の丈に合っていると思うようになったからだ。
 望遠鏡はカメラとPCとを一体化させないと、充分な威力を発揮してくれないと知ったが、とてもではないが洗濯機の取扱説明書すら読む気のないような者が、そんな複雑なことをできるはずがない。諦めている。諦めながら、今夜も星空を眺めるだろう。

 かんとさん、労作を有難うございました。12月のふたご座流星群が来る日も天候が良ければ、もうかんとさんのあの別名は返上ですね。期待してます。極大は14日の10時ごろのようですが、確か11,12日の2泊だったですよね。車では伊那側から来るしかありませんが、雪の情報は追々お伝えするようにします。本日はこの辺で。



 
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