入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「冬」(47)

2021年12月29日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昼を過ぎて、どうも報道で耳にし、見てきた天気予報とは違う空模様になりつつある。空は灰色雲に覆われ今にも雪が降り出しそうだ。風も出てきて、炬燵の中から見える柿の木もそのせいで激しく揺れている。頼りにしている雨量・雲量の予側でも、ここら辺りは入笠も含めて予報がかなり難しい、雪の可能性が濃厚である。
 はっきりしていることは、例年に比べすでにどの山域も明らかに降雪量が多く、それは遠くから見ても分かる。前回に上へ行った時の印象でも、雪の量は半月以上も早いと感じた。

 氷ノ山で遭難事故が発生し捜索隊が出動したと報じられている。5名中4名は救助されたが、1名は取り残されて消息が確認できていないらしい。詳しいことは分からないが、どうもその1名は車の中に避難しているという。
 報道では彼らを「キャンパー」と呼んでいた。おそらく、一夜のドカ雪で、車で帰ることができなくなっているのではないだろうか。普通なら、4名のうち1名ぐらいは残された者に付き添うと思うが、その間の事情もまだ分からない。
 似たような経験を入笠でもしたことがある。その時は単独で、夜になって降り出した雪が本格的になり、翌日まで待っては帰れなくなる恐れがあった。車は貴婦人の丘からは先には進めず、そこに停めておいたから、深夜ではあったが小屋から雪の中を1キロ以上歩いた。そして、雪に埋もれて判然としない轍を探るようにして車を走らせ、無事下山できた。あの時は、夜が明けるまで待っても雪は止まなかったはずだし、そうなれば最悪、車で帰ることを断念せざるを得なかっただろう。
 何年か前に一冬の間、初の沢の大曲がりの先に乗用車が1台、放置されていたこともあった。無理してあそこまで上がってきて、そこからは勾配がきつくなり動けなくなったのだろう。
 また別の冬、GPSの指示するままに雪道を強行し、焼き合わせの先の曲がりで進退不能に陥った車と出会ったこともある。あの雪の中、戸台へ行くつもりだったと言うから驚いた、呆れた。そのまま進むことは明らかに無理だったが、できたとしても、小黒川林道は雪崩の巣になっている。そこで立ち往生したのがむしろ幸いだったと言いながら手を貸した。季節を考慮せずに、山道で安易に車内の道案内GPSに頼るのは危険である。
 
 やはり冬、愛犬キクが消息を絶った時は、山室川の第2堰堤から歩いた。それも夕方から夜を選んで行ったが、思いがけず11㌔少々を6時間近くもかけてしまった。雪道は本当に分からない。最初から歩く覚悟ができていればよいが、そうでなければ車を捨てる判断が難しい。その覚悟を試すかのように雪が舞っている。
 
 番長さま、裏番長さま、了解しました。今年はその方が賢明でしょう。きょうのすっきりしない写真は、この独り言で名高い「ド日陰の大曲がり」、本日はこの辺で。
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     ’21年「冬」(46)

2021年12月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 昨夜の9時過ぎ、寝る前に外に出たら雪が舞っていた。雨量・雲量の情報を見てもそのころから雪になる予報だったし、西山は経ヶ岳が昨日の早くから雪雲の中だった。すでに入笠も同じだろうと決めて、せめて大雪にはならないことを願いながら床に就いた。
 ところが今朝起きてみると、家の周囲や冬枯れの田畑に雪はなく、明るく日まで射している。有難いことに、どうやらここまでは雪の影響がなく安堵した。それでも、さすがに「数年に一度」とかの寒波からは逃れえず、恐らく我が陋屋の室内温度は氷点下まで下がっただろう。
 
 年内に格別やることなどないと言っておきながら、昨日は少し仕事をした。落ち葉焚きである。ここで何度か呟いた柿の木ではなく、別の場所の一度は伐り倒したはずの木が、小枝を生やし道路にまでその先が出てしまったため枝打ちをして、そのままにしておいた。それらを集めた上で、石油をかけて燃やした。柿の枝はまだ生木だと思っていたが、これが思った以上に実に良く燃えて、それで気を良くしてついでに紅葉の落ち葉も集めて火に追加した。
 お定まりの「林間に酒を煖めて紅葉を焚く」、白居易大先生を真似て同じことを考えたが、ここらにはあの天皇のような風流を解す人はいそうもないと思い留まった。
 あの天皇、確か高倉天皇だと記憶していたが、天皇が大切にしていた紅葉が落葉し、それを使用人らが燃やし、あまつさえその火で不届きにも酒を温めて飲んだことが彼らの上司に知れてしまった。天皇はさぞかし悲しみ、怒るだろうと怖れて平身低頭するその上司に天皇は、身分の低い者たちがこの詩心を知っていたことを褒めて許したという物語、その主人公である。いい話だと、いつも焚火では思い出す。
 この天皇の后が平清盛の娘、安徳天皇の母である建礼門院徳子で、壇ノ浦の戦いで源義経に助けられたあと、京都大原の寂光院の一隅に庵を結び移り住んだ。まだ若いころに大原を訪ね、三千院では手許不如意で拝観料がなく、近くの寂光院も諦めてしまった記憶がある。確か秋で、大原の里は黄金の稲田が美しかったことを今も覚えている。

 そんな、貧しかったその日暮らしのころを思い出していたら、煙に混じり落葉や木の燃えるいい匂いがしてきて、しばらくはそっちの方に気を奪われて酒のことを忘れた。
 本日はこの辺で。 

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     ’21年「冬」(45)

2021年12月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうからが、本年最後の週となる。もう、年内に何かすることがあるわけではなく、またあってもやらないから、師走の慌ただしさなどとは縁がない。相変わらず炬燵の虜囚となって、移り変わる景色を車窓から眺めるように遠い昔の出来事を辿り、思い、きょうもまた夕暮れが来るなと澄んだ冬空に言ってやるくらいだ。(12月26日記)
 
 週末から今週にかけて「数年に一度」の大雪の注意予報が出た。長野県は南北に長く、予報で言う長野県とは県庁のある長野市や北信を指すようだから、一括りに長野県と言っても、気象状況はこの辺りとはまるで違う。この辺りの地域は、月曜日の夜から雪になりそうで、その降り方については心配はしている。
 先週、上へ荷揚げに行った時、すり鉢とすき焼き用の鍋を持っていくのを忘れてしまい、もし途中から車で行けなくなったとしたら、あんなものまで担いで雪の中を歩くことになるのか、ムー。

 それはさておき、先週の土曜日、わが入笠牧場の愛すべき山小屋をやれ「寂れた」だとか「掘立小屋」だとか、言い過ぎたと反省している。手前の雪原を広く撮り過ぎ、ために小屋が格別小さく、古く、貧弱に見えてしまった、と思う。老舗の高級旅館とは違うが、あれでも立派な山小屋である。凍死するような心配はないという証拠を、ここにお見せしておきたい。
 




 どうでござるか、この木曽檜の大型卓袱台は10人が楽に座れ、南部鉄製の囲炉裏まで中央に設えてある。小屋の入り口には広い玄関があり、ここでもストーブを囲み山小屋気分に浸れるはず。
 上がったすぐ奥には4台だったか、ガスコンロを自由に使える台所が2カ所、その間には食器置き場もござる。冷蔵庫も3台、冷凍庫も2台あり、これらも自由に使用することが可能。食物、飲み物さえあれば、まず餓死することはないはず。水道は使えないが、取水場には豊富な水が常時流れ出ているから心配ご無用。
 covid-19奴がまだこの先どうなるか分からない今、予約を頂戴しても対応できない場合もござるのでご承知置きくだされ。
 料金は1名1泊4000円に、冬期間は薪炭料1名500円が加算されまする。
 
 昨夜の星空、見事の一語、本日はこの辺で。





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     ’21年「冬」(44)

2021年12月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 雪の中のこの侘し気な3棟の建物、昨日24日の様子。一番奥が主たる山小屋になっているが、入り口や台所、廊下以外に48畳もの広い部屋があるとは、この写真からでは分からないかも知れない。それにしても、掘立小屋と見紛うような姿だと改めて知り、クク、これまでは、あたかも老舗の高級旅館を語るような誇大な話をしていたかといささか心配になる。
 しかしそれでも、この寂れた小屋に15年の月日が流れ、年を越し、新しい年を迎えるには、たった一人でもここが一番相応しい場所だと思う気持ちは変わらない。

 昨日の独り言、またしても大失敗をしてしまった。気付いた人もきっといたと思う。あれはシクラメンではなくて、そう、ポインセチアの間違いだった。これでは馬を鹿と言い間違えたり、木星に輪が見えないと黄色い声を上げた人を嗤えない。
 上に行ったと言っても車で往復しただけで、身体をそれほど使ったわけでもないのに、昨夜はやたら睡かった。それでも9時、いつものように夜の散歩に出ようとしたら細かい雨が降りだしてきた。それでさっさと散歩は中止した。まだ寝るには早いと思ったが睡魔には勝てず、神の使徒の誕生を寿ぐ宵祭りを無視して、布団の中に潜り込んだ。
 と、それまでいた居間の灯りが点いたままなのに気付き、仕方なく起きた。生来のそそっかしさを知らないわけではないが、その少し前には炬燵の端で躓いて、年のせいにしたばかりだった。そして、やれやれと横になった途端、突然、ポインセチアが頭の中に飛び込んできた。
 似たようなことはよくある。例えば前夜に見たはずの夢が、こういう時にいきなり甦ったりすることがある。それでようやく、夢の中身をあたかも懐かしい思い出のように再現させ、それを牛さながらに反芻しているうちに眠りに落ちる・・・。

 先日はふたご座の位置を東と言わず、北西と勘違いした。言いたい言葉がなかなか出てこないこともある。無意識に物を置くと、その場所を思い出せない。牧場のことや周囲の自然を伝えようと始めたこの独り言も、これ以上続けていいものかと自身を怪しむようになってきた。あの人の奥さんは、病による自らの人格破壊を怖れて殺してほしいと言ったそうだが、もちろん、と言っていいのか、しかしそうまで深刻には思わない。
 ただ最近の"睡眠力"、これを誇っていいのか、ボケの原因として案ずるべきなのか迷っている。因みに昨晩は9時過ぎに寝て、夜中の2時に一度目が覚めただけで、はばかりにも立たず6時まで快眠。ムー。
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
 
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     ’21年「冬」(43)

2021年12月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 週末から翌週にかけて寒波が襲来するという。甲信越地域にはかなりの量の降雪が予報され、ならばということで上に行ってきた。酒、ビール、米、餅、長芋を取り敢えず運び上げたから、まずはこれで雪に阻まれて車は途中で捨てても、何とか静かな年越しと、新しい年を迎えることができるだろう。孤独(ひとり)すき焼きや雑煮など正月用のお馴染みの具材は、ザックで間に合う、間に合わせる。
 
 そういう個人的なことはさて措いて、オオダオ(芝平峠)峠に出るまでの未舗装の道路には、流れ出た水が凍結している箇所があり、その上に雪が積もれば、その量にもよるが厄介なことになる。峠に出ると、雪道はかなりの車輌が入っているようで前回15日に行った時より荒れていた。峠の手前の例の崩落現場は、相変わらず水は流れ出ていたが、小康状態を保っているように見えた。
 少しづつ雪の量が増えてくる山道を慎重に進むと、焼き合わせを過ぎてからの日陰の吹き溜まりは、すでに車体の底が雪と接触しているような場所もあった。難所となるド日陰の大曲りは、途中から3速を2速に落とすだけで通過することができたが、ここは気を抜くと、危険である。
 牧場内も、初の沢の大曲りやその先の緩い登り、さらに第2検査場を過ぎてからも他の場所とは雪の量が違い、気を引き締めた方がいい。日の当たる場所には鹿が居たり、雪が融けて路面が顔を出している所もあって意外だったが、とにかく、今冬は例年に比べて雪の量が多いと思った。いつもなら大体1月の半ばまでは車で行けたが、この上さらに雪が降ると、前にも同じことを呟いたが、恐らくもう歩くしかないだろう。
 小黒川林道に入る施錠されたゲートは、かなりの車が通過しているようだったが、果たしてあの車はどれも業のためのものなのだろうか。ワカンだと思うが、新しい足跡も付いていた。
 
 きょうの写真は、小屋から帰る時に雪の状態を知らせようと思い写した。ここで車を止めたため、再度動かそうとして少し手こずった。以前にも、思いの外深い雪で、除雪のためにスコップを取り出し、汗を流した嫌な所だが、話は3年前、某氏がこの先のカーブで側溝に脱輪して、年が明けたばかりの夜中の2時ごろ、その救援に出たという因縁の場所もこの近くである。
 上ではいろいろなことがあり、起こる。今年の越年は誰も来ないから、静かに過ごす。
 
 え、言えって。そう、今夜はクリスマスイブでござる。無神論者ゆえ、これ以上の言葉は出ないが、それでというわけではないけれど、ポインセチアを一鉢買いました。本日はこの辺で。
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